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16/30

狭い搬入口

 路地裏の古い倉庫は、住所だけでは、見つからなかった。

 環七から一本入り、さらに二本入った先に、幅二・四メートルの路地があった。両側は、町工場の塀。電柱が、道の端から端に、突き出している。大型トラックは、角で曲がれない。

 軽バンの幅は、一・四八メートル。

 左右に、四十センチずつ余る。

 塀の間を、ゆっくり、進んだ。

 イヤホンの片耳から、声がした。

「そこです。右の、錆びたシャッター」

 水無瀬さんだった。

 電話は、つながったままだった。

「あと、三メートル。止まって。……シャッターの隣の、人用の小さい扉から、入ってください」

「分かりました」

 車を止めた。時計は、午後五時十分。

 卵が孵るまで、あと、五時間だった。


         ◇


 倉庫は、もとは、町工場だったらしい。

 天井が低く、床にコンクリートの油染みが、残っていた。

 奥の壁に、鉄の扉が、一枚。

 上半分だけ、磨りガラスになっている。向こうに、人の影が、ぼんやり、見えた。

 背は、高くない。長い髪を、後ろでまとめている。

 影は、動かなかった。

 扉の脇の壁に、腰の高さの、四角い開口があった。そこから床まで、ローラーの滑り台が、斜めに、伸びている。

 扉の向こうは、荷捌き室と、冷凍庫、それに事務所だという。

「荷物は、その開口から、出します」

 扉の向こうから、直接、声が聞こえた。

「水無瀬さん、ですか」

「はい」

「顔を、見せては、もらえませんか」

「お断りします」

 即答だった。

「荷物の運搬に、顔は、要りません」

「そうですか」

「はい」

 それ以上は、言えなかった。

 影が、少しだけ、動いた。

 開口の向こうで、何かを置く音がした。

 最初の箱が、ごろごろ、ローラーを滑ってきた。

 木箱だった。一箱、二十五キロ。

 側面に、焼き印があった。

 『第41層』

 喉の奥が、乾いた。

「その箱が、六十あります」

 扉の向こうから、水無瀬さんが言った。

「冷凍庫の中は、マイナス三度。全部、同じ焼き印です。一箱に、五十個。三千個です」

 伝票も、箱も、隠す気がなかった。隠せると、思っていたのだろう。

「積載量は」

「三百五十キロ。十四箱です」

「五往復で、足ります。運び先は、前に使った、大井の低温倉庫。第三庫が、まだ、空いています」

「予約は」

「してあります」

 淡々と、言った。

「あなたが、ここに、来る前から」

 笑いそうになった。

 笑えなかった。


         ◇


 シャッターが、上がった。

 紺の上着が、逆光の中に、立っていた。

 真柴さんだった。

「遅くなった」

 息が、荒かった。

「電車を、二回、乗り換えた」

「調査隊は」

「抜けてきた。ギルドの許可は、取ってない」

「始末書が」

「五枚目」

 真柴さんは、倉庫の中を、見回した。

 木箱を、見た。

 焼き印を、見た。

 それから、鉄の扉の向こうの、影を、見た。

「その声の人、ここにいんの?」

「います」

 扉の向こうから、水無瀬さんが、答えた。

「見ないでください」

「なんで」

「顔は、運搬に、要りません」

「あんた、本当に、それしか言わないね」

「合理的ですので」

 真柴さんは、鼻で、笑った。

「ま、いいや。ギルドの規則で言うと、孵りかけた卵は、素材じゃなくて、駆除対象。駆除対象の移送は、ギルドの権限。あんたの車を、今から、借りる」

「許可制は」

「素材じゃないから、関係ない」

 真柴さんは、荷台の扉を、開けた。

「積んで」

 屁理屈だった。

 けれど、今夜は、それが、必要だった。


 荷台の冷凍ユニットを、最大にした。

 前から回してあった。庫内は、マイナス二十度。

 木箱は、床に、二列。隙間には、毛布を詰めた。ベルトは、四本。前後に二本ずつ。

 一箱、二十五キロ。十四箱で、三百五十キロ。

 ちょうど、だった。

 余りは、ない。

 真柴さんが、荷台の隅から、言った。

「二キロも、余ってないね」

「余っていません」

「ぎりぎり」

「ぎりぎりです」

「怖くない?」

「怖いです」

 真柴さんは、少し、黙った。

 それから、静かに、言った。

「……珍しいね。素直に言うの」

「今日は、そう言いたい日でした」

 最初の便は、午後五時四十分に、出た。


         ◇


 大井の倉庫まで、片道、二十分。

 往復、四十分。荷降ろしと荷積みで、さらに、十分。

 一往復、五十分。

 五往復で、四時間半。

 卵が孵るのは、午後十時過ぎ。ぎりぎりのはずだった。

 三往復目までは、順調だった。

 荷降ろしは、低温倉庫の職員が、手伝ってくれた。

 四往復目の荷積みが、午後八時半、倉庫で始まった。

 開口から、箱が、一つずつ、滑り出てきた。重い箱だ。二十五キロ。細い腕では、きついはずだった。

 箱が、ローラーの上を、一つ、また一つ、俺の手元に、届いた。

 開口の縁に、白い手袋の指先が、一瞬、見えた。

 それだけだった。

「あと、六箱です」

「はい」

「十分で、積み終わります」

「はい」

 その時だった。

 かつ、と、音がした。

 冷凍庫の奥の、木箱の中から。

 かつ、かつ、かつ。

「……水無瀬さん」

「聞こえました」

 声が、細くなった。

「予定より、早い。冷凍庫の温度が、上がっています。マイナス一度」

「いつ孵りますか」

「分かりません。でも」

 その時、ローラーの上の木箱が、割れた。

 ぱき、と、板が割れる音。

 隙間から、白い卵の殻が、ぽろぽろ、こぼれた。

 その後ろから、何かが、這い出てきた。

 拳ほどの、青白い、爬虫類のような生き物。四本の足。

 目は、赤かった。

 そして、牙が、異様に、長かった。

 一匹。二匹。

 三匹。

「真柴さん!」

 叫んだ時には、真柴さんの剣が、動いていた。

 一匹が、宙で、割れた。

 二匹目が、床を蹴って、跳んだ。

 真柴さんの左腕に、牙が、食い込んだ。

「っ……!」

 真柴さんは、そのまま、剣を、右手に持ち替えた。

 三匹目が、俺の背中に、飛びかかってきた。

 牙が、肩に、届く寸前だった。

 真柴さんの剣が、俺の頭の横を、通った。

 三匹目が、床に落ちた。

 静かになった。

「……左腕」

 真柴さんは、自分の左腕を、見た。

 牙の痕から、赤黒いものが、流れていた。腕が、だらりと、垂れている。

「動かない」

「毒ですか」

「麻痺。……左腕、呪われてんのかな」

 笑おうとして、唇が、引きつった。

「あと、どのくらい」

「分かりません。でも」

 扉の向こうから、水無瀬さんの声が、した。

 短く、鋭い声だった。

「冷凍庫の中の、箱が、全部、割れ始めています。三千個、同時です」

「全部」

「早坂さん。早く、荷台に積める分だけ、積んで、出てください」

「水無瀬さんは」

「私は」

 一拍、あった。

「冷凍庫の扉を、閉めます」

「何を」

「幼体は、低温に弱い。マイナス十度以下なら、動けなくなります。冷凍庫の温度を、最低まで、下げます。予備電源で」

「それでは」

「扉を、外から、閉めきります。幼体を、中に、閉じ込めます」

 真柴さんが、息を呑んだ。

「あんた、中に」

「いえ。私は、荷捌き室にいます。冷凍庫の扉は、こちら側から、閉まります。……内側には、誰も、入りません」

「でも、もう出てきたやつは」

「そちらは、真柴さんが、倒しました。残りは、全部、庫内です」

 水無瀬さんの声は、落ち着いていた。

「ここは、私の、持ち場です」

 鉄の扉の向こうで、重いものが、動く音が、した。

 どん、と、冷凍庫の扉が、閉まった。

 続いて、低い機械音。冷凍機が、最大で、回り始めた。

 庫内から、爪が、扉を、引っかく音が、聞こえた。

 数百、数千の、小さな爪の音。

 それが、少しずつ、遅くなった。

 三分後、止まった。

「……温度、マイナス十二度。動きは、止まりました」

 水無瀬さんが、小さく、息を吐いた。

「今の、一番近い、荷物を、持っていってください」

 荷台に、六箱を、積み込んだ。

 積み終わったとき、真柴さんが、運転席の窓を、叩いた。

「早く、乗って」

「真柴さんは」

「助手席」

 顔が、真っ青だった。

「揺らさないで」

「はい」

「頼むよ」

 背中に、小さく、笑う声が、聞こえた気がした。


         ◇


 路地の入口で、黒いワゴンが、二台、止まっていた。

 ヘッドライトが、点いていた。

 車の影から、男たちが、降りてきた。

 六人。黒いスーツ。

 その中心に、一人、背筋の伸びた男が、立っていた。

 五十代前半。静かな目。

 画面の向こうで、見た顔だった。

「早坂さん」

 鷲尾だった。

 男は、軽バンの運転席の窓に、近づいてきた。

「夜分に、失礼します」

「鷲尾本部長」

「この倉庫の荷物は、当社の財産です。お持ち出しになると、窃盗にあたります」

「危険物です。三千個の卵が」

「存じています。……だから、当社の社員が、対処します」

 鷲尾は、倉庫のほうを、見た。

 鉄の扉が、まだ、閉まっていた。

「水無瀬」

 鷲尾が、静かに、呼んだ。

「そこに、いますね。出てきなさい」

 鉄の扉の向こうで、影が、動かなくなった。

 イヤホンから、水無瀬さんの、小さな息が、聞こえた。

「……鷲尾、さん」

 その声は、いつもの、低くて早い声ではなかった。

 ひどく、細かった。

 鷲尾は、微笑んだ。

「やはり、あなたでしたか」

 男たちが、倉庫の中へ、歩き出した。

 鉄の扉が、内側から、閉ざされた。

 鍵の、かかる音が、した。

 鷲尾は、それを、見て、静かに言った。

「出てきなさい、水無瀬。逃げても、無駄です」

 助手席で、真柴さんが、剣の柄に、右手を、かけた。

 俺は、ハンドルを、握りしめた。

 左腕の動かない人と、荷台の六箱と、扉の向こうの、一人。

 誰を、先に、助けるのか。

 その問いが、車の中に、重く、沈んだ。

お読みいただき、ありがとうございます。

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