テニイレタヨワサ
三人のやり取りを視界の端に入れていた喜三郎は、やがて観念したように深い息を吐く。
「……なぜ真実を見出せた。バカ弟子」
「確信を得たのはソフィから遺言の概要を聞いてからだ。俺たちの心に爺さんと婆さんの心が潜んでいたなら、先に説明したよう婆さんなら愛の心を守ってくれるとな」
「逆にワシはお前さんを苛めたがると。しかしそれで分かるのは後遺症の有無のみ。聞いておるのはワシの狙いにいつ気づいたかじゃ」
「あんたは俺が最後に提供した料理を後悔し心を弱くさせたと推測したが、何にも分かってねぇんだよ」
改めて批判する優介の表情が、何かに絶えているようで。
「確かにテメェに作った最後の料理が見るに堪えない心だったことを、もっとまともな心で向き合えばよかったと後悔はした……だがな、それでよかった」
拳を握り己の未熟を語る優介は、何かに絶えているようで。
「それが当時の精一杯だ……情けない話だが、心の料理をまったく理解できなかった俺でも、最後となったなら受け入れるしかない……背伸びすることこそ俺じゃねぇと……最後まで師匠に俺を貫けたと納得するしかないんだ」
その訴えは喜三郎の見抜いた心とは別の答え。
「納得して……この三年間、やってきた。必死に、考えつくこと全てを。テメェで考えて、想定して、思いつく限りの全てを……」
後悔を糧に、未熟を受け入れ、ただひたすらに高みを目指した三年。
もう二度と後悔すまいと、どんな料理でも真剣に向き合い続けてきた。
誰だろうといつかはいなくなる。
自分を置いてアッサリと、何も言わず突然にいなくなる。
だから一見の客だけでなく、島の住民だけでなく、身近な誰かだろうと悔いのない料理を心がけて作ってきた。
この使命染みた心構えが、優介の驚異的な成長速度となった。
「むろん悔いのない料理なんざ無理な話……それでも可能となるよう続けてきた。未熟なりに続けて、少しずつでも……俺の料理を認めてくれるようになった」
結果として日々平穏を再開させてから、みんなが喜んでくれた。
身近な存在も褒めてくれた。
優介の料理は美味しいと、認めてくれるようになった。
誇らしかった。
少しずつでも成長している自分が。
喜んでもらえる料理を作れるようになった自分が。
だが美味しいと、笑顔になる人が増えれば増えるほど。
後悔し心に隙間ができたと喜三郎は推測したが――その根本が間違っている。
「……テメェが生きてなきゃ、意味……ねぇだろ」
ポツポツと語る真意に、ようやく喜三郎も己の勘違いに気がついた。
「……お前さんの心に隙間が出来たのではなく、広まったのか」
誇らしくなる反面、優介の心に隙間ができたのではない。
広がったのだ。
料理において大切なこと。
初めてココロノレシピを使い読み取り伝わった喜三郎の心。
何を想い、どんな気持ちで調理をしていたか。
食べてもらう相手に喜んでもらいたい。
美味しいと笑顔を見せてくれることが嬉しくて、師匠は調理をしながら笑っていた。
料理は心だと……何度も教えられたのに、なのに自分は気づけなかった。
後悔をして、それでも前を向き、ゆっくりとでも成長して。
認めてもらえればもらえるほど、広がった。
どれだけ成長しても、どれだけ納得のいく料理を作ることができても。
一番食べてもらいたい。
一番認めてもらいたい。
一番自分の料理で喜んでもらいたい。
生涯唯一の師匠――上條喜三郎は、もうこの世にはいないと。
成長した分だけ広がる、虚しさが心を弱らせていたのだと。
その弱さを感じ取った喜三郎の心が苦しみを訴えかけた。
早く気づけと。
自分に欠けているモノが何なのか、必要なことを分からせるために。
だが誤算だったのは、気づかせる前に優介の心が更なる成長を遂げてしまったこと。
三年間、己に厳しく生き続けたことで喜三郎の想像を超える答えを見つけたが故に。
やはりこの弟子は直向きで、愚直で、危うい優しさを持つ大馬鹿者だ。
分かっていたはずなのに、分かってやれなかった。
お陰でとんだ茶番をしてしまった。
今さら日々平穏二代目店主と認める味試しなど必要なかったではないか。
そんな試しなど必要ないのだ。
愛弟子として迎え入れた瞬間から、その資格を手に入れているのだから。
確かに分かっていなかった。
しかし――
(故に……分かってやれた)
自分が弟子にとってどれほどの影響を与えていた師匠なのかを。
同時に欠けているモノに気づかせる方法を。
ならばと喜三郎は立ち上がる。
立ち上がり、優介の目を真っ直ぐ見据えて。
必要な言葉を。
問いかけるべき言葉を。
「……バカ弟子よ」
生前の頃と変わらぬ、皮肉めいた笑顔で。
手に入れなければならい、優介に必要な最後の心を教えるために。
「ワシのおらん三年間、ずいぶんと苦労したようじゃな」
最低な皮肉を喜三郎は口にする。
対し優介は唖然と聞き入れ。
何を言われたかを理解した途端、グッと拳を握り締める。
「……クソが。誰のせいで苦労したと思ってんだ」
そして俯き、床に雫がこぼれ落ちた。
ポタポタと。
とめどなく零れていく。
この三年を振り返り。
この三年絶え続けた。
「テメェだけは……言うんじゃねぇ」
虚しさを、寂しさを分かってもらいたいと訴えるように。
大粒の涙を零していた。
愛弟子が初めて見せた弱音に。
愛弟子が初めて零す涙に。
思わず抱きしめたくなる衝動を喜三郎はグッと堪えた。
ここで自分が抱きしめてはならない。
これ以上のお節介は自分がしてはならないのだ。
何故なら自分は死人、これから先の未来を共に歩むことは出来ない。
だから――絶える。
ここからは共に歩むべき者の勤め。
誰になるかは分からないが、後は頼むと心に秘めて。
「ワシがおらんと何にもできんのか」
手に入れた心を。
弱さを忘れるなと願い。
「やはりまだまだじゃ……バカ弟子が」
「うるせぇ……クソジジィ」
頭を撫でて挑発的に笑うと、俯いたまま挑発的に返す。
どうやら伝わったと喜三郎は肩を竦めていた。
自分も涙を零していることを気づかぬままに。
優介が初めて感情の思うままに笑った際、自身の幸福、強さを受け入れたように。
初めて感情の思うままに零した涙が自身の努力を、頑張りを、寂しさを、辛さを受け入れたことで自身の全てを受け入れた瞬間です。
これからは自身にも優しさを向けられるようになるのではないかと思います。




