家畜の夢
橋を登り切ったユーヴェは綱を回収し左肩の調子を確かめるように軽く肩を触る。彼の眼前には一体の半身が変形した魚人が立っていた。左腕は蟹の鋏の形を取っており鏡に写っていた姿そのままだった。魚人はユーヴェへ大きく踏み出し、片腕の鋏を彼へ突き出した。ユーヴェはその一撃を躱すも崖になった背後の橋を滑落した。真っ逆さまに落下するユーヴェは何とか橋の横木へしがみつき命を繋ぐ。ユーヴェを見下ろす魚人は鋏をもてあそびながら口を開く。
「疲れているようだな、魔術師。ここらで休んでいくがいい。私はこの橋を切り落として地下からの脱出しよう。」
ユーヴェは腰の短銃を引き抜き魚人へ狙いを定め引き金を引いた。放たれた弾丸は外れ明後日の方向へ飛び、破裂音が鳴った。銃を腰へ戻したユーヴェはもう一丁の短銃を引き抜き再び発砲すると、弾丸は魚人の脇を掠めた。裂けた皮膚からは鮮血がこぼれるが打ち倒すには至らない。仕方なくユーヴェは横木の端へ移動し左手と足で岩肌の取っ掛かりを探った。しかしながら、湿った岩肌は靴裏を弾き、割れた小石が鮮血に染まった地下湖へ転がり落ち、中々取っ掛かりが見つからない。藻掻くユーヴェを尻目に魚人は鋏で橋の綱を一本切り離す。傾いた橋にぶら下がったユーヴェは尚も壁を探る。
「私こそがオストルだ。皮を奪われ作り替えられていたが、お前があの狂った狼を始末してくれた。感謝しているよ。」
異形のオストルは橋の綱をもう一本切り離し、更に橋が傾く。取っ掛かりを探るユーヴェは振り子のように振られ、岩壁へ張り付くことを諦めて綱を伝って橋を降る。綱を滑る彼を見下ろしたオストルは次々に橋の綱を切る。
「あの狼はおまえの話をしたか?故郷で会った時からあいつは自分の話しかしない奴だった。あいつ私の話をした時に俺は人生を奪われ、都合の良い俺と下僕の私が生まれた。」
綱の端まで降りきったユーヴェの足が空を切る。水面まではまだ建屋三つ分はあった。腰の細い縄を手に握った縄へ固く結び付けたユーヴェは細い綱を滑り降り始める。オストルは太い綱を鋏で切り始める。太い縄はたわみ少しずつ固い鋏が食い込んでいく。興奮したオストルは目を血走らせて咆えるように言う。
「俺は自由だ。何者にでも成れる。腐臭に塗れた空気がこれ程美味いとは。」
橋が切断された。岩肌を蹴ったユーヴェは地下湖に広がる鮮血と青緑色の境へ落下した。ユーヴェは背中を水面に打ち付け、大きな水しぶきを上げて着水した。幸い少し深い位置で落下したため胸まで水に浸かったユーヴェは背中を痛めたが無事であった。目の前には折り重なった橋の残骸が積み上がり、砕けた橋の木片が水面に浮かんでいる。生存したユーヴェを見たオストルは踵を返しランタンの付いた通路を肥大化した左足を引きずって早足に歩く。急ぐオストルは王都の魔術師であっても驚くような魔術設備の数々を通り過ぎ、石畳で作られた城のような地下通路に似つかわしくない真鍮や銅で作られた装置の前に立った。手慣れた手つきで装置を操作したオストルは少し立ち止まる。十拍後に大きな機械音と金切り音を聞くと満足げに微笑み装置から離れた。オストルは足を引きずり通路を進む。何時もは忌々しく思う足音も今のオストルにはただの音だった。暫く歩くと印刷機械が設置された部屋が有りオストルは中へ入る。次々に刷り出されている資料はこの街で王宮魔術師と人狼によって行われていた魚人研究や魔術研究の資料だった。全て持ち逃げるのは不可能であるとオストルは先程の魔術師から街の様子を推察し、重要資料を選別し印刷をかけていたのだ。オルトルは印刷場に予め用意していた耐水性の背負い物を引っ張り出し密閉用の蠟を用意した。印刷の様子を眺めていたオルトルは傍らの椅子へ腰掛け背負い物から以前愛用していた潰れた帽子を取り出して目深に被り、趣味で作っていた玩具、木彫りの馬を取り出した。人間から家畜となった彼に許された唯一の趣味である。オストルは感慨深く玩具を眺めると、思い出せない両親と弟の思い出を妄想し一滴の涙が青白い肌を流れ落ちた。涙の理由はオストルにもわからなかった。
一方、ユーヴェは地下湖から脱出する為、湖を観察していた。湖には鱒等の魚が泳ぎ、水は塩水だった。周囲を囲う岩壁は湿っており僅かに藻が生える。水の色が深い青色に染まっている場所から水が流れてきており対角に空いた穴から水が抜けているようだった。歩き回って見つけた空気銃は浅瀬に転がっており、落下によってレバーが折れ、蓄気用の筒が歪んで壊れていた。空気銃を肩に担いだユーヴェは橋の縄を掴み浮かんだ木片や板を大きな塊に纏め、湖での位置を調節した後、その上に乗ると空気銃を分解し重要部品を交換する。レバーにはナイフの一部を組み込んで新しい空気銃を組み直した。何度かレバーを引いては引き金の代わりに取り付けたボタンを押す。空撃ちで蓄気を確かめたユーヴェは空気銃を担ぎ直し腰の射出機で水が抜けている箇所一点を狙う。爆弾を射出しては装填して更に射出する。次々に生じる爆発によって岸壁が揺れて壊れ、岩が出水箇所を覆い始め徐々に水位が上がり始めた。
「濡れていない爆弾はこれで終わりか。」
水位の上昇が止まると対岸までまだ一軒家程の高さがあった。ユーヴェは腰へ射出機を下げて肩の空気銃を手に取る。空気銃の先端に細い綱を繋げた鉤を取り付け、切断された縄が巻き付く橋の柱へ向けてボタンを押す。山なりに飛んだ鉤は外れ湖に落ちた。ユーヴェ四度繰り返し発射し何とか柱へ鉤をかける事が出来た。鉤に付いた細い縄を腰の滑車へ繋げたユーヴェは爪先を足元の木片を纏める縄へ差し込んで細い綱を力一杯に手繰り寄せた。ゆっくりと大きな木の塊が岩壁へ近づき、足を縄から抜いたユーヴェは空気銃を担いで細い綱を頼りに上へ上り始めた。滑車によって片手で縄を手繰るユーヴェは左手に血塗れのロングソードを引き抜き、オストルの攻撃を警戒しながら顔を柱の麓から出す。誰もいない事を確認したユーヴェは柱を頼りにから登り切った。しゃがみ込み空からの光を頼りにポーチを確認すると火薬や弾薬類はすっかり濡れてしまっており使い物にならない。ユーヴェはポーチから鏃を取り出して空気銃へ取り付け蓄気すると、空気銃とロングソードをそれぞれ握りしめオストルの血跡を追う。ポツポツとランタンの灯りが灯された通路の奥から大きな機械音が響きユーヴェの足音をかき消した。ユーヴェはロングソードを前へ突き出して各部屋へ目を配る。道すがら各部屋に並んだ機材にユーヴェは驚愕しつつ進み音の元である印刷所へやって来た。血痕は此処で途切れており、ユーヴェが中の様子を窺おうとしたその時、真っ白な鋏が彼の首へ迫った。目の端に鋏を捉えたユーヴェは印刷所へ飛び込み致死の一撃を躱すとオストルに体当たりをされて紙の束へもんどり返る。巻き上げられた紙を巻き付けて鋏が迫る。ユーヴェは片手の空気銃を構えてボタンを押す。発射された鏃はオストルの右目を潰し、鋏は空気銃を挟み込み容易く切断した。オストルは激痛に雄叫びを上げて印刷所から飛び出し、ユーヴェは紙に足を取られながら立ち上がり真っ白な背中を追う。オストルは走りながら目玉を貫く鏃を目玉ごと引き抜いた。黄ばんだ歯を立てて目玉を一口で食ったオストルは目的の部屋へ飛び込んだ。ユーヴェもオストルを追って部屋へと飛び込み驚愕した。部屋は非常に大きくある種の乾燥室であり、大量の棚があった。棚の中身は引き出されており大小様々な大量の木枠が立ち並んでいた。部屋は独特な薬品臭で満たされている。ユーヴェは際の間を歩く。木枠には白く薄い皮が張られ中には人間の顔の皮や胸の皮もあった。部屋は特殊な空間で印刷機の機械音は小さくなり、オストルの足を引きずる音がユーヴェの耳に聞こえる。ユーヴェはポーチから瓶を取り出し中の薬液をあおる。周囲の色彩が鮮やかに映り、僅かな衣擦れ音や空気の流れを知覚し始め、同時に左肩の激痛がユーヴェを襲う。ユーヴェは痛みをこらえてロングソードを両手に構え全く足音を立てずにオストルの元へ進む。耳を澄ませたユーヴェにはオストルの呼吸が聞こえる。オストルに迫ったユーヴェはロングソードを真っ直ぐに振り下ろした。血に濡れた切っ先は木枠と干された背中の人皮ごとオストルの左腕の肘を切り裂き、白い鋏が音を立てて床へ落下した。絶叫を上げたオストルは干された人皮を引き倒しながらユーヴェから逃れようと這いつくばって逃げる。
「怪物め!お前は怪物だ。私は人間だぞ。」
左肘の切株を押さえて涙を流すオストルはユーヴェから逃げるが、怯えにより腰が抜け這うことしか出来ない。切断された先が欠けた鋏をちらりとみたユーヴェは告げる。
「お前はオストルと思い込んでいる魚人だ。私が手に入れたオストルの髪は人狼を映していた。お前の父は人狼、母は魚人だ。」
「違う!俺がオストルだ!俺には両親と弟がいて。王都で狼に捕まった。」
ユーヴェは泣きじゃくる魚人へ剣を構える。
「人殺しが!俺は人間だ。俺は言われて。頼む、家族が黙っていないぞ。裏切り者を殺した・・」
剣が魚人の首を跳ね飛ばす。真っ白な頭部が綺麗に張られた人皮へ当たり跳ね返った床を転がる。ユーヴェは目を細めるばかりで何も言うことが出来なかった。
人皮の部屋を出たユーヴェは腰に魚人の腰部が入った革袋を下げ印刷所に戻っていた。積み上げられたに目を通すとアリオンの魚人について事細かに書かれていた。魚人の家畜化に始まり、容姿の調整には南方産の狼の血清を胎内の卵に注射する必要が有ること、人間に近くなった魚人は百二代目に鰭や鱗が復活し生産施設が打撃を受けたこと、人狼の血清では解決しなかったこと、人狼の保有する複数の人格保存能力について、人狼が書いたであろう王国での取引中にアリオンで起こった魚人の反乱についての嘆き等が書かれていた。書類中ではアリオンは必ず牧場と書かれ表現がぼかされているほか、魔術師達の名前も頭文字で表されている。
「王宮魔術師は多くないのだが、相も変わらず詰めの甘い奴らだ。」
ユーヴェは半分に折れた木の玩具が転がる側にポツンと置かれた背負い物に目をつけた。
「これは。」
しゃがみ込んだユーヴェは中を漁り手記のような物を取り出した。中を開くとでたらめな文字と子供が描いたような絵が書かれていた。
「形から椅子か。何かと並んで座っているが、胸が強調されている。空に浮かんでいるのは大きなランタン。色とりどりの魔術触媒が足下を飾っている。・・これはあの魚人の物か。これが意味することは結婚か。私が読む物では無いようだ。」
ユーヴェはそう言うと手記と木の玩具を印刷所の紙の山へ乗せてランタンの蝋燭で火を付け、最低限の資料を集めて燃え上がる印刷所を後にした。




