↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/30

許可制

 一方通行を抜けて、大学の門が見えるまで、三分だった。

 その三分間、後ろの箱は、三回、鳴った。

 どん。

 間があって、どん。

 もう一度。

 美緒は、シートベルトを両手でつかんだまま、動かなかった。

 助手席と荷台の間には、鉄の網の仕切りがある。大手を辞めたときに、自分で付けた。荷物が前へ滑ったとき、人間に当たらないようにだ。

 その網の向こうで、白い箱が、小さく跳ねていた。

「お父さん、蓋が」

「見えている」

 蓋が、少し浮いていた。ベルトに押さえられて、隙間ができている。

 隙間の奥で、何かが動いた。

 黄色い、細い目だった。

 搬入口に、紺の上着が立っていた。

 真柴さんだ。電車で来たというのに、顔色は、車に乗っている日と変わらない。

 俺は、搬入口の手前で、ゆっくり止めた。

「早かったね」

「孵ります」

 それだけ言った。

 真柴さんは、運転席のほうへ来なかった。荷台の後ろへ、回った。

「ドア、開けて」

「はい」

 俺は、車を降りて、後ろの扉を開けた。

 箱の蓋が、跳ね上がった。

 出てきたのは、猫ほどの大きさの、砂色のトカゲだった。四匹。目が黄色い。口の中が、赤い。

 一匹が、荷台の床を蹴って、飛んだ。

 真柴さんの剣が、空中で、小さく動いた。

 トカゲは、荷台の床に落ちて、動かなくなった。

 残りの三匹が、同時に、散った。

 一匹は、荷台の奥へ。一匹は、扉の外へ。一匹は、真柴さんの足元へ。

 真柴さんは、足元の一匹を踏んだ。踏んだまま、剣を振った。扉の外の一匹が、搬入口の壁に当たって、落ちた。

 荷台の奥の一匹が、俺の顔に向かって飛んだ。

 真柴さんの左手が、俺の肩を引いた。

 右手の剣が、俺の頭の横を、通った。

 最後の一匹が、地面に落ちた。

 静かになった。

 箱の中には、まだ、白い卵が、二つ残っていた。

 真柴さんは、息を吐いた。

「……全部、孵ったわけじゃないね」

「はい」

「卵は、割ってない」

「分かっています」

 助手席のドアが、開く音がした。

 美緒が、降りてきていた。

 顔は、白かった。足は、少し震えていた。それでも、美緒は、地面に落ちたトカゲと、荷台の中の卵と、血の付いた剣を、順番に見た。

 目をそらさなかった。

「……あの」

 美緒は、真柴さんに言った。

「さっき、すみません。失礼な言い方を、しました」

「何が」

「付き合ってるの、とか」

 真柴さんは、ちょっと目を丸くしてから、笑った。

「気にしてない。……怖かったでしょ」

「怖かったです」

「だよね」

 真柴さんは、剣の血を、紺の上着の裾で拭った。

「でもあんた、座席から動かなかった。それが一番、助かる」

 美緒は、うなずいた。

 それから、俺を見た。

「お父さん、ハンドル、離さなかったんでしょう」

「……ああ」

「あの人が、そう言ってる」

 美緒は、真柴さんを見た。

「言ってない」

「顔に書いてある」

 真柴さんは、そっぽを向いた。


         ◇


 研究員が、駆けつけてきた。

 孵ったのは四匹。卵は二つ残った。二つは、予定どおり、あと二日で孵るかもしれない、と研究員は言った。

「どうして、こんなに早く」

 研究員は、首をかしげていた。

「普通は、孵るまで二週間なんですけど。この卵は、出所が違うので」

「出所?」

「東亜さんから、検体として、いただいたものです」

 それ以上、研究員は、言わなかった。

 俺は、受け取りの欄に、研究員のサインをもらった。大学の事務室の、角のハンコが押された。

 美緒は、事務室の前のベンチで、水を飲んでいた。

 真柴さんは、少し離れた壁にもたれて、左腕をさすっていた。

 二人は、一言も、話していない。

 けれど、一度だけ、目が合った。

 美緒が、小さく、頭を下げた。

 真柴さんも、小さく、頭を下げ返した。


         ◇


 昼は、予定どおり、渋谷のパンケーキの店に行った。

 一時間遅れた。美緒は、何も言わなかった。

 生クリームの山を、フォークで崩しながら、ぽつりと言った。

「お父さん、仕事、嫌いじゃないんだね」

「好きかどうかは、考えたことがない」

「そう」

「荷物を、壊さずに届ける。それだけだ」

「それが、好きってことじゃないの」

 俺は、コーヒーを飲んだ。

 味が、よく分からなかった。

 駅まで送った。

 改札の前で、美緒は、少しだけ立ち止まった。

「来月の第一土曜も、同じ店でいいよ」

「分かった」

「あと」

「ん」

「文化祭、来てよ。来月の第二土曜」

「行く」

「約束だよ」

「約束だ」

 美緒は、手を上げて、改札の向こうへ消えた。

 長い髪が、人混みの中で、見えなくなるまで、俺は立っていた。


         ◇


 三日後、坂下から電話が来た。

「早坂、悪い。助けてくれ」

 坂下勇。四十二歳。同じ区域で、軽貨物をやっている。個人事業主。子どもは、小学生が二人。

 大手を辞めたあと、最初に口をきいてくれた同業者が、この男だった。

 コンビニの駐車場で会った。坂下は、右腕を白いギプスで吊っていた。

「荷下ろしで、台車に挟まれた。三週間、運転はできるが、荷物が持てない」

「それで」

「小口の配送が、十二件ある。同じ方向だ。助手席に乗って、荷物を渡してくれないか。報酬は、半分やる」

「構わない」

 坂下の軽バンの助手席に乗った。

 助手席の足元に、コンビニの白い袋が、五つ置いてあった。中は、レシートと領収書だった。

「何だ、これ」

「確定申告」

「五つも」

「一年分だ。ガソリン代は、全部ここに入ってる」

「月ごとに、封筒を分けておけば」

「几帳面すぎるんだよ、お前は」

 坂下は、笑った。

「ガソリン、また上がったな」

「一リットル、百九十円」

「ひと月、五万円。ふた月で、十万円。この袋の中身は、半分、ガソリンで消える」

「そうだな」

「確定申告の時期だけは、人が変わるぜ、俺。昨日、嫁にも言われた」

「何と」

「領収書の袋を抱えて寝るな、って」

 俺は、少し笑った。

 個人事業主は、そういうものだ。

 誰かが決めた枠の中で、自分の荷物を、自分の車で運ぶ。時間も、道も、休みも、全部、自分の責任だ。


 十二件のうち、七件目を届け終えたとき、坂下のスマートフォンが鳴った。

 ニュースの速報だった。

「見ろ」

 坂下が、画面を俺に向けた。

 記者会見の映像だった。

 東亜マテリアルの名前が、画面の隅に出ている。

 壇上に、スーツ姿の男が一人、座っていた。五十代前半。背筋が伸びていて、声は、大きくなかった。

「物流本部長の、鷲尾でございます」

 男は、深く頭を下げた。

「先日の、当社運送車両の事故では、周囲の皆さまに、多大なご迷惑とご心配をおかけしました。心より、お詫び申し上げます」

 記者が、何か質問した。

 鷲尾は、うなずいた。

「事故の原因は、現在、調査中です。ただ、迷宮素材の輸送は、一歩間違えれば、人命に関わります。そこで、当社は、国に対し、迷宮素材の輸送を、許可制とするよう、要望いたします」

 画面の下に、字幕が出た。

 『迷宮素材の輸送は許可制に 東亜マテリアル 国へ要望』

「許可制」

 坂下が、呟いた。

「許可を受けられるのは、一定の保険と、安全基準と、運行管理者を備えた事業者のみとします。個人事業者の方々には、大変心苦しいのですが」

 鷲尾は、もう一度、頭を下げた。

 画面の中の鷲尾は、少しも、心苦しそうに見えなかった。

「……あの事故は、東亜の車の事故だろうが」

 坂下の声が、低くなった。

「そうだ」

「なんで、俺たちが、締め出されるんだ」

 返事は、できなかった。

 あの事故は、箱の間に砂を挟まなかった積み方が原因だ。個人の軽貨物は、関係ない。

 けれど、大きな事故が起きると、規則ができる。

 規則は、小さい車から、先に、削る。

「早坂」

「ああ」

「お前も、素材を運んでるんだろ。俺の耳にも入ってる」

「ここ、二週間だけだ」

「東亜の仕事か」

「ああ」

「気をつけろよ」

 坂下は、画面を消した。

「大手は、使い捨てだ。必要なときだけ、呼ぶ。要らなくなったら、締める」

 俺は、うなずくしかなかった。


         ◇


 その夜、帰宅してすぐに、スマートフォンが鳴った。

 知らない番号だった。

「早坂徹さんですか」

 男の声だった。静かで、よく通る声だ。

 昼間、画面の中で、聞いた声だった。

「東亜マテリアルの、鷲尾です」

 息が、止まった。

「先日の事故では、うちの車が、目の前で。大変なご迷惑を」

「いえ」

「お怪我は、ありませんでしたか」

「はい」

「それは、何よりです」

 鷲尾は、一度、言葉を切った。

「実は、早坂さんの運転について、物流部の水無瀬から、報告を受けています。揺らさない、壊さない、遅れない。うちが、ずっと探していた運転手です」

 喉が、乾いていた。

「許可制の施行後、素材の輸送は、うちの専属ドライバーが、中心になります。早坂さんには、その一人になっていただきたい。月給は、今のお仕事の、三倍をお出しします」

 三倍。

 去年の確定申告の袋の中身を、頭の中で、数えた。

 三倍あれば、美緒の学費を、全部、前払いできる。

「考える時間を、いただけますか」

「もちろんです」

 鷲尾の声は、穏やかだった。

「ただ、許可制が決まれば、専属の枠は、すぐに埋まります。早めに、お返事を」

 電話が、切れた。

 俺は、画面を見つめていた。

 三倍という数字が、頭の中で、いつまでも、動かなかった。

お読みいただき、ありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークと、ページ下の「評価」の★で応援していただけると、次の荷物を運ぶ励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。