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3/30

無線の声

 黒いワゴンは、高速を降りたあとも、二台後ろについてきた。

 俺は、石神井の住宅街に入った。

 宅配の大手にいたころ、三年担当した区域だ。一方通行が網の目になっていて、地図アプリの言うとおりに走ると、同じ交差点に三回戻ってくる。

 右、左、左、一方通行の出口から逆に入らないように一本手前で右。

 四つ目の角を曲がったところで、ミラーから黒いワゴンが消えた。

 真柴さんが、助手席で目を開けた。

「……今、何かした?」

「道を一本、間違えました」

「あんたが?」

「たまには、間違えます」

 真柴さんは、また目を閉じた。

 ワゴンが何だったのかは、分からないままだった。


         ◇


 二日後の朝、東亜から段ボールが一つ届いた。

 中身は、無線機だった。携帯電話の電波を使う業務用のもので、車のダッシュボードに付けられる。説明書と一緒に、印刷した紙が一枚入っていた。

 スポット登録ドライバーのうち、急ぎの案件を専任で回す方に貸与します。

 取り付けて、電源を入れた。

 三十秒もしないうちに、声がした。

「東亜マテリアル物流部、配車の水無瀬です」

 あの声だった。低くて、早い。

 三回目で、初めて名前を聞いた。

「今日から、無線で指示します。急ぎです。奥多摩の診療所へ、蛇毒の血清。冒険者が一人、迷宮蛇に噛まれました。投与までの限度は、噛まれてから四時間。残り二時間五分」

「受けます」

「では、まず青梅へ。道は走りながら言います」


 血清は、小さな保冷箱に入っていた。八キロ。

 軽い荷物だ。積み方で悩むことはない。助手席の足元に置いて、真柴さんの足で挟んでもらうことにした。

「私、今日も護衛なの」

「血清も素材から作るので、素材の扱いだそうです」

「……蛇の毒って、素材なんだ」

「水無瀬さんが、そう言っていました」

「誰」

「配車の人です」

 真柴さんは、ダッシュボードの無線機を見た。

 無線機は、何も言わなかった。


         ◇


 青梅を過ぎて、国道を多摩川沿いに上った。

 午前中に大雨が降ったせいで、川は茶色く膨らんでいた。

 無線が鳴った。

「早坂さん。この先、二・三キロ地点で、道路が崩れました。橋の手前です。三分前の情報です。通れません」

 俺は、速度を落とした。

 この先の道は、一本しかない。川沿いの国道を上るか、引き返すか。俺の頭の中の地図には、それしか入っていない。奥多摩は、担当区域ではなかった。

「迂回は、三つあります」

 水無瀬さんの声は、少しも変わらなかった。

「一つ目、対岸の吉野街道。ただし二か所で冠水しています。軽の車高では無理です。二つ目、手前の集落から入る林道。幅二・一メートル、重量制限二トン。すれ違いはできませんが、今、対向車の予定はありません。三つ目、旧道。落石で、昨日から閉鎖中。……二つ目です。三百メートル先、左。郵便局の角」

 郵便局が見えた。

 俺は、左に曲がった。


 林道は、本当に二・一メートルだった。

 軽バンの幅は一・四八メートルだ。左右に三十センチずつ余る。右は崖、左は杉の根元。舗装はひび割れていて、ところどころに落ち葉が溜まっている。

 カーブが、いくつも続いた。

 ハンドルを切るのではなく、置く。曲がっている間は、アクセルを動かさない。

「次のカーブの先、二百メートル、右側の路肩が崩れかけています。左に寄ってください。……三十センチでいいです」

 左に三十センチ寄った。

 右の路肩が、ミラーの中で、削り取られたように欠けていた。

「その先、分かれ道を右。左は行き止まりです。地図アプリには、左が載っています」

 右に入った。

「……今、迷いませんでしたね」

 無線の声が、少しだけ遅れて言った。

「迷う理由がありませんので」

「地図、見ていないでしょう」

「見ていません」

「なぜ、私の言うとおりに曲がるんですか。会ったこともないのに」

「道を知っている人の声だったので」

 無線が、少し黙った。

「……そうですか」

 それだけだった。


 助手席で、真柴さんが無線機をにらんでいた。

「ねえ」

「はい」

「この人、何。さっきから、ずっと仕切ってるけど」

 無線が答えた。

「配車です。あなたは」

「護衛」

「護衛の方は、少し黙っていてください。道の情報が聞き取りにくくなります」

「は?」

「早坂さん、次、右カーブのあと、急な下りです。ブレーキは早めに」

「ちょっと待ちなよ。顔も見せないで、何様」

「顔は、道案内に要りません」

「あんたねえ」

「下り、終わります。百メートル先、舗装が戻ります」

 真柴さんは、無線機に向かって口を開けた。

 それから、口を閉じた。

 しばらくして、俺のほうを見た。

「……山道なのに、私、吐いてない」

「左カーブです」

「聞いてる?」

「聞いています。左カーブです」

 無線機が、小さく咳をした。笑ったのかもしれなかった。


         ◇


 林道は、崩れた橋の一キロ上流で、国道に戻った。

 奥多摩の診療所に着いたのは、残り三十八分のときだった。

 木造の平屋で、玄関の前に、ギルドの車が一台止まっていた。中から、白髪の医者が出てきた。

「血清?」

「血清です」

 医者は、保冷箱をひったくるように受け取って、奥へ走っていった。

 奥の部屋から、若い男のうめき声が聞こえていた。

 しばらくして、うめき声が止んだ。

 医者が、汗を拭きながら戻ってきた。

「間に合ったよ。……で、何か書くの?」

「受け取りのサインをお願いします」

「ハンコないよ。診療所のなら、あるけど」

「それで結構です」

 医者は、送り状の受領欄に、診療所の角印をどんと押した。

 受領欄の四倍くらいの大きさだった。


 車に戻って、無線に報告した。

「納品しました。受領、もらっています」

「お疲れさまです。伝票番号を読み上げてください。こちらの記録と照合します」

 俺は、送り状の番号を読んだ。

 十二桁の数字だ。

 無線は、しばらく黙っていた。

 キーボードを叩く音が、かすかに聞こえた。

「……早坂さん」

「はい」

「その荷物の伝票番号、うちの会社の番号の付け方じゃありません」

 声は、さっきまでと同じ高さだった。

 ただ、少しだけ、ゆっくりになっていた。

「うちの番号は、頭の三桁が出荷した倉庫の番号です。この番号の頭の三桁に、該当する倉庫がありません」

「では、この血清は、どこから」

「分かりません」

 水無瀬さんは言った。

「東亜の送り状で、東亜の配車で、東亜の誰も出荷していない荷物を、あなたは今、運んだことになります」

お読みいただき、ありがとうございます。

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