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11/30

二人で運ぶ

 三日間、エンジンをかけないと決めた。

 誰に言われたのでもない。自分で決めた。

 あの朝から、八日がたっていた。

 真柴さんは、予定より早く退院した。全治三週間と言われたのに、十日で、ギルドの前に立っていた。脇腹には、まだ、分厚いテープが貼ってある。紺の上着は、洗濯してあった。

「ばか。三日も休んで、どうすんの」

 真柴さんは、軽バンの助手席の窓を、叩いた。

 俺は、運転席にいた。エンジンは、切っていた。

「自分で、決めました」

「何を」

「しばらく、運転しません」

「理由は」

「荷物を、壊しました」

「知ってる。聞いた」

 真柴さんは、窓の枠に、肘を載せた。

「あんたが壊したのは、荷物じゃないでしょ」

 答えられなかった。

「ま、いいや。休みな。その代わり」

 真柴さんは、顎で、ダッシュボードの無線機を指した。

「それ、切らないでね」

「どうしてですか」

「聞いてて」

 真柴さんは、それだけ言って、自分の携帯電話を、耳に当てた。

 真柴さんの携帯には、配車用の通話アプリが入っていた。水無瀬さんが、入れたらしい。その通話は、俺の車の無線にも、流れる設定になっていた。

 俺は、無線を切らなかった。

 切れなかった、というのが、本当のところだった。


         ◇


「東亜物流部、水無瀬です」

 無線から、水無瀬さんの声が、した。

「真柴さん。小口の急ぎです」

「うん」

「川崎の高架下で、冒険者三名が、魔物の駆除を続けています。止血剤が、切れました。ギルドの支部から、現場まで、六キロ。止血剤は、四本。重さは、四・二キロ」

「車は?」

「現場の手前の道路が、魔物のために、通行止めです。車では、入れません」

「じゃあ」

「自転車と、足です」

 真柴さんは、少し黙った。

「……私、免許ないし」

「知っています」

 水無瀬さんは、淡々と言った。

「だから、走ってください」

「走るの?」

「自転車が、ギルドの支部に、あります。電動です。そこから先、自転車が通れない場所は、足で」

「傷が」

「痛みますか」

「痛いに、決まってんでしょ」

「では、やめますか」

 一拍、あった。

「……やる」

 真柴さんは、言った。

「やるよ。あたしが」

 俺は、運転席から、動かなかった。

 足は、動いた。ペダルを踏みたかった。エンジンをかけたかった。

 ハンドルから、手を離して、膝の上に、置いた。


         ◇


 真柴さんは、ギルドの支部から、電動の自転車を借りて、走り出した。

 音で、分かった。タイヤが、アスファルトを噛む音。風の音。真柴さんの、荒い息。

 水無瀬さんの声が、ひっきりなしに、入った。

「その先、信号を渡って、直進です」

「うん」

「二つ目の角を、右」

「どっちの右」

「あなたの右です」

「今どっち向いてるか、分かんの」

「分かります。GPSで」

「……GPSで、人の向きって分かるの?」

「あなたの端末の、向きセンサーで」

「へえ」

「三十メートル先、左に、緩い坂があります。電動の出力を、あげてください」

「あげた」

「今、あげていません」

「あげたって!」

「ボタンの、上のほうです」

「どれ」

「上のほうです」

「全部、上だよ!」

「一番右です」

 真柴さんが、舌打ちをした。

 それから、自転車が、少しだけ、加速した。

「……あがった」

「はい」

「あのさ」

「何ですか」

「あんた、今、笑ってない?」

「笑っていません」

「笑ってる」

「笑っていません」

 笑い声は、聞こえなかった。

 代わりに、水無瀬さんは、続けた。

「次の信号は、赤ですが、横断歩道の端を、歩行者用の押しボタンで、すぐ変えられます。十秒短縮」

「押した」

「はい」

「変わった」

「はい」

「あんた、本当に、知ってんだね」

「配車係です」

「そ」

 真柴さんは、少し笑った。

 二人の呼吸が、少しずつ、揃っていくのが、無線越しに、分かった。

 最初は、真柴さんが、水無瀬さんの言葉を、一つずつ疑った。

 水無瀬さんは、真柴さんの返事を、いちいち、冷たく切った。

 それが、途中から、変わった。

 真柴さんが、言う前に、水無瀬さんが、答えている。

 水無瀬さんが、言う前に、真柴さんが、動いている。

 俺の知らない、二人の、速さだった。


         ◇


 川崎に入ったところで、水無瀬さんの声が、少し、低くなった。

「真柴さん。その先の路地に、迷宮蜘蛛が、出ます」

「蜘蛛」

「小型です。三、四匹。ゴミ置き場の周りに、群れています。避けられません」

「戦える」

「走らないでください」

「は?」

「走ると、追われます。迷宮蜘蛛は、走るものに反応します。目の前に来ても、歩いてください。一定の速度で、ゴミ置き場の左を」

「目の前に来るんでしょ」

「来ます。でも、歩いてください」

「……蜘蛛の前を、歩くの?」

「はい」

「無理」

「無理でも、です」

 真柴さんは、少し黙った。

 それから、自転車が、止まった。

 真柴さんの、足音が、変わった。

 ゆっくり、一定の速度で、歩き出した。

 俺は、運転席で、息を止めていた。

 水無瀬さんの声が、小さく、続いた。

「左に、五メートル。そこで、止まらず。そのまま、直進」

「……いるよ」

「分かっています」

「目の前、いるよ」

「歩いてください」

「口が、動いてる」

「歩いてください」

「あんた、本当に、知ってんの」

「知っています。五回、同じ場所に、ドライバーを送りました」

「何それ。五人、死んでんじゃ」

「五人とも、生きています。歩いたので」

 真柴さんは、一度、深く、息を吐いた。

 そして、また、歩いた。

 音だけだった。見えなかった。

 けれど、真柴さんの足音が、一歩ずつ、蜘蛛の群れを、通り過ぎていく音は、聞こえた。

 一歩。

 一歩。

 ざざ、と、何かが、動く音がした。

 真柴さんの、足音が、一瞬、止まった。

 それから、剣の抜ける音がした。

「一匹、飛んだ」

「はい」

「斬った」

「はい」

「いってぇ……」

「傷は」

「開いた」

「……はい」

 無線が、一瞬、静かになった。

 それから、水無瀬さんは、言った。

「二つ先の角に、薬局があります。止血だけ」

「荷物が、先」

「あなたが、倒れたら、荷物が、届きません」

「でも」

「荷物の止血剤を、一本、使ってください。四本のうち、一本は、誤差です。許可は、私が出します」

 真柴さんが、息を、止めた。

 少し、間があった。

「……あんた、荷物最優先って、言ったじゃん」

「言いました」

「じゃあ」

「優先順位は、状況で、変わります」

 水無瀬さんの声は、少しだけ、震えていた。

「あなたが、先です」

 真柴さんは、何も言わなかった。

 やがて、短い音が、した。

 包装が、破れる音だった。

「……使った」

「はい」

「すごい、止まった」

「はい」

「あんたの薬、効くね」

「ギルドの薬です」

「そっか」

 真柴さんは、また、歩き出した。


         ◇


 現場に着いたのは、午後一時四十分だった。

 高架下に、冒険者が三人、うずくまっていた。二人は、血で、服が染まっていた。

 真柴さんが、止血剤を、渡した。三本だった。

「ありがとう。助かった」

「受け取りの」

「ああ」

 一人が、サインをした。

 真柴さんが、無線に報告した。

「納品、完了」

「受領を、確認しました」

 水無瀬さんは、短く答えた。

「……よく、走りました」

 真柴さんは、少し笑った。

「走ってないよ。ほとんど、歩いた」

「そうですね」

「ありがとう。あんたの、道」

「道は、早坂さんのほうが、上手です」

「それは、別の話」

「……そうですね」

「あんたの道、悪くない」

 無線の向こうで、水無瀬さんが、何か言いかけた。

 言葉には、ならなかった。

 真柴さんは、帰りの自転車を、ゆっくり漕いで、戻ってきた。

 軽バンの窓を、叩いた。

「ただいま」

「……お疲れさまでした」

「聞いてた?」

「はい」

「どうだった」

 俺は、少し、考えた。

「二人とも、うまかったです」

「でしょ」

 真柴さんは、笑った。

 笑いながら、少し、顔を歪めた。

「あんたがいなくても、運べたよ」

「はい」

「だから、ゆっくり、休みな」

 それは、優しい言葉だった。

 優しい言葉は、ときどき、少しだけ、痛い。


         ◇


 真柴さんが、ギルドの中へ、報告に入ったあと、無線が、また、鳴った。

「早坂さん。聞いていますか」

「はい」

「少し、お時間を」

 水無瀬さんの声が、いつもと、違っていた。

「先ほどの配送のあいだ、並行して、倉庫の古い伝票の整理を、していました。月末の棚卸しです」

「はい」

「その中に、一枚、見つけました」

 紙をめくる音が、した。

「日付は、先月。品目は、竜心臓、十二個。採掘場所の欄に」

 声が、そこで、一度、止まった。

「新宿迷宮、第四十一層、と書いてあります」

 背中が、冷たくなった。

「東亜の採掘は、全部、第四十層までの許可だったはずです」

「その伝票は」

「写真を、撮りました」

「承認者の、欄は」

「空欄です」

 水無瀬さんは、静かに言った。

「誰も、承認していません。誰かが、勝手に、掘っています」

 窓の外では、夕方の光が、ギルドの建物を、橙色に染めていた。

 俺は、ハンドルから、手を離した。

 その手が、小さく、震えていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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