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名簿

【十五時〇〇分】


 一台目は、白い軽バンだった。

 中野通りの方角から、施設の前の、六センチの隙間を、ミラーを畳んで、抜けてきた。

 運転席の窓から、白髪の、四角い顔が、のぞいた。

「遅くなった」

 大野さんだった。

「二分前に着くのが礼儀だと、言っていませんでしたか」

「言った。今日は、許せ」

 大野さんの軽バンの後ろに、二台目が、続いた。

 三台目。四台目。

 白、銀、紺、白。年式も、メーカーも、ばらばらだった。屋根に、昔の会社のロゴを、塗りつぶした跡がある車もあった。

 十一台。

 運転席から、降りてきたのは、年寄りばかりだった。

 六十代。七十代。腰の曲がった人もいた。膝に、サポーターを巻いた人もいた。

 全員、首から、昔の会社の、名札を下げていた。

 顔写真の、若い頃の自分が、こちらを、見ていた。

「何ですか、それ」

「目印だ」

 大野さんが、自分の胸の名札を、叩いた。

「誰が誰だか、分からんと、困るだろう。これなら、一目で分かる」

「写真が、三十年前ですが」

「分かるやつには、分かる」

 分からなかった。


【十五時〇六分】


 最後に、十二台目が、来た。

 新しい、銀色の軽バンだった。

 傷ひとつない。ナンバーも、新しい。黒ナンバー。

 運転席から、降りてきたのは、坂下だった。

「早坂」

「坂下」

「同業の連絡網で、回ってきた。手伝わせてくれ」

 坂下は、施設の玄関を、見た。

 車椅子の列を、見た。

「……何人だ」

「四十人。あと、三十四人」

「分かった」

 坂下は、それ以上、何も言わずに、荷台の扉を、開けた。

 俺は、その新しい軽バンを、見ていた。

 保険が降りた、と、坂下は、居酒屋で、言っていた。

 満額は出ない、と、その前に、坂下自身が、言っていた。

 新車だった。

 何かが、喉に、引っかかった。

 引っかかったまま、俺は、車椅子の老人を、抱え上げた。

 今は、それを考える、時間では、なかった。


【十五時十分】


 十一人の中に、一人だけ、運転席から、降りてこない男がいた。

 四十代の半ば。痩せていて、髪に、白いものが混じっている。

 両手で、ハンドルを、握ったまま、動いていなかった。

 顔を、見た。

 二十年前の名札の写真より、ずっと、痩せていた。

 久保田だった。

 大野さんが、俺の横に、来た。

「何も、言うな」

「はい」

「横に、立ってやれ」

「はい」

 久保田の軽バンの、運転席の横に、立った。

 窓は、開いていた。

 久保田は、俺のほうを、見なかった。前を、見ていた。

 ハンドルを握る指が、細かく、震えていた。

 俺は、何も、言わなかった。

 ただ、横に、立っていた。

 一分。

 二分。

 久保田が、小さく、言った。

「……早坂」

「はい」

「お前の車、まだ、揺れないか」

「揺れません」

「そうか」

 久保田は、ゆっくり、息を吐いた。

 それから、ハンドルから、手を離した。

 ドアを開けて、降りてきた。

「乗せるのは、何人だ」

「六人。三百五十キロまで」

「……数えるのは、得意だった」

 久保田は、施設の玄関へ、歩いていった。

 足取りは、少し、ふらついていた。

 でも、一度も、止まらなかった。


【十五時十八分】


「では、経路を、出します」

 無線から、水無瀬さんの声がした。

 十二台の軽バンの、どれにも、無線機は、なかった。かわりに、全員のスマートフォンに、通話のアプリを、入れてもらった。水無瀬さんが、そこに、全員分の経路を、流す。

「一号車、大野さん。中野通りを北へ、二本目を左」

「待て」

 大野さんの声が、割り込んだ。

「中野通りは、混む。昔から、そうだ。裏の、八百屋の角を、右だ。そっちのほうが、早い」

「その八百屋は、十二年前に、コンビニになりました」

「……コンビニでも、角は、角だ」

「その角は、今朝、割れました。通れません」

 大野さんが、黙った。

 別の声が、割り込んだ。

「水無瀬さんとやら。中野の避難所なら、銭湯の裏の、坂を下るのが、一番、早い」

「その銭湯は、四年前に、廃業して、マンションになりました。坂も、そのとき、階段に、なりました」

「……階段」

「軽バンでは、下りられません」

 また、別の声。

「新井薬師の、横の道は」

「一方通行が、逆になりました。八年前に」

「八年前」

「はい」

「わしが、辞めた年だ」

「そうですか」

 無線が、静かになった。

 十一人の年寄りが、十一台の運転席で、同時に、黙った。

 それから、大野さんが、低い声で、言った。

「……全部、知ってやがる」

「配車係ですので」

「お前、何年、配車やってる」

「七年です」

「七年で、それか」

「七年、毎日、見ていますので」

 大野さんが、ふん、と、鼻を鳴らした。

「……一号車、中野通りを北へ、二本目を左」

「はい。お願いします」

 横で、真柴さんが、肩を、震わせていた。

 笑いを、こらえていた。

「あの人、年寄りにも、容赦ないね」

「道に、年は、関係ありませんので」

「それ、あんたが言うと、説得力、あるね」


【十五時二十五分】


 十二台の軽バンが、六人ずつを、乗せて、出た。

 俺の車が、一番後ろだった。

 施設の裏の、雑木林で、鳥が、また、飛び立った。

 職員の女性が、最後に、建物の鍵を閉めていた。

「早く」

 真柴さんが、言った。

 剣を、抜いていた。

 雑木林の中から、白いものが、這い出てきた。

 一匹。三匹。十匹。

 白牙だった。

 真柴さんが、走った。

 一匹目を、払った。

 二匹目を、剣の柄で、叩き落とした。

 三匹目が、左腕を、狙った。

 真柴さんは、左腕を、引いた。右の剣が、白牙の首を、落とした。

「左、もう、噛ませない」

 職員の女性を、俺は、助手席に、押し込んだ。

「真柴さん!」

「行って!」

「あなたが」

「私は、走れる!」

 真柴さんは、林と車の間に、立っていた。

 俺は、エンジンを、かけた。

 ゆっくり、出た。

 ミラーの中で、真柴さんが、白牙の群れを、一匹ずつ、落としていた。

 三十メートル。

 五十メートル。

 施設の角を、曲がる前に、ミラーの中で、真柴さんが、こちらに、走り出したのが、見えた。

 車を、止めた。

 真柴さんは、荷台の後ろの、バンパーに、飛び乗った。

 扉の取っ手を、掴んだ。

「出して!」

「荷台の外に、人は」

「法律、知ってる! 出して!」

 出した。

 時速十キロ。

 角を曲がり、白牙の群れが、追ってこないことを、確かめてから、止めた。

 真柴さんが、助手席の窓の外に、回ってきた。

 職員の女性が、助手席から、降りかけた。

「いい。座ってて」

 真柴さんは、息を切らしながら、言った。

「私は、ここでいい」

「どこですか」

「バンパー」

「法律です」

「じゃあ、次の角まで、歩く」

 真柴さんは、本当に、歩いた。

 軽バンの横を、剣を抜いたまま、時速五キロで。

 職員の女性が、ぽかんと、口を開けて、それを、見ていた。


【十五時五十二分】


 四十人目の、車椅子の老人が、中野の避難所の、体育館の床に、下ろされた。

 あけぼの苑の、全員だった。

 職員の女性が、体育館の入り口で、深く、頭を下げた。

「全員、です。四十人、全員」

 大野さんが、腕を組んで、うなずいた。

 久保田は、自分の軽バンの横で、手を、見ていた。

 もう、震えていなかった。

 十二台の軽バンが、体育館の前に、並んでいた。

 年寄りたちが、運転席の横で、缶コーヒーを、回し飲みしていた。

 誰も、疲れたとは、言わなかった。

「次は」

 大野さんが、無線のアプリに、言った。

「次は、どこだ」

 水無瀬さんの声が、返ってきた。

「北です」

 少し、間があった。

「迷宮の北側の地区は、まだ、千人以上が、残っています。区域の外へ出る道は、線路をまたぐ、高架が、一本だけです。ほかの道は、全部、大型に塞がれているか、割れています」

「その高架は」

「今は、通れます」

 キーボードの音が、止まった。

「ただ、十五時五十分に、白牙の大きな群れが、確認されました。北西から、高架のほうへ、動いています」

「どのくらいで」

「このままなら、三十分で、高架に、届きます」

 真柴さんが、剣の鞘を、握り直した。

 高架が塞がれれば、北の千人は、出られなくなる。

 美緒の学校も、北にあった。

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