もう一人の魔術師
二階へ上がったユーヴェは三階に掛かる階段へ脚を掛けたが、僅かに体を止めて二階の廊下に足を向けた。二階の廊下には柔らかな敷物が張られ、端からは削れた木の板が見える。各階層には六部屋通路に沿って左右に三部屋並び、部屋の扉はどれも開けられていた。敷物は細かく切られ部屋まで敷物が途切れることは無い。ユーヴェは開け放たれた扉の中をゆっくりと覗くと商売人か、職人風の男が一人ずつうつ伏せに横たわっていた。奥の部屋の死体を確認し終えたユーヴェは廊下を引き返していると、階段側一番手前側の部屋の蝶番から真っ直ぐ下の止め金に避けられるように黒い毛が集められていた。
「後で調べよう。」
瓶に毛を回収したユーヴェは上階を目指す。三階の客室の扉は一つを除いて開け放たれており、空き部屋をユーヴェは覗いたが中は無人だった。ユーヴェは手前の部屋の扉を軽く三度叩きオーグと共に銃を構えた。叩かれた部屋からは返事が無い。台帳によれば男が一人泊っているはずだった。扉の取手を捻って押したが、鍵が掛けられており扉は開かなかった。ユーヴェはオーグに合図を送ると、オーグは扉を片手で軽々と押し開けた。取手当たりに付けられた鍵は曲がり、木製の扉もたわんで潰れていた。ユーヴェは中を見ると男がいた。男は虚ろな目を天井へ向け、備え付けの丸椅子に座っていた。半開きの唇からはよだれが垂れ、手には大衆雑誌を握っている。ユーヴェはしゃがみ込んで男が手に持つ雑誌の表紙を見た。雑誌は三年前に刊行された物だった。雑誌越しに見える彼の目は黄ばみ、左目には三つの赤い斑点があった。
「・・。」
目を細めたユーヴェは腰からナイフを引き抜きゆっくりと男の脳天へ突き刺した。ナイフは吸い込まれるように突き刺さり、刃が半分ほど刺さると硬い殻の様な物に当った。ユーヴェは腕に力を込め刃先を脳天へ押し付けた。頭部が激しく揺れ、ナイフを差し込んだ傷口から青色の液体がこぼれる。ユーヴェはナイフをひねり更に押し込むと頭部の揺れが止まり、男の顔は粘性のある青い液体で覆われていた。ユーヴェはナイフを引き抜き。ナイフで前頭骨に沿ってナイフを走らせて口を開いた。
「オーグ、開けてくれ。」
オーグの金属製の指が男の脳天に空いた傷口へ差し込まれ、器用に前頭骨を外して頭部を開いた。中にはとぐろを巻いた芋虫が頭部を真二つに切られ、青色の液体の海で浮いていた。ユーヴェはナイフで芋虫を掬うと、虫の腹部から線が三本伸びておりそれぞれ左右の目玉と脊髄へ繋がっていた。その様子は脳のようでもある。
「これが曲輪蟲の幼体なのか。では一階の人間も・・間引きか。」
ユーヴェはナイフをカーテンで拭い部屋を出た。
更に階段を進む二人は四階へたどり着いた。この階層も静寂に包まれており三階と同様に扉は閉じていた。ユーヴェはテレイアの泊っている部屋の扉を三度叩き、扉から離れて耳を澄ませた。
「生きている。名前はテレイア。トエラケイには領主代理殿のご子息について雇われた。」
三十から四十代程度と思われる男の声が聞こえた。
「私の名前はユーヴェです。テレイア殿、状況はおわかりですね。」
「もちろんだとも。今しがた一匹殺したところだよ。ところでユーヴェ殿、是非私を『さん』と読んでくれないかな。仕事先で会う同胞程心強い者は居ない。」
ユーヴェはオーグに扉を開けさせた。
「用心深いな。若い声だが経験は積んでいると見える。だが、是非顔を見せて欲しいね。私は人間だ。」
ユーヴェは銃を構えたままテレイアの前へ現れた。テレイアは外套を着込み、腰にはポーチと銃をぶら下げた男で、左肩に引っかき傷と応急処置の跡がある頭に白髪が混じった男だった。彼はベッドに腰掛け、足元には鏡で見た曲輪蟲が羽を広げて横たわっていた。怪物の頭部には深々とロングソードが突き刺さり、首はねじ切られていた。
「朝起きたら曲輪蟲が私の部屋にいてね、何とか倒した。」
ユーヴェの視線に気がついたテレイアはそう答え切りそろえられたひげを撫でる。ユーヴェは頷き、アパートで見たことを彼へ話した。話を聞いたテレイアは考え込むように黙り、やがて立ち上がると窓へ寄った。彼の靴裏の鋲が乾いた音を立てる。テレイアは一気に締め切られたカーテンを開け、通りを眺めた彼はユーヴェへ尋ねた。
「今日は何の日だったかな。」
「今晩から収穫祭と聞きました。」
「・・そうか。兎に角、報告をしなければ。成体と幼体が一匹しか居ないとは思えないのでね。」
「その前に五階を確認しましょう。館内案内には物置と書かれておりましたが怪物が潜んでいるかもしれません。」
ユーヴェは賛同したテレイアを連れてオーグを先頭に五階へ上がる。階段の中頃で上階から冷たい風が吹き込んで来た。三人は更に階段を上るとアパートの天井が引き剥がされたように崩れ何かが飛び立った後のようだった。木片が辺りへ転がりその力を物語る。冷たい朝日が怪物が開けた穴から真っ直ぐ部屋へ差し込む。
「これは、大きいな。」
テレイアがあえぐように呟いた。ユーヴェも同意して頷いた。天井に空いた穴は馬車が通り抜けられそうな程に大きく、床の木には二組の大きな爪跡が幾つも残されていた。ユーヴェはしゃがみ込み毛を求めて天井を探ったが毛は一本も見つからなかった。テレイアは空を見上げたまま言う。
「これで大きな奴が確実に一匹居ることが解った。これは収穫だ。」
「・・。」
笑みを向けるテレイアを横目にユーヴェは目を細めた。ユーヴェは穴の縁をよじ登り壊れた屋根に立った。彼は周囲を見渡したが、朝日に照らされた街が立ち並び、殆どの建物の屋根に大きな穴が開けられていた。建物の足元からは荷物を持った住人が通りへ出始め、祭りの飾り付けを行っていた。彼らの顔はどれも青白く蠟のように見えた。
ユーヴェ達が四階へ戻るとテレイアがユーヴェへ語りかけた。
「ユーヴェさん、荷物を纏めさせてくれないか。アパートの裏手の倉庫へ魔術触媒や荷車を入れていたが日用品はこちらに持ち込んでいてね。」
「少し待ちます。」
ユーヴェは扉の側で彼の支度を待つことにした。衣類や金物を鞄へ詰め込む音や剣を肉から引き抜く音が続き、テレイアが顔を見せる。彼の両手にはそれぞれ鞄が下げられていた。
「行こうか。」
テレイアの言葉へ頷いたユーヴェは先んじて階段を降り始めた。三人は階段を無言で降る。建物内には風が窓を叩く音と靴が階段を踏み締める木の軋む音が鳴るばかりである。
「テレイアさんは何年もこの街に滞在されていたそうですが、何かおかしな事は有りませんでしたか。」
「特には無かったね。食事の味も悪くはなかったし、今朝聞いたような羽音も無かった。言い忘れていたが、そもそもあの怪物は羽根で飛べないようだよ。長い腕を器用に使って地を這うように移動していた。」
ユーヴェは質問を続けた。
「眠りについた際に夢は見ておりますか?良ければ内容を教えて頂けないでしょうか。」
「毎日同じ夢を見る。私はかつて王宮魔術師でね、その時の夢だ。」
テレイアは首を振って答えた。声には若干の苛立ちが混ざり、彼はそれ以上答えたくない無いようだった。
「お答えありがとうございます。私はアンテロペロース殿にお聞きしたい事がありますので、テレイアさんはボイオティオス殿へ報告をお願いできませんか。」
「勿論、報告しよう。その後、私は大型怪物捜索の指揮をとる。状況報告は日が沈む頃ボイオティオス殿の屋敷の庭で、それで良いかな?」
「お願いします。」
ユーヴェはテレイアとのやりとりを終えケルテナスをはじめとした憲兵隊がアパートから出た彼らを出迎えた。
「中の様子は如何でしたか。」
「死体が十五体、怪物の死体が二体。怪物は曲輪蟲とその幼体がそれぞれ一体です。五階の屋根が破られておりました。周辺に怪物が潜んでいる可能性がありますので必ずまとまって行動をお願いします。魔術師テレイア殿から詳細をお聞きください。」
ケルテナスの質問に答えたユーヴェはオーグを伴い、真っ直ぐにアンテロペロースの屋敷を目指した。
通りを駆け足に移動するユーヴェ達を往来する人々が青白い顔で凝視する。彼ら目玉は黄色く濁っており、様子を見たユーヴェの足は速まった。ユーヴェは屋敷の扉を叩いたが応答は無く、少し待った彼は屋敷の中へ入った。階段を上がりアンテロペロースの部屋に辿り着いたユーヴェは扉が開け放たれた部屋で寛ぐアンテロペロースと対面した。部屋の中には彼しか居らず、他の老人とアルドルアスはいなかった。アルドルアスはユーヴェを目にすると口を開いた。
「おや、また貴方か。今度は何の用事ですかな。」
「貴方がお雇いになられた魔術師が泊っているアパートで大量の死体が見つかりましたが。脳天に穴が空いた死体はこれが初めてですか?」
ユーヴェは質問を投げかけた。
「挨拶も無いのか。いいや、何年か前に旅行者がそんな死体で発見されました。ですが、たいしたことじゃ無い。私は文献によってこの現象が収まる事を知っているのです。ところでテレイア殿はどうでした。」
ユーヴェは言葉を選ぶ。アンテロペロースの感情の無い目が向けられる中彼は天井を眺めてそれから答えた。
「怪物を殺して生きておりました。」
「成る程。彼は命を勝ち取った。ユーヴェ殿は当家の祭りへ参加されますか?美味しい木の実のパイや葡萄酒が出ますよ。さあお掛けになって下さい。」
「怪物を皆殺しにしてから楽しみます。」
ユーヴェはそう言うとアンテロペロースの向かいに座る。アンテロペロースは机に置かれていたポットを手に取り空いたカップへ中のお茶を注ぎ、カップをユーヴェの前へ置く。
「どうぞ冷めない内に。」
ユーヴェはポーチから薬液を取り出すと軽く礼を取りカップへ注ぎ込んだ。彼の奇行に驚いたアンテロペロースは口を開いたが、カップの水面に次々と浮かぶ白い粒を目にして硬直する。ユーヴェは白い粒をナイフで掬い上げ拡大鏡で観察した。
「卵のようですね。アンテロペロース殿、この水はどちらから汲んでこられましたか?」
アンテロペロースは顔から汗を垂らし答える。
「井戸水を使っています。まさかそんな物が入っていたとは本当に失礼なことを。」
ユーヴェへ弁明するアンテロペロースの唇にも白い粒が付いており、彼は無意識に唇を舐めて粒を口に入れた。
「構いません。それよりも井戸の調査許可をお願いします。」
ユーヴェの言葉にアンテロペロースは首を縦に振り机の引き出しから許可証を取り出して署名しユーヴェへ手渡す。
「よろしくお願いします。この紙をボイオティオス殿へお渡し下さい。そうすれば正式な許可書になりますので。」
許可証を受け取ったユーヴェは手元の許可証へ目を落とす。許可証の署名は文字としての体裁を保っておらず、ガタガタの線と歪んだ楕円が紙いっぱいに広がっていた。
「ありがとうございます。成るべく早く解決します。」
ユーヴェは椅子から立ち上がり屋敷を後にした。




