熊撃士は、しつこい女が大嫌い
村井健介は、久々に緊張していた。
目の前、五十メートルほどの距離に、体長150センチほどの熊がいる。
場所は秋田県内、仙北市近郊の山中。
ちょうど周囲が木々に囲まれた、大体百メートル四方の真ん中、開けた場所である。
熊と健介の間には、なんの遮蔽物もない。
ないだけに、余計にマズい状況に置かれていた。
何がマズかったのか?
先ず、今まさにこの時点で、愛用のワジマ式の弾倉が空だということだ。
つい先ほど、別の個体を仕留めるために、撃ち尽くしたばかりだった。
この場に至るまでに、実に二頭のツキノワグマを仕留め、弾倉が空になったのを自覚したところだったのである。
もとより、どんな状況になろうと、弾数のカウントを忘れるような健介ではむろん、ない。
それがなぜ、こうなったのかというと、単純にタイミングが悪かったと云える。
(まさに、最悪のタイミングだな)
もはや健介も、苦笑するしかない状態だった。
ちょうど弾倉を交換しようとした、マガジン・リリースのレバーに左手を伸ばしたその時、あの場所に熊が躍り出たものである。
しかも悪いことに、この日健介が所持していたのは通常弾のみであり、爆薬弾頭の「フラッグ弾」ではなかった。
狩り場がヒグマ相手の北海道内ならば、フラッグ弾を携行していたところだが、ここは秋田であり、相手もツキノワグマである。
それ故に、一頭目は三発の発砲のみで比較的容易に仕留めたものの、二頭目に手こずらされ、実に健介らしくないことに十発の弾丸を要していた。
そして、三頭目を発見して追いかけ、逃げ込まれた森林が、この開けた場所の先にあったのである。
ここだとばかりに健介が弾倉を交換しようとした、まさにその時だったのだ、熊が飛び出したのも。
弾切れを悟られたのか、そこを狙われたのか、はたまた熊の気まぐれによる偶然か、それは分からない。
いずれにしても、健介はこれで、弾倉を簡単に交換するわけには行かなくなった。
弾倉を交換しようとなどすれば、その時点で弾切れを自らアピールすることになってしまう。
そうと分かれば、百メートルを五、六秒で走る彼らがその隙を逃すはずなどない。
その瞬間に、牙を剝いて襲いかかるはずだった。
熊は、本来利口な生き物である。
学習能力が高く、一度経験したことは決して忘れない。
時には、人間のずっと先を行く計算をして見せたりする。
つまり、我々人間より、遥かに利口なのだ。
そんな生物が、健介の僅かな隙を見逃すはずがなかった。
もう一つ、ここでマズかった理由、それは何かというと、今この場に、頼りになる相方が不在だということだった。
そう、前野高陽がいなかったのである。
その高陽はと言えば、知り合いの熊狩士・福山正和を見舞うため、三日前から和歌山に出かけていた。
「多分だが、戻るのは来週になる」
そう言って出かけた限りは、本当にそうだろう。
高陽は予定を、適当な見積もりでなど絶対に言わない。
口に出した以上は、必ずその通りにする。
自分の言葉には責任を持っている男なので、出来ることしか言わないし、出来ないことは口にしなかった。
そのことは、健介とてよく知っている。
だからと言う訳では無いが、健介はまだ、ワジマ式の銃口を前方の熊から外さずにいた。
もしも未だ、弾切れを悟られていなかった場合に、そうさせないためだった。
むろん、ハッタリにしかならない。
しかし、そうするしか手がなかった。
今この場に高陽がいれば、即、フォローに入ってくれたことだっただろう。
いつもは、そうやって互いを援護し合う、だからこそ頼りになる相方だったのだ。
だが、その高陽は今日はいない。
(さて、どうする?どうすりゃ、いい?!)
健介の弾倉交換は、十分、早業と云える。
訓練された兵士は戦場でも、もののコンマ数秒でこれを行うという。
健介も、このレベルに十分に既に達してはいるのだが、問題は熊との距離にあった。
ヒグマにしろツキノワグマにしろ、五十メートルという距離など、あってないようなものである。
予備弾倉を引き抜く際、衣類やポーチの端に僅かでも引っかけたりしたら、致命的と云えた。
その僅かなタイムラグが、そのまま決定的な敗北につながることになる。
こと、熊を相手にした場合には、そこまで計算する必要があった。
空の弾倉をリリースし、素早く予備弾倉を引き抜いてかつ、薬室に初弾を送り込むまでを一切淀みなく、やらねばならない。
しかも、百の距離を一瞬でゼロにする熊という生物が、獰猛に突進してくる状況でだ。
氷のような冷静さと、熟練の射撃術、さらに思い切りの良い度胸、タイミングを見切る間の取り方の妙の全てが要求された。
ここで、健介はふと気づいた。
今日のこの日、ワジマ式の弾丸は通常弾しか所持してはいなかったが、その代わりに、別の弾丸を携行してきていたことに、である。
いや、正確に言えば弾丸だけではなかった。
その弾丸を込めて使用する、銃火器ももちろん、携行して来ている。
弾丸は、普通の357マグナム弾であった。
しかし、そのマグナム弾を込めているのは、コルト社やS&W社製の回転式拳銃でも、デザートイーグルのような自動式拳銃でもない。
何か。
それは、軽機関銃ではないのだが、マグナム弾を秒速で連射出来る軽機関銃。
そう、云わば、大口径機関銃とでも言うべき代物だった。
名称、ワジマ式M−5X。
つい一月ほど前、ある輪島秦重工業の関係者の知り合いを通して手に入れた銃だ。
ショットガンのワジマ式とは、当然飛距離やら使用場面が異なるが、携帯の簡易さから間違いなくより近接戦闘や屋外戦に向いている。
健介はこれを、ワルサーに代わる狩猟現場での支援用火器にしようと考えていた。
(あれを使うか・・・・!)
決断した後は早かった。
健介は、前方の熊に銃口を向けたままのワジマ式を、その場に捨てるように落とした。
言うまでもないが、故意と、である。
罠と知りつつ、熊がこの隙を見逃すはずがないと読んだ上での、健介の狡猾な誘いだった。
そしてその読みが、当たった。
健介がワジマ式を足元に落とした瞬間。
━━━ガウフウウゥっ━━━━
気合いのような吠え声とともに、ツキノワグマが突進してきたからだ。
狙い、違わず。
健介の右手がいつもの如く、電光石火の閃きを見せた。
但し、伸びたのは懐に、ではない。
いつも左腋下にあるワルサーにではなかった。
伸びた先は、右の後ろ腰。
そこにやや、大振りの軽機関銃のような銃火器が括り付けるように携帯してあった。
それはM−5X、マグナマシンガン。
グリップに手がかかるや引き抜き、健介はそのまま腰だめに構えた。
同時に、左手を添える。
初めて健介の手で日の目を見たそれは、ひどく武骨なデザインだった。
例えて言うなら、デザートイーグルとベレッタをかけ合わせたような外観。
マグナムを撃てるように設計されたらしい、太い砲身の下には、ゴツい重りのようなハンドグリップが、トリガーガードと一体化したように伸びている。
どうやら、レーザーサイトも内蔵されているようだ。
さすがにワルサーよりも大きく重いだけあって、健介と言えども抜き打ちが僅かに鈍ったらしい。
そのタイムラグの分だけ、熊がより、健介に肉薄していた。
だが、それも健介の計算の内だった。
むしろ、相手を出来るだけ引きつけ、近接距離で撃ってこそ効果があるからである。
(近くまで来てくれるのは、ウエルカム、なのさ)
通常時のワルサーだったなら、両手を伸ばして顔の前で構えたところだが、マグナマシンガンは腰だめである。
後ろ腰からだと、この方が早いからなのは言うまでもあるまい。
その、文字通り腰に据えたマグナマシンガンの引金を、健介が引き絞る。
ドドゴん、ドドゴん、ドドゴォん。
立て続け、三連射を三度。
強烈、どころの反動ではなかった。
健介ほどの銃器取り扱いのプロをしても、完全に抑え込めない。
何しろ一発撃つのですら銃口が跳ね上がるマグナム弾を、秒速何十発の速さで連射するのだから当然と云える。
先ず、健介が反動に堪えきれず、思わず右足を一歩後退らされた。
のみならず、それでも健介の全身が一瞬、宙に浮いたように見えた。
途端に、健介の地面を踏ん張った両足が、きれいな足形を残すように深く、地に沈み込んだものである。
山中の柔らかい土とはいえ、かなり踏み固められた地面だったにも関わらずであった。
こんな銃を全自動で撃ったりしたら、間違いなく両肩とも脱臼するか、悪くすれば両腕とも骨折するだろう。
それが分かりきっていたからこそ、健介は腰だめで三連射にしたのだった。
しかも、これでも使いえたのは健介だからこそで、並の射撃手ではまともに一度発砲することさえ難しいに違いない。
それこそ、吹っ飛ばされるか、銃が手から飛んで行くか、どちらかのはずだった。
だが、果たして健介の三度の三連射は、クマに確実でかつ絶大なダメージを与えていた。
ツキノワグマの頭部は原型を留めないほど、吹き飛んでいたのである。
最初の三連射は、熊の頭部の右側を削り、二射目は左側を同じく。
そして三射目が、熊の口腔内を捉えたらしく、ほとんど頭部を吹き飛ばしたのだった。
357マグナム弾とはいえ、熊相手に一発ずつだったら、さほどのダメージは与え得なかっただろう。
しかし、マグナム弾の三連射である。
間髪入れず、ほぼ同部分への集中砲火なら、如何に熊に対してであろうと高い効果が見込める。
輪島秦重工業の技術陣が開発にあたり、狙ったのはそこだった。
果たせるかな、開発陣のものか、そこを読み取った健介のものだったのか、マグナマシンガンは恐らく両者の期待通り、ツキノワグマを絶命せしめたことになる。
今、健介の目前で、頭部を失った熊の胴体が、それまで頭があった跡から鮮血を吹き上げている。
それは一瞬で、バランスを失った胴体がやがて、どうと音を立てて倒れた。
まだ、鮮血を迸らせたままである。
射程内なら、恐ろしい破壊力を有することの何よりの証明と云えた。
「こりゃあ、たまげたな・・・」
珍しくおどけた調子で、思わず本音を口に出した健介が、まじまじとまだ硝煙を上げている銃身に目をやった。
素直にその威力に、驚いている。
ズシリとした重みのあるそれに、やけに頼もしさを感じながら改めて健介は、ツキノワグマの死骸に視線を移した。
熊は多くの場合、ピクリとも動かない場合はまだ、事切れていないことが多い。
時には不用意に近づいたハンターに、突然襲いかかることさえある。
基本的には人間よりもよほど、狡猾な動物だと云える熊が、四肢をビクリビクリと痙攣させているのは、完全に死んでいることの証明だった。
「・・・とは云え、これだけ敢えて熊に接近を許せる度胸と、使いこなす腕の両方が必要になる、か・・・」
どちらにしても、これを使うのは、あくまで奥の手、最終兵器になる、な。
健介が独りごちた、その瞬間。
バスっ、バスっ、バパスっ!
消音器特有のくぐもった低い射撃音が連続した。
反射的に健介が、地面に伏せる。
マグナマシンガンを抱えながら地を転がる健介の鼻先で抉られた土が舞い上がり、散った埃が視界を奪った。
構わずに転がり続ける健介を追うように、銃声と着弾が連続する。
正確に健介の動きを、追尾していた。
地面の僅かな起伏が、辛うじて銃弾を防ぐ盾と化している。
このままでは、いずれ捕捉られる。
そう直感した健介は、転がりながらマグナマシンガンを握る両腕を前方に伸ばした。
ドドゴん、ドドゴゴンっ!!
重低音のようなマグナム弾の三連射が二度、連続で山間に木霊す。
もとより、的中も必殺も狙ってはいない。
反撃というよりあくまで牽制であり、緊急避難的な銃撃であった。
ほんの少し、でいい。
どこか、身を隠せる場に飛び込む間が取れれば。
どこか執念に似た健介の銃撃は、どうやら効果を得たようだ。
そう言う代わりに、雨のような矢継ぎ早の銃撃が、一瞬止んだ。
その一瞬に、どうにかいつの間にか近づいていた手頃な岩陰。低い灌木が生えたその陰にほとんど、横っ飛びに飛び込んだ健介を追い、銃弾が悔しそうに木の幹で跳ねた。
さらに悔しそうな声が、樹間に響いたのはそのすぐ後。
━━━━さすがだわね、村井健介━━━
(この声は・・・!?)
木々の間で反響し合いながら、若い女の声が聞こえて来た。
健介の方に顔を向けず、恐らく上空に顔を向け天を仰ぐようにして言葉を発しているのだろう。山中でこうすると、声のした方向が分からず、相手に位置を悟らせ辛くする効果があるからである。
そのことを、山歩きに慣れた健介はよく知っていた。
そして、それはこの女も同じはずだっただろう。
間違っても健介の方を向いて口を開かないのが、何よりのその証明だった。樹間と、その間の空に声が跳ね返り、見事な位置取りの妙を見せている。
(さすがは、ゲリラ戦のプロ、だな・・・)
自分の位置を決して悟らせないのは、その基本中の基本と云える。
聞き覚えのある女の声に、即座に浮かんだ顔はその声の主だった。
「・・・ダーティ・マリー、ですね・・」
興梠麻里絵。確信をもってその通り名を口にする。
こちらも、上を向いて叫ぶように、だ。
もはや意味はないだろうが、心得として一応、そうしていた。
もしかすると、この後どこかでこの興梠麻里絵に気取られぬよう、移動出来る可能性があるからである。
すなわち、麻里絵よりも優位に立てるだろう位置に、だ。
━━━そうよ、気に入っていただけたかしら、アタシからのラブサインは━━━━
木々に、空に反響させながら喋っている。
本来なら言うまでもなく、言葉を発するのはゲリラ戦においては厳禁なのだが、故意と声を出している。
敢えてそうすることで敵の撹乱を狙う。
存在を捕捉させず、見当をつけた場所が正しいかどうか、混乱させるのである。
「少しばかり、盛大に過ぎますね、身に余る光栄ではありますが、お釣りをお返ししたいところです」
━━あら、お釣りなんて要らないわよ、だって、スゴいじゃないの、あんなビッグな気持ちを見せてもらえたんだもの━━━
「大したものを、お見せしたつもりはないんですが・・・」
━━━謙遜することないわ、やっぱり、ものは量より質が大事ね。アタシのなんて何発撃っても効果のない豆鉄砲だもの━━━━
麻里絵の声が相変わらず、山間に響いている。
━━━アナタのは、数を何発うっても全て一発でチャラにするのね、ちょっと不公平じゃなくて━━━
「お気に召しませんか」
軽口の応酬の最中でも、健介はジリジリと移動している。
もはや耳ではなく、五感を働かせて気配を探っていた。
━━━いいえ、とっても気に入ったわ━━━
だって、と響いた刹那。
「羨ましいんだもの」
そう言った麻里絵の声が、頭上からした。
「アタシには使いこなせない・・・」
言いかけた麻里絵が、呼吸とともに声を止めていた。
同時に、非情とも聞こえる重低音が山間に轟く。
ドドゴんっ、ドゴンっ!!
麻里絵が美しい顔面を、朱に染めながら吹っ飛ばされた。
形良い額が割れ、鮮血が散る。
ものも言わずに転がり、林の隙間に五肢が消えていった。
「・・・生憎、でしたね」
頭上に向けたままのマグナマシンガンの銃口から、まだ硝煙がたゆたっていた。
「ゲリラ戦のエキスパートのアナタなら、いずれボクの位置を捕捉えるのは分かり切ってましたからね」
だからこそ、健介はそれを逆手に取ったのである。
もとより、狩猟ならともかく野戦の戦闘では、元レンジャー部隊の麻里絵に分があるのは承知してもいた。
故に健介は、銃口を頭上に向けて待ち構えたのであり、実は狙っていたのはそれだけだとも云えた。
全ては、麻里絵に向けて撃つ、その瞬間のために。
彼女なら間違いなく、そうして来る。
そこまで読んだ上でだった。
「それにしても・・・・」
こんな所まで追って来るとは。
ぼやきながら、健介が吐き捨てた。
「しつこい女は嫌いなんですよ、ボクは」
何しろボクには彼女がいるんでね。
それは、本音だった。




