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午前中指定

 ニュースは、東亜の運転手が全治二週間だと伝えていた。

 ドアが空を飛んだのに、本人は座席ごと側溝に落ちて、助かったらしい。運が良かった。

 東亜マテリアルは、「安全管理を見直す」と発表した。

 見直すのは、いいことだ。

 俺は、軽バンの荷台の砂袋を一つずつ点検しながら、ラジオを切った。


 その日の朝も、無線は七時に鳴った。

「東亜物流部、水無瀬です。早坂さん、今日の荷物は、迷宮の中です」

 手が止まった。

「新宿迷宮、第三採掘所。午前中指定。灰喉鳥、三十羽。ガス検知用の鳥です。毎日、午前中に交換します。昨日の事故で、予定していたドライバーが全員、降りました」

「迷宮の……中に、入るんですか」

「入ります。車両用の昇降機があります。軽バンごと乗れます」

 水無瀬さんは、少し間を置いた。

「第一昇降機の降り口から先は、電波が切れます。無線は、そこまでです」

「その先は」

「降りて、荷物を渡して、上がる。それだけです。道は一本しかありません」

「受けます」

 そう言ったあとで、何を言ったのか、考えた。

 助手席の真柴さんが、横目で俺を見た。

「行く気?」

「荷物ですので」

「怖いなら、やめてもいいよ」

「怖くはありません」

「顔、青いよ」

「朝ですので」

 真柴さんは、それ以上は言わなかった。

 ただ、シートベルトを締める手が、いつもより少し丁寧だった。


         ◇


 灰喉鳥は、拳ほどの大きさの灰色の鳥だった。

 喉だけが白い。小さな竹の籠に一羽ずつ入っていて、三十個を、木の棚に三段で収めてあった。全部で四十二キロ。

 毒のガスが出ると、人より先に、この鳥が鳴き止む。

 鳥が鳴き止んだら、逃げる。迷宮ができる前、炭鉱でやっていたことと同じだ。

 籠には、黒い布をかけた。暗くしておけば、鳥は静かになる。棚は、荷台の中央に、床の金具で固定した。

 荷物としては、軽い。

 軽いから、積むのは、すぐに終わる。

 終わってしまったから、考える時間が残った。


 新宿の迷宮は、都庁の裏手にあった。

 入口は、四角いコンクリートの建屋だった。窓がない。建屋の前に、迷宮の入口に似つかわしくない、普通の看板が立っていた。

 「新宿ゲート 本日の安全確認 済」

 手書きで、赤いチェックが付いていた。

 ギルドの職員が、窓口から顔を出した。

「お荷物は」

「鳥です。三十羽」

「生き物の持ち込みは申請が」

「東亜さんの許可番号が、通っています」

「……通ってますね」

 職員は、画面を見て、うなずいた。

「中での再配達は、承っておりませんので」

「承りません」

 真柴さんが、横でむせた。


 昇降機は、大きな金属の籠だった。

 床は鉄板。天井は網。腰の高さの柵があるだけで、壁がない。軽バンが一台と、人間が四、五人、乗れる。

 柵の向こうは、垂直の穴だった。

 見えるのは、石の壁と、等間隔に点る小さな灯りだけ。

 籠が、動き出した。

 音もなく、体が軽くなった。

 壁の灯りが、上へ流れていく。壁には、十層ごとに、数字が塗ってあった。

 十。

 二十。

 壁が、少しずつ湿ってくる。空気が、ぬるくなる。鉄の匂いと、湿った土の匂いが混ざる。

 俺は、運転席にいた。シートベルトを締めて、ハンドルを両手で握っていた。

 降りる必要は、ない。籠に乗っているだけだ。

 それでも、手のひらが濡れていた。

「ねえ」

「はい」

「目、つぶってな」

「運転中です」

「止まってるじゃん」

「降りたら、運転です」

 真柴さんは、少し笑った。

「あんた、本当に変だよ」

 三十。

 無線機から、ざあ、と雑音が出た。雑音の向こうに、水無瀬さんの声が、一度だけ、聞こえた。

「……お気をつけて」

 それきり、無線は、鳴らなくなった。


         ◇


 籠が止まった。

 着いたのは、広い横穴だった。

 天井は十メートルくらいある。壁は黒い岩で、ところどころに、金属の梁が打ち込んである。灯りが、灯りと灯りの間を、薄暗く繋いでいた。遠くで、機械の音がしていた。

 空気が、重かった。

 濡れた布に包まれたような重さだった。

 壁に、大きな文字が塗ってあった。

 第三十八層。

 白いペンキだった。

 柵が上がり、籠の縁が、岩の床につながった。

 作業員が、一人、ヘルメットを揺らして走ってきた。

「東亜さんの配送ですか。午前中指定で、助かった。鳥が、そろそろ限界で」

「荷台を、開けます」

 俺は、シートベルトを外そうとした。

 外れなかった。

 ボタンは、確かに押していた。指が、動かなかった。

 ドアを開けようとした。

 手が、ハンドルから離れなかった。

 足も、動かなかった。

 膝が、がたがたと、勝手に震えていた。

 ここに来るまでは、籠の中だった。籠の中は、車の中だった。

 だが、ドアの向こうは、迷宮だった。

 俺は、迷宮という場所に、生まれて初めて、立つ。

 息を吸おうとして、吸えなかった。肺が、石になったようだった。

「早坂さん」

 真柴さんの声が、遠かった。

「早坂」

 その時だった。

 壁が、鳴った。

 岩の壁の一部が、剥がれた。

 違う。壁と同じ色の何かが、剥がれて、床に降りた。

 犬くらいの大きさの、甲殻の生き物だった。六本の脚。背中は、岩と見分けがつかない。顔にあたる部分には、顎が二枚だけ付いていて、閉じるたびに、金属が擦れるような音がした。

 作業員が、悲鳴を上げた。

「鉄喰いだ! 車、車から離れて!」

 鉄喰いは、軽バンのフロントの上に飛び乗った。

 顎が、フロントのバンパーを、噛んだ。

 ばき、と音がして、鉄が、紙のように、剥がれた。

 俺の目の前、ガラスの向こうで、顎が、閉じた。

 開いた。

 もう一度、閉じた。

 俺は、ハンドルを握ったまま、動けなかった。

 息もできなかった。

 目をそらすことも、できなかった。


 ドアが、開いた。

「降りろ!」

 真柴さんだった。

 助手席から、車の外へ回って、運転席のドアを開けたのだ。

「降りろ。車ごと食われる」

「……あ」

 声が、出なかった。

「早坂!」

 足が、動かない。

 真柴さんの目が、一瞬だけ、俺の顔を見た。

 それから、右手が動いた。

 短い剣が、シートベルトの肩の部分を、斜めに切った。

 左手が、俺の襟を掴んだ。

 体が、ふわりと、浮いた。

 そのまま、真柴さんは、俺を運転席から引きずり出した。車の外の岩の床に、俺の背中が当たった。

 フロントの上で、顎が鳴っていた。

 真柴さんは、俺を後ろに突き飛ばして、フロントに向き直った。

 鉄喰いが、頭を上げた。

 真柴さんの腕に、顎が飛んだ。

 左腕。

 包帯の上だった。五日前に、鳥のくちばしで裂けた、同じ場所だった。

 血が、飛んだ。

 それでも、真柴さんは、下がらなかった。

 剣が、顎の付け根に、刺さった。

 甲殻の継ぎ目だった。そこだけが、柔らかい。

 鉄喰いは、一度、跳ねた。

 それから、動かなくなった。


         ◇


 軽バンのフロントには、鉄喰いの歯形が、三つ付いていた。

 真柴さんは、岩の床に座って、左腕を押さえていた。袖が裂けて、包帯が血で赤かった。

「……二回目」

 俺が言うと、真柴さんは顔を上げた。

「何が」

「同じ場所です」

「うるさい」

 真柴さんは、顔をしかめた。

「ここが、一番、当たりやすいんだよ」

「手当てを」

「あとで。……あんたのほうが、顔色、悪いよ」

 作業員が、駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか。うちの現場で。すみません。昨日の夜、坑道を新しく掘ったんで、寄ってきたのかも」

「鳥は」

「はい?」

「鳥は、無事ですか」

 荷台を開けた。

 黒い布をかけた棚は、揺れていなかった。

 布をめくった。

 三十羽が、全員、止まり木の上に立っていた。小さな目が、俺を見ていた。

 ぴ、と一羽が、鳴いた。

 三十羽が、一斉に、鳴き出した。

 作業員は、籠を一つずつ運び出した。俺は、荷台の中で、数えた。

 十一。十二。十三。

 数えているうちに、手の震えが、少しずつ、止まってきた。

 三十。

「三十羽、お渡しします」

 作業員が、籠を受け取って、うなずいた。

「ありがとうございます。助かりました。……あの、受領のサインを」

「受領印を、お願いします」

 口が、勝手に動いた。

 作業員が、手を止めた。

「……今ですか」

「はい」

 俺は、胸ポケットから、朱肉を出した。

 大手の宅配で、二十年。受領印をもらうまでが、一件だ。

 足元に、鉄喰いの死骸があった。

 作業員は、少し黙って、腰のポーチから、ハンコを出した。

「角印しか、ないんですが」

「それで結構です」

 送り状の受領欄に、四角い赤い印が、どんと押された。

 受領欄の三倍の大きさだった。

 真柴さんが、岩の床から、俺を見上げていた。

「……あんた、今、ハンコって言った?」

「言いました」

「迷宮の中で?」

「受領がないと、完了になりませんので」

 真柴さんは、片手で顔を覆った。

「あんた、本当に……」

 肩が、小刻みに震えていた。

 笑っているのか、痛いのか、分からなかった。


         ◇


 籠の中で、上がる前に、真柴さんの腕を、俺が包帯で巻き直した。

 救急箱は、荷台の隅に積んであった。傷は、浅くはなかった。五日の間に、同じ場所を二度、やられている。

「ありがとう」

 真柴さんは、小さな声で言った。

「助けてもらったのは、俺です」

「知ってる」

「……今日は、足が、動きませんでした」

「知ってる。見えた」

 それ以上は、お互い、何も言わなかった。

 籠が、上がり始めた。


 壁の灯りが、下へ流れていく。

 その途中で、真柴さんが、自分の手首を見た。

 ギルドの腕時計だった。盤面の隅に、小さな針の付いた別の目盛りが付いている。

「……ねえ」

「はい」

「ここ、三十八層だったよね」

「はい。壁に、書いてありました」

「私の深度計、さっきから、四十一なんだけど」

 俺は、昇降機の柵の向こうの壁を、見た。

 降りたときの横穴の壁に、白いペンキで、大きく、「第三十八層」と書いてあった。

 あの文字は、塗ったばかりだった。

 ペンキの匂いがしたのを、覚えている。

 三と八の下に、うっすら、別の数字の形が透けていた。

 四と、一の形だった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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