狭い道
【十三時〇〇分】
「水無瀬さん」
声が、裏返った。
自分の声とは、思えなかった。
「無事ですか」
「無事です。今、本社の配車室にいます」
水無瀬さんの声は、少し、息が切れていた。
「発破の音で、ビルの全員に、避難の指示が出ました。資料室の見張りも、出ていきました。配車室も、空です。……誰も、いません」
「一人ですか」
「一人です。でも、ここには、全部、あります」
キーボードを叩く音が、聞こえた。
速かった。前と、同じ速さだった。
「停波していた早坂さんの無線を、配車システムの側から、もう一度、開けました。番号は、消されていませんでした。消し忘れたのか、誰も、そこまで、気にしなかったのか」
「この箱が」
「はい。その箱です」
真柴さんが、助手席で、小さく、息を吐いた。
「……生きてたじゃん」
「真柴さん。お怪我は」
「左が、ちょっと遅いだけ」
「そうですか」
それから、水無瀬さんは、言った。
「早坂さん。今、どこにいますか」
「西新宿の、工事の柵の前です」
「見えています」
「見えて」
「東亜の配車システムには、東亜のトラックの位置が、全部、出ます。四十台。それと、道路の、通行止めの情報も」
画面を、見ているのだろう。声が、少し、遠くなった。
「大型は、全部、止まっています。四十台が、幹線を、塞いでいます。救急車も、消防も、バスも、入れません」
「はい」
「大型は、入れません」
水無瀬さんは、もう一度、言った。
「狭い道しか、残っていません」
【十三時〇七分】
「右へ、バックで、五メートル。そこから、左の路地。幅、二・二メートル」
バックで、五メートル。
左の路地に、入った。
両側の塀が、ミラーの、すぐ横を、流れた。
「二本先、右。銭湯の煙突の角」
煙突が、見えた。
右に、曲がった。
迷わなかった。
この十日、迷い続けた道を、一度も、迷わなかった。
「その先、百メートルは、昨日の夜に、三センチ、隆起しています。速度を、落として」
落とした。
前輪が、盛り上がったアスファルトを、なでるように、越えた。
後輪も。
揺れなかった。
真柴さんが、横で、呟いた。
「……やっぱ、本物は、違うね」
「何がですか」
「声。私の真似、全部、外れたから」
無線の向こうで、水無瀬さんが、一瞬、黙った。
「……真似、していたんですか」
「してない」
「していたんですね」
「してないって」
水無瀬さんの、小さく、息が漏れる音がした。
笑ったのだと、思う。
【十三時十二分】
「正午の発破は」
ハンドルを切りながら、聞いた。
「何を、したんですか」
「資料室に、計画書の控えが、ありました」
水無瀬さんは、言った。
「東亜は、第四十一層の、さらに下を、掘ろうとしていました。社内では、『底』と、呼んでいました」
「底」
「四十一層で、白牙の卵が、大量に、出ました。卵がある、ということは、その下に、産んだものが、いる。……計画書には、そう、書いてありました。書いてあって、それでも、掘りました」
「どうして」
「底の素材は、一つで、四十一層の百倍の値が、つくから、です」
手のひらが、冷たくなった。
「許可制で、深層の素材を、東亜だけが、扱える。今日、正午に、底を割って、まとめて運び出す。そのための、四十台でした」
「割った結果が、これですか」
「はい」
短い、返事だった。
「卵を、温めても、揺らしても、孵る。……発破は、その両方です」
加納さんの声が、耳の奥で、聞こえた気がした。
【十三時二十分】
区域の中の、小学校の前に、出た。
校門の前に、警察官が、二人、立っていた。
校庭に、人が、集まっていた。
五十人ほど。年寄りが多い。乳母車を押している母親もいる。
「ここは、避難の集合場所です」
若い警察官が、運転席の窓に、来た。
「バスが、来るはずだったんですが。大型が、一台も、入れなくて」
喉が、鳴った。
「私の車で、運べます」
警察官は、軽バンを、見た。
荷台を、見た。
「荷台に、人は、乗せられません」
「知っています」
「法律で」
「知っています」
二十年、そう言ってきたのは、俺のほうだった。
「出発地を管轄する、警察署長の許可があれば、乗せられます」
警察官が、目を、丸くした。
「……よく、ご存じで」
「運送屋ですので」
無線から、水無瀬さんの声が、した。
「道路交通法、第五十六条、第二項です。新宿西署の、署長宛て。申請の書式は、今、警察官の方の端末に、送れます」
警察官は、自分の胸の端末を、見た。
それから、俺を、見た。
「この人、誰ですか」
「配車係です」
「……配車係」
警察官は、無線で、署を、呼び出した。
【十三時二十八分】
「許可が出るまで、三十分、かかるそうです」
警察官が、戻ってきた。
「署長が、今、本部と、話していて」
「分かりました。待ちます」
俺は、エンジンを、切った。
真柴さんが、こちらを、見た。
「待つの? 三十分も?」
「待ちます」
「白牙が」
「ここは、警察がいます。それに」
俺は、助手席の足元の、コンビニの袋を、取った。
朝、四時に起きて、買ったものだ。
おにぎりを、一つ、出した。鮭。
包装を、剥がした。
「……今?」
「休憩です」
「は?」
「規則ですので」
真柴さんは、口を、開けた。
閉じた。
それから、もう一度、開けた。
「あんた、今、ここで、おにぎり食べるの」
「三十分、待つなら、三十分、休みます。そうすれば、ここから四時間、走れます」
「……計算してんの」
「しています」
鮭のおにぎりを、一口、かじった。
うまかった。
朝から、何も、食べていなかった。
真柴さんは、しばらく、呆れた顔で、俺を見ていた。
それから、黙って、袋から、梅のおにぎりを、取った。
「……私も、休憩」
「どうぞ」
無線の向こうで、水無瀬さんが、言った。
「十三時二十八分から、休憩、と、記録しました」
「お願いします」
「十三時五十八分に、お知らせします」
校庭の、子どもが、こちらを見て、笑っていた。
大人が、怒っているような顔で、何か、言っていた。
怒られても、規則は、変えない。
変えた日に、俺は、荷物を、全部、落とした。
【十三時五十分】
許可が、出た。
警察官が、紙を一枚、持ってきた。
『荷台乗車許可』
手書きの、署長印。
朱色の、四角い印だった。
俺は、それを、ダッシュボードに、置いた。
許可制で、締め出された。
その俺が、今、許可をもらって、人を、運ぶ。
荷台に、毛布を、三枚、敷いた。
「足の悪い方から、奥へ。荷台の、前のほうに、座ってください。壁に、背中をつけて」
年寄りが、六人、乗った。乳母車の母親と、赤ん坊も。
一人ずつ、手を貸した。
体重は、見れば、だいたい分かる。二十年、人から荷物を受け取ってきた。荷物を持つ人の、腕の重さで、分かるようになった。
合計、三百三十キロ。
二十キロ、余る。
「ベルトを、握っていてください。荷物用ですが、頑丈です」
「あんた、運転、うまいのかい」
一番奥の、老人が、言った。
「揺らしません」
「そうかい」
老人は、ベルトを、両手で、握った。
扉を、閉めた。
発進する前に、一度だけ、振り返った。
荷台の窓の向こうで、赤ん坊が、眠っていた。
【十三時五十八分】
「十三時五十八分です。休憩、終わりです」
水無瀬さんの声が、した。
「ありがとうございます」
「区域の外の、中野の避難所まで、十八分。道は、走りながら、言います」
「お願いします」
ブレーキを、止まる三秒前から、踏んだ。
アクセルは、置くように、踏んだ。
荷台の誰も、声を上げなかった。
交差点を一つ、越えたところで、ポケットの携帯電話が、震えた。
一度だけ。
電話ではなかった。
メッセージだった。
回線が混んでいても、文字だけは、届くことがある。
信号で止まった。止まる三秒前から、ブレーキを踏んで。
画面を、見た。
美緒からだった。
『体育館にいる。出られないって』
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