巨人の家
ユーヴェは性別すら解らない吊された死体の周辺へ目を向けた。床の噴霧物の上にはくっきりと四指が前、太い五指目が垂直に付いた怪物の足跡が残っていた。その跡は死体の真下では更に多く、噴霧物は無く従来の木目が見て取れる。木目の隙間には怪物の抜け毛が転がっていた。毛を瓶に回収したユーヴェは死体の塊へ跪き、ゆっくりと下へ鏡を差し入れた。鏡には虚ろな眼の女が覗いていた。
「・・。」
続いてユーヴェは紫と赤黒い斑が這い回る皮膚へ手を当てる。手袋越しに腐敗熱の温かさが伝わった。
「中に何か有る。内蔵では無いな。」
ユーヴェは腹直筋を縦に走る縫合痕を覗き込むと何か光るモノがあり、その周囲を細い糸と蠅の羽音が囲っていた。
「頭か、完全に腐っている。オーグ、死体の中へ毒を流し込め。」
そう言うとユーヴェは立ち上がり足跡を消しつつ、部屋の隅に箱を設置しその上に怪物の噴霧物を振りかけた。死体にはオーグが取り出した薬瓶の中身が振り入れられる。その後、八棟の屋上へ魔術具を取り付け終えたユーヴェは、アパート内で発見した死体を手記へ描き取り詰め所へとって返した。ユーヴェが詰め所の前まで戻ると厩舎には憲兵隊の馬が揃っていた。ちらりと馬の世話をする憲兵達を目の端に捉えたユーヴェは詰め所の扉へ目を向けた。立ち止まる二人を訝しげに見る憲兵達が通り過ぎて行く。ユーヴェの正面には立派な金飾りが施された扉、彼は空を見上げた。深く青々とした中に小さな雲が三個浮いている。ユーヴェは指の掛けた手で詰め所の扉を押し開いた。詰め所の広い玄関口に入ったユーヴェへ若い男の声がかかった。
「魔術師殿!」
硬い鋲の音へ目を向けるときっちりと制服を着た憲兵が駆け寄ってきていた。ユーヴェへ近づいた彼は礼を取り続けた。
「巨人事件を担当しておりますカルーティウスと申します。これからよろしくお願いします。例の匂いが漂う屋敷を発見しました。アーランメネス副官含め、他担当憲兵が会議室で待っております。」
「承知しました。直ちに向かいましょう。」
カルーティウスへ礼を取ったユーヴェは小走りに会議室へ向かった。ユーヴェを待つアーランメネスは部屋の中央に設けられた台へ乗せられた大きな地図の前を興奮気味にうろうろと歩き回っていた。部屋へ駆け込んできたユーヴェを見た彼は笑みを向ける。
「吉報です。ユーヴェ殿。」
アーランメネスの言葉に軽く頷いたユーヴェは地図の上へ赤いピンを刺しながら彼へ尋ねた。
「匂いのした屋敷について詳しくお聞かせください。」
「勿論です。件の屋敷はここ、古美術商の別邸です。」
アーランメネスは黄色いピンを一本取り出し、ライティタ川の上流側の川の直ぐ隣へ突き刺した。地図に描かれた屋敷の敷地は広く、庭だけでアパートは軽く四棟は入るだろう。
「それから馬車道の脇で大量の血液と胃液や糞といった老廃物が見つかりました。」
青いピンを屋敷の地区中央の大通り脇に突き刺した。二つのピンを目で追ったユーヴェはアーランメネスへ尋ねた。
「別邸にはどなたがいらっしゃいましたか?」
「家主は王都に居るらしく留守でしたが、彼の妻と一人息子、それから家主の父親がいました。父親は体調が悪いらしく二階で寝ていると。屋敷の敷地内には使われていない物置があるそうです。夫人が片付けたいと愚痴をこぼしておりました。」
「ありがとうございます。一つ質問ですが、御子息はどちらに居ましたか?」
「その時は近所で友達と遊んでいると。」
半笑いでアーランメネスは答えた。ユーヴェは呆れ顔で彼へ笑い返し青いピンを指差す。
「アーランメネス殿が発見された痕跡ですが、恐らく回復のために食われた人間の物でしょう。巨人には驚異的な再生能力が有りますが、再生中は大量に食物を摂取し続けなければ餓死します。他の通路は調査されましたか?」
「ええ、憲兵殺しの怪物は許せません。痕跡を発見後、虱潰しに通りを探索しましたが他には見つかりませんでした。」
「屋敷の出入口は地図の通りですか?」
「はい、南側正門と北側の庭へ繋がる裏戸口のみです。」
怪物に対して憤るようにアーランメネスはユーヴェへ返事をし、台へ置かれた彼の拳が震えている。台から目を上げたユーヴェは口を開く。
「他に捕食痕が無いとなれば、巨人内で地位の変更が行われた可能性が高い。情報共有が終わり次第向かいましょう。アーランメネス殿には憲兵隊を率いて屋敷の包囲をお願いします。」
アーランメネスの返事も待たずにユーヴェはアパートで発見した死体について語った。唖然とするアーランメネスと憲兵達へユーヴェは作業台に並べられた粘土を次々に鏡の下部へ貼り付ける。鏡にはアパート屋上からの景色が映し出され、その内の一枚が暗い室内を写し出した。目を細めたアーランメネスを含めた憲兵達は身を乗り出す。
「これは何ですかね?」
アーランメネスが呟く。
「森や村等で退治した巨人はこの様な物を作ることはありませんでした。この街特有の物で似ている物は有りませんか。」
ユーヴェの問に憲兵達は唸る。考え込んだ一行の中からカルーティウスが声をあげた。
「もしかすると、切飴かも知れません。先日そっくりな飴を息子に買い与えました。特殊な甘味が使われていて信じられないくらい美味しいです。これの形は、何だか木の実に見えますが。これはこれで。」
「売れそうですか。」
「・・はい。」
「飴は何処で購入されましたか?」
「出店で買いました。ああ、魔術師殿は旅をされているからですね。王都近郊の工場都市アイネディウムで大量生産されていて、安くて健康に良いらしいですよ。私も食べてから何だか調子が良くて。」
数名の憲兵達が彼の言葉に頷く。アーランメネスは盛り上がるカルーティウス含めた憲兵達を尻目に首を傾げ、呆れ顔を作っていた。ユーヴェはアーランメネスへ視線をやりながら言う。
「その甘味の名前は何ですか?」
「『アンテロケイア』と言うそうです。」
ありがとうございます、と呟くように答えたユーヴェはアーランメネスへ向かい合う。
「こちらの鏡を見張る人員を五人程立てて下さい。人員を決めたら屋敷へ向かいましょう。」
アーランメネスは軽く頷き若い憲兵四人と年配の憲兵を一人部屋へ残し、ユーヴェと共に甘い香りの立つ屋敷へ向かう。ユーヴェの進める馬車を先頭に憲兵隊の一団は蹄の音を閑散とした街中へ響かせて走った。御者台で手綱を引くユーヴェの元に羽の付いた副官帽を被ったアーランメネスが馬を寄せて言う。
「魔術師殿があのような物に興味を持つとは意外でした。」
ユーヴェの視界の端には不満げなアーランメネスの顔が映る。
「甘い物に興味はありませんが、あれには興味を引かれます。」
「何故です。」
「怪物が切飴の粒を見立てた物を作り、造形物に喜びを見いだしたことです。今までの巨人の中で独自性や想像力を持っている個体は居ませんでした。多くが石を三段積めば、三段までしか石を積まない。模倣と全身の筋肉で生き残っている怪物です。それが個性を手に入れた。何らかの方法で。」
アーランメネスはユーヴェの言葉に顔が青ざめさせた。
申の刻、 屋敷真上を旋回する鳥の真っ黒な目に屋敷敷地を取り囲んだ一団が映る。停車した馬車へ羽の付いた帽子を被った憲兵が馬を引いて近寄った。
「お気を付けて。」
アーランメネスの一言にユーヴェは笑みを向け、馬車から段差を踏んで降りると腰に下げられた二丁の短銃、一丁の射出機、ロングソードが揺れる。両手には濡れた鏃が取り付けられた空気銃が構えられていた。胸には五つの薬室が取り付けられた魔術具が装着されている。屋敷の門を潜った彼の背後にはオーグが付き従い、彼は額の装置の位置を調節し、刃が濡れた手斧と射出機を持っている。腰には射出機が二丁下げられている。彼らの武器は全て装填済みだった。憲兵達は武装した魔術師の姿に思わず唸り、固唾を飲んで二人を見送った。屋敷を見つめたユーヴェはポーチから乳白色の薬液が入っている薬瓶を一本取り出してオーグへ手渡した。
「裏口に回れ。」
離れていくオーグを見送ったユーヴェは屋敷一階の窓を覗きこむ。ゆがんで映る薄暗い室内には人気は無い。肘で窓を叩き割ったユーヴェは手の平程の箱を部屋の中へ放り込み、屋敷正面玄関の扉前へ移動した。ユーヴェはポーチからオーグへ手渡した薬瓶と同じ物を取り出し扉へ中身をぶちまけた。粘性のある液体は扉へ張り付いて固まり始め、ユーヴェはその上に爆弾を押し付けて固定した。馬七頭程の扉から離れたユーヴェは胸の薬室の一つを押し込んだ。たちまち屋敷の中には白煙が立ち上り、焦げ臭い臭いが辺りに充満する。戸棚等をひっくり返した音が鳴り、やおら屋敷の上階が騒がしくなる。木の割れる音、大きな男の唸り声が屋敷の隙間から吹き出し、遂に巨人が扉とその周辺の壁を破ってユーヴェの目の前へ現れた。灰色な肌の表面には白い粉が吹き、曲がった牙が頬を突き破って生えている。濁った黄色い目玉は充血して、獅子鼻の鼻は息荒く蠢いている。黄色い目はユーヴェを捉え、怪物の巨体はゆっくりと彼に近づく。ユーヴェは空気銃を左手に持ち替えて胸の薬室を押し込んだ。ユーヴェの指が銃の引き金から離れた途端、巨影は地を蹴って突撃した。怪物の背後で爆発が起こり、僅かに怪物の体が宙へ浮き、ユーヴェは怪物を中心に円を描くように走りながら空気銃の引き金を引いた。鏃は空を切って飛び怪物の右脇腹へ突き刺さった。黄ばんだ歯を剥き出した怪物の影が揺れる。着地した怪物は四つ這いになってユーヴェへ駆け出した。鋭い爪が石畳を引き剥がし、ぬかるんだ土を跳ね上げる怪物に向かい合ったユーヴェは空気銃へ新しい鏃を嵌めてレバーを引いて蓄気を始める。馬を二頭まで近づいた怪物は途端に手足を止め、持ち上がるように小刻みに震えた怪物は嘔吐し、吐瀉物には血と何かの腸が混ざっていた。ユーヴェは突っ伏した怪物の両脇へ目を配りつつ空気銃を左手に構え、右手でロングソードを引き抜く。ユーヴェへ震える怪物から右手が伸ばされるが彼はそれを無視して回り込もうと足を進めると、真っ白な白い影、小柄な怪物が彼へ飛びかかる。咄嗟に鏃が怪物へ飛ばされ、怪物の舌を貫通し血の泡が怪物の口端からこぼれ落ちた。血を吐き出す怪物は人形のように石畳へ打ち付けたまま痙攣をする。息をつく暇も無く、白いもう一つの影がユーヴェの左目の端に映った。彼が空気銃を投げ捨てて向き直る。小柄な怪物の体毛は全くなかったが両手には鋭い爪、口元の牙は曲がって生え巨人であることは疑いようも無く、全身の筋肉は熊よりも発達していた。突っ伏した怪物はあぶくを吹いて倒れたまま身じろぎせず、ゆったりと直立した怪物は死体から離れてユーヴェとの距離を測る。両手で剣を構えたユーヴェは足を開き切っ先を怪物の真っ白い喉元から下げた途端に怪物はユーヴェへ回り込むように躍りかかった。切っ先は振り上げられて怪物の指を切断すると、口を大きく開けた怪物の舌がユーヴェへ向けられる。ユーヴェは怪物の側頭部へ剣を叩き付けると。怪物の舌から勢い良く射出された液体が石畳へ打ち当たり。見る見るうちに石は溶けてツンとする異臭が立ち込めた。剣を頭部へ埋められた怪物は凄まじい力で首をユーヴェへ向けて舌を突き出したが、舌は力なく垂れ下がり口いっぱいに広がっていた。黄色い目玉は真っ赤に染まり、両腕が痙攣し始める。ユーヴェは怪物の胸を蹴り飛ばして剣を剥がす。怪物は泥まみれになりながら仰向けに倒れ、荒く鼻で呼吸をしてユーヴェを見つめていた。空気銃を肩へ担ぎ直したユーヴェは剣を逆手に持ち、倒れ伏した三体の怪物の背や胸へ刃を心臓目がけて寝かせて差し込み息の根を止めた。三体の死体を前にユーヴェは剣の血糊を拭き取り薬液を刀身へ垂らしていたところで、金属の足音が鳴り、オーグが二体の幼体の足を両手に一本ずつむんずと掴んで引きずってやって来る。怪物の死体は力なく引かれ股は大きく開かれており、背後には血の線が残っていた。
「中へ入る。斧へ毒を塗り直せ。・・爆弾は使えたか?」
頷きながら死体の足を手放したオーグは腰に垂れ下がる斧の血糊を払い落とし、薬液を刃へ十分に垂らす。その様子を確認したユーヴェは煙が消えた屋敷へオーグと共に突入した。




