積み順
【十四時〇〇分】
中野の避難所は、区立の中学校の体育館だった。
荷台の扉を、開けた。
年寄りたちが、ひとりずつ、降りた。最後に、赤ん坊を抱いた母親が、降りた。
赤ん坊は、まだ、眠っていた。
「一度も、起きなかった」
母親が、小さな声で、言った。
「この子、車に乗ると、いつも、泣くんです」
「そうですか」
「……ありがとうございました」
一番奥に座っていた老人が、扉の前で、立ち止まった。
「兄ちゃん」
「はい」
「三十分、休んだろう。校庭で」
「はい」
「腹が立った」
「すみません」
「でもな。乗ってみて、分かった」
老人は、荷台の床の毛布を、杖の先で、つついた。
「休んだ運転手の、運転だった」
それだけ言って、老人は、体育館のほうへ、歩いていった。
携帯電話を、見た。
美緒のメッセージに、返信した。
『無事か』
送信中、の表示が、長く続いた。
やがて、送信済み、に変わった。
返事は、すぐには、来なかった。
【十四時〇九分】
「早坂さん」
無線から、水無瀬さんが、言った。
「お嬢さんの学校は、どこですか」
「都立、新宿北陵高校です。迷宮から、北へ、二・八キロ」
キーボードの音がした。
「指定避難所に、なっています。体育館は、耐震補強済み。教職員が、残っています。区の職員が二名、向かったと、記録にあります」
「白牙は」
「学校の周りでの、目撃は、まだ、ありません。ただ」
水無瀬さんは、一度、言葉を、切った。
「十二時十四分に、学校の校庭で、地面の陥没が、記録されています」
ハンドルを、握った手に、力が、入った。
「けが人は」
「記録には、ありません」
その時、携帯が、震えた。
美緒だった。
『無事。校庭の、ロープのところに、穴があいた。誰も落ちてない。先生が、外は危ないから体育館から出るなって。お父さん、どこ』
息を、吐いた。
長い、長い息だった。
ロープ。
先週、喫茶店で、勘だと言った。
美緒は、実行委員長に、その勘を、伝えた。
足湯は、中止になった。
足湯を作るはずだった場所に、今日、穴が、あいた。
誰も、落ちていない。
「……水無瀬さん」
「はい」
「娘は、無事です」
「よかった」
短い返事だった。
けれど、その声は、少しだけ、震えていた。
【十四時十五分】
『中野にいる。そこにいろ。先生の言うことを聞け。必ず行く』
送った。
送信済み、になるまで、画面を、見ていた。
真柴さんが、横で、言った。
「行くんでしょ」
「行きます」
「今すぐ?」
俺は、答えなかった。
無線から、水無瀬さんの声がした。
「早坂さん。お伝えしなければならないことが、あります」
「はい」
「迷宮から、東へ、一・二キロ。老人ホーム、あけぼの苑。入所者、四十名。職員、六名。うち、車椅子が十八名」
喉が、乾いた。
「施設の送迎車は、ワゴンが一台だけで、駐車場の前の道を、東亜の大型が、塞いでいます。救急は、入れません。施設から、ここ二十分で、三回、救助要請が出ています」
「白牙は」
「施設の、三百メートル西で、群れが、確認されています。東へ、動いています」
「つまり」
「施設のほうへ、です」
新宿北陵高校は、北へ、二・八キロ。
あけぼの苑は、東へ、一・二キロ。
方角が、違った。
【十四時二十分】
ハンドルを、握ったまま、黙っていた。
真柴さんも、黙っていた。
無線も、黙っていた。
水無瀬さんは、どちらへ行け、とは、言わなかった。
言わないことを、選んでいるのが、分かった。
頭の中で、荷物を、並べた。
積み順は、いつも、同じ考え方で、決める。
重いものから、ではない。
先に、届けなければならないものから、積む。
ひと月前の、面会日に、美緒は、俺の積み方を、見ていた。
――卵、運ぶんでしょ。誰かの役に立つんでしょ。……見たい。
美緒は、体育館の中にいる。壁は、耐震補強がしてある。先生がいる。区の職員が、向かっている。校庭の穴には、誰も、落ちていない。
あけぼの苑の四十人は、車椅子が、十八人。
白牙の群れが、東へ、動いている。
分かっていた。
分かっていて、指が、北へ、ハンドルを切りたがっていた。
「……水無瀬さん」
「はい」
「あけぼの苑への、道を」
一拍、あった。
「……はい」
水無瀬さんの声が、少しだけ、低くなった。
「新青梅街道は、使えません。中野通りを、南へ。そこから、路地を、六本、つなぎます」
ウインカーを、出した。
東だった。
北ではなかった。
真柴さんが、窓の外を、見たまま、言った。
「あんた、それで、いいの」
「よくは、ありません」
「じゃあ」
「でも、積み順は、変えません」
真柴さんは、それ以上、何も、言わなかった。
ただ、剣の鞘を、膝の上で、握り直した。
【十四時三十八分】
あけぼの苑は、三階建ての、白い建物だった。
玄関の前の道を、東亜の大型が、斜めに、塞いでいた。
トラックの横に、軽バン一台分の、隙間があった。
一・六メートル。
軽バンの幅は、一・四八メートル。
左右に、六センチずつ。
「通れますか」
水無瀬さんが、聞いた。
「通ります」
左のミラーを、畳んだ。
右のミラーも、畳んだ。
ゆっくり、進んだ。
左は、トラックの荷台の、鉄の縁。右は、施設の、ブロック塀。
どちらにも、当たらなかった。
真柴さんが、息を止めていた。
抜けたとき、真柴さんが、息を、吐いた。
「……六センチ」
「はい」
「あんた、頭、おかしいよ」
「慣れています」
「慣れんな、そんなの」
玄関から、職員が、走り出てきた。
四十代の女性だった。顔が、汗で、光っていた。
「どちらの、救急ですか」
「救急では、ありません。軽貨物です」
「軽貨物」
「許可は、あります」
ダッシュボードの、署長印の紙を、見せた。
女性は、紙を見て、俺を見て、軽バンを見た。
「……何人、乗れますか」
「荷台に、三百五十キロまで。車椅子の方は、車椅子ごとは、無理です。抱えて、毛布の上に」
「一回で」
「六人か、七人です」
女性の顔が、歪んだ。
「四十人、いるんです」
「分かっています」
四十人を、六人ずつ。
七往復。
中野まで、往復、四十分。
四時間半。
白牙は、三百メートル西で、東へ、動いている。
施設の裏の、雑木林のほうで、鳥が、一斉に、飛び立った。
足りなかった。
一台では、どう計算しても、足りなかった。
【十四時五十六分】
最初の六人を、荷台に、乗せた。
車椅子の老人を、抱え上げた。
軽かった。
四十キロも、なかった。
毛布の上に、そっと、下ろした。
「重くないかね」
「軽いです」
「そうかね。昔は、七十キロ、あったんだがね」
老人は、笑った。
俺は、笑えなかった。
扉を、閉めようとした。
その時、ポケットの携帯電話が、鳴った。
メッセージではなかった。
電話だった。
回線が、少し、空いたらしい。
画面に、名前が、出ていた。
大野源三。
出た。
「徹」
低い、しわがれた声だった。
「どこにいる」
「中野の、東です。老人ホーム」
「何人だ」
「四十人。車椅子が、十八人」
「お前の車で、何往復だ」
「七往復です」
「足りんな」
「足りません」
電話の向こうで、大野さんが、短く、息を吐いた。
それから、言った。
「何台、要る」
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