狭い搬入口
路地裏の古い倉庫は、住所だけでは、見つからなかった。
環七から一本入り、さらに二本入った先に、幅二・四メートルの路地があった。両側は、町工場の塀。電柱が、道の端から端に、突き出している。大型トラックは、角で曲がれない。
軽バンの幅は、一・四八メートル。
左右に、四十センチずつ余る。
塀の間を、ゆっくり、進んだ。
イヤホンの片耳から、声がした。
「そこです。右の、錆びたシャッター」
水無瀬さんだった。
電話は、つながったままだった。
「あと、三メートル。止まって。……シャッターの隣の、人用の小さい扉から、入ってください」
「分かりました」
車を止めた。時計は、午後五時十分。
卵が孵るまで、あと、五時間だった。
◇
倉庫は、もとは、町工場だったらしい。
天井が低く、床にコンクリートの油染みが、残っていた。
奥の壁に、鉄の扉が、一枚。
上半分だけ、磨りガラスになっている。向こうに、人の影が、ぼんやり、見えた。
背は、高くない。長い髪を、後ろでまとめている。
影は、動かなかった。
扉の脇の壁に、腰の高さの、四角い開口があった。そこから床まで、ローラーの滑り台が、斜めに、伸びている。
扉の向こうは、荷捌き室と、冷凍庫、それに事務所だという。
「荷物は、その開口から、出します」
扉の向こうから、直接、声が聞こえた。
「水無瀬さん、ですか」
「はい」
「顔を、見せては、もらえませんか」
「お断りします」
即答だった。
「荷物の運搬に、顔は、要りません」
「そうですか」
「はい」
それ以上は、言えなかった。
影が、少しだけ、動いた。
開口の向こうで、何かを置く音がした。
最初の箱が、ごろごろ、ローラーを滑ってきた。
木箱だった。一箱、二十五キロ。
側面に、焼き印があった。
『第41層』
喉の奥が、乾いた。
「その箱が、六十あります」
扉の向こうから、水無瀬さんが言った。
「冷凍庫の中は、マイナス三度。全部、同じ焼き印です。一箱に、五十個。三千個です」
伝票も、箱も、隠す気がなかった。隠せると、思っていたのだろう。
「積載量は」
「三百五十キロ。十四箱です」
「五往復で、足ります。運び先は、前に使った、大井の低温倉庫。第三庫が、まだ、空いています」
「予約は」
「してあります」
淡々と、言った。
「あなたが、ここに、来る前から」
笑いそうになった。
笑えなかった。
◇
シャッターが、上がった。
紺の上着が、逆光の中に、立っていた。
真柴さんだった。
「遅くなった」
息が、荒かった。
「電車を、二回、乗り換えた」
「調査隊は」
「抜けてきた。ギルドの許可は、取ってない」
「始末書が」
「五枚目」
真柴さんは、倉庫の中を、見回した。
木箱を、見た。
焼き印を、見た。
それから、鉄の扉の向こうの、影を、見た。
「その声の人、ここにいんの?」
「います」
扉の向こうから、水無瀬さんが、答えた。
「見ないでください」
「なんで」
「顔は、運搬に、要りません」
「あんた、本当に、それしか言わないね」
「合理的ですので」
真柴さんは、鼻で、笑った。
「ま、いいや。ギルドの規則で言うと、孵りかけた卵は、素材じゃなくて、駆除対象。駆除対象の移送は、ギルドの権限。あんたの車を、今から、借りる」
「許可制は」
「素材じゃないから、関係ない」
真柴さんは、荷台の扉を、開けた。
「積んで」
屁理屈だった。
けれど、今夜は、それが、必要だった。
荷台の冷凍ユニットを、最大にした。
前から回してあった。庫内は、マイナス二十度。
木箱は、床に、二列。隙間には、毛布を詰めた。ベルトは、四本。前後に二本ずつ。
一箱、二十五キロ。十四箱で、三百五十キロ。
ちょうど、だった。
余りは、ない。
真柴さんが、荷台の隅から、言った。
「二キロも、余ってないね」
「余っていません」
「ぎりぎり」
「ぎりぎりです」
「怖くない?」
「怖いです」
真柴さんは、少し、黙った。
それから、静かに、言った。
「……珍しいね。素直に言うの」
「今日は、そう言いたい日でした」
最初の便は、午後五時四十分に、出た。
◇
大井の倉庫まで、片道、二十分。
往復、四十分。荷降ろしと荷積みで、さらに、十分。
一往復、五十分。
五往復で、四時間半。
卵が孵るのは、午後十時過ぎ。ぎりぎりのはずだった。
三往復目までは、順調だった。
荷降ろしは、低温倉庫の職員が、手伝ってくれた。
四往復目の荷積みが、午後八時半、倉庫で始まった。
開口から、箱が、一つずつ、滑り出てきた。重い箱だ。二十五キロ。細い腕では、きついはずだった。
箱が、ローラーの上を、一つ、また一つ、俺の手元に、届いた。
開口の縁に、白い手袋の指先が、一瞬、見えた。
それだけだった。
「あと、六箱です」
「はい」
「十分で、積み終わります」
「はい」
その時だった。
かつ、と、音がした。
冷凍庫の奥の、木箱の中から。
かつ、かつ、かつ。
「……水無瀬さん」
「聞こえました」
声が、細くなった。
「予定より、早い。冷凍庫の温度が、上がっています。マイナス一度」
「いつ孵りますか」
「分かりません。でも」
その時、ローラーの上の木箱が、割れた。
ぱき、と、板が割れる音。
隙間から、白い卵の殻が、ぽろぽろ、こぼれた。
その後ろから、何かが、這い出てきた。
拳ほどの、青白い、爬虫類のような生き物。四本の足。
目は、赤かった。
そして、牙が、異様に、長かった。
一匹。二匹。
三匹。
「真柴さん!」
叫んだ時には、真柴さんの剣が、動いていた。
一匹が、宙で、割れた。
二匹目が、床を蹴って、跳んだ。
真柴さんの左腕に、牙が、食い込んだ。
「っ……!」
真柴さんは、そのまま、剣を、右手に持ち替えた。
三匹目が、俺の背中に、飛びかかってきた。
牙が、肩に、届く寸前だった。
真柴さんの剣が、俺の頭の横を、通った。
三匹目が、床に落ちた。
静かになった。
「……左腕」
真柴さんは、自分の左腕を、見た。
牙の痕から、赤黒いものが、流れていた。腕が、だらりと、垂れている。
「動かない」
「毒ですか」
「麻痺。……左腕、呪われてんのかな」
笑おうとして、唇が、引きつった。
「あと、どのくらい」
「分かりません。でも」
扉の向こうから、水無瀬さんの声が、した。
短く、鋭い声だった。
「冷凍庫の中の、箱が、全部、割れ始めています。三千個、同時です」
「全部」
「早坂さん。早く、荷台に積める分だけ、積んで、出てください」
「水無瀬さんは」
「私は」
一拍、あった。
「冷凍庫の扉を、閉めます」
「何を」
「幼体は、低温に弱い。マイナス十度以下なら、動けなくなります。冷凍庫の温度を、最低まで、下げます。予備電源で」
「それでは」
「扉を、外から、閉めきります。幼体を、中に、閉じ込めます」
真柴さんが、息を呑んだ。
「あんた、中に」
「いえ。私は、荷捌き室にいます。冷凍庫の扉は、こちら側から、閉まります。……内側には、誰も、入りません」
「でも、もう出てきたやつは」
「そちらは、真柴さんが、倒しました。残りは、全部、庫内です」
水無瀬さんの声は、落ち着いていた。
「ここは、私の、持ち場です」
鉄の扉の向こうで、重いものが、動く音が、した。
どん、と、冷凍庫の扉が、閉まった。
続いて、低い機械音。冷凍機が、最大で、回り始めた。
庫内から、爪が、扉を、引っかく音が、聞こえた。
数百、数千の、小さな爪の音。
それが、少しずつ、遅くなった。
三分後、止まった。
「……温度、マイナス十二度。動きは、止まりました」
水無瀬さんが、小さく、息を吐いた。
「今の、一番近い、荷物を、持っていってください」
荷台に、六箱を、積み込んだ。
積み終わったとき、真柴さんが、運転席の窓を、叩いた。
「早く、乗って」
「真柴さんは」
「助手席」
顔が、真っ青だった。
「揺らさないで」
「はい」
「頼むよ」
背中に、小さく、笑う声が、聞こえた気がした。
◇
路地の入口で、黒いワゴンが、二台、止まっていた。
ヘッドライトが、点いていた。
車の影から、男たちが、降りてきた。
六人。黒いスーツ。
その中心に、一人、背筋の伸びた男が、立っていた。
五十代前半。静かな目。
画面の向こうで、見た顔だった。
「早坂さん」
鷲尾だった。
男は、軽バンの運転席の窓に、近づいてきた。
「夜分に、失礼します」
「鷲尾本部長」
「この倉庫の荷物は、当社の財産です。お持ち出しになると、窃盗にあたります」
「危険物です。三千個の卵が」
「存じています。……だから、当社の社員が、対処します」
鷲尾は、倉庫のほうを、見た。
鉄の扉が、まだ、閉まっていた。
「水無瀬」
鷲尾が、静かに、呼んだ。
「そこに、いますね。出てきなさい」
鉄の扉の向こうで、影が、動かなくなった。
イヤホンから、水無瀬さんの、小さな息が、聞こえた。
「……鷲尾、さん」
その声は、いつもの、低くて早い声ではなかった。
ひどく、細かった。
鷲尾は、微笑んだ。
「やはり、あなたでしたか」
男たちが、倉庫の中へ、歩き出した。
鉄の扉が、内側から、閉ざされた。
鍵の、かかる音が、した。
鷲尾は、それを、見て、静かに言った。
「出てきなさい、水無瀬。逃げても、無駄です」
助手席で、真柴さんが、剣の柄に、右手を、かけた。
俺は、ハンドルを、握りしめた。
左腕の動かない人と、荷台の六箱と、扉の向こうの、一人。
誰を、先に、助けるのか。
その問いが、車の中に、重く、沈んだ。
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