揺らすと孵る
翌朝、助手席には、約束どおり、真柴さんがいた。
紺の上着。腰に、短い剣。脇腹のテープは、まだ、取れていないらしい。
「始末書、どうなった」
「顛末書に、格上げされた」
「格上げ」
「始末書は、軽い。顛末書は、重い。私、昇進したんだよ」
「おめでとうございます」
「めでたくない」
真柴さんは、シートベルトを締めて、フロントガラスを、にらんだ。
「で、昨日の、道路」
「はい」
「ギルドにも、報告が上がってる。都内で、七か所、同時に、盛り上がった。新宿の周りだけ。全部、地面が、温かい」
「七か所」
「今日、調査隊が、入る。私にも、声がかかった」
「傷病休暇では」
「ギルドは、人手が足りない時だけ、休暇を忘れる」
真柴さんは、肩をすくめた。
「行ってくる。あんたは、配達を続けて」
「送ります」
「いい。電車で行く」
「電車は、吐きませんか」
「やめろ」
真柴さんは、車を降りた。
歩いていく背中が、角を曲がって、見えなくなった。
助手席が、空いた。
その空き方に、少し、慣れていない自分に、気がついた。
◇
午前中の配達は、順調だった。
大野さんの名簿から、また、二か所。紙おむつと、缶詰と、湿布薬。
三か所目の、住宅街の裏道で、携帯電話が、鳴った。
真柴さんだった。
「今、どこ」
「配達中です」
「私は、排水路の、中」
「排水路」
「新宿の、西口の下。調査隊の、入口が、そこなんだよ」
声が、反響していた。水が、滴る音も、聞こえた。
「臭いが、ひどい」
「吐きましたか」
「吐いてない!」
「車でなくても、臭いで」
「吐いてないって。……それより」
声が、低くなった。
「卵が、ある」
ハンドルを、持ち直した。
「卵」
「排水路の、枝管の、奥。ぎっしり。白くて、拳くらいの。数えきれない」
「どのくらい」
「見える範囲だけで、二百。奥は、もっと」
「並び方は」
「並び方?」
「バラバラですか。それとも」
「……ちょっと待って」
足音が、遠ざかった。それから、戻ってきた。
「揃ってる。縦と横。きれいな、格子」
背中が、冷たくなった。
「温度は」
「ぬるい。人の肌くらい」
「触りましたか」
「触ってない。でも、調査隊の一人が、触った」
「どうなりました」
「動いた。中で。……光ってる」
「触らないでください」
自分の声が、尖っていた。
「温度も、揺れも、卵を孵します。持ち出すのは、やめてください。今のまま、動かさずに」
「調査隊は、サンプルを、持ち帰ろうとしてる」
「やめさせてください」
「私に、そんな権限、ない」
「では」
一拍、置いた。
「専門の人に、聞きます」
「誰」
「ご存じのかもしれない、人です」
財布を、取り出した。
免許証の隣に、折れた名刺が、一枚。
◇
路肩に、車を止めた。
名刺の番号を、押した。
四回、呼び出し音が、鳴った。
「はい。加納防除サービスです」
穏やかな、男の声だった。
少し、眠そうでもあった。
「突然、すみません。早坂と申します。朝霧団地の、平井さんから、お名刺を」
「平井さん。ああ、お元気ですか。去年の、地下倉庫の」
「お元気です。ご紹介で」
「そうですか。それで、ご用件は。虫、ですか」
「虫ではなく、卵の、相談です」
「卵」
声が、少し、変わった。
「どんな卵でしょう」
「迷宮の、卵です。白くて、拳くらいで、排水路に、二百以上。縦と横が、格子状に、並んでいます」
「格子」
電話の向こうで、紙の音が、した。
「写真は」
「ありません」
「温度は」
「人の肌くらい。触ると、中で動くと」
「光っていますか」
「はい」
加納さんは、少し、黙った。
「卵は、温めても、揺らしても、孵ります」
落ち着いた声が、続いた。
「だから、いちばん安全なのは、何もしないことです。今の場所で、そのまま、冷やさず、温めず、揺らさずに」
「調査隊が、持ち出そうとしています」
「止めてください。持ち出すと、孵ります。運ぶなら、揺らさない人が、運ぶしかありません」
「揺らさない人」
「どちらの、業者さんでしょうか」
「軽貨物です」
「軽貨物」
「はい」
「……うちと、同じくらい、儲かってなさそうですね」
「そうですね」
「失礼しました」
加納さんの声に、少しだけ、笑いが混じった。
それから、真面目な声に、戻った。
「それと、もう一つ。数が多いときは」
「はい」
「置いた人が、います」
喉が、鳴った。
「自然の産卵は、ひと所に、数十個が限度です。二百を超えて、しかも格子状に並んでいるなら、誰かが、運んで、並べました」
「誰が、何のために」
「それは、分かりません。ただ」
加納さんは、静かに言った。
「その卵は、深いところから、来たものです。浅い層の卵とは、孵る速さが、違う」
名刺の、折れた角を、指でなぞった。
「深いところ」
「迷宮の、下のほうです。よほど深くまで、潜らないと、手に入らない」
「ありがとうございます」
「いえ。……早坂さん」
「はい」
「お気をつけて。卵は、孵ると、自分から、動き出しますので」
電話は、静かに、切れた。
その足で、真柴さんに、折り返した。
「分かりました。持ち出さないで、現場を封鎖してください。誰かが、人の手で、置いた卵です」
「誰かが、置いた?」
「はい」
「何のために」
「分かりません。でも、深い層のものだそうです」
「深い」
真柴さんは、息を、呑んだ。
「……41層」
「分かりません」
「分かんないけど、そう思ってるでしょ」
「はい」
「調査隊に、言ってくる」
電話が、切れた。
◇
午後四時を過ぎたころだった。
最後の配達先を出て、軽バンに戻った。
運転席に座ったとき、携帯電話が、鳴った。
画面に、知らない番号が、出た。
出た。
「……早坂さん」
低くて、早い声だった。
四日ぶりに、聞いた。
「水無瀬さん」
「無線が、使えないので、電話をしました。この番号は、個人の携帯です」
「どうして、私の番号を」
「登録の書類に、書いてありました」
声が、少し、速かった。
「今、倉庫にいます。路地裏の、古い倉庫です。異動で、荷役をしています」
「はい」
「倉庫の、一番奥に、冷凍庫があります。使っていない、と、聞いていました。今日、荷物を探して、中を、開けました」
息を、吸う音が、聞こえた。
「卵が、ありました」
背中が、冷たくなった。
「三千個です」
俺は、携帯を、強く握った。
「深層の、卵です。伝票は、全部、第41層。冷凍庫は、冷凍機を回して、マイナス十五度で、保存されていました」
「保存」
「誰かが、わざわざ、凍らせていたんです」
「それが」
「一時間前、冷凍機が、止まりました」
声が、少し、震えた。
「誰かが、止めたのか、故障なのか、分かりません。ただ、温度が、上がり始めています」
「どのくらいで」
「このままだと、六時間後に、孵ります」
六時間。
時計を、見た。午後四時十二分。
「もう一つ」
「はい」
「あの夜、早坂さんの角の位置を、照会した端末の持ち主を、確認しました」
「誰ですか」
「倉庫長の、久米です。この倉庫の、責任者です」
喉が、乾いた。
「その久米が、今朝、鍵を持って、出ていきました。それきり、戻りません」
水無瀬さんは、一度、言葉を、切った。
「私は、一人です。倉庫に、他の社員は、いません」
声が、細くなっていた。
「冷凍機の、予備の電源は、あります。でも、三千個は、ここから、動かせない。大型トラックは、路地に、入れません。軽バンでないと」
それ以上は、言わなかった。
言わなくても、分かった。
「水無瀬さん」
「はい」
「住所を、教えてください」
紙に、書き取った。
それから、聞いた。
「私の車で、運べますか」
「……運べるのは、早坂さんだけです」
声が、一瞬、止まった。
「助けてください」
その言葉を、水無瀬さんの口から、聞いたのは、初めてだった。
俺は、エンジンを、かけた。
アクセルを、踏んだ。
踏み方は、いつもと、同じだった。
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