揺らすと爆ぜる
翌朝の七時、無線が鳴った。
「東亜物流部の水無瀬です」
一晩たっても、声は同じ高さだった。
「昨日の伝票の件は、こちらで預かります。早坂さんは、忘れてください」
「忘れられるものですか」
「では、覚えているだけにしてください。今日の荷物の話をします」
水無瀬さんは、そこで少し息を吸った。
「震爆石。衝撃を受けると爆発する鉱石です。採掘用の発破の原料になります。府中の加工所から、千葉県市川市の大和発破工業まで。重さは八十キロ。期限は午後二時」
「八十キロなら、軽いですね」
「軽いのは、重さだけです」
助手席で、真柴さんが顔を上げた。
「揺れたら、どうなるの」
「半径二十メートルが更地になります」
「……更地」
「更地です」
真柴さんは、しばらくフロントガラスを見ていた。
「今日、私、吐かないほうがいい日だね」
「吐くと、揺れます」
「分かってるよ」
ギルドが、真柴さんを俺の専属にしたらしい。昨日の夜、そう連絡が来た。
どの車でも吐く人間が、俺の車にだけ乗れる。ギルドの事情は、それだけらしかった。
◇
加工所は、府中の工業団地の奥にあった。
震爆石は、握りこぶしくらいの黒い石だった。見た目は炭に似ている。それを、一個ずつ、砂を詰めた木箱の中に埋めてあった。一箱に五個。全部で八箱。
「箱と箱の間にも、砂を」
加工所の男が、不思議そうな顔をした。
「うちは、そのまま積んで、大型で運んでますけど」
「一つが爆ぜたとき、隣に伝わらないようにします。砂袋を、ください」
砂袋を、八つ、箱の間に挟んだ。
床には毛布を三枚重ねて敷いた。その上に、古いタイヤのチューブを輪にして置いた。箱は、チューブの上に載せる。段差の衝撃は、一番下で吸わせる。
荷物は、積み方で半分決まります。
これは、大手のころ、最初に先輩に教わったことだった。
「それ、口癖?」
真柴さんが、荷台をのぞいて言った。
「事実です」
「へえ」
ベルトは、五本。締める順番は、真ん中から。
作業は、二十分かかった。
横で、真柴さんが鼻をこすっていた。砂埃が舞うたびに、鼻の頭にしわが寄る。
加工所の男は、最後まで、俺の手元を見ていた。
◇
高速には乗らない。
橋の上の継ぎ目は、二十メートルおきに、車を叩く。数えて避けられるものではない。叩かれるたびに、八十キロの石も叩かれる。
一般道を行く。
国道は避けて、一本入った道を走った。
宅配を二十年やると、道が二種類に見えるようになる。
揺れる道と、揺れない道だ。
アスファルトの色が少し濃い道は、最近、舗装し直した道だ。薄い灰色の道は、下の層まですり減っている。雨水の溝が車線の真ん中にある道は、轍が深い。
それを全部、通る前に見る。
「そこ、右に寄ります」
「何かあるの」
「マンホールです」
三十メートル先の路面に、丸い蓋があった。周りのアスファルトが、一センチだけ沈んでいる。
「あれ、見えるの?」
「蓋の周りに、少し影があります。蓋が下がっているときの影です」
右に寄った。タイヤは蓋の端をかすめて、そのまま通り過ぎた。
真柴さんは、後ろを振り返った。
「……揺れなかった」
「寄せましたので」
「あんたの頭の中、どうなってんの」
「道路です」
環七の手前で、工事があった。
片側の車線に鉄板が敷かれている。鉄板と道の間に、三センチの段差があるのが、ここからでも見えた。
「あの鉄板は、通れません。反対車線の信号が変わるのを待って、一瞬だけはみ出します」
「対向車は」
「信号が赤の間は、来ません」
信号が赤に変わった。
俺はそれを見てから、ハンドルを右に置いた。対向車線に入って、鉄板をよけて、左に戻した。
七秒だった。
その途中で、真柴さんが言った。
「……ごめん。くしゃみ出る」
「今ですか」
「今」
「止めてください」
「止められたら、苦労しない」
加工所の砂埃が、まだ鼻に残っているらしい。真柴さんは、両手で鼻と口を押さえた。目が潤んでいる。耳が赤くなっている。
そして、助手席全体が、細かく震え始めた。
シートの背もたれ越しに、背中に伝わってきた。
小刻みに、ぶるぶると。
「揺らさないでください」
「我慢してんの!」
「揺れています」
「だから我慢してんの!」
ミラーで、荷台を見た。ベルトは、緩んでいない。箱は動いていない。
震えているのは、真柴さんだけだった。
「あと何分」
「十五分で踏切です」
「踏切」
「電車の音で、消えます」
真柴さんは、鼻を押さえたまま、静かにうなずいた。
そのまま、十五分間、助手席が震え続けた。
◇
踏切は、市川の手前にあった。
遮断機が、下りていた。
踏切は、ほとんど必ず、段差になる。レールの両脇の舗装が、数ミリ、下がっているからだ。
電車が通りすぎるのを待ちながら、考えた。
ブレーキを踏んだまま段差に入ると、車は前に沈む。離して入れば、タイヤが段差をなでるように通る。前輪が越える瞬間に離して、後輪が越える瞬間にもう一度離す。
遮断機が、上がる気配はなかった。
警報機が、鳴っていた。
かん、かん、かん。
遠くから、電車の音が近づいてきた。
「……来る」
「はい」
「もう、無理」
「電車が通ります」
電車が、目の前を通りすぎた。
ごおお、という音と、一緒に。
「ふあっ、くしゅんっ!」
真柴さんは、全身で一度、跳ねた。
それから、深く息を吐いて、鼻をこすった。
「……間に合った」
「聞こえませんでした」
「そう。それでいい」
遮断機が上がった。
俺は、前輪が越える瞬間に、ブレーキを離した。後輪も、同じように。
箱の中で、砂が小さく鳴った。
それだけだった。
◇
大和発破工業の倉庫は、市川の海沿いにあった。
門の前で、守衛に止められた。
「荷受けの方ですね。今、先に出る車がありますので、ここでお待ちください」
門の百メートルほど手前だった。ここから、倉庫の前の広場が見えた。
大型トラックが、一台、荷台の扉を開けたまま止まっていた。
東亜マテリアルのマークが付いている。
倉庫の作業員が、フォークリフトで、木箱を荷台に積み込んでいた。
見覚えのある箱だった。
震爆石の木箱だ。
「あれ、砂は」
真柴さんが言った。
隙間はなかった。箱は、ぎっしり、詰め込まれていた。箱と箱の間に、砂袋は、一つもない。
フォークリフトの爪が、荷台の縁に箱をぶつけた。
運転手が、運転席の窓から、手を振った。
「早くしてくれ。時間がない」
作業員は、箱を放るように積んだ。
俺は、ハンドルを握ったまま、動けなかった。
「……あの積み方は」
「駄目なの?」
「箱は、爆ぜるまで爆ぜません。でも、爆ぜたら、全部です」
扉が閉まった。鍵は、かかっていなかった。
大型トラックは、重い音を立てて動き出した。
広場を横切って、門のほうへ向かってくる。
ゆっくりと、ふらつきながら、こちらへ。
門の手前に、側溝があった。
側溝の蓋が、一枚、ずれていた。路面との間に、五センチくらいの段差ができていた。
あれは、俺なら、避ける。
トラックの前輪が、段差に入った。
がん、と、重い音が、ここまで聞こえた。
荷台が、跳ねた。
木箱が、動いた。
箱と箱が、ぶつかった。
音は、後から来た。
最初は、光だった。白い光が、視界の真ん中で一度だけ膨らんで、それから、窓ガラスが全部、鳴った。
軽バンが、浮いた。
何センチかは分からない。タイヤが、地面から離れて、落ちた。
煙が、倉庫の屋根より高く上がった。
トラックの運転席のドアが、空を飛んでいた。
何も、聞こえなくなった。
無線の向こうで、水無瀬さんが何か言っていた。
聞こえるようになったのは、それから十秒後だった。
「……早坂さん。今の音は、何ですか」
「東亜の車です」
自分の声が、遠かった。
「震爆石を積んだ、大型が一台。門の前で」
無線は、しばらく黙った。
向こうで、椅子の倒れる音がした。
真柴さんが、俺の顔を見ていた。
「……あんた、手」
ハンドルを握った指が、白くなっていた。
積み方で、半分決まる。
残りの半分は、運転だ。
あのトラックは、両方、間違えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
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