海底の封
ネレーが納屋から立ち去った直ぐ後にピルネウス憲兵達と共に納屋へやって来た。ピルネウス達は一様に不機嫌だった。荷作りを始めていたユーヴェは彼らへ口を開いたが、ピルネウスは挨拶も無くユーヴェへ語りかけた。
「聞きましたか!オストル殿がユーヴェ殿への依頼を取り下げました。貴方には今日中に屋敷の敷地から退去するようにとのことです。全く、怪物の情報を得たというのに一切の報酬を払わないとは全くけしからんことです。」
「私もネレーさんから聞きました。残念なことです。」
ユーヴェはおどけるような声色で言いながら、腰のポーチへ薬液を入れた蓋の色が異なる瓶を五つ入れて厚い布でビンを仕切る。平然とした様子に動揺するピルネウスの目を見たユーヴェは彼へ語りかけた。
「さて、そんなことよりも憲兵隊の意見は如何ですか。良ければ協力を続けたい。場所をお借り頂けないでしょうか?」
ユーヴェは納屋に並ぶ荷物を指し続ける。
「宿には入らないものですから。」
ピルネウスはひょうきんな態度のユーヴェを頼もしく感じ、僅かに顔を綻ばせて彼に語りかけた。
「もちろんです。使っていない天幕が有りますので詰め所の庭にはりましょう。荷物の運搬はこちらで行いますので、ユーヴェ殿は海兵と共に岸壁の調査をお願いします。港まではこちらに居るテレウス海軍少尉の案内を受けてください。現地にはケリュイテス海軍中佐が待っておりますので連係を取ってください。」
ピルネウスの隣に若い男が立つ。折り目の付いた軍帽を小脇に抱え、体はしっかりと鍛えられている事が糊の効いた海軍服の上からでも解る。踵を付けたテレウスはユーヴェへ海軍式礼を取り、ユーヴェは礼を返した。
「テレウス海軍少尉です。よろしくお願いします。」
テレウスの言葉にユーヴェはよろしくお願いしますと返しピルネウスへ視線を戻す。
「ご協力、痛み入ります。所で・・。」
ユーヴェは赤い皮を持ってピルネウス達へ差し出しネレーとのやり取りと座布団の秘密を打ち明けた。ピルネウス達は顔を青ざめさせ、心ここにあらずといった様子で彼の話を聞き入っていた。赤い皮から目を逸らす者もいる。ユーヴェは一同へ言った。
「皮膚骨格で作られた皮膚は人間の物とは違い、煮ると赤く変色するのです。加えてこの皮は森へ置いても中々分解されません。皮の材質、元が異なると言い表した方が適切ですね。連中にとっては絶好の素材だったのかもしれません。私はオストル殿の屋敷の捜索を提案します。」
言葉を切ったユーヴェは一呼吸すると続けた。
「ですが、岸壁の調査を終えてからですね。」
「何故です。」
「逃げられないように蓋をするためですよ。魚人は呼吸をするために出口や空気孔を用意しているはずです。海と池を塞いで屋敷を押さえます。街の家々の調査を岸壁の調査と平行して行いましょう。」
ピルネウスの問いにユーヴェは打って返すように素早く答えた。ユーヴェの言葉にテレウスは唾を飲み、ピルネウスは顎を撫で、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。
「家の何処を調べるべきでしょうか。」
「人ですね。髪を一房切り落として火にくべてください。人毛と異なる臭いがあれば敷物を裂いて中の皮を調べてください。それらを証拠に地下室の捜索をお願いします。では、お願いします。」
ユーヴェはテレウスの引き連れ納屋の戸口へ向かった。急ぎ足で進む彼の背中にピルネウスは声をあげる。
「待ってください。」
振り返ったユーヴェの顔は朝日が当り、影が差した彼の表情はピルネウスからは伺い知れない。ピルネウスは納屋に掛かるランタンへ向かった。彼は自身の髪の毛をナイフで一掴み切り取り、ランタンから火のついた蝋燭を一本抜き取った。掴まれた髪の毛は蝋燭が湛える橙の火へかざされ独特な匂いが立ちこめる。
「貴方の事は信じていましたが、ありがとうございます。」
感謝を告げたユーヴェは陽光の差す街中へ歩み出し、間もなく蹄の音が鳴る。彼が立ち去ると憲兵達はユーヴェの去った納屋の荷物を次々と運び出しにかかり。ピルネウスは棒立ちのまま、部下に話しかけられるまでの間ユーヴェが立ち去った戸口を見つめていた。
馬を走らせるユーヴェとテレウスは街の西端の漁港にさしかかっていた。この辺りは魚市場が広げられ、流れた魚の血が生き物のように砂が混じった石畳をのたくっている。流血の傍では釣り上げられた鱒や鰊が申し訳程度に敷かれた藁の上で雑魚寝しており、鱗には黒くなった血の塊、馬の糞、砂粒が張り付いている。痛んだ魚には商品価値は無く、熱を持った魚から巻きあがる悪臭は道行く足を速める程だった。ユーヴェは以前にセネスの屋敷で読んだ歴史本『王国期』の一幕を思い出していた。
「全くひどい物ですよね、時間旅行の気分です。これだから鼻つまみ者は・・。」
「鼻つまみ者ですか。オストル殿の『節約論』と関係があるのですか?」
テレウスの悪態を拾ったユーヴェは彼へ問いかけると、テレウスは鼻で笑う。
「私は友人とそのサロンで彼の話を聞きましたが、本当にひどい物でしたよ。彼は周辺国家との諜報戦が繰り広げられる昨今において物質生産を否定したのです。あのくだらない雑誌を見ましたか?あれは十年前の物ですよ。沈没した船に蟹が住みつくでしょう?この街は沈んだ過去の遺物ですよ。」
テレウスの語りは王都の貴族然とした語りだった。蹄が糞に塗れた腐った魚を踏みつける。膨らんだ魚の身はゼリー状に割れ、無残に血の川を跳ねる。
「テレウス殿は王都の事情に詳しいですね。知っていたら教えていただきたいのですが、オストル殿の妻ベラエーさんについては何かご存知ですか?」
少し目線をあげたテレウスはユーヴェの質問に答えた。
「ベラエーさんはこの辺り出身の容姿の優れた古い一族の娘です。彼の妻になったと聞いた時は驚きましたね。彼女の一族は劇関係で物凄い利権を握っているとかで、北側の地区に劇場があるのですが、王都の劇場に出るにはその劇場で出演しなければならないとか。」
「美ですか。その一族はどちらに。」
「消えました。ベラエーさんが王都に来てオストル殿と結婚された後にきれいさっぱり消えました。利権は健在のようですが。」
「・・教えていただきありがとうございます。」
会話を続ける二人の前に海軍の詰め所が見えてきた。入口には海兵が憲兵と共に二人を待っており、下馬したテレウスは彼らに敬礼をすると、真っ直ぐにユーヴェをケリュイテスの元へ案内した。簡素な部屋に通されたユーヴェの前に国旗、帽子立て、事務机の側に立つ日焼けした壮年が現れる。ユーヴェは礼を取り挨拶をした。
「魔術師ユーヴェです。よろしくお願いします。」
壮年の男は王国式礼をユーヴェへ返し、
「ケリュイテス海軍中佐です。優れた魔術師であると聞き及んでおります。よろしくお願いします。」
と笑みを浮かべ挨拶した。ユーヴェの後頭部にはテレウスの視線が刺さる。
「本日は岸壁の調査ということですが、海中からも捜索を行いたいので潜水鏡も使用いただきたいです。」
「もちろんです。この辺りは波が弱いので潜水鏡を一本積んだ小舟を六艘出しましょう。別途、岸壁は大型の船を走らせて確認で如何ですか?」
「助かります。」
頷くユーヴェはケリュイテスに軍港内へ案内された。竜骨や鎖が纏められた倉庫や食堂からは香ばしい朝食の匂いが漂っている。無言で歩く彼らの背後を歩くテレウスは漁港の臭いを洗うように鼻を静に鳴らしている。ケリュイテスは厚い手のひらを奥に控える大きな帆船へ向けた。
「あれですよ。王都でも配備されたばかりの物で側面に七門、前門に二門の計十六門、名前をプロオストレスです。立派でしょう。側面に小舟を六艘取り付けて有りますので、船は直ぐに出港出来ます。」
「『建国期』の英雄ですね、道理で立派な物です。潜水鏡は船倉に?」
「ええ、小舟は岸壁に近づいてからで良いでしょう。繊細な物なので海に舟を降ろしてからで良いでしょう。」
「おっしゃるとおりです。」
一行は整頓された船着き場を真っ直ぐに進み舷梯へ行き着く。ケリュイテスは大きく手を開きユーヴェへ語りかけた。
「魔術師ユーヴェ殿、お先にどうぞ。」
ユーヴェは礼を取り、乗船すると納屋よりも大きい立派な船に彼は圧倒された。船首の海兵がユーヴェへ礼を取る。ユーヴェは心ここにあらずといった様子で礼を返していると登ってきたケリュイテスに船長室へ招き入れられた。船長室には国旗、海図が広げられた机、ネジ巻き音楽機等が置かれていた。舟を繰り出す地点をケリュイテスは簡単にユーヴェへ説明した。
「ユーヴェ殿は船が到着するまでこちらでお待ちください。」
ケリュイレスはそう言うと扉を閉め、魔術師を乗せた船は帆を張り海へ繰り出した。
穏やかな波の上を大きな船が進み、ユーヴェは船長室から外を眺めていた。船長室の窓からは見える海には黒い影が点々と落ちている。甲板では男達の大声が響き穏やかな海をより一層引き立てていた。陽光が反射する冷たい水面の美しさはネレーの面を彷彿とさせる。ユーヴェの脳裏に行方不明者達の顔が想起される。
「品種改良か。」
思考するユーヴェは扉をたたく音に振り返る。失礼しますとの声と共にテレウスが軍帽を抱えて扉を開けた。
「岸壁に到着しました。これから調査を始めます。」
ユーヴェは船長室から甲板へ出ると降ろされた三つ目の舟へ縄梯子を使って乗り込んだ。灰、茶で構成された岩と土の壁は不規則に凹み所々海蝕による白や黒の線が見える。小舟は岸壁へ取り付きユーヴェは海兵から潜水鏡を受け取ると先ずは海底を観察した。鏡、反射板、ランタンを駆使してユーヴェは海底を照らし、海兵に舟を壁に沿ってあちらこちらに移動させた。舟からの灯りは海底を照らし出しなめるように海底のきめ細かい砂上を移動する。ユーヴェは海兵に舟を止めるように指示を出す。
「海底に土嚢袋が見つかりました。合図の旗をお願いします。」
土嚢袋を辿ると崩れ落ちて完全に穴が塞がった物ではあるが海底トンネルの跡が見つかった。海から目を上げたユーヴェは驚愕する。六艘全ての舟が旗を立てていたのだ。船は順に船を周り海底からパンパンに膨らんだ土嚢袋合計五十袋を回収した。海底トンネルの跡は三つ見つかりその全てが完全に穴が崩壊し鱒程度でなければ通れない程度の隙間しか無く、当然土嚢袋は通らない。甲板へ並べられた袋は蠟で覆われており、袋を閉じている蝋を開けた海兵は尻餅をつき海へ胃袋の中身を吐き出した。腐敗臭が甲板に立ちこめる。ユーヴェはしゃがみ込み袋を覗き込むと中身は大量の液状化した肉と骨それからハエの死骸で満ちていた。
「腐敗ガスが充満して虫も生きられない程放置されていた物ですね。」
使い捨て手袋をはめたユーヴェは手を中へ突っ込み中を探る。とろけた肉が糸を引き既に小蠅が寄ってきている。ユーヴェは目を見開き袋から何かをつかみ出す。テレウスやケリュイテスはユーヴェのつかむ物を覗く。
「鰭ですか?」
「魚人の鰭です。」
真っ白な鰭骨から黒々とした液体がこぼれ落ちる。次に取り出された骨は鰭の無い完全な人骨であり、関節に合わせて槌か何かで砕かれていたことから明らかに分解した跡が残る。甲板に並ぶ袋の中身を想像した一同は静まり返った。




