SATスナイパーと女性警官の女剣士は、元同期の熊狩士を想い、悩む
札幌市内、北海道警察本部の庁舎内。
その内部の、とある階に、小さな会議室がある。
五人ほどしか入れない、本当に小規模な部屋だ。
室内に、三十前後と覚しき男女が一名ずつと、兄弟らしい小学生の男児が二人。
彼らの間には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
その沈黙のせいでもはや、そこが何階の会議室なのか分からなくなっている。
少なくとも、田代紗也乃にとっては、そうだと言えた。
恐らく、彼女の目の前にいる男にとっても同じだっただろう。
背が高い。
一目で鍛え抜かれていると分かる、そういう立派な体格をしている。
年の頃は三十路を二つ三つ過ぎたくらいだろうか。
武道か何かで培われたらしい、なかなかの精悍な面構えを、苦り切ったようにしかめていた。
薬指に指輪が光る左手で、頭をしきりに掻いている。妻帯者のようだ。
この男の、困っている時の癖である。
片桐仁であった。
紗也乃の警察官としての同期であり、現在は熊狩士である前野高陽にとっては元同期の男である。
高陽と紗也乃とは、性別を超えた親友であり、今は亡き高陽の恋人、榊裕子ともそうであった。
片桐の所属は、北海道警察SAT、つまり特殊部隊である。
その隊内でも一、二を争う狙撃手でかつ、伝統派空手の達人だ。
恐らくその実力は両方とも、日本中でも随一、世界中の特殊部隊を見回しても指折りなことだろう。
その、どんな作戦現場でもほとんど動じないはずの屈強な漢が、弱りきった困惑の表情を紗也乃に向けて来た。
「どうするよ?田代・・・」
「どうするって、ねぇ・・・」
どうしようかしら?
そう聞きたいのは紗也乃も同様だった。
制服の胸を押し上げる豊かな膨らみを潰すように、胸前で腕組みしている。
これは紗也乃の、困っている時の癖だった。
この同期組二人の困っている原因は、今目の前にいる兄弟であった。
兄の方は何かを堪えるように、むっつりと黙っていた。
弟の方は、鼻水をすすりながら声もなく涙を流している。
黒島正貴と晴貴の兄弟であった。
両親を、道内中に指名手配されている凶悪羆、赤隻眼に惨殺された、あの黒島兄弟である。
「まさか、あのアカカタメが、ねえ・・・」
「前野くんが聞いたら、責任感じるかも・・・」
「いや、田代、それを言ったらオレにも責任の一端はあるよ」
片桐の言葉に、紗也乃が顔を上げた。
意外そうな顔である。
「ジンさん、それって一体?」
「実はオレ自身もつい先日、あのアカカタメを撃ち漏らしてるんだ」
「ええっ?!」
驚く紗也乃に、片桐がその経緯を語った。
片桐がヘリの機内から地上のアカカタメを狙ったのは、遡ること、二ヶ月ほど前のことである。
野戦行動の訓練中だった二個小隊がアカカタメの襲撃を受け、ほぼ全滅の憂き目を見るという、北海道警察SATの人間にとっては悪夢のような、全警察官にとって屈辱とも云える事件だった。
その小隊を救出すべく出動した片桐らが、上空からアカカタメを狙った、その時だったのである。
突如、大地を揺るがすように山々が、木々が不気味な音を立て鳴動したのは。
「地震だ、ジンちゃんっ、コイツはデカいぜっ!」
パイロットの茂田の声で、片桐が周囲の状況を確認すべくスコープから目を離した、ほんの一瞬の間だった。
その一瞬の間に、アカカタメは山林の中に身を踊らせ、片桐らの狙撃半径内から逃げおおせていたのである。
しまった、と片桐が後悔の臍を噛んだ時にはもう、標的は北海道特有の深い森の樹々の中に隠れてしまっていた。
「今でも後悔してるよ、あの一瞬さえ、目を離さずに引金を引いてればって、な・・・」
「そんなことが・・・・」
あったの?
それにしても、ジンさんほどの狙撃手が仕留め損なうなんて。
紗也乃はそう尋ねようとして、片桐から視線を移さざるを得なくなっていた。
黒島正貴が顔を上げ、片桐をジッと見つめていることに気づいたからである。
紗也乃に合わせて顔を向けた片桐が、正貴の顔を見た。
正貴は、睨んでいた。片桐を、真っすぐに。
「・・・・ごろし・・・・」
か細いほどの、小さな声だった。
耳をよく澄まさないと、聞き取れないほどのその声で何と言ったのか、紗也乃と片桐が思い当たったその時、その答えを正貴がはっきりと叫んでいた。
「この、人殺しっ、お前のせいだっ、お前がアイツを、あの片眼のクマをその時に殺してくれてさえいたら、パパとママは死なずに済んだんだっ、喰われずに済んだんだぞっ、ちくしょうっっ!」
叫ぶなり立ち上がり、片桐に突進する。
片桐の腹めがけて体当たりし、両拳で鉄槌を叩きつけていた。何発も、何発も。
片桐を叩きながら、号泣している。
兄の泣き声に改めてつられたらしく、晴貴のすすり泣きが慟哭に変わった。
目の前の机に突っ伏して、泣き崩れていた。
紗也乃が先ず慰めるように、晴貴に駆け寄り肩を抱く。
次いで正貴に向かい、慌てたように声をかけた。
「違うの、違うのよ、そのおじさんは、アナタたちの・・・・」
紗也乃が言いかけた言葉を、片桐が分かっていると言うように手を上げて制した。
正貴に腹を、叩き放題に叩かせているままである。
気の済むまで、そうしてくれていい。
片桐が目で、そう言っているのを紗也乃は理解していた。
子どもが泣いている時、下手になだめると逆効果なことが多い。
思う存分、泣かせてやるのもまた、情けな場合もある。
そして今がまさに、その場合だ。
片桐も紗也乃も、そう判断したのだった。
その判断の根底には、今この場にはいない、高陽への配慮がある。
(アイツがこの子らのことを知ったら、それこそ自分のせいだと思う)
普段は飄々としていながら、人一倍責任感が強い。
そういう高陽の性格を、二人とも、よく知っていたからである。
「ゴメンな、オレがもっと早く、センパイの仇を討ってやれてれば・・・」
そう言いながら、弱りきっている高陽の顔が浮かぶようだった。
子ども好きで、子どもからも好かれやすい男だけに、子どもの泣き顔にも弱いのだ。
紗也乃は以前の、ある時の出来事を思い出した。
剣道特錬の稽古場で高陽が、同僚の特錬員の面に豪快に打ち込んだ時のことである。
たまたまその日、その同僚の五歳の息子が、父親の稽古を見に来ていた。
その息子は、父親が本気で叩かれたものと思ったらしい。泣きながら高陽に突進してきた。
「パパをイジメるなっ」
慌てて宥め止める父親の脇で、高陽は本気で困った顔で謝っていたものである。
その高陽に、今さらに責任を感じさせたりしたらもう、すぐにでも赤隻眼を追おうとするに決まっていた。
片桐自身も、父親である。
家に帰れば、五歳と三歳の娘がいる。
それだけに、目の前のこの兄弟が不憫でならなかった。
仮にもしも、自分に同じことが起これば、
我が娘らにも同じ思いをさせることになる。
それだけに、他人事とは思えなかったのである。
紗也乃は紗也乃で、この場では何も出来ることがないことを思い知っていた。
言い知れぬほどの、無力感であった。
榊裕子を亡くした時の高陽に、かける言葉がみつからなかった、その時以来だった。




