アリオンへ
ユーヴェは少なくなった魔術触媒の補充及び術に必要な薬液の調製を野外の調製場で行っていた。調合場は森を少し進んだ開けた場所に設けられ、床は石造りで簡素な屋根が空を覆い壁は土壁で簡単に囲われている。採光および換気の為の窓が四方にそれぞれ四つ取り付けられ東の窓からは穏やかな朝日が差し込んでいた。長い机で魔術触媒が入った棚に囲まれユーヴェは作業に没頭していると調製場の木で造られたドアノブが周り、木箱と手袋を持ったネレイエが中へ入ってきた。
「おはよう、手袋が出来たよ。オーグは組み直しだからきっと間に合わない。戦えるように関節を調節して連れて行く?」
ネレイエは木箱を作業台へ置く。
「おはようございます。手袋、ありがとうございました。オーグに関しては破壊するわけにはいかないので、修理を優先でお願いします。今回の件は私で対処します。それで、これは何ですか?」
立ち上がったユーヴェは手袋を受け取ると早速手へはめた。手袋は欠けた指に併せて作られ彼の手へ吸い付くようだった。続いて箱を開けた。中には刀身の無いサーベルに薬室が二つ有る特殊な容器が四つほど弧を描くように取り付けられた物と動物の骨で作られた小さな箱が四つ入っていた。薬室と箱にはそれぞれ一から四の数字が振ってある。しげしげと見るユーヴェへネレイエが答えた。
「これは貴方が持ち帰ってきた使い魔の頭蓋骨を参考に作った物で、薬室を押すと二種類の液が混ざる。そうすると薬液の種類に応じて箱の中の突起が動く物だよ。きっと役に立つから持って行きなさい。」
顔をほころばせて頷いたユーヴェは手袋を嵌めたまま手のひらを作業台へ向けた。
「薬液の準備は昼頃には全て終わります。昼食後、師の納骨をしましょうか。」
「それが良いね。私はパンを焼いておくよ。多めに用意しておくから、明日の昼食にしなさい。」
ユーヴェの二の腕へ触れたネレイエは静かに調製場を出て行った。
背負い物と荷馬車へ一通りの道具を詰め込み、作業を終えたユーヴェはネレイエと屋敷の庭で向かい合って座り昼食を摂っていた。食事は焼きたてのパンに木の実や肉を挟み込んだ簡単な物で、二人は黙々と咀嚼する。会話は一切無い。ナイフで切り分けられた不格好なそれをユーヴェはむんずと掴んで頬張る。向かい合うネレイエは小さく切り分けた物を囓る。手早く食事を終えた二人は白湯を飲み自然の音に聞き選っていた。ユーヴェは頭上を流れる白い雲を見上げる。
「おばあさん。早いですが、今日の師の埋葬後に此処を発ちます。」
ユーヴェの言葉にネレイエは耳をかたむけ白湯をゆっくりとあおった。彼女へ視線を向けたユーヴェは続ける。
「魔術師のみならず王宮魔術師が失踪しております。私には彼らの失踪と街中の人形の件を合わせて考えた所、街長の側に怪物居るのでは無いかと考えております。となれば屋敷に引きこもった魔術師が最も情報を持つ人物が重要になります。オストル殿は酷評しておりましたが、王宮魔術師に無能の席はありませんからね。」
頷いたネレイエは白湯を飲むユーヴェへ尋ねた。
「確かにそうだね。それじゃあ、人形の意味は?」
「恐らく魔術師の手札を知ることに加えて憲兵隊と魔術師の対応速度、つまり連携を知るためでしょう。間違いなく街の事情に精通した、まるで憲兵隊を相手にしていない厄介な何かです。だからこそ、街へ入る日付をずらそうかと。」
ネレイエは席を立った。ユーヴェは彼女を目で追う。
「そろそろあの人を。」
白湯を飲み干したユーヴェはカップを机へ置き、歩き出したネレイエに続いて屋敷へ入った。二人は屋敷の廊下を進み二階にあるセネスの書斎へ入った。書斎には厚い幕がかけられた棚が並び、その中には過去の狩りの記録が残されロイにおけるユーヴェとセネスの手記も昨夜の内に納められている。部屋の窓側には小さな読書机が置かれ、中身が空っぽな藍色の筆置きが乗っていた。部屋の中央には大きな机が置かれ柔らかな背もたれのある椅子が引かれたままになっていた。セネスが入った箱は彼の短剣と共に大きな机の上に置かれていた。ネレイエはセネスを抱え、ユーヴェは短剣を片手に下げ、ユーヴェを先頭に屋敷の地下へ向かった。地下へは階段が続いており、既に中には蝋燭が灯されていた。きれいに整えられた地下を進むと大きな広間へ出た。扇状に広がるその部屋には幾つも四角い穴が壁に設けられ数百とある穴のほぼ全てに箱と短剣が納められていた。ユーヴェは階段を降りるネレイエへ振り返り尋ねた。
「何処に入れましょうか?」
「貴方の好きなところで。」
「此処で。居心地が良さそうです。」
ユーヴェは短剣を目に付いた左端の穴へ入れた。ネレイエの抱えた箱も中へ納められ、二人は地下から出た。ユーヴェは地下から出るとパンが入った籠を抱えて、荷を積んだ荷馬車へ向かった。納屋へ止めらた荷馬車はロイで使っていた物では無く、一頭引きのおろしたての幌が被せられた小ぶりな荷馬車だった。幌には小さく王国の徽章が付いておりどの街にも入れる物である。ブーツを履き替えたユーヴェへネレイエは歩み寄った。
「もう少し休んでいかない?」
ネレイエの声に車輪の手入れを行っていたユーヴェの視線が上がる。彼の目は日の光で輝いていた。
「おばあさん。行ってきます。」
ネレイエはセネスの面影をユーヴェへ重ね、彼へ微笑んだ。つられたユーヴェは口角を上げ、手早く幌を確認すると外套を翻して御者台へ登った。
「行ってらっしゃい。」
ネレイエの言葉にユーヴェは座ったままふざけて簡易王宮式礼を返し彼女へ手を振った。納屋に残されたネレイエは遠くなるユーヴェ姿が消えるまで手を振り続けた。
アリオンは港を持った中規模の街であり、近隣には小さな農村が東側内陸部に点々と広がり収穫を終えた麦畑が防風林を隔てて地域一面に広がっている。街並みは古めかしく石造りの建物が所狭しと建ち並ぶ。更には北側へ少し進むと、同じく港を持つ中規模都市アルゴラがたたずんでいる。マントと背負い物を身に着けたユーヴェが乗った馬車は丁度東側の農村部を抜けたところであった。人気の無い朝の街道へ出たユーヴェは一度馬車を停め、荷台へ乗り込んだ。手早く薬液に浸した粘土へ鳥の爪を入れ込み手鏡の下部へ貼り付け、鳥を放った。鳥は朝焼けの空を舞い海辺の世界を映し出した。アリオンでは既に馬車や人が往来し職人達は弟子へ怒鳴っている様子が見てとれた。しかしながら、森の様子がおかしかった。ある一点を中心に烏が群がっているのだ。
「・・。」
鳥は烏をものともせずに森の上空を飛んだ。鮮やかに鏡へ映る森が急に赤くなる。ユーヴェは目を細めた。折り重なるような赤いモノは細い枝のような物を生やしていた。それは何体もの皮膚の無い死体が折り重なったものだった。ユーヴェは鳥を呼び戻し、急いで街へ馬を打って走らせた。磯の香りが漂うアリオンへ着いたユーヴェは馬車から飛び降り街の税収場にいた手近な憲兵へ礼を取って話しかけた。
「おはようございます。私は魔術師のユーヴェと申します。オストル街長の依頼によりこの街に参りました。道中死体を見つけましたので確認のため、幾人か憲兵の方に同行をお願いします。また、私の到着をオストル殿へご連絡をお願いします。」
肩に銃を下げたユーヴェへぎょっとした憲兵だったが、彼の話を聞くと了承を示し上官へ話を通しに詰め所に駆け込んだ。すると間もなく初老の憲兵が二十人の憲兵達を引き連れてユーヴェの元へやって来た。初老の憲兵が着ている制服には勲章が三つ程輝いていた。
「おはようございます。魔術師ユーヴェ殿、貴方をお待ちしておりました。私はピルネウス憲兵隊長です。隣街の憲兵隊も取り仕切っております。馬車はオストル殿の納屋へ運びます。代わりとしてあちらの馬をお使いください。足腰が強い良い馬です。事実確認と連絡要員として部下を十五人付けます。使ってやってください。オストル殿の屋敷で落ち合いましょう。」
「承知しました。では、屋敷で情報を交換しましょう。」
ユーヴェはピルネウスが指し示した馬へ飛び乗ると十五人の憲兵達を引き連れて死体の山へ馬を走らせた。ユーヴェによる先導の元、生臭い匂いとハエの羽音によって死体の山は直ぐに見つかった。街道を抜け、森へ入り、小さな池を抜けた直ぐ先で憲兵達はスカーフで口元を覆い、尚も漂う異臭と異界じみた光景に顔を青白くさせた。彼らは親指を隠し黙祷を捧げる。ユーヴェは憲兵達へ絵の記録を取るように告げ、興奮する馬をなだめた彼は下馬する。横たわる無数の死体の傍でしゃがみ込んだユーヴェは先ず死体の頭部をゆっくりと持ち上げた。腐った体は脆く、脊髄の半ばから外れてしまいに頭部から力なく背骨が垂れ下がったる。その様はおたまじゃくしのようだ。
「脆く、毛の一本も無いか。」
頭部は筋繊維の殆どが切り取られしゃれこうべのようだった。頭部の歯はどれも綺麗で矯正を受けたようにも見える。頭部を下ろしたユーヴェは次に特に血に塗れた手を取った。
「指先関節一つから先が綺麗に切断されている。つまり・・。」
ユーヴェは死体の足を見みると、足も手と同様に指先が切り取られている。ユーヴェは死体の山の周りを歩き回りどの死体も同様の処理が施されていることを確認した。
「毛も無く爪も採れない・・。」
ユーヴェは死体の山付近の土を何気なく摘まみ、死体の前で思案していると、彼の背後から声をかけられた。
「魔術師殿、軍医と後続の二十人が到着しました。」
振り返ったユーヴェは憲兵へ返答する。
「では、絵の記録を残した後、死体を回収してください。後で男女それぞれ何人だったかを私に教えてください。オストル殿の屋敷に居ますので、此処はよろしくお願いします。」
礼をする憲兵へ軽く礼を返したユーヴェは馬へ乗り、五人の憲兵達を連れてオストルの屋敷へ向かった。
門を通り過ぎたユーヴェは街中へ入ると建物や通りの古さに驚いた。どれも石造りの建物であり、今時の服装をした道行く人々が浮いて見えた。暫く馬を走らせ、ようやく見えてきた屋敷は憲兵達の声や、興奮した馬の嘶きで大騒ぎだった。屋敷の門にはオストルの従者マイスが立っており、落ち着き無く辺りを見渡していた。憲兵に先導されて通りから駆けて来たユーヴェに気がついたマイスは小走りに彼へ駆け寄り、慌てた声で呼びかけた。
「魔術師殿、先日お話ししたもう一人の王宮魔術師のティアレス殿が・・殺されました。お部屋は凄惨な物で。本当に酷い。」
マイスは思わず親指を隠す。ユーヴェはマイスの言葉を受け、屋敷を見ると窓が全て開かれ
「承知しました。屋敷のティアレス殿の部屋まで案内をお願いします。」
ユーヴェは馬を門へ停めてマイスと共に屋敷に入り、彼らの後に憲兵達も続く。屋敷の中は漁港のような生臭い臭いと血と腐敗臭が充満していた。マイスの案内の元、王宮魔術師のティアレスの部屋へやって来た一行は血まみれの部屋を目にした。部屋の壁は非常に綺麗なままであったが、ベッド及び石造り床には鮮血が滴る。死体は窓際のベッドへ横たわり、森で発見したような有様だった。肉は僅かに痛んでおりつんとする臭いが漂う。付き添いの憲兵達は親指を隠し黙祷を捧げた。ユーヴェは彼らを目の端に追いやり、部屋の開いた窓を指差した。
「あれはどなたが開けられましたか?」
誰も答えない。ユーヴェが部屋の前で憲兵達とマイスをなめるように見つめると、マイスが前へ進む。
「あれは街長様の奥様が開けられたのです。『臭い』とおっしゃいまして。」
「そうでしたか。中に入ります。」
ユーヴェは血を避けて部屋の端を進みティアレスのベッド前まで行く。死体に僅かに残った筋肉は引き伸びており、眼球はほじくり出されていた。首を触ると頭部が自重で枕に沈む。
「これも、胸骨の一部が砕け、頸椎が強い一撃で粉砕されている。どうやら殺してから皮を剥いでいるようだ。」
ユーヴェは死体へ目を走らせると、死体の右脇が気になった。皮膚の無い腕を持ち上げると脇下に切り損じたのか二重の傷が残っていた。ユーヴェは傷口へ手を突っ込むと固い物に指が当り、その固い物を彼は取り出した。白く乳白色のそれは骨のようであったが刃物で切断されたのか、断面は滑らかだった。
「それは一体何ですか?」
いつの間にか部屋に来ていたピルネウスに尋ねられた。ピルネウスの背後にはオストルもいる。振り返ったユーヴェは彼へ答える。
「解りませんが、これは切り離された怪物の一部かもしれません。火を失礼します。」
ユーヴェは欠片を腰のナイフで小片を削り出し、一片をナイフへ乗せて部屋の蝋燭の火で炙った。ナイフに乗った小片は息の詰まる異臭を立てて縮むと白色から赤色へ色が変わった。頷いたユーヴェはナイフ上の小片を手に取り部屋の一同へ振り返ると言った。
「見てください。これは骨では無く、爪か何かの皮膚骨格であると思われます。オストル殿にピルネウス殿、急ぎ鏡占いの魔術を行わなければなりませんので、お手数ですが情報交換は納屋で行いましょう。」
ピルネウスとオストルは火によって変色した欠片を覗き込み、唾を飲んだ。憲兵達にその場を任せたユーヴェを頷く二人を伴って魔術触媒を持ち込んだ納屋へ急ぎ足で向かった。




