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15/30

揺らすと孵る

 翌朝、助手席には、約束どおり、真柴さんがいた。

 紺の上着。腰に、短い剣。脇腹のテープは、まだ、取れていないらしい。

「始末書、どうなった」

「顛末書に、格上げされた」

「格上げ」

「始末書は、軽い。顛末書は、重い。私、昇進したんだよ」

「おめでとうございます」

「めでたくない」

 真柴さんは、シートベルトを締めて、フロントガラスを、にらんだ。

「で、昨日の、道路」

「はい」

「ギルドにも、報告が上がってる。都内で、七か所、同時に、盛り上がった。新宿の周りだけ。全部、地面が、温かい」

「七か所」

「今日、調査隊が、入る。私にも、声がかかった」

「傷病休暇では」

「ギルドは、人手が足りない時だけ、休暇を忘れる」

 真柴さんは、肩をすくめた。

「行ってくる。あんたは、配達を続けて」

「送ります」

「いい。電車で行く」

「電車は、吐きませんか」

「やめろ」

 真柴さんは、車を降りた。

 歩いていく背中が、角を曲がって、見えなくなった。

 助手席が、空いた。

 その空き方に、少し、慣れていない自分に、気がついた。


         ◇


 午前中の配達は、順調だった。

 大野さんの名簿から、また、二か所。紙おむつと、缶詰と、湿布薬。

 三か所目の、住宅街の裏道で、携帯電話が、鳴った。

 真柴さんだった。

「今、どこ」

「配達中です」

「私は、排水路の、中」

「排水路」

「新宿の、西口の下。調査隊の、入口が、そこなんだよ」

 声が、反響していた。水が、滴る音も、聞こえた。

「臭いが、ひどい」

「吐きましたか」

「吐いてない!」

「車でなくても、臭いで」

「吐いてないって。……それより」

 声が、低くなった。

「卵が、ある」

 ハンドルを、持ち直した。

「卵」

「排水路の、枝管の、奥。ぎっしり。白くて、拳くらいの。数えきれない」

「どのくらい」

「見える範囲だけで、二百。奥は、もっと」

「並び方は」

「並び方?」

「バラバラですか。それとも」

「……ちょっと待って」

 足音が、遠ざかった。それから、戻ってきた。

「揃ってる。縦と横。きれいな、格子」

 背中が、冷たくなった。

「温度は」

「ぬるい。人の肌くらい」

「触りましたか」

「触ってない。でも、調査隊の一人が、触った」

「どうなりました」

「動いた。中で。……光ってる」

「触らないでください」

 自分の声が、尖っていた。

「温度も、揺れも、卵を孵します。持ち出すのは、やめてください。今のまま、動かさずに」

「調査隊は、サンプルを、持ち帰ろうとしてる」

「やめさせてください」

「私に、そんな権限、ない」

「では」

 一拍、置いた。

「専門の人に、聞きます」

「誰」

「ご存じのかもしれない、人です」

 財布を、取り出した。

 免許証の隣に、折れた名刺が、一枚。


         ◇


 路肩に、車を止めた。

 名刺の番号を、押した。

 四回、呼び出し音が、鳴った。

「はい。加納防除サービスです」

 穏やかな、男の声だった。

 少し、眠そうでもあった。

「突然、すみません。早坂と申します。朝霧団地の、平井さんから、お名刺を」

「平井さん。ああ、お元気ですか。去年の、地下倉庫の」

「お元気です。ご紹介で」

「そうですか。それで、ご用件は。虫、ですか」

「虫ではなく、卵の、相談です」

「卵」

 声が、少し、変わった。

「どんな卵でしょう」

「迷宮の、卵です。白くて、拳くらいで、排水路に、二百以上。縦と横が、格子状に、並んでいます」

「格子」

 電話の向こうで、紙の音が、した。

「写真は」

「ありません」

「温度は」

「人の肌くらい。触ると、中で動くと」

「光っていますか」

「はい」

 加納さんは、少し、黙った。

「卵は、温めても、揺らしても、孵ります」

 落ち着いた声が、続いた。

「だから、いちばん安全なのは、何もしないことです。今の場所で、そのまま、冷やさず、温めず、揺らさずに」

「調査隊が、持ち出そうとしています」

「止めてください。持ち出すと、孵ります。運ぶなら、揺らさない人が、運ぶしかありません」

「揺らさない人」

「どちらの、業者さんでしょうか」

「軽貨物です」

「軽貨物」

「はい」

「……うちと、同じくらい、儲かってなさそうですね」

「そうですね」

「失礼しました」

 加納さんの声に、少しだけ、笑いが混じった。

 それから、真面目な声に、戻った。

「それと、もう一つ。数が多いときは」

「はい」

「置いた人が、います」

 喉が、鳴った。

「自然の産卵は、ひと所に、数十個が限度です。二百を超えて、しかも格子状に並んでいるなら、誰かが、運んで、並べました」

「誰が、何のために」

「それは、分かりません。ただ」

 加納さんは、静かに言った。

「その卵は、深いところから、来たものです。浅い層の卵とは、孵る速さが、違う」

 名刺の、折れた角を、指でなぞった。

「深いところ」

「迷宮の、下のほうです。よほど深くまで、潜らないと、手に入らない」

「ありがとうございます」

「いえ。……早坂さん」

「はい」

「お気をつけて。卵は、孵ると、自分から、動き出しますので」

 電話は、静かに、切れた。


 その足で、真柴さんに、折り返した。

「分かりました。持ち出さないで、現場を封鎖してください。誰かが、人の手で、置いた卵です」

「誰かが、置いた?」

「はい」

「何のために」

「分かりません。でも、深い層のものだそうです」

「深い」

 真柴さんは、息を、呑んだ。

「……41層」

「分かりません」

「分かんないけど、そう思ってるでしょ」

「はい」

「調査隊に、言ってくる」

 電話が、切れた。


         ◇


 午後四時を過ぎたころだった。

 最後の配達先を出て、軽バンに戻った。

 運転席に座ったとき、携帯電話が、鳴った。

 画面に、知らない番号が、出た。

 出た。

「……早坂さん」

 低くて、早い声だった。

 四日ぶりに、聞いた。

「水無瀬さん」

「無線が、使えないので、電話をしました。この番号は、個人の携帯です」

「どうして、私の番号を」

「登録の書類に、書いてありました」

 声が、少し、速かった。

「今、倉庫にいます。路地裏の、古い倉庫です。異動で、荷役をしています」

「はい」

「倉庫の、一番奥に、冷凍庫があります。使っていない、と、聞いていました。今日、荷物を探して、中を、開けました」

 息を、吸う音が、聞こえた。

「卵が、ありました」

 背中が、冷たくなった。

「三千個です」

 俺は、携帯を、強く握った。

「深層の、卵です。伝票は、全部、第41層。冷凍庫は、冷凍機を回して、マイナス十五度で、保存されていました」

「保存」

「誰かが、わざわざ、凍らせていたんです」

「それが」

「一時間前、冷凍機が、止まりました」

 声が、少し、震えた。

「誰かが、止めたのか、故障なのか、分かりません。ただ、温度が、上がり始めています」

「どのくらいで」

「このままだと、六時間後に、孵ります」

 六時間。

 時計を、見た。午後四時十二分。

「もう一つ」

「はい」

「あの夜、早坂さんの角の位置を、照会した端末の持ち主を、確認しました」

「誰ですか」

「倉庫長の、久米です。この倉庫の、責任者です」

 喉が、乾いた。

「その久米が、今朝、鍵を持って、出ていきました。それきり、戻りません」

 水無瀬さんは、一度、言葉を、切った。

「私は、一人です。倉庫に、他の社員は、いません」

 声が、細くなっていた。

「冷凍機の、予備の電源は、あります。でも、三千個は、ここから、動かせない。大型トラックは、路地に、入れません。軽バンでないと」

 それ以上は、言わなかった。

 言わなくても、分かった。

「水無瀬さん」

「はい」

「住所を、教えてください」

 紙に、書き取った。

 それから、聞いた。

「私の車で、運べますか」

「……運べるのは、早坂さんだけです」

 声が、一瞬、止まった。

「助けてください」

 その言葉を、水無瀬さんの口から、聞いたのは、初めてだった。

 俺は、エンジンを、かけた。

 アクセルを、踏んだ。

 踏み方は、いつもと、同じだった。

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