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4/30

揺らすと爆ぜる

 翌朝の七時、無線が鳴った。

「東亜物流部の水無瀬です」

 一晩たっても、声は同じ高さだった。

「昨日の伝票の件は、こちらで預かります。早坂さんは、忘れてください」

「忘れられるものですか」

「では、覚えているだけにしてください。今日の荷物の話をします」

 水無瀬さんは、そこで少し息を吸った。

「震爆石。衝撃を受けると爆発する鉱石です。採掘用の発破の原料になります。府中の加工所から、千葉県市川市の大和発破工業まで。重さは八十キロ。期限は午後二時」

「八十キロなら、軽いですね」

「軽いのは、重さだけです」

 助手席で、真柴さんが顔を上げた。

「揺れたら、どうなるの」

「半径二十メートルが更地になります」

「……更地」

「更地です」

 真柴さんは、しばらくフロントガラスを見ていた。

「今日、私、吐かないほうがいい日だね」

「吐くと、揺れます」

「分かってるよ」

 ギルドが、真柴さんを俺の専属にしたらしい。昨日の夜、そう連絡が来た。

 どの車でも吐く人間が、俺の車にだけ乗れる。ギルドの事情は、それだけらしかった。


         ◇


 加工所は、府中の工業団地の奥にあった。

 震爆石は、握りこぶしくらいの黒い石だった。見た目は炭に似ている。それを、一個ずつ、砂を詰めた木箱の中に埋めてあった。一箱に五個。全部で八箱。

「箱と箱の間にも、砂を」

 加工所の男が、不思議そうな顔をした。

「うちは、そのまま積んで、大型で運んでますけど」

「一つが爆ぜたとき、隣に伝わらないようにします。砂袋を、ください」

 砂袋を、八つ、箱の間に挟んだ。

 床には毛布を三枚重ねて敷いた。その上に、古いタイヤのチューブを輪にして置いた。箱は、チューブの上に載せる。段差の衝撃は、一番下で吸わせる。

 荷物は、積み方で半分決まります。

 これは、大手のころ、最初に先輩に教わったことだった。

「それ、口癖?」

 真柴さんが、荷台をのぞいて言った。

「事実です」

「へえ」

 ベルトは、五本。締める順番は、真ん中から。

 作業は、二十分かかった。

 横で、真柴さんが鼻をこすっていた。砂埃が舞うたびに、鼻の頭にしわが寄る。

 加工所の男は、最後まで、俺の手元を見ていた。


         ◇


 高速には乗らない。

 橋の上の継ぎ目は、二十メートルおきに、車を叩く。数えて避けられるものではない。叩かれるたびに、八十キロの石も叩かれる。

 一般道を行く。

 国道は避けて、一本入った道を走った。

 宅配を二十年やると、道が二種類に見えるようになる。

 揺れる道と、揺れない道だ。

 アスファルトの色が少し濃い道は、最近、舗装し直した道だ。薄い灰色の道は、下の層まですり減っている。雨水の溝が車線の真ん中にある道は、轍が深い。

 それを全部、通る前に見る。

「そこ、右に寄ります」

「何かあるの」

「マンホールです」

 三十メートル先の路面に、丸い蓋があった。周りのアスファルトが、一センチだけ沈んでいる。

「あれ、見えるの?」

「蓋の周りに、少し影があります。蓋が下がっているときの影です」

 右に寄った。タイヤは蓋の端をかすめて、そのまま通り過ぎた。

 真柴さんは、後ろを振り返った。

「……揺れなかった」

「寄せましたので」

「あんたの頭の中、どうなってんの」

「道路です」


 環七の手前で、工事があった。

 片側の車線に鉄板が敷かれている。鉄板と道の間に、三センチの段差があるのが、ここからでも見えた。

「あの鉄板は、通れません。反対車線の信号が変わるのを待って、一瞬だけはみ出します」

「対向車は」

「信号が赤の間は、来ません」

 信号が赤に変わった。

 俺はそれを見てから、ハンドルを右に置いた。対向車線に入って、鉄板をよけて、左に戻した。

 七秒だった。


 その途中で、真柴さんが言った。

「……ごめん。くしゃみ出る」

「今ですか」

「今」

「止めてください」

「止められたら、苦労しない」

 加工所の砂埃が、まだ鼻に残っているらしい。真柴さんは、両手で鼻と口を押さえた。目が潤んでいる。耳が赤くなっている。

 そして、助手席全体が、細かく震え始めた。

 シートの背もたれ越しに、背中に伝わってきた。

 小刻みに、ぶるぶると。

「揺らさないでください」

「我慢してんの!」

「揺れています」

「だから我慢してんの!」

 ミラーで、荷台を見た。ベルトは、緩んでいない。箱は動いていない。

 震えているのは、真柴さんだけだった。

「あと何分」

「十五分で踏切です」

「踏切」

「電車の音で、消えます」

 真柴さんは、鼻を押さえたまま、静かにうなずいた。

 そのまま、十五分間、助手席が震え続けた。


         ◇


 踏切は、市川の手前にあった。

 遮断機が、下りていた。

 踏切は、ほとんど必ず、段差になる。レールの両脇の舗装が、数ミリ、下がっているからだ。

 電車が通りすぎるのを待ちながら、考えた。

 ブレーキを踏んだまま段差に入ると、車は前に沈む。離して入れば、タイヤが段差をなでるように通る。前輪が越える瞬間に離して、後輪が越える瞬間にもう一度離す。

 遮断機が、上がる気配はなかった。

 警報機が、鳴っていた。

 かん、かん、かん。

 遠くから、電車の音が近づいてきた。

「……来る」

「はい」

「もう、無理」

「電車が通ります」

 電車が、目の前を通りすぎた。

 ごおお、という音と、一緒に。

「ふあっ、くしゅんっ!」

 真柴さんは、全身で一度、跳ねた。

 それから、深く息を吐いて、鼻をこすった。

「……間に合った」

「聞こえませんでした」

「そう。それでいい」

 遮断機が上がった。

 俺は、前輪が越える瞬間に、ブレーキを離した。後輪も、同じように。

 箱の中で、砂が小さく鳴った。

 それだけだった。


         ◇


 大和発破工業の倉庫は、市川の海沿いにあった。

 門の前で、守衛に止められた。

「荷受けの方ですね。今、先に出る車がありますので、ここでお待ちください」

 門の百メートルほど手前だった。ここから、倉庫の前の広場が見えた。

 大型トラックが、一台、荷台の扉を開けたまま止まっていた。

 東亜マテリアルのマークが付いている。

 倉庫の作業員が、フォークリフトで、木箱を荷台に積み込んでいた。

 見覚えのある箱だった。

 震爆石の木箱だ。

「あれ、砂は」

 真柴さんが言った。

 隙間はなかった。箱は、ぎっしり、詰め込まれていた。箱と箱の間に、砂袋は、一つもない。

 フォークリフトの爪が、荷台の縁に箱をぶつけた。

 運転手が、運転席の窓から、手を振った。

「早くしてくれ。時間がない」

 作業員は、箱を放るように積んだ。

 俺は、ハンドルを握ったまま、動けなかった。

「……あの積み方は」

「駄目なの?」

「箱は、爆ぜるまで爆ぜません。でも、爆ぜたら、全部です」

 扉が閉まった。鍵は、かかっていなかった。

 大型トラックは、重い音を立てて動き出した。

 広場を横切って、門のほうへ向かってくる。

 ゆっくりと、ふらつきながら、こちらへ。

 門の手前に、側溝があった。

 側溝の蓋が、一枚、ずれていた。路面との間に、五センチくらいの段差ができていた。

 あれは、俺なら、避ける。

 トラックの前輪が、段差に入った。

 がん、と、重い音が、ここまで聞こえた。

 荷台が、跳ねた。

 木箱が、動いた。

 箱と箱が、ぶつかった。


 音は、後から来た。

 最初は、光だった。白い光が、視界の真ん中で一度だけ膨らんで、それから、窓ガラスが全部、鳴った。

 軽バンが、浮いた。

 何センチかは分からない。タイヤが、地面から離れて、落ちた。

 煙が、倉庫の屋根より高く上がった。

 トラックの運転席のドアが、空を飛んでいた。

 何も、聞こえなくなった。

 無線の向こうで、水無瀬さんが何か言っていた。

 聞こえるようになったのは、それから十秒後だった。

「……早坂さん。今の音は、何ですか」

「東亜の車です」

 自分の声が、遠かった。

「震爆石を積んだ、大型が一台。門の前で」

 無線は、しばらく黙った。

 向こうで、椅子の倒れる音がした。

 真柴さんが、俺の顔を見ていた。

「……あんた、手」

 ハンドルを握った指が、白くなっていた。

 積み方で、半分決まる。

 残りの半分は、運転だ。

 あのトラックは、両方、間違えた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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