最後の積み荷
【二十二時〇〇分】
区域の境の、検問を、抜けた。
警察官が、止めようとした。
ダッシュボードの、署長印の紙を、見せた。
警察官は、紙を見て、割れた窓を見て、俺の顔を見た。
「……中は、もう」
「知っています」
「自衛隊が、二十三時に、入ります。それまでは」
「それまでに、出ます」
警察官は、何か言いかけて、やめた。
道を、開けた。
北へ、走った。
区域の中は、暗かった。
街灯が、ところどころ、消えていた。信号は、全部、点滅していた。
道の真ん中に、乗り捨てられた車が、点々と、あった。
白牙の死骸が、あった。
誰もいない、コンビニの明かりが、ついていた。
助手席は、空だった。
座席は、一番、後ろまで、下がっていた。
ハンドルを、握る手が、冷たかった。
足の裏で、地面が、鳴っていた。
一定の、間隔で。
どん。
しばらくして、また、どん。
足音だった。
何か、とてつもなく、大きなものの。
【二十二時〇六分】
「早坂さん」
無線から、水無瀬さんの声がした。
坂下の車の、助手席からだった。
「聞こえますか。今、避難所に、向かっています。走りながら、画面を、見ています」
「聞こえます」
「北陵高校の、正門は、幅、十二メートルの、都道に、面しています。本体は、その都道を、北から、南へ、下っています」
「本体」
「ギルドの記録では、そう、呼ばれ始めました。……体長、およそ、九メートル。幅、四メートル。白牙と、同じ色です。脚は、八本。目は、ありません」
喉が、鳴った。
「白牙の、親、です。たぶん、底にいたもの」
「学校まで」
「本体の速さは、時速、六キロ。学校の正門まで、今、四百メートル。……四分です」
「私は」
「早坂さんは、四分では、着きません。七分です」
七分。
三分、足りなかった。
「正門は、使えません。本体が、来ます」
水無瀬さんは、言った。
「裏門を、使ってください。学校の、北側。幅、二・四メートルの、路地に、面しています」
「二・四」
「本体の幅は、四メートルです。路地には、入れません」
二・四メートル。
路地裏の、古い倉庫の、あの路地と、同じ幅だった。
軽バンは、一・四八メートル。
左右に、四十六センチずつ、余る。
【二十二時〇九分】
「早坂」
凛の声が、無線のアプリから、入った。
「今、どこ」
「七分です。裏門に、回ります」
「裏門ね。……残り、十二人。大野さんと、久保田さんが、裏門に、向かってる。三台で、四人ずつ」
「真柴さんは」
「正門」
凛の声の、向こうで、地鳴りが、していた。
「でかいのが、こっちを、見てる。……目、ないけど。たぶん、見てる」
「正門から、離れてください」
「離れたら、あいつ、裏門のほうに、回る。体育館の壁、薄いから、裏門まで、匂いが、抜けてる」
「では」
「私が、正門で、気を、引く。その間に、裏から、出して」
「一人で」
「一人で」
凛は、言った。
「四メートルの入口なら、一人で、止められる。……九メートルのやつは、知らないけど」
冗談の、つもりらしかった。
笑えなかった。
【二十二時十四分】
裏門の前の、路地に、入った。
両側は、民家の、ブロック塀だった。
電柱が、塀から、突き出していた。
幅、二・四メートル。
ミラーを、畳まずに、通れる。ぎりぎりで。
路地の先に、裏門が、見えた。
門の内側に、人が、立っていた。
十二人。
大野さんの白い軽バンと、久保田の紺の軽バンが、もう、門の前に、着いていた。
大野さんが、四人を、荷台に、乗せていた。
「徹!」
「はい」
「残り、四人。お前の分だ」
四人を、見た。
年寄りが、二人。男子生徒が、一人。先生が、一人。
五十。四十四。六十。七十二。
二百二十六。
百二十四、余る。
「乗ってください。前に、詰めて」
四人が、乗った。
扉を、閉めた。
大野さんが、運転席から、怒鳴った。
「お前も、出ろ!」
「真柴さんが、正門に」
「分かってる! 分かってるから、お前に、言ってんだ!」
大野さんの声が、割れた。
「正門には、あいつがいる。お前の車じゃ、あいつに、踏まれたら、終わりだ!」
「はい」
「はい、じゃない!」
久保田が、紺の軽バンの、運転席から、顔を出した。
大野さんの腕を、掴んだ。
「所長」
「何だ」
「止めても、行きます。こいつは」
久保田は、俺を、見た。
「休むと決めたら、休む。行くと決めたら、行く。……二十年、そうだった」
大野さんは、しばらく、黙った。
それから、ハンドルを、拳で、一度、叩いた。
「……規則は、守れよ」
「守ります」
大野さんの軽バンと、久保田の軽バンが、路地を、出ていった。
ハザードランプが、塀の角を、曲がって、消えた。
【二十二時二十一分】
荷台に、四人。
助手席は、空。
正門まで、校舎を、回り込んで、百二十メートル。
ハンドルを、握った。
指が、動かなかった。
また、だった。
迷宮の、三十八層で。
正午の、搬出ヤードで。
そして、今。
足の裏から、地鳴りが、上がってきていた。
どん。
どん。
近かった。
校舎の向こうで、何かが、鳴いた。
十二時に聞いた、あの音だった。
ただ、今は、声だと、分かった。
喉のある、生き物の、声だった。
肺が、石になった。
怖かった。
四十五年で、一番、怖かった。
怖いまま、俺は、思った。
今日、俺は、何回、救われたのか。
高架の上で。学習塾の帰り道で。三十分の休憩の間に。
北陵高校の、校門の前で。
――酔わない席です。大事に、座ってください。
あの人は、自分の席を、譲った。
譲って、残った。
その席は、今、空いていた。
空いた席を、空いたまま、帰ることは、できなかった。
指が、動いた。
ギアを、入れた。
アクセルを、置くように、踏んだ。
車は、揺れずに、動き出した。
【二十二時二十六分】
校舎の角を、曲がった。
正門の前の、都道が、見えた。
そこに、それが、いた。
白かった。
車のヘッドライトの中で、それは、ほとんど、光っていた。
大型トラックより、長かった。
背中の高さは、二階の窓まで、あった。
八本の脚が、アスファルトを、掴んでいた。脚の一本一本が、電柱ほどの、太さだった。
頭に、目は、なかった。
かわりに、白い、細い糸のような、触覚が、何十本も、揺れていた。
口が、開いていた。
白牙と、同じ牙が、何百本も、並んでいた。
その前に、凛が、立っていた。
正門の、真ん中。
短い剣を、右手に、持っていた。
左手で、脇腹を、押さえていた。
小さかった。
あまりにも、小さかった。
本体の触覚が、凛のほうへ、伸びた。
凛の剣が、動いた。
小さく、速く。
触覚が、三本、切れた。
本体が、鳴いた。
地面が、震えた。
凛が、一歩、下がった。
膝が、揺れていた。
クラクションを、鳴らした。
長く。
運河の夜と、同じように。
本体の頭が、こちらを、向いた。
目は、ないのに。
触覚が、全部、こちらへ、揺れた。
「凛!」
声が、出た。
初めて、口に出した、名前だった。
「乗れ!」
凛が、振り返った。
一瞬、目が、丸くなった。
それから、走った。
走ると、追われる。
知っていて、走った。
本体の脚が、一本、凛の背中に、振り下ろされた。
凛は、跳んだ。
脚が、アスファルトに、突き刺さった。
割れた破片が、俺の車の、フロントガラスに、当たった。
ひびが、入った。
前が、見えなくなった。
ひびの、隙間から、凛が、見えた。
助手席の、ドアの前に、着いた。
その瞬間、本体の、別の脚が、車の、屋根の上に、来た。
影が、運転席を、覆った。
潰される。
そう、思った。
凛の剣が、上に、跳ね上がった。
脚の、関節の、継ぎ目。
甲殻の、一番、柔らかいところ。
剣が、根元まで、刺さった。
本体が、絶叫した。
脚が、屋根の上から、外れた。
車の横に、落ちた。
アスファルトが、割れた。
凛が、助手席の、ドアを、開けた。
剣は、本体の脚に、刺さったままだった。
凛は、手ぶらで、助手席に、転がり込んだ。
「出して!」
【二十二時三十一分】
バックした。
校舎の角まで、二十メートル。
前が、見えなかった。
ミラーだけで、下がった。
二十年、狭い路地を、バックで、出てきた。
ミラーの中の、塀の位置で、分かる。
角を、曲がった。
ギアを、入れ替えた。
前へ。
本体が、校舎の角を、回ってきた。
地面が、跳ねた。
荷台の四人が、悲鳴を上げた。
「掴まって!」
凛が、後ろに、叫んだ。
裏門の、路地へ、入った。
幅、二・四メートル。
ミラーが、両側の塀を、かすめた。
ミラーの中で、本体が、路地の入口に、頭を、突っ込んだ。
入らなかった。
四メートルの体が、二・四メートルの路地の、入口の、ブロック塀に、ぶつかった。
塀が、崩れた。
電柱が、傾いた。
それでも、入れなかった。
本体は、路地の入口で、鳴いた。
触覚が、何十本も、路地の中へ、伸びてきた。
届かなかった。
俺の車は、時速、二十キロで、路地を、抜けていった。
揺らさずに。
大型の、入れない道を。
軽しか、入れない道を。
【二十二時四十七分】
区域の境の、検問が、見えた。
さっきの、警察官が、立っていた。
俺の車を、見て、目を、丸くした。
フロントガラスは、ひびだらけだった。運転席の窓は、なかった。屋根は、へこんでいた。左のミラーは、なかった。
警察官は、何も言わずに、敬礼した。
検問を、抜けた。
ブレーキを、止まる三秒前から、踏んだ。
車が、揺れずに、止まった。
ハンドルから、手を、離した。
手が、震えていた。
止まらなかった。
助手席で、凛が、息を、していた。
荒い、息だった。
脇腹のガーゼが、真っ赤だった。
それでも、凛は、俺のほうを、見ていた。
「……今」
「はい」
「凛、って、言った」
「言いました」
「呼び捨て」
「すみません」
「……謝んなくて、いい」
凛は、目を、閉じた。
口元が、少しだけ、笑っていた。
「剣、置いてきた」
「はい」
「ギルドの、支給品。……始末書、六枚目」
「書くのを、手伝います」
「あんた、字、きれいそう」
「伝票を、二十年、書いてきました」
「そっか」
凛は、少し、黙った。
「……やっぱ、この席、酔わないね」
荷台の四人が、扉の窓から、こちらを、見ていた。
誰も、怪我を、していなかった。
無線の、黒い箱が、鳴った。
水無瀬さんの声だった。
さっきより、ずっと、近くに、聞こえた。
「早坂さん。真柴さん」
「はい」
「区域を、出ました。確認しました」
声が、少しだけ、震えていた。
「北の避難所まで、六分です。……出口で、待っています」
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