二人で運ぶ
三日間、エンジンをかけないと決めた。
誰に言われたのでもない。自分で決めた。
あの朝から、八日がたっていた。
真柴さんは、予定より早く退院した。全治三週間と言われたのに、十日で、ギルドの前に立っていた。脇腹には、まだ、分厚いテープが貼ってある。紺の上着は、洗濯してあった。
「ばか。三日も休んで、どうすんの」
真柴さんは、軽バンの助手席の窓を、叩いた。
俺は、運転席にいた。エンジンは、切っていた。
「自分で、決めました」
「何を」
「しばらく、運転しません」
「理由は」
「荷物を、壊しました」
「知ってる。聞いた」
真柴さんは、窓の枠に、肘を載せた。
「あんたが壊したのは、荷物じゃないでしょ」
答えられなかった。
「ま、いいや。休みな。その代わり」
真柴さんは、顎で、ダッシュボードの無線機を指した。
「それ、切らないでね」
「どうしてですか」
「聞いてて」
真柴さんは、それだけ言って、自分の携帯電話を、耳に当てた。
真柴さんの携帯には、配車用の通話アプリが入っていた。水無瀬さんが、入れたらしい。その通話は、俺の車の無線にも、流れる設定になっていた。
俺は、無線を切らなかった。
切れなかった、というのが、本当のところだった。
◇
「東亜物流部、水無瀬です」
無線から、水無瀬さんの声が、した。
「真柴さん。小口の急ぎです」
「うん」
「川崎の高架下で、冒険者三名が、魔物の駆除を続けています。止血剤が、切れました。ギルドの支部から、現場まで、六キロ。止血剤は、四本。重さは、四・二キロ」
「車は?」
「現場の手前の道路が、魔物のために、通行止めです。車では、入れません」
「じゃあ」
「自転車と、足です」
真柴さんは、少し黙った。
「……私、免許ないし」
「知っています」
水無瀬さんは、淡々と言った。
「だから、走ってください」
「走るの?」
「自転車が、ギルドの支部に、あります。電動です。そこから先、自転車が通れない場所は、足で」
「傷が」
「痛みますか」
「痛いに、決まってんでしょ」
「では、やめますか」
一拍、あった。
「……やる」
真柴さんは、言った。
「やるよ。あたしが」
俺は、運転席から、動かなかった。
足は、動いた。ペダルを踏みたかった。エンジンをかけたかった。
ハンドルから、手を離して、膝の上に、置いた。
◇
真柴さんは、ギルドの支部から、電動の自転車を借りて、走り出した。
音で、分かった。タイヤが、アスファルトを噛む音。風の音。真柴さんの、荒い息。
水無瀬さんの声が、ひっきりなしに、入った。
「その先、信号を渡って、直進です」
「うん」
「二つ目の角を、右」
「どっちの右」
「あなたの右です」
「今どっち向いてるか、分かんの」
「分かります。GPSで」
「……GPSで、人の向きって分かるの?」
「あなたの端末の、向きセンサーで」
「へえ」
「三十メートル先、左に、緩い坂があります。電動の出力を、あげてください」
「あげた」
「今、あげていません」
「あげたって!」
「ボタンの、上のほうです」
「どれ」
「上のほうです」
「全部、上だよ!」
「一番右です」
真柴さんが、舌打ちをした。
それから、自転車が、少しだけ、加速した。
「……あがった」
「はい」
「あのさ」
「何ですか」
「あんた、今、笑ってない?」
「笑っていません」
「笑ってる」
「笑っていません」
笑い声は、聞こえなかった。
代わりに、水無瀬さんは、続けた。
「次の信号は、赤ですが、横断歩道の端を、歩行者用の押しボタンで、すぐ変えられます。十秒短縮」
「押した」
「はい」
「変わった」
「はい」
「あんた、本当に、知ってんだね」
「配車係です」
「そ」
真柴さんは、少し笑った。
二人の呼吸が、少しずつ、揃っていくのが、無線越しに、分かった。
最初は、真柴さんが、水無瀬さんの言葉を、一つずつ疑った。
水無瀬さんは、真柴さんの返事を、いちいち、冷たく切った。
それが、途中から、変わった。
真柴さんが、言う前に、水無瀬さんが、答えている。
水無瀬さんが、言う前に、真柴さんが、動いている。
俺の知らない、二人の、速さだった。
◇
川崎に入ったところで、水無瀬さんの声が、少し、低くなった。
「真柴さん。その先の路地に、迷宮蜘蛛が、出ます」
「蜘蛛」
「小型です。三、四匹。ゴミ置き場の周りに、群れています。避けられません」
「戦える」
「走らないでください」
「は?」
「走ると、追われます。迷宮蜘蛛は、走るものに反応します。目の前に来ても、歩いてください。一定の速度で、ゴミ置き場の左を」
「目の前に来るんでしょ」
「来ます。でも、歩いてください」
「……蜘蛛の前を、歩くの?」
「はい」
「無理」
「無理でも、です」
真柴さんは、少し黙った。
それから、自転車が、止まった。
真柴さんの、足音が、変わった。
ゆっくり、一定の速度で、歩き出した。
俺は、運転席で、息を止めていた。
水無瀬さんの声が、小さく、続いた。
「左に、五メートル。そこで、止まらず。そのまま、直進」
「……いるよ」
「分かっています」
「目の前、いるよ」
「歩いてください」
「口が、動いてる」
「歩いてください」
「あんた、本当に、知ってんの」
「知っています。五回、同じ場所に、ドライバーを送りました」
「何それ。五人、死んでんじゃ」
「五人とも、生きています。歩いたので」
真柴さんは、一度、深く、息を吐いた。
そして、また、歩いた。
音だけだった。見えなかった。
けれど、真柴さんの足音が、一歩ずつ、蜘蛛の群れを、通り過ぎていく音は、聞こえた。
一歩。
一歩。
ざざ、と、何かが、動く音がした。
真柴さんの、足音が、一瞬、止まった。
それから、剣の抜ける音がした。
「一匹、飛んだ」
「はい」
「斬った」
「はい」
「いってぇ……」
「傷は」
「開いた」
「……はい」
無線が、一瞬、静かになった。
それから、水無瀬さんは、言った。
「二つ先の角に、薬局があります。止血だけ」
「荷物が、先」
「あなたが、倒れたら、荷物が、届きません」
「でも」
「荷物の止血剤を、一本、使ってください。四本のうち、一本は、誤差です。許可は、私が出します」
真柴さんが、息を、止めた。
少し、間があった。
「……あんた、荷物最優先って、言ったじゃん」
「言いました」
「じゃあ」
「優先順位は、状況で、変わります」
水無瀬さんの声は、少しだけ、震えていた。
「あなたが、先です」
真柴さんは、何も言わなかった。
やがて、短い音が、した。
包装が、破れる音だった。
「……使った」
「はい」
「すごい、止まった」
「はい」
「あんたの薬、効くね」
「ギルドの薬です」
「そっか」
真柴さんは、また、歩き出した。
◇
現場に着いたのは、午後一時四十分だった。
高架下に、冒険者が三人、うずくまっていた。二人は、血で、服が染まっていた。
真柴さんが、止血剤を、渡した。三本だった。
「ありがとう。助かった」
「受け取りの」
「ああ」
一人が、サインをした。
真柴さんが、無線に報告した。
「納品、完了」
「受領を、確認しました」
水無瀬さんは、短く答えた。
「……よく、走りました」
真柴さんは、少し笑った。
「走ってないよ。ほとんど、歩いた」
「そうですね」
「ありがとう。あんたの、道」
「道は、早坂さんのほうが、上手です」
「それは、別の話」
「……そうですね」
「あんたの道、悪くない」
無線の向こうで、水無瀬さんが、何か言いかけた。
言葉には、ならなかった。
真柴さんは、帰りの自転車を、ゆっくり漕いで、戻ってきた。
軽バンの窓を、叩いた。
「ただいま」
「……お疲れさまでした」
「聞いてた?」
「はい」
「どうだった」
俺は、少し、考えた。
「二人とも、うまかったです」
「でしょ」
真柴さんは、笑った。
笑いながら、少し、顔を歪めた。
「あんたがいなくても、運べたよ」
「はい」
「だから、ゆっくり、休みな」
それは、優しい言葉だった。
優しい言葉は、ときどき、少しだけ、痛い。
◇
真柴さんが、ギルドの中へ、報告に入ったあと、無線が、また、鳴った。
「早坂さん。聞いていますか」
「はい」
「少し、お時間を」
水無瀬さんの声が、いつもと、違っていた。
「先ほどの配送のあいだ、並行して、倉庫の古い伝票の整理を、していました。月末の棚卸しです」
「はい」
「その中に、一枚、見つけました」
紙をめくる音が、した。
「日付は、先月。品目は、竜心臓、十二個。採掘場所の欄に」
声が、そこで、一度、止まった。
「新宿迷宮、第四十一層、と書いてあります」
背中が、冷たくなった。
「東亜の採掘は、全部、第四十層までの許可だったはずです」
「その伝票は」
「写真を、撮りました」
「承認者の、欄は」
「空欄です」
水無瀬さんは、静かに言った。
「誰も、承認していません。誰かが、勝手に、掘っています」
窓の外では、夕方の光が、ギルドの建物を、橙色に染めていた。
俺は、ハンドルから、手を離した。
その手が、小さく、震えていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマークと、ページ下の「評価」の★で応援していただけると、次の荷物を運ぶ励みになります。




