ハーフオーガのアリシア88 ― 里がえりⅣ ―
お土産の分配があった次の日の朝。
アリシアが朝起きて、顔を洗って居間のほうに入っていくと、お父さんがお金を入れている壺を取り出して、机の上にお金を並べているところだった。
「どうしたの?」
とアリシアが聞くと、お父さんは数え終わったお金を財布の中に入れてから
「ちょっと村の酒場に持っていこうと思ってな」と言った。
どういうこと? とアリシアが聞くと
「昨日な、アリシアが酒をお土産に渡して、それで、あと十回は宴会ができる、みたいなことを言ってた人がいただろう。
ということは、そのぶんは酒場のほうの売り上げがたぶん減るんだよな。
だからその補填をしておかないとな」
とのことだった。
そう言われてみれば、お土産で、あんなにいっぱいお酒をあげたら、そっちを飲めばタダだから、酒場の方には行かなくなるかもしれない。
じゃあ行こうか、とお父さんが言うのが聞こえる。
お金をいっぱい稼げたから、お父さんにもせっかくお土産を買ったのに、逆にお父さんに大損をさせてたら意味がない。
アリシアはなんだか情けなくなってきて
「私が出すからやめてよ!」と、けっこう大きな声を出してしまった。
「……子供の尻を拭うのも親の楽しみだぞ?」
「いや!」
「分かったよ。子供が立派になるのを見るのも親の楽しみだな」
お父さんはそう言って笑った。
◆
朝ご飯が終わって、お父さんと連れ立って山を降りて、麓の村へ向かう。
村に入って、会う人に挨拶しながら、酒場のほうへ行くと、一階が石造りで二階が木造という、ちょっと変わった建物が見えてきた。
昔はこの村には宿屋が無くて、行商人の人は、村長さんの家に毎回泊まっていたそうなんだけど、しばらくしてから、石造りの酒場の上に木造で二階を増築して、そこを宿屋にしたんだとか。
その酒場兼宿屋の横には馬を入れる馬房や、馬車を入れる車庫もしっかりとある。
アリシアはこの建物が好きで、それはなぜかというと、アリシアが子供のころに、お父さんの手伝いで肉を入れた籠を持って、荷物持ちで一緒に村へ行くと、ご褒美にお菓子を買ってもらえるのだけれど、買ってもらえるお菓子というのは、つまりはこの酒場のおかみさんが作るちょっとしたマフィンとかクッキーとかだった。
それでアリシアは、今でもなんとなく、この建物を見るだけで嬉しくなる。
「スタードさんいるかい?」
そう言いながら、お父さんが酒場の戸を開けて、身を屈めるようにして中に入ると、中ではおかみさんが机を拭いていて、店主のスタードさんはコップを磨いていた。
いらっしゃいと声をかけられて、いつものようにカウンターの方に行って、そこで木箱を逆さまにして四つ並べて布をかけた椅子を二人分出してもらって座る。
「今日のおやつは蜂蜜を入れた平焼きのマフィンよ」
そう言われると、アリシアは期待に満ちて、パッとお父さんの顔を見る。
お父さんが苦笑しながら
「じゃあ二つ頼みます。あとお茶も二つ」
と言ってくれたから、アリシアは満足してすごく嬉しくなった。
わくわくしながら待っていると、やがておかみさんが平焼きマフィンとお茶を二つずつ運んできてくれる。
ナイフをアリシアとお父さんに一本ずつ渡してくれたから、うきうきとしながら、あちちとか言いつつ指先で生地の端っこをつまみ、ナイフでざくりと切り取って食べはじめる。
たくさん蜂蜜を使ったとても甘い生地を、豚脂と塩をしっかり効かせて揚げるように焼いてある。
脂と甘さと塩気が、混ぜ込んである胡桃を噛んだときに爆発するみたいになって、すごくおいしい。
夢中で食べていると
「アリシアちゃんは大金持ちになったのかと思ったけど、そういうところは変わらないのねえ」
と、おかみさんが優しい顔で言った。
なんのことかと考えて、そういえばお父さんの顔を見なくても、全然自分で好きなだけマフィンを頼めるだけのお金持ちになったんだったとアリシアは思い出して、そうして赤面する。
「そうそう、その金持ちの件で用事があって来たんだけど、アリシアが酒をたくさん配っちゃっただろう?
そしたらここの客が減るからな。今日はそれの補填の金を持ってきたってわけだよ。
アリシアが払いたいんだと」
お父さんがそう言うと、スタードさんとおかみさんは、顔を見合わせて、それからスタードさんが
「気をつかってくれるのはありがたいが、そりゃ受け取れんぞ」
と言った。
「そうは言うけど、あんな大樽を二つも、それも蒸留酒だぞ。いくら飲んでも無くならんぞ。
そしたら売り上げも減るだろうし、代官にも何がしかの金を収めにゃならんのだろう?
どうするんだよ」
「そのことなんだがな、ここだけの話で、昨日の宴会のあとに村長が来てな。
金を置いていってくれたんだよ。だから心配ない。
代官には細かく売り上げや利益を報告してるわけじゃないからな。固定で毎月金を払うだけだ。
だから、村長から貰った金を少しずつ毎月払っておけば何か言われたりはしないだろう。
うちの村で酒を売れるのはうちだけという専売の規則になってるが、酒をタダで配ることは別に禁止じゃないからな。
だからアリシアちゃんも安心してくれていいぞ。何も問題はない」
「村長からはいくらもらったんだ?」
「これ、言っちゃっていいのか……?」
「うちとしても村長が金出してたらそれでいいやと知らんぷりはできん。
村長に何がしか渡さんわけにはいかんぞ。頼むから教えてくれ」
スタードさんは渋っていたけれど、最後は金貨十枚貰ったと教えてくれた。
久々におかみさんの平焼きマフィンとお茶を楽しんで、お金を(お父さんが)払って、お礼を言ってお店を出ると、アリシアはすっかりくつろいだ気分になっていた。やっぱり地元は良い。
それにしても酒場でお酒を売るのに代官さんにお金を払わないといけないとは知らなかった。
知らないことがいっぱいある。
うっかり何かいらないことをしてしまって、困ったことになると困るから、今度からはトラーチェさんあたりによく相談してからにしようとアリシアは心に決めて、それからお父さんと連れ立って、村長さんの家に向かったのだった。
◆
村長さんの家は、ちょっとした砦のようになっている。
上から見たら長方形をしていて、石造りの二階建てで、外側に向けては窓が一切無い。
全部まるごと分厚い壁になっている。
その長方形の角のところに壁よりずっと高い塔が一本あって、そこは鳩小屋になっているんだと、子供の頃に村長さんが教えてくれた。
魔獣とかに襲われてどうしようもないときには、連絡の手紙を付けた鳩を放して領主様に助けを求めるんだとか。
塔のすぐ横に大きな鉄製の両開きの扉があって、お父さんが上を向いて塔のほうに「おーい、おーい」と呼びかけると、塔の天辺のほうにある窓から、人の顔がひょいと覗いて、それから少し待つと、ぎいぎいと音をたてて門扉が開きはじめた。
アリシアはわくわくしながら中に入る。
村長さんの家は、外から見ると単なる石でできた箱みたいに見えるけれど、中に入るとすごく居心地が良くてお洒落だったりする。
すごく広い中庭には、端に井戸があって、中庭の真ん中には大きな水盤がある。
中庭のあちこちに、良い匂いのする香草や薬草がいっぱい植わっているし、果物の成る木も何本もあって、今は冬だから無いけれども、春や夏は色々な花も咲いていてとてもきれいだ。
葡萄棚とか藤棚もあったりして、初夏あたりで、その下に座らせてもらうと本当にいい気分になる。
中庭の四方は、すべて大きな窓が入った明るい部屋になっている。
大きな窓ガラス越しに見る部屋の中には、オレンジの木の鉢植えが何本も、たぶん冬だから寒さよけに中庭から引き揚げられてきていて、冬でもついている葉っぱの緑が嬉しい。
すぐに、村長さんのところで下働きをやっているおばさんがやってきて、部屋の中に案内をしてくれた。
今度は部屋の中から、雌鶏やアヒルが、中庭でうろうろして虫とかを探して食べているのを眺めて待っていると、従僕の人たちが、お父さんやアリシア用の大きな椅子を運んできてくれる。
そこへ、村長さんと奥さんもやってきてくれて、それで皆で挨拶をしたり、昨日の宴会にアリシアがお土産を持ってきたことにお礼を言ってくれたり、そういうことを済ませてから椅子に座った。
おやつと飲み物が運ばれてきて、胡桃とアーモンドに飴がけをしたものと、熱い珈琲を出してくれる。
どうぞ、と言ってくれたから夢中でおやつを食べていると、村長さんの奥さんがアリシアの方を見て
「その珈琲は昨日にアリシアちゃんが持ってきてくれたやつよ。
すごくたくさん、というか八割がた余ったんだけど、どうしようか。おうちに持って帰る?」
と聞いてくれる。
かなり大きな袋にいっぱい買ったはずで、そんなものが八割がた残ってると言われても困ってしまう。
「……ここでお客さんとかに出していただければ」
「うーん、寄り合いとかでも出すようにするわ。高いものなのにありがとうね。
ちゃんとお母さんの分は取っておいてあるの?」
そう村長さんの奥さんに言われて、そういえば家用の珈琲豆を確保してなかったことに気が付いてアリシアが慌てていると、ダメじゃないの、とか言いながら村長さんの奥さんが、小分けの紙袋に珈琲豆を詰めて持たせてくれた。
「それで今日はどうしたのかな?」
村長さんがそんなふうに聞いてくれたから、酒場のほうで村長さんがお金を出してくれたと聞いたから、そのぶんを渡しにきたとアリシアが事情を話して、それで金貨十枚を渡そうとすると、村長さんは
「そりゃあ受け取れんよ」
と言って受け取ってくれなかった。
それでアリシアは困ってしまう。
「アリシアちゃんね、アリシアちゃんが持ってきてくれたお土産ってどれくらいのものか分かってるかね?」
村長さんがそう聞いてくる。
「……自分で買ったのはだいたい分かってますけど、寄親のお嬢様からもらったものは、よく分からないです。
でも、あの砂糖は真っ白だったし高かったかも」
アリシアがそう答えると、村長さんは頷いて
「うむ、あの砂糖は本当に高価だろう。
普通の砂糖はもっと茶色だからな。あんな真っ白なのはだいぶん精製してあるということで、すごく手間がかかっているものだと思う。
しかも百五十キロだろう。よくもそんなに大量にくださったものだ」
「お嬢様は信じられないくらい気前がいいので……」
「気前がいいなんてものじゃないと思うがな。あの砂糖棒だけで金貨百枚は下るまい」
「え、そんなに!?」
「それにあのウィスキーもあんな大樽が二つだから金貨三十枚か四十枚くらいするだろう。
あと魚の干物だって、あれほど大きければ、一本で銀貨1枚以上はするだろうし、それが百八十本もあったから金貨なら十五枚くらいする」
「私、ありがとうございます、とか言って普通にお嬢様から貰っちゃったんですが……」
「その寄親の御方もだけど、アリシアちゃんだってそうだぞ。
布とか糸とか針とかボタンとかも、あんなにいっぱい店が開けるほどあったし、あれほども量があれば金貨の二十枚かそこらするだろうよ。
それに熊や狼の肉と毛皮に、お茶に珈琲に菓子だろう。よくもそんなにも持ってきてくれたものだ。
どうやって運んできたのかもまったくもって分からないくらいだ」
「……」
話がちょっとマズい方向に行きそうになったからアリシアは沈黙する。
「……まあともかく、あわせたらほとんど金貨二百枚近くも色々と村のためにくれたのだから、そのうえさらに酒場のほうの補填までお願いするというのは、さすがにちょっと無い」
村長さんは、アリシアの顔色をみてくれたのか、荷物の運搬からは話を逸らしてくれた。
お金は要らないと言われてしまって、アリシアは、どうするのがいいんだろうかと考える。
考えたら、まず頭に浮かんできたのはお嬢様のことだった。
お嬢様なら、こんなときにどうするんだろうか?
お嬢様なら、それはもちろんお金を渡すんだろう。
お金なら余ってるし、いくらでも稼げるからいいや、みたいなノリで渡しちゃうと思う。
『おかねがあまってるの?』とか聞いて、相手が別に余ってるわけじゃないと答えると、じゃあ私は余ってるから、余ってるところから余ってないところにお金が行くのが合理的だ、みたいなことを言うんだろう。
お嬢様ならたぶんそうする。それならアリシアもそうする。
アリシアはお嬢様が好きで、お嬢様の気前のいいところや、優しいところ、雑なような細かいような、気をつかっているような、ときには傲慢にすら見えるような、そういうところも大好きだ。
だからアリシアも同じようにする。
さて、じゃあこの場合に、お金を受け取ってもらうには、どう言えばいいか。
「……それだと村のみんなは得したかもしれないけど、村長さんは損したんじゃないんですか?」
「それはそうだが、儂は村の中ではいちばん富裕だし、村長としての役料も貰っている」
「それでもですよ。
誰かに損してほしいと思ってお土産を持って帰ったんじゃないんです。
だからどうか受け取ってください」
「しかし……」
村長さんはまだ渋っている。
「……これは母には内緒にしているので、ここだけの話でお願いしたいんですが、学園で魔獣討伐演習というのに行きました。
そこでうまく天竜を狩れまして、もちろん私だけで狩ったのではなくて、私より強い人たち二人と一緒に狩ったんですけど、分け前はたくさん貰えましたから、私って今はすごいお金持ちになったんです。
だから、村長さんが痛い思いをする必要は全然ないんですよ」
アリシアがさらにそう言って、テーブルに置いた金貨を前に押し出すと、村長さんはアリシアの顔をまじまじと見て、それから深く身を折って頭を下げて、やっと金貨を引き取ってくれた。
金貨を大事そうにしまい込むと、村長さんは姿勢を正して、ひどくかしこまった口調で
「そのように仰せになるのであればありがたく。
アリシア様、このたびは村のために多くの贈り物を頂きましたこと、感謝に堪えません」
とか言い始める。
「様はやめてくださいよう」
「それがお望みならば、今後とも今まで通りにさせていただきますが、今この場だけはアリシア様と呼ばせていただきたい。
それはアリシア様が、我々が返し与えることが及びもつかない贈り物を我々にくださったからです。
そうであるのみならず、それに加えもしてこのようにお気遣いもしてくださいます。
これはアリシア様が、今や立派な貴族となられたからであって、単なる平民同士の間であれば、このようなことはないことだからです」
それはまあ……そうかもしれない。
アリシアだって、お嬢様にさんざん世話になっているけれども、それはお嬢様がただの赤ちゃんではなくて、アリシアの寄親で、とても強い貴族だからだ。
だからアリシアも、お嬢様と呼んでいる。
つまり対等じゃなくなったという意味で村長さんは言っているのだろうというのはアリシアにも分かる。
それは寂しいことだけど、じゃあ対等であるために、アリシアが村のみんなにお土産を持って帰らなかったらよかったんだろうか。
あるいは持って帰ったとしてもちょっとにしたらよかったんだろうか。
たぶんそんなことはない。
持ち帰ったものはみんな喜んでくれたと思うし、村の中にはあんまり生活に余裕がない人だっていたはずで、だからアリシアの持ち帰ったもので助かった人もいたはずだ。
もっと言えば、下半身を天竜に潰されたクリーガさんを、お嬢様はタダで治癒したわけだけれど、あれだって普通に治療費を取ったら、クリーガさんはすごい借金を背負うことになったと思う。
だから、お嬢様とクリーガさんは対等ではないけれど、対等じゃないからこそ、クリーガさんはそれで助かったのだ。
アリシアは、自分の大きくてごつごつした身体が嫌いで、普通の、只人の可愛い女の子たちがうらやましくて、みんなと同じがよかったんだけれど、でもアリシアは大鬼なのだから、そんなのはどだい無理な話で、そうしてその力を使って、他の人に親切に気前よくしたら、やっぱりみんなと同じではいられないのだ。
そうだとしたら、それはもう、みんなと同じではないことを受け入れるしかないのであって、それは、お嬢様だってそうだ。
みんなと同じではない、赤ちゃんみたいな体で、みんなのために生きている。
そうであれば……私もそうするべきだ。
そんなことをアリシアは、村長さんの前でつらつらと考えて、それから
「分かりました」と言った。
こうしてアリシアは、今日このときに、自分が貴族になってしまったことを、ようやく受け入れたのだった。




