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9/30

夜の番

 坂下は、中古の軽バンを探していた。

 放火では、保険は満額出ない。警察は「調べる」と言ったきり、何も言ってこない。子どもたちは、あれから夜に目を覚ますという。

「代わりが見つかるまで、仕事は休みだ」

 電話の向こうで、坂下は、そう言った。

「何か、できることは」

「ない。でも、ありがとうな」

 それだけだった。

 電話を切ったあとで、スマートフォンを、しばらく手の中で回していた。


         ◇


 二日後の夕方、無線が鳴った。

「東亜物流部、水無瀬です。高額素材の配送を、お願いします」

「何ですか」

「雷竜の角。四本。合わせて、二千四百万円です」

 助手席の真柴さんが、小さく口笛を吹いた。

「重さは、三十二キロ。大田区の保管庫から、同じ区内の加工所へ。ただし、加工所は、明朝八時まで受け入れができません。東亜の保管庫は、事故の点検で、今夜から閉鎖されます。一晩、預かっていただきたい」

「車で、ですか」

「車で。最近、素材の盗難が増えています。値上がりのせいです。この角にも、追跡タグを付けました。位置は、こちらで見ています」

「分かりました」

「護衛の方は、夜通し、お願いします」

「元から、そのつもり」

 真柴さんは、無線機に答えた。

 無線の向こうで、水無瀬さんが、小さく言った。

「……お気をつけて」


 角は、白い布で巻かれて、細長い木箱に収められていた。

 箱ごと、荷台の床に固定した。毛布を二枚、ベルトを四本。

 二千四百万円が、荷台に載っている。

 積み方は、いつもと同じにした。

 高い荷物だから、特別に積む、ということはない。高くても、安くても、箱は箱だ。

 夜は、大田区の運河沿いの、月極駐車場の空き区画に、車を止めた。

 街灯が、一本だけあった。周りは、工場の塀と、運河と、使われていない倉庫だった。見通しがいい。

 時計を見た。午後十時。


         ◇


「寝ていいよ」

 真柴さんが、助手席から言った。

「私が見る」

「規則ですので、休みます」

 運転席の背もたれを、倒した。

「規則?」

「眠らずに走らない。運転する前の夜は、六時間、寝る。眠気と戦って走るのは、運転ではありません」

「へえ。それも、口癖?」

「事実です」

 目を閉じた。

 大手にいたころ、先輩から、教わった。

 眠れるときに、眠る。眠れる姿勢を、体に覚えさせる。座ったまま、腕を組んで、首を少し傾けて、息をゆっくり吐く。二十年やっていれば、五分で眠れる。

 真柴さんは、折りたたみの椅子を、持ってきていた。助手席の外に置いて、缶コーヒーを開けた。

 その音が、遠くで、聞こえた。

 そのあとの記憶は、ない。


 二時過ぎに、一度だけ、目が覚めた。

 無線機の小さなランプが、緑に点いていた。

 助手席のドアが、少し開いていた。真柴さんは、その隙間から、手を伸ばして、無線機のマイクを持っていた。

 小声で、何か言っている。

「……だから、気持ち悪いんだって」

 まだ眠かった。目は、開けなかった。

「ぴくりとも動かない。腕を組んだまま、一時間。死んだのかと思って、息、三回確かめた」

「二十年、車の中で仮眠を取ってきた人の寝方です」

 水無瀬さんの声が、返ってきた。

「動かないほうが、疲れが取れます。体が、そう覚えているんです」

「何で、知ってんの」

「……私は、配車係です。ドライバーの寝方は、全員分、知っています」

「全員分」

「早坂さんは、いつも、同じ寝方です。仮眠の指示を出すと、三分で、車が静かになります」

「へえ」

「それだけ、です」

 水無瀬さんは、少し早口で、言った。

「あなたも、寝てください。私が、位置は見ています」

「いい。私が見る」

「明日、使い物にならないと、困ります」

「あんたこそ、徹夜でしょ」

「私は、慣れています」

 俺は、また、眠った。


         ◇


 三時十分。

 何かが、車を揺らした。

 目が、開いた。

 助手席のドアが、開いていた。真柴さんは、もう、車の外にいた。

 街灯の下に、三つの影が、立っていた。

 黒い服の男が、三人。年は、三十前後。体が、大きい。一人が、バールを持っていた。一人は、腰に、解体用の長いナイフを下げている。

「どいてくれ」

 真柴さんの前の、男が、言った。

「荷台に用がある。おとなしく、どいてくれ」

「その角は、預かりもの」

 真柴さんの声は、低かった。

「通さない」

「三対一だぜ、姉ちゃん」

「元は?」

「ん?」

「あんたら、元冒険者でしょ。歩き方で分かる。C級?」

 男たちが、顔を見合わせた。

「……察しがいいな」

「悪いけど、私は、B級」

 その瞬間、バールが、振られた。

 真柴さんは、一歩、下がった。バールが、空を切った。

 剣が、動いた。バールの男の手首に、刃の腹が、当たった。男が、呻いて、バールを落とした。

 二人目が、横から来た。真柴さんは、振り向かずに、肘を、後ろへ打ち込んだ。

 男の腹に、入った音がした。

 男は、膝をついた。

 車の中から、俺は、見ていた。

 見ていることしか、できなかった。

 三人目が、動いた。

 あの、ナイフの男だ。

 男は、真柴さんではなく、運転席のほうへ、走ってきた。

 ドアが、引かれた。

 外の空気が、流れ込んできた。

 襟首を、つかまれた。体が、運転席から、半分、引きずり出された。

 喉に、冷たいものが、当たった。

「動くな」

 ナイフだった。

「剣を、捨てろ」

 男は、真柴さんに言った。

 真柴さんの動きが、止まった。

 男の背中の向こうで、真柴さんが、俺を見ていた。

 目が、一瞬だけ、合った。

 俺は、動けなかった。

 動いたら、喉が、切れる。

 ただ、右手だけが、自由だった。

 ステアリングの、中央。

 手のひらを、そこに置いた。

 クラクションが、鳴った。

 夜の運河に、長い、割れた音が、響いた。

 男の体が、びくりと、跳ねた。

 その一瞬に、真柴さんが、飛び込んできた。

 男の腕を、つかんだ。

 ナイフが、俺の喉から、離れた。

 刃が、真柴さんの脇腹を、横に、薙いだ。

 音は、しなかった。

 布が、割れて、黒い染みが、広がった。

 それでも、真柴さんは、止まらなかった。

 額を、男の鼻に、叩きつけた。

 男は、そのまま、崩れた。

 残りの二人は、立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。

 一人が、這って、逃げた。もう一人も、続いた。

 足音が、運河の向こうに、消えた。

 静かになった。

 街灯の下に、ナイフの男が、仰向けに倒れていた。

 真柴さんは、車に背中を預けて、ずるずると、地面に座り込んだ。

 右手が、脇腹を押さえていた。指の間から、赤いものが、流れていた。


         ◇


 救急車を、呼んだ。

 受付は、落ち着いた声だった。出動中の隊が、全部、出払っていると言う。到着まで、二十分。

「最寄りの救急病院は」

「大田総合病院です。ここから、五キロ」

「自分で運びます」

「止血を、続けてください」

 電話を切った。

 男の手首を、荷締めベルトで、縛った。ラチェットの音が、静かな夜に、響いた。

 警察にも、電話した。場所を伝えた。

 真柴さんを、助手席に、運んだ。背もたれを倒し、毛布を畳んで、脇腹に当てた。

「……重い?」

「軽いです」

「嘘つけ」

「三十二キロの角よりは、重いです」

「比べるなよ」

 真柴さんは、笑おうとして、顔をしかめた。

 運転席に乗った。

 エンジンをかけた。

 足は、いつもの、順番で動いた。

 ブレーキの、三秒前。

 ハンドルは、切るのではなく、置く。

 夜の道は、空いていた。信号は、全部、頭に入っている。この時間は、青になるまで、四秒だ。

 荷物を壊さない運転は、今まで、何千回もやってきた。

 人間を乗せて、やったのは、初めてだった。

 それも、自分の血で、座席を濡らしている人を。

「……揺れない」

 真柴さんが、小さく言った。

「はい」

「吐いてない」

「吐いていません」

「ばか。こんなときに、言わなくていい」

「すみません」

「でも……助かる」

 声が、細くなっていた。

 俺は、アクセルを、ほんの少しだけ、緩めた。

 揺れが、さらに、減った。

 赤信号で、止まった。ブレーキの三秒前から、踏んだ。止まる瞬間に、緩めた。

 真柴さんの、顔色が、紙のように、白かった。

「あんた、寝てたくせに」

「はい」

「起きるの、早かった」

「クラクションを、鳴らしただけです」

「あれが、なきゃ、死んでた」

「そうですか」

「そうだよ」

 真柴さんは、目を閉じた。

「……角、無事?」

「無事です」

「そ。なら、いい」

 信号が、青に変わった。


         ◇


 病院で、真柴さんは、ストレッチャーに載せられた。

 医者が、傷を見て、顔をしかめた。

「あと三センチ、深ければ、内臓でした」

「命は」

「手術をします。大丈夫です。……ただ、全治は、三週間は見てください」

 三週間。

 待合室の椅子に、座った。

 手が、震えていた。止めようとしたが、止まらなかった。

 先週の迷宮でも、同じように、震えた。

 あのときは、助けられた。

 今夜も、助けられた。

 警察から、電話が入った。

 ナイフの男は、確保された。その場で、何も話さないらしい。

 駐車場に戻って、軽バンの荷台を、点検した。

 角は、四本、無事だった。木箱の中の布も、乱れていなかった。

 助手席のシートは、血で、濡れていた。

 それを、タオルで拭いて、俺は、運転席に座った。

 時計は、午前四時。

 納品は、八時。

 六時間の睡眠は、もう、取れない。

 それでも、二時間は、眠らなければならない。目を閉じて、息を、ゆっくり吐いた。


         ◇


 七時四十分に、加工所へ着いた。

 角を渡した。受け取りの欄に、押印をもらった。

 駐車場に戻って、運転席に座ったとき、無線が鳴った。

「東亜物流部、水無瀬です」

 声が、ひどく、静かだった。

「真柴さんの容態を、ギルドから聞きました。……申し訳ありませんでした」

「水無瀬さんのせいでは」

「いえ」

 水無瀬さんは、一度、言葉を切った。

「早坂さん。お伝えしなければならないことが、あります」

「何ですか」

「昨夜の、角の追跡タグの記録を、遡って確認しました」

 キーボードの音が、聞こえた。

「あの角の位置を、昨夜の二十二時三十一分に、照会した端末があります。早坂さんが、駐車場に着いた、三十分後です」

「誰が」

「東亜の、大井倉庫の、端末です」

 息が、止まった。

「あの場所に止めることを、知っていたのは、私と、早坂さんと、真柴さんだけでした」

「水無瀬さんは」

「私は、誰にも、言っていません」

 声は、揺れていなかった。

 揺れないように、水無瀬さんが、力を入れているのが、分かった。

「その端末を使える人間は、八人います。八人のうち、誰かが、あの三人に、位置を流しました」

 窓の外で、朝の光が、軽バンのフロントガラスに、白く反射していた。

 泥棒は、偶然、あの駐車場に来たのではなかった。

 最初から、あの角を、狙っていた。

 東亜の中から、誰かが、手を貸していた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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