ハーフオーガのアリシア95 ― 訪ねてくる人々 ―
アリシアが、男爵になった翌日の昼過ぎのこと。
昼食を食べ終わって、片付けも終わったから、アリシアは、少し休憩することにした。
まずは、昼食で使った出涸らしのお茶の葉が入ったポットに、さらにお湯を注いで、あんまりおいしくないけど一応お茶ではあるものを作る。
晶術石で動く冷蔵庫から、柑橘のジャムを取り出して、ポットに少し入れて、あとキッチンに置いてあったブランデーの瓶からブランデーも少しだけ垂らす。
それを持って、居間に置いてある椅子のほうへ向かうと、トラーチェさんが居間のソファーのローテーブルのところで、何か字がいっぱい書いてある紙を幾つも広げて、難しい顔をして読んでいるのを見つけた。
アリシアはいったんキッチンに戻って、カップをもう一つ取って、自分のカップからお茶を少し取って移す。
アリシアのカップは馬鹿でかいから、只人ひとりぶんくらいのお茶なら分けられる。
お茶のカップをトラーチェさんのそばに置いて、何を読んでるんですか、と聞いてみた。
「ああ、ありがとうございます。これは新聞って言って……なんでしょうね。
まあ色々と目立った出来事があったら、それをまとめて紙に書いてそれを売ってるというようなものですね。
昨日のアリシア様が男爵になられて、お嬢様が王になられたことも書いてありますから、ちょっと幾つか買ってきたんですよ」
「……あれって昨日のことでしょう? もう書いて売ってるんですか?」
「ええ、式典が終わったのが昨日の昼過ぎですから、そこから帰って原稿を書いて、印刷所に回して、活字を組んで、一生懸命印刷して、まあちょっとお金は要りますが熱を加えて無理やり乾かせば、徹夜なら今日の朝には出せますよ」
いやあ、私も報道部時代にはよくやったものです、などとトラーチェさんは懐かしそうに言っていたけれど、アリシアは何かびっくりしてトラーチェさんの顔をまじまじと見てしまう。
そんな徹夜して本みたいな紙みたいなものを作るなんてことがあるのか。
なんだかそれは、ひどく不自然なことのように思えたけれど、でもよく考えたら、アリシアだって狩りのときには、寝ずに山の中を動き回ることもある。
だから仕事だと考えたらそんなものかもしれない、とアリシアは思い直した。
ただ、そんな仕事が、そもそもあるというのが都会はすごいということだろう。
ちょっと読ませてもらったけれど、難しい言葉が多くて、ぼんやりとしか分からない。
よく分かりません、と言うと、トラーチェさんは
「じゃあ少し読んで説明して差し上げますね」と言ってくれた。優しい。
では、と言ってトラーチェさんは新聞を朗読してくれる。
【今年度の帝国パリシオルム高等学院、叙爵、陞叙、戴冠式は、新たな公爵の出現がなかったという意味では残念ではあったが、別に侯爵が二人も叙爵されたという意味で逆に当たりの年であったと言える。
また伯爵、子爵、男爵においては例年並みの人数であった。
そして何より特筆すべきことには、新たな王が、それも極めて強力な王の誕生が告げられたことである。その名はアリスタ・ゲルヴニー・ファルブロール殿下である】
「これはですね。公爵様って学園の新入生の中に、毎年おられるというわけではなくて、だいたい三年かそこらで一人くらい入学してこられるのが普通で、侯爵様だと二年に一人くらいの印象ですね。
だから、まあ今年の式典では新しい公爵様は出てこなかったけど、侯爵様が二人も出たから良かったし、お嬢様が王様になられたから良かったよねくらいの意味です」
読み進めますよと言って、トラーチェさんはさらに読んでくれる。
【また、ファルブロール殿下の付き添いについては、執行部首席のブレイル・ミット公、診療部のローラ・ヴァティカール侯、生産連絡会のテニオ・ソーモ侯、ならびにウルス・アウレ伯ときて、ここまでは高位貴族である。
しかし、法務部のローテリゼ・トリッテン子爵、診療部のランナ・シュバルツ男爵は高位貴族ではない。
すなわち殿下は、学園全体の様々な派閥から高位貴族の付き添いをお求めになるのではなく、ご自身と仲が良い方で固めることをされた。
これはつまり殿下の影響力が学園全体に及んでいないという言い方もできるし、同時にそのような意図や野心を持っておられないという見方もできることであろう】
難しい書き方をしているからよく分からないけど、知った名前が出てきたのはアリシアにも分かった。
「これはですね。
つまり、学園の偉い人みんなに声をかけて、偉い人みんなを付き添いにして、取り巻きにしたんじゃなくて、知りあいで間に合わせたんだから、うちのお嬢様は、そんなに偉くなろうとかは思ってないのかな? って書いてるんですね」
それはそうだ。
お嬢様は、あんまり偉くなってやろうって思ってるようには見えない。
戴冠式で、お嬢様や自分の付き添いをしてくれたのも、全員知った人ばかりだった。
続けますね、と言ってさらに読み進めてくれる。
【魔獣討伐演習の際にも、彼の王が診療部のローラ・ヴァティカール侯や、法務部のローテリゼ・トリッテン子爵の、その寄子のエルゴル・セックヘンデ子爵に、よく抱っこをされて嬉しそうにしておられる姿をよく目撃されている由である。
それで、このお二人が、殿下の『お気に入り』であることは間違いがないように思われる】
これは説明してもらわなくてもアリシアにも分かった。
書いていることは合ってる。
お嬢様は、診療部のローラさんと、六本腕のエルゴルさんが好きだ。
【また、殿下の最も高位の寄子である、アリシア・ゴルサリーズ男爵の付き添いも(エルゴル・セックヘンデ子爵の寄親である)法務部のローテリゼ・トリッテン子爵が務めたことからも、そう言えるであろう】
「……なんか、要するに噂話なんですね。誰と誰が仲がいいとかそういう。
そう思って読むと分かりやすいかも?」
「まあ、そういうのが多くなる傾向はあります。それだけでもないんですけどね」
トラーチェさんは、何か思うところがあるのか、ちょっと不満そうだ。
でも、うわさ話が紙に書いて売ってあると思うとこれは面白い。ぜったい気になって読みたくなる。
「これいくらで売ってるんですか?」
「これは二枚物のやつですから銅貨五枚ですね」
銅貨五枚かあ……と、アリシアは考える。
アリシアがいた故郷の村では貸本を一冊で銅貨二枚で借りれたけれども、これは二枚の紙を二つ折りにしてあるので、ページが八ページしかないから、それで銅貨五枚と考えると高い気もする。
でも借りるんじゃなくて買うんだし、昨日のことがもう書いてあるし、噂話も読めるとなると、こんなものかなと納得をした。
トラーチェさんは、似たような新聞とかいうのを何種類も買ってきていたから、色々と読ませてもらう。
お嬢様や自分のことが書いてある部分を、拾い読みしてみると、ところどころ間違ってる部分があるけれど、おおむねというか、だいたい合っている。これは楽しい。
そうやって一生懸命読んでいると、地面を踏む音がして、アリシアは顔を上げる。
来客らしい。音からすると、たぶん徒歩で二人。
新聞を置いて玄関の方に行き、少し待つと呼び鈴が鳴った。
扉を少し開けて、様子をうかがってから大きく開く。
そこには女の人が二人立っていて、そのうちの一人は、どうも見たような顔だった。
その見たような顔の人はアリシアが出てくるのを見ると、一瞬戸惑ったような顔をする。
それから
「あっ……昨日はどうも。ラウタです」と言った。
誰だったっけとアリシアが一瞬考えている間に
「昨日言ってた菓子パンを持ってきました!」
と、ラウタさんが言ったから、そういやそんな話をしたなとアリシアも思い出す。
確か演習のときに、うちのお嬢様に世話になったから何かお礼のものでも持って行きたいので、お嬢様は何が好きかと聞かれて、アリシアは、お嬢様は菓子パンが好きと答えたのだった。
「これ、アリシアさんで中身を見ていただいて、問題なければお渡し願えますか?」
ラウタさんはそう言って、茶色い大きめの紙袋を渡してくる。
この中に菓子パンが入っているんだろうか。
「では後期の授業でお会いすることなどもあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いしますね」
ラウタさんはそう言って、では今日のところはこれで……とか言って帰ろうとする。
「え、帰っちゃうんですか?」
お嬢様の顔も見ずに、菓子パンだけ渡して帰るのも変だと思ったので、アリシアはそう言ったけれども
「でも、お約束も何もないですし」
と、ラウタさんに言われて、そういやここみたいな都会は、家に来てもいいか前もって聞きに家に来る、みたいな、そういう変なところだったのだと思いだした。
それで、そう言われると困ってしまう。
普通は約束がないといけないものなのか。
どうしたものかなと、アリシアが後ろを向くと、ちょうどお嬢様がこちらに向かって漂ってくるのが見えた。
それで、アリシアに「どうしたの?」と聞いてくださる。
「お嬢様に演習のときのお礼にって菓子パンを持ってきてくださったんですよ」
とアリシアが言うと、お嬢様は、アリシアのほうと、急に背筋を伸ばして直立不動になったラウタさんたちのほうを、ついついと視線を往復させて何度か見て、一瞬考えてから
「じゃあ、せっかくだからもしよろしければ、なかでおちゃでもどうぞ」
と、おっしゃった。
「お約束もないのに申し訳ありません。よろしいんですか?」
ラウタさんがそう言うと、お嬢様は
「アリシアのおともだちなんだからいいわよ」と言ってくださった。
◆
それでまあ、その日はラウタさんたちも交えて、居間のソファーのところに通して、楽しくおやつの時間にしたのだけれど、驚いたことには、翌日からも菓子パンを持って訪ねてきたり、あるいはパン屋さんが家にやってきて、菓子パンを配達してくれることが何度でもあったということだった。
そういうことが六回くらいあった、その次の日の朝に
「ラウタさんたちが何か言ったんですかね」
と、朝食として出てきた、貰い物の菓子パンをパクつきながら、コロネさんがそう言った。
「何かって?」
アリシアは、素知らぬ顔して聞き返す。
「そりゃ、菓子パンなら受け取ってもらえたよ、とかそういうことですよ。
もうこれは噂が広がってるとしか思えません」
コロネさんはそう言っていて、トラーチェさんも疑い深げな顔でアリシアの方を見ていた。
それで、アリシアのせいで、ラウタさんに『お喋り』みたいな疑いをかけるわけにもいかないから
「このあいだの男爵になった式典のときに、待機してる天幕の中で、ラウタさんにお嬢様の好きなものを聞かれて、お嬢様は菓子パンが好きだっていいました……」
とアリシアは白状した。
「やっぱりそうですよね、そこから広まったんですね」
トラーチェさんには、なんとなく分かってた、みたいな雰囲気で言われてしまって、アリシアはちょっとがっくりする。
するとトラーチェさんは
「値段があんまり高くはないから、もらってもあんまり借りにならない菓子パンって言ったのは、アリシア様はセンスありますよ」
と言って慰めて? くれた。
「でも来客が増えたことですし、これからは留守番とか門番を置かないといけませんね……」
トラーチェさんは、あらためて考え込むようにしてそう言う。
「私、やりますよ」
どうせ暇だし、と思いながら、アリシアが何の気なしにそう言ったけれど、トラーチェさんには
「それは無理ですよ。クリーガさんと私以外のここにいる皆様には、これからは、後期の授業がありますし、お嬢様のお供も必要ですから、屋敷が空になったりすることが、これからはしょっちゅうあるはずです」
と言われてしまった。
そう言われてみると、すっかり忘れていたけれど、これからは授業というものがあるんだと思いだす。
お嬢様に買っていただいた、あの鞄※を使えるんだと思うと嬉しい気分になった。
「確かに、今までは敷地の表門は開けっ放しで、玄関まで誰でも入れるようにして、玄関で来客に対応しておりましたが、そろそろ表門は普段から閉めて、門のところで門番が来客対応をするようにしたほうがよいでしょうな」
そう言ってお爺さんのクリーガさんも考え込むように腕を組む。
「しかし、人を入れると言っても信用できる方でないと、余計に危ないですからね」
コロネさんが菓子パンを上品につまみながら口を挟んだ。
それはそうだ。変なのが入ってきたら困る。
すると、アイシャさんのお膝の上に座ったお嬢様が
「じゃあ、エルゴルさんのところにたのもうよ」と仰った。
「セックヘンデ様にですか?」
トラーチェさんがそう聞き返す。
「うん、ひとではだしてくれるっていってたもん」
そう言えば、昨日の式典が終わったところで、お嬢様にエルゴルさんがそんなことを言っていた気がする。
「エルゴル殿のところなら良いかもしれませんな。
私の出元ですから、人もよく知っています。人品のよい者を選びましょう。
そうすれば全く知らない相手に頼むよりはだいぶん安心できます」
クリーガさんがそんなふうに賛成したから、ウィッカさんとコージャさんが連絡に走ってくれることになった。
◆
そうして翌日に、長い長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、エルゴルさんが、お供の人と一緒にやってきたのだった。
■tips
※ハーフオーガのアリシア42 ― お嬢様は学用品を買ってくださるⅡ ―
(https://ncode.syosetu.com/n2133ga/52)を参照
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