ハーフオーガのアリシア93 ― ゴルサリーズ男爵Ⅱ ―
お昼ご飯を食べ終わって、そういや自分には、ここでは見回りの仕事があったんだと思い出して、アリシアはドーラさんの部屋に行ってみた。
するとドーラさんは
「明後日にはもう出発だろ? 休んでおおき。
そもそも休暇で帰ってきてるんだから働かなくていいんだよ」
とのことで、見回りはさせてもらえなかった。
それで仕方がないから庭掃除とかしてみたけど、なんかどこからともなく従僕の人とかメイドさんとかがやってきて箒とか取られてやらせてもらえない。
アリシアは、なんだか窮屈になったなあという気がした。
パリシオルムの屋敷でいるときには、掃除だって毎日していたし、色々好きにさせてくれたのに、ここではそうじゃない。
お嬢様にも奥様にも会えないし、アリシアはなんだかがっかりしてしまった。
◆
それで、アリシアが実家から、ファルブロール伯領のお屋敷に戻って以来、お嬢様とやっと再会できたのは、その翌日の昼のことだった。
部屋で暇を持て余していたアリシアは、がやがやとした人の声がしたので、なにかあるのかなと外に見に行く。
するとちょうど、奥様やお嬢様の乗った馬車が、お付きの人たちと帰ってくるところで、アイシャさんや、コロネさんにクリーガさんもちゃんといた。
アリシアが喜んで走り寄ると、奥様が顔を上げて
「お帰りなさい。無事に帰ってきてくれて良かったわ」
と言ってくださった。
それでアリシアは天にも昇るようなくらいに嬉しくなる。
けれどもお嬢様は、奥様の胸にぺったりと貼りつくように、うつぶせに抱っこされていて、特にアリシアに何か言ってくださることもなく無言だった。
なんだかぐったりしているようにも見える。
奥様はお嬢様をご自分の胸から剥がすように抱きなおしてから、アリシアに渡してくださった。
アリシアはそっとお嬢様を受け取って、それから片腕で抱き、もう一方の手を差し出して、馬車から降りる奥様とアイシャさんの手を取って補助する。
それからお嬢様を、あらためて見てみると、お嬢様は今度はアリシアの胸にぺったり貼りつくようにもたれかかっていて、やっぱり元気がないように思える。
「お嬢様はどうされたんですか?」
アリシアは不安になって、奥様に聞いてみた。
すると奥様は
「私が忙しくしてたから、ちょっと無理して診療所をずっと手伝ってくれたのよ。
そしたら疲れちゃったのね。今日はもう昼で仕事はおしまいにするわ。
私の部屋で食べさせてから、もう寝かせるから、申し訳ないけど今日のお昼は寄子の皆だけで食べてね」
とおっしゃった。
馬車から降りた奥様に、アリシアはお嬢様を返して、そうしてお嬢様を受け取った奥様と、そのお付きの人たちはお屋敷の中に入っていった。
豚鬼族のアイシャさんと、コロネさんと、クリーガさんがその場に残ったから、お久しぶりですとか、そんな感じで挨拶をして、それから、お嬢様は大丈夫でしょうかと三人に聞いてみた。
アイシャさんによれば
「疲れてるだけだから、休めばそれで大丈夫だとは思うけどね……」とのことだった。
◆
それで、お嬢様はいないけれど、お嬢様の寄子が久しぶりに勢揃いしての食事になる。
メイドさんが持ってきてくれたワゴンの中身をテーブルの上に広げてみると、今日の昼食のメインは、川魚の白ワイン煮だった。
すごく大ぶりの魚が何匹もあって嬉しい。
魚から大蒜に、オリーブ油に、香草の匂いが漂ってきて最高だ。
それに胡椒を散らしてある、たぶんジャガイモと栗か何かが入った、ミルクたっぷりのポタージュスープ。
あと、暖かく焼きあがった、山ほどのパンとたっぷりのバター。
無花果を細かく切ってたっぷり散らした葉物のサラダに、焼いた玉葱に人参に茸にズッキーニがある。
デザートの焼き林檎からは、シナモンとバターの甘い匂いが強烈に漂ってきた。
いつもながら最高においしそうで、自分はなんて幸せなんだろうとアリシアは嬉しい気持ちになる。
それで皆で食べ始めたのだけれど、アイシャさんの食が進んでないような感じだった。
食が進まない豚鬼族なんてのはあり得ないし、よく見るとなんだか顔色も悪いようでもある。
アリシアはなんだかお母さんの具合が悪いときみたいな不安感に襲われながら
「食欲がないみたいだけど大丈夫?」と聞く。
するとアイシャさんは疲れた顔ながらも微笑んで「大丈夫よ」と言ってくれた。
「診療所のほうが忙しかったんですか?」
トラーチェさんやウィッカさんやコージャさんが、そんなことを言っていたなと思いだして聞いてみる。
「そうなのよ、アリシアさんがここを出た次の日からだったから……十八日か十九日間かくらい、ずっと休みなしで連続で診療所に詰めてたのよ。
それに朝は一時間以上早く行くってお嬢様が言うし、夜は夜で遅くまで引っ張るしほんと大変だったわ」
「それは大変でしたねえ。なんでそんなことに……」
「うーん……臓器を作って交換とか、そういう難しいのは治癒士だからって誰でもできるわけじゃないからね。
この辺では、奥様か、お嬢様しかできない症例もいっぱいあるのよ。
もちろん、以前は奥様がひとりでしてくださってたわけだけど、そのうちお嬢様も少しずつしてくださるようになって、最近じゃお嬢様の方が治癒する件数が多いくらいになってたの。
そこでお嬢様が学園に行っちゃったものだから、奥様に負担が集中してたのね。すごく忙しくなってたみたい。
それでお嬢様が、休みの間だけでもちょっと無理をして朝から晩まで治癒をして、待ってる患者を減らそうとしたのね。
そしたらお嬢様も私も疲れちゃったのよ。
私達には帰っていいとは、お嬢様も奥様も言ってくださるんだけど、まさか放って帰るわけにもいかないからね」
アイシャさんが、そんなふうに説明してくれる。
「私は疲れて途中で帰ってしまいました……」と、トラーチェさんがつぶやく。
「そっちのが普通よ。私だって倒れそうだもの」
アイシャさんが疲れた顔で笑いながら言う。
「事情は分かりましたけど……お嬢様は、まだ赤ちゃんだし、アイシャさんだって、あんまり無理するのは良くないんじゃないでしょうか」
お嬢様もアイシャさんも、あんまり痛ましく見えたから、アリシアはそう言ったけれど
「それは本当にその通りなんだけど、奥様やお嬢様が治癒しないと、本当に死んじゃう人とかもけっこういるからね。
なんとも言い難いわよね」
とのことで、そう言われてしまうと、アリシアもなかなかはっきりとは言いづらい。
「実際に待機で治療を待ってる人のリストを、この十八日だか十九日だかで、お嬢様が百五十人くらい減らしたって診療所の事務方の人が言ってたわ。
まあお嬢様ががんばった意味はあったのよね」
「百五十人っていうと……それは凄いですね」
「まあでも、それも今日までよ。
明後日にはもう学園に向けて出発だから、今日の午後と明日はお嬢様を休ませるって、奥様が言ってらしたわ」
「そうですか、それはよかった」
アリシアは安心したけれど、ふと疑問に思ったので聞いてみる。
「……お嬢様が治癒をしてくださるようになる前は、どうやってたんですか?」
「そりゃあ奥様はすごく忙しかったけど、でも街の人口も今ほどは多くはなかったわ。
奥様がねー、安くじゃんじゃん治しちゃうから、どんどん人が集まってきちゃうのよね。
花売りも、花売り目当ての男の人もいっぱいよ。それに奥様やお嬢様の荷物袋があるから、商人や船もいっぱい来るしね。
それでお嬢様がもっといっぱい治すようになったけど、病気や怪我が治ると思えば、みんながもっと寄ってくるからね。キリがないわよ」
それはそうかもしれない。
自分だって例えばお母さんが死にそうとかなったら、奥様かお嬢様に治してもらいたいと思うだろうし。
「でも、お嬢様凄かったですよ。
もう青白い令術の光をずうっと身に纏っておられてですね。それで次から次へと信じられないような速度でどんどん臓器を作って、銀色の器具を山ほど空中に浮かべて、体を切っては悪いところを交換して、すぐ塞いで、すごい勢いで次から次へとあっというまに治療をしておられました。
わたしはずっと実家に帰ってて少し前に戻ってきたので、診療所にご一緒したのは昨日の一日だけなんですが、ほんと感動しました!」
コロネさんが、魚の骨を外す手を止めて、夢見るようにうっとりとした顔で言う。
「クリーガさんをお治しになったときもそうですけど、ちょっとこの世のこととも思えないような、人間業じゃないですよね……」
トラーチェさんがそう言ってしみじみと頷いた。
けれどもそこで
「しかし、もう少し早くお止めすればよかった。
あれではあまりにお可哀そうで……しかし私とても、夜を徹して治療していただいて、命を救っていただいた身でありますので、もうこれ以上はおやめになって患者の方々を放り出してお帰りになるべきだとも申し上げづらく、その果てにあのようにぐったりとしてしまわれた」
と、クリーガさんが、悔いるような調子で、ひどくつらそうに言う。
それでなんだか暗い雰囲気になってしまったけど、アイシャさんが声を励まして
「まあそれももう終わりましたからね。大丈夫ですよ」
と言ったから
「はい……」
とクリーガさんも返事をしたけど、あんまり納得はしてないような、そんな声色だった。
アリシアもそれはなんとなく分かる気がした。
つまり、お嬢様ってなんていうかお人よしだから、よく気を付けてないと、色々な人にいいようにされちゃいそうな、そんな気がする。
いいようにされちゃうといっても、人を治癒するというのは良いことをしているのだから、それがいけないというわけではないのだけれど、でも、だからといってあんなになるまでするのは違う、とアリシアは思う。
◆
お嬢様と再会したのは、翌々日の午前中のことで、その日は学園に向けて出発する日だった。
朝早くにトラーチェさんが部屋にやってきて、荷物の用意を整えたら、馬車に詰めて診療所まで行くということだった。
なんで診療所なのかと聞いたら
「お嬢様が、奥様と一緒に早朝から診療所に行かれて、そこで治癒をしておられるようでして……診療所から直接出発されるとのことでした」
と教えてくれた。
なんとまあ……そこまで立派じゃなくてもいいんじゃないかなという、アリシアはそういう気がする。
ともかく大食堂のほうで朝ご飯をいただいて、頃合いになったら馬車と一緒に、お屋敷のある丘を降りて診療所のほうに行く。
診療所のほうへと近づいていくと、道沿いには人がいっぱい出ていて道に向かって鈴なりになっている。
ちらちらと雪の降るなかを、たくさんの服を着こんで、手袋をした手を揉み合わせながら、皆で診療所のほうを見ていた。
アリシアたちが馬車と一緒に近づいていくと、おはようございますと挨拶をしてくれる。
「おはようございます。今日はどうされたんですか?」
とアリシアが聞いてみると
「お嬢様の……そして皆様のご出発が今朝とお聞きしましたのでね、お見送りでございます。
お嬢様は少し遅くなっておられるようですが」
とのことだった。
やがて診療所の扉が開いて、人がいっぱい出てくる。
その中心に奥様と、奥様に抱っこされたお嬢様がおられた。
奥様は、お待たせね、とか言いながらアリシアたちのほうに近づいてこられる。
けれどもお嬢様は、抱っこを嫌がる赤ちゃんのように、身をよじって反らせて
「あとひとりだけやるの!」
とむずかるように言った。
「だめよ、もう時間だわ」
「でも」
「でも、じゃないの。病気の人や怪我をした人はずっといつでもいるのよ。絶えることなんてない」
お嬢様はいやいやと首を振って暴れる。
そこへ、一人の腰の曲がった、よぼよぼのお爺さんが寄っていく。
「お嬢様、どうぞお行きになってくだされ」
「でもぉ……」
「我らの病や傷を治してくださることは嬉しゅうございますが、
それよりも、お嬢様がよくお勉強なさって、ご立派になられることが、我らの望み」
お嬢様が、奥様の腕の中から身を乗り出して、ぷにぷにした短いおててを、おじいさんに向かってめいっぱい伸ばす。
おじいさんは、お嬢様の手のひらを、自分の指に乗せるようにして、お嬢様の手を取った
「どうかお健やかに、どうか幸せになりなされ」
お嬢様は、おじいさんのしわしわの手の甲を撫でて
「すこやかじゃないのはおじいさんじゃない」としょんぼりとした声で言う。
おじいさんは破顔して、お嬢様の手を自分の額に押し当てた。
「どうかご無事に」
そういうと、おじいさんは人の群れの中に引っ込んだ。
「アリシアさん、この子をお願いね」
奥様がそう言ってアリシアにお嬢様を渡してくださる。
アリシアは、はい、と言って、皆が愛しているお嬢様を、厳粛な気分で受け取った。
祝福の言葉を皆が次々と投げかけてくれる中を、アリシアたちは出発し、そうして数日の旅をして学園にたどりついたのだった。




