ハーフオーガのアリシア87 ― 里がえりⅢ ―
お母さんに風呂に入れと言われたから、アリシアは取っ手のついた大きな桶で、近くの沢から水を汲んできて、家の裏に回って、空焚きにならないように、まずは両手で一往復の二杯ぶんだけ湯船に水を入れた。
それから、同じく家の裏にある、薪棚から薪を適当に見繕って風呂釜に放り込む。
掃除がてらにそのへんを適当に竹ぼうきで掃いて枯葉を集めて、それを薪の上に置いて、釜のそばに桶に入れて置いてあった屑術石も適当に上からザラザラ乗せる。
それからいったん家の中に戻って、暖炉の灰に埋めてあった火種の炭を火取籠に入れて、風呂釜のところに持ち出して、枯葉に押し付けるようにして火をつけた。
薪棚のところに置いてある、竹の節を抜いて作った筒で、焚き口に息を吹き付けると火が大きくなる。
屑術石も火に反応して赤く熱くなって、炎も安定したら、火取籠を持って家に戻り、炭を暖炉の灰の中に埋めなおした。
あとは湯船に水を、風呂釜に薪を、と交互に足して、ようやっと風呂が沸く。
煙がイガイガと喉に沁みるし、ひさびさにやるとけっこう大変だ。
ご領主様のお屋敷では知らない誰かが風呂を沸かしてくれてたし、学園の屋敷では、お嬢様が令術で一瞬でお風呂を沸かしてくださってたから、だいぶ楽をさせてもらってたなあとしみじみ思う。
そうやって、お嬢様のことを思い出すと、お嬢様は元気かなとか考えて、アリシアはけっこう寂しくなる。
でもお嬢様だって、久々にお母さんに会えたんだから、寂しがってるってことはないよねと思い直して元気を出した。
◆
風呂から上がって、新しい服に着替えてすっきりしたところで、ちょうどいい感じにお昼ご飯の時間になる。
狩りの獲物のモツと、家でとれた根菜をあわせたシチューに、でっかいパンとチーズと干した果物にお茶がつく、いつものメニューだった。
ご領主様やお嬢様の屋敷で食べてたような、そういう華やかな食事とはぜんぜん違うけれど、ああ、家に帰ってきたんだ、と思えて、アリシアは心の底から安心する。
それで、心おきなくいっぱい食べたら、急に耐えられなくなるくらいに強い眠気がやってきた。
実家での大事な一日を寝て潰したくはなかったけれど、四日間も、ほとんど寝ずに歩いてきたから、どうしても眠気に耐えられなくて、アリシアは、食べ終わった食器を流しに下げたら、自分の部屋のベッドに行って、夢も見ないくらいに深く深く寝入ってしまったのだった。
◆
ぼんやりと目を覚まして、薄明りに浮かび上がる天井を見る。
一瞬、どこにいるのか分からなくなって、ああ、帰ってきてたんだと思い出す。
ふと、ベッドをくっつけてある部屋の壁に影が差しているのが見えて、なんだろうと横を向くと、お母さんが、ベッドの脇で膝をついて、アリシアの顔を覗き込んでいるのが見えた。
顔に涙の跡があったから、アリシアは驚いて
「どうしたの!?」と聞いたけれど
「……アリシアが帰ってきてくれたから嬉しいのよ」とのことだった。
「ほんとにそれだけ?」
アリシアが疑い深く聞くけれど、お母さんは、それだけよ、とか言って立ち上がる。
「もう夜も遅いわ。夕食を残してあるから食べなさい」
そう言って、お母さんはすたすたと部屋を出ていってしまった。
お母さんは昔から、あんまり感情を大きくは出さない人なので、どう思ってるのかよく分からないときがあって、それがちょっと謎めいて見える感じがある。
晩ご飯は、摺り下ろした玉葱に漬け込んだ魔獣肉に柑橘のジャムで風味をつけたステーキと、野菜スープと大きなパンとふかした芋だった。
まずは、お父さんには高級なワインと、お母さんには高かったレースの布地のお土産を渡して、お茶を飲んでいる二人に土産話をする。
お母さんの顔色を窺いながらだったので、天竜の脚に踏まれかかったとか、そういうちょっと危なかったところは黙ってたりしてしまったけれども……
それでちょっと心が痛んだけれど、だいたい喜んでくれたと思う。
それからお父さんが
「その腕輪はどうしたんだ?」
と聞いてきたから、森族のスクッグさんにもらったと答えたら
「何か礼をしなきゃならんな……」と考え込んでいた。
食事が終わって、またすぐ寝床に入ると、アリシアは、あっという間に寝入ってしまった。
◆
翌日は、さすがに朝早くから起きて、家族で朝ご飯をいただく。
昨日のスープの残りにパン。ベリーにチーズに家で採れた野菜のサラダ。
飲み物はワインの酢を混ぜた水で、さっぱりしているといえばさっぱりしているけど、やっぱりおいしくはない。
こういうのも久々に飲んだなと懐かしくなる。
朝食を食べながら、アリシアが腕輪に入れて持って帰ったお土産を、どうやって麓の村に持っていくかという相談をした。
相談というのは、つまり腕輪を誰にでも見せてはいけないと森族のスクッグさんに言われているわけだから、お土産やらなにやらを、腕輪の中から取り出して渡すわけにもいかない。
それで結局は、そりを作ってそれに載せてきたというテイでいこうということになった。
うちは山小屋だから、麓の村よりは高いところにあるし、道にも雪が多少あって、泥と混ざってぐじゅぐじゅになってるけど、まったく滑らないというわけでもないし。
まあ冷静に考えられたら、そもそもそんな大荷物を持って旅をしてきたのかとか、色々とおかしいところはあるとは思うけど、そこまで聞かれたらそれは内緒と答えることにする。
要するに腕輪のことだけバレなきゃいいのだ。
お嬢様がくださったウイスキーの大樽はガタガタ揺らすと壊れて漏れたりしそうだから、これはお父さんと二人で一つずつ担いで村に入っていくことにする。
もうこの時点で、こんなの持って帰れるわけないじゃんというふうに見えるけれど、もう仕方がない。
それで、お父さんと二人して森に入って、木を切ったり蔓で結んだりして、どうにかこうにか、そりを二つ作り上げた。
そのあと、いったん家に戻って昼ご飯を食べる。
アリシアが持っていくお土産の中にお酒があるから、今日はたぶん村で宴会とかになって帰りが遅くなっちゃうという気がしたので、お母さんも一緒に行くことになった。
◆
山の麓のほうまで降りて、山の樹々が開けている大きな道にでる直前で、午前中に作ったそりを二つ、腕輪から取り出す。
片方のそりの上には、木の芯棒に巻いた布地が八巻、色とりどりの糸が百束くらいに、縫い針が三箱で三百本。リボンが心棒に十巻き。ボタンが真鍮のがいっぱいで、他に貝殻のボタンや、糸巻きのボタンがある。
それに飴玉と、紙包みの砂糖菓子に、干した棗椰子が百個ずつ。
あと珈琲豆とお茶の葉が大きな紙袋にいっぱい。
他に、お嬢様から貰ったでっかい砂糖の棒が三十本くらい。これは絶対高い。
それに鱈かなんかのでっかい干魚が百本か二百本かある。
腕輪の中にしまい込んでいたときにはそうでもなかったけど、取り出してみるとえらい荷物だ。
「……こりゃやりすぎじゃないのか?」
とお父さんに聞かれる。
「……そんな気がしてきた」
でも、お嬢様からもらった砂糖の棒がいちばん高いんだろうけど、村の皆に持っていきなさいってもらったんだから、うちでがめちゃうわけにもいかない。
それに布地やらなんやらも、うちでいっぱい持ってても、そんないっぱい使えないし。
そんな感じで荷物が満載になったそりを片手で、ロープで引っ張りながら、もう片方の腕で肩の上に載せるようにして、無理やりウイスキーの樽を持つ。
すごく大きい樽だから、片腕だとすごく持ちにくい。
こんな状態で旅なんかできるわけないように見える態勢だけど、もう仕方がない。
お父さんのそりのほうは、アリシアの仕留めた赤熊の毛皮と肉と、あと狼の毛皮と肉が置いてある。
そうしてアリシアと同じように、そりをロープを使って片手で引っ張りながら、もう一方の手でウイスキーの樽をなんとか抱えている。
じゃあこのウイスキーの樽を、二つもどうやって抱えて持って帰ってきたんだよ、と突っ込まれてしまえば、もう言い訳のしようもない。
困った顔をして三人で顔を見合わせている自分たちが面白くなって、アリシアは笑ってしまった。
するとお父さんも笑い出してしまい、お母さんもつられて笑って、三人で笑いながら麓の村に向かって下っていったのだった。
◆
山を下りて、麓に近づいていくと、森が切れてオリーブ畑が始まる。
冬の銀緑色の葉っぱを眺めながら、さらに村に近づいていくと、葡萄や林檎の木が見えてくるけど、こっちは葉がなくて、冬らしく枝だけになっていた。
葡萄畑に入るあたりから、だんだん家畜小屋のにおいがしてくる。
つまり糞のにおいだから臭いけれど、アリシアはこのにおいが嫌いではなくて、このにおいから、豚のお肉や、羊の毛や、牛の乳がとれるんだと思うと嬉しい気分になる。
そして葡萄畑を過ぎたところで、太い木を使った柵があって、その柵には、長くて鋭い棘のある山査子をびっしりと絡ませて、狼なんかが通り抜けられないようにして、村の守りにしているのだった。
けれども道の先が塀の切れ目になっていて、そこには鉄の鋲を打った分厚い木の扉があるけれど、それは昼間は開けてある。
そりを曳いて、扉から村の中に入ると、そのへんをうろついて遊んでいた子供たちが、アリシアたちに気が付いて、まわりにどんどん集まってきて、あるいは大人を呼びに行ってくれる。
子供たちに群がられながら、村の真ん中の広場まで行くと、大鍋にお湯が沸いていて、その傍に屠殺された豚が何頭も並べられていた。
「やあ、お揃いでいらっしゃい」
そう言って、おじさんたちは手を停めて、お父さんと背中を叩きあったり(といってもおじさんたちのほうはお父さんの背中に手が届かなくてお尻を叩いているみたいになっていたけど)している。
アリシアとお母さんのほうには、おばちゃんたちがいっぱいやってきて挨拶をしてくれたりするけど、お母さんはどこか腰が引けている。
お母さんはあんまり人付き合いが上手くないのだ。
まあできないわけじゃないんだろうけど、お父さんと山小屋に引きこもっていられるくらいだから、あんまりそういうのが無くても平気なタイプではあるんだろう。
「この豚を鍋に入れればいいのかい?」
と、並んである豚を見てお父さんが聞く。
「手伝ってくれるんで? そりゃあ百人力だ!」
そういうわけで、豚を逆さにして脚をお父さんとアリシアで前後から持って、大鍋に沸いてあるお湯にじゃぶじゃぶと漬ける。
何分かしたら引き揚げて、また別の豚を漬ける。
漬け終わった豚は、ナイフの背とかでガリガリやって毛を除けていく。
除けた毛は、ブラシとかを作るのに使えるから取っておく。
毛の処理が終わったら、丸太を三本組んで三叉にした台を用意してあったから、そこに運んで豚のお尻を上に吊っていく。
まずは肛門の周りを丸く切って、うんちが漏れないように腸の端っこを紐できつく結んでから、喉元まで一気にお腹を割っていくと、腸と胃が手前に向かってこぼれてくる。
残った上半身の内臓を手前に引っ張りながら、背中のくっついている膜のような部分に刃を入れると、内臓が順番に手前に倒れてくるので、最後に喉の部分で切って、大きな桶で受ける。
内臓が抜けた豚の、体の内側をよく拭いてきれいにしてから、あとは斧を使って背骨の真ん中に刃を入れるようにして、豚を縦に、左右に割っていく。
「スタルクさんも、アリシアちゃんも、さすが速いし上手いもんだねえ」
「そりゃ本職なんだからそりゃそうよ」
「冬には毎年来てくれないかねえ」
そんなことを言われて
「ははは、それでも良いですよ」
とか解体をしながら、おばちゃんたちに調子よく返事をしているお父さんに負けないように、同じく隣で解体をしているアリシアも手早く処理を済ませる。
左右に半分にした豚をわきに一旦よけておいて、水場で内臓を洗っていたら、それよりオリーブの枝打ちを手伝ってくれと言われて、そっちを手伝う。
真上に長く伸びてる枝があったら切っていってほしいと言われて、手斧で切っていく。
これは確かに背が高いほうがやりやすい。
嬉しいんだか嬉しくないんだか。
そんなことをしていると、すぐに夕方になる。
とりあえず今日はここまで、と誰かが言ったから作業がお開きになって、アリシアがソリのところまで戻ると、お母さんがソリの端っこに腰かけて、お土産の番をしてくれていた。
◆
アリシアの地元の村には、村の皆が集まれる大きな建物がある。
それは、村には不相応に思えるくらいに、やたらとでっかい石造りの頑丈な倉庫で、その倉庫には、納税するための穀物とかオリーブ油とかワインとかビールとかチーズとかソーセージとかハムとか羊毛とか長持ちする野菜を保存してあったりする。
そうやって、地下と二階が倉庫になっていて、物資がいっぱい置いてあるけど、一階はそうでもなくて、椅子がたくさん置いてある、だだっ広い集会所になっている。
一階の集会所になっている部屋の前後には調理場を兼ねたような、すごく大きな暖炉があって、大鍋や食器も置いてあって、野盗が来たとかそういう、いざというときは皆でここに立てこもるのだそうだ。
「アリシアおねえちゃんがおみやげくれるんだって!」
アリシアたちの周りを子供たちが、それはそれは楽しそうに跳ね回りながら、触れ回ってくれるので、どんどん人が集まってくる。
「今回は俺の持ってきたものはなくて、全部アリシアの稼ぎだからな!」
とか言って、まわりの皆にお父さんがアピールしている。
恥ずかしいからやめてほしい。
私の稼ぎとか言ったって、お嬢様が差し入れしてくださったウイスキーの大樽と、あの真っ白な砂糖の棒がいちばん高いんだろうから、変なことは言わないでほしい。後で訂正しなきゃいけないし。
お土産の乗ったソリを曳いて、ウイスキーの大樽を抱えて、村の皆で集会所になだれ込む。
部屋の前と後ろにそれぞれある、人が三人くらい入れそうな大きな暖炉に火が入って、皆が思い思いに椅子に座ったり、絨毯の上で車座になったりしたところで、アリシアが皆に押し出されるようにして部屋の前に出る。けっこう緊張する。
「えー……なんとか無事に学園というところから帰ってくることができました」
アリシアはそこまで言ったところで、次に何を言えばいいのか分からなくなって言葉が止まってしまう。
お嬢様とかはなんでもないことみたいに、こういう挨拶とかしてたのに、自分は情けないなあと思いながら焦ってしまう。
「……それで、おみやげをいろいろ買ってきましたから、受けとってくれると嬉しいです。
と言っても、この中にある砂糖とウイスキーの樽と魚の干物は、私の寄親になってくださった、アリスタ様からの差し入れですからそういうことでお願いします」
なんとかそうやって言葉をつないで、それで言うこともなくなってしまったから、ぺこりと頭を下げた。
すると皆がものすごく一生懸命割れんばかりの拍手をしてくれて
「よっ、太っ腹!」
とか
「そんな正直に言わなくていいのに!」
とか、色々と合いの手が入る。
さて、お土産を分けよう、としたところで、こういうのってどうやればいいんだっけ……? と思って動きが止まってしまう。
砂糖とか斧で割ればいいのか。お酒はどうやって分けるのか。布は? とか考えるとどうしていいやら分からない。
助けを求めてお母さんを見たけれど、お母さんは、人付き合いとか上手くないから、こういうの向いてないと思うし、お父さんの顔を見てみても、お父さんが、人の顔色を見ながらうまく分けるみたいのができるとも思わない。
「そ、村長さぁん……」
思ったよりだいぶ情けない声が出る。
そうしたら村長さんと、その奥さんが飛ぶようにしてやってきてくれた。
「アリシアちゃんは、今日は何を持ってきてくれたの?」
と、村長さんの奥さんが優しく聞いてくれたから、ウイスキーと、砂糖と、熊の肉と毛皮と、布地と……みたいに数え上げる。
アリシアからお土産のリストを聞いた、村長さんと奥さんは、小声でごにょごにょと少し話し合ってから
「今日はここで皆で晩ご飯を食べるから、家からパンと野菜を持ってくるんだよ!」
村長さんの奥さんがそんなふうに言った。
そうしたら皆が一斉に動き始めて、大鍋が幾つも水が張られて、部屋の前にある大きな暖炉にかけられる。
それから肉を切ってほしいと言われたから、熊の肉をお父さんといっぱい切って、後ろの暖炉で網や串を使ってどんどん焼く。
そのうちに皆がパンとか野菜とかを抱えて戻ってきて、鍋に熊のモツと野菜がたくさん入れられて、すぐにスープができて皆に配られる。
そうして皆での食事が始まった。
皆が食べ終わったくらいの頃合いで
「酒が飲みたい奴は部屋の後ろのほうに集まれぇ!」
と、村長さんが言うと、おじさんたちが椅子とコップを持って、ガタガタと音をさせながら移動していく。
そうして酒場のおじさんがやってきて、角材を組み合わせた台みたいなのを床に置く。
それからアリシアに
「この台の上に樽をひとつ置いてくれるか」と言ってきた。
アリシアが樽を慎重に台の上に置くと、おじさんは木槌と、木でできた蛇口みたいなものを取り出して、木槌を振るって、樽の鏡板の下の方に打ち込み始める。
ゴンゴンという音が何度も響いて、やがて蛇口が取り付けられると、蛇口が回されて、その下に構えられたコップにウイスキーが流れ落ちてくる。
その瞬間にものすごい歓声があがった。
これ、そんなに美味しいのかなと思って、アリシアも一つコップをもらって飲んでみたけれど、すごく苦かった。
なんじゃこれ? としか思わなかったけれど、おじさんたちは喜んで飲んでいるから不思議なものだ。
「布地や糸や縫い針を分けるわよ。欲しい人は前のほうへ寄っといで!」
今度は村長さんの奥さんがそう言うと、女の人が全員、小さな女の子からお婆さんまで寄ってきてくれる。
あとお母さんについてきた男の子もちらほら。
「さあて、皆の衆御覧じろ」
そう言って村長さんの奥さんは、木の心棒に巻かれた布地を一本取って、くるくると広げて長さを確認する。
そうして女の人達の皆がそれを固唾を飲んで見守る。
全部広げて確認するんだよ、と村長さんの奥さんが言ったから、全部の布地が心棒から外されて長さが確認された。
「布地はどれも三十メェトルで、それが無地が五本の柄物が三本だね。
つまり二百四十メェトル分だ。
よくもこんなに持ってきてくれたというくらいに途方もない量だけれど、ドレスを作るとなると五メェトルは欲しい。そうすると五十着は取れないくらいだよ。
この村に女は百二十八人いるからね、十歳以上に限っても八十人以上いる。
でも、皆がエプロンくらいで妥協するなら皆の分が取れる。さあどうする?」
「エプロンはもうあるし、私はドレスが欲しいわ!」
そうやって声を上げたのはヴィーネさんという女の人で、アリシアよりは確か五歳くらい年上だったから、アリシアたちのいた仲良しグループとは違う人だ。
わりと言いたいことをはっきり言うような人だったとアリシアは覚えている。
そうしたらヴィーネさんの近くにいた別のおばちゃんが
「あんたはまたそうやって勝手なことを……そんなこと言ったらもらえなくなる人がでてくるじゃないのかい」
とたしなめた。
「だってエプロンなんか欲しくないもの。それにこんなに長い布地を持ってきてくれたのに、切り刻むなんて馬鹿じゃないの?」
馬鹿と言われたおばちゃんは、怒ったのか
「じゃあ貰えない人のはどうするの! あんたが我慢するのかい!?」
と激しい口調で言い返す。
「なんであたしが我慢しなくちゃいけないのよ!」
ヴィーネさんはさらに激しい口調で怒鳴り返す。
「ああ、あんたは我慢しないだろうさ! そのぶんいつも他の人が我慢すんだよ。
手前勝手ばっかり言って何様のつもりさ!」
「あたしがいつ誰に我慢させたっていうのよ! 言ってみな!」
そんな感じで口論がどんどん激しくなって、アリシアとしてはもう、うわあ、うわあ……とうろたえて見守るばかりだ。
すると村長さんの奥さんが机をガンガン叩いて
「見苦しいマネをするんじゃないよ! まだ話は終わってないよ!」
と怒鳴り上げた。それで二人とも沈黙する。
村長さんの奥さんは、そりの方に行って、砂糖の棒を一本掴んで持ってくる。
「さっきご飯を食べてる間に、錘で量ったんだけど、これが一本でだいたい五キロだ。
これが全部で三十本ある。見てごらん」
村長さんの奥さんは砂糖の棒を包んでいた紙を少し剥いた。
そうすると真っ白な砂糖が現われて、皆がちょっと息をのむ音がする。
「真っ白な極上品だよ。
食べ物の恨みは恐ろしいからね、これは赤ん坊も含めてきっちり人数で割る。
村全体で二百六十二人だから一人頭で半キロ以上はあたるね。
だから布が余計に欲しいものは砂糖を出して他の人と交渉するんだよ」
「じゃあ私は砂糖を少しだすから布を……」
ヴィーネさんがそう言いかけたところで、村長さんの奥さんが
「待ちな、まだあるよ」
と言って、鱈の干物を出してきた。
「このでっかいのが百八十本もある。これも人数割りするからね。
あと糸のかせが百束以上あるし、真鍮のボタンは何百個もあるけど、糸巻のボタンと貝殻のボタンは八十個ずつだ。それに鋼の縫い針が三百本もある。
豪儀なことじゃないかい。
あんたたち、アリシアちゃんに見苦しいマネを見せるんじゃなくて、出すものだして、貰うものをもらって、ちゃんと交渉するんだよ!」
村長さんの奥さんにそう言いつけられると、女の人たちは、はあーいと低い声で返事をして、それから盛んに交渉を始める。
交渉は長々と、夜遅くまでかかった。
みんな顔がものすごく真剣で、ちょっと怖い。
すると村長さんが、大きな鉄製の珈琲豆を挽く機械を持ってきてくれて、それを回してガリガリやっていたので、アリシアがハンドルをとって替わる。
「珈琲は豆を分けずに、ここで飲んじゃうんですか?」
アリシアが何の気なしにハンドルを回しながらそう聞くと
「珈琲豆を挽く機械を持ってるのは、アリシアちゃんの家と、うちだけだからなあ」
村長さんがそんなふうに教えてくれたので、迂闊だったなとアリシアは赤面した。
「お茶は分けさせてもらうよ。ありがとうよ」
とのことで、ヒマになったおじさんたちと、お茶の葉を小分けにして紙に包んだり、残った熊の肉を分けたりする作業を、宴会をしながら一緒にこなす。
それから珈琲ができたから、皆に配って、そのときにお土産のお菓子も手分けして配った。
これは飴玉とか棗椰子と併せて三百個買ったから、一人一個ずつ配っても余りが出たので、小さな子から順に二個目をあげた。
皆が珈琲を飲み終わるころには、やっと話もまとまったみたいで、宴会もお開きになる。
集会所から出る前に、皆がアリシアにお礼を言ってくれる。
その中に、若い女の人がいて、全然知らない顔だったから、誰なのか聞いてみると、アリシアが学園に向けて出た後に村に夫婦でやってきた人で、名前はユンゲさんとのことだった。
ほんの小さな二歳くらいの男の子を抱っこしていて、その子がアリシアがお土産で持ち帰った砂糖菓子をひとつ、大事そうに小さな手でしっかり握っている。
少し齧って舐めた後なのか、べったべたになっていて、それを握っているものだから、ちょっときたない。
「これもらったの! アリシアおねえちゃんありあとお!」
あんなにいっぱい色々あったのに、分けてしまえばほんのちょっとで、この子には、たったこれだけのお菓子なのかと思うとアリシアは悲しくなった。
「……少なくてごめんね。もっと持って帰れたらよかったんだけど」
アリシアが思わずそう言うと、ユンゲさんは断固として首を振って
「いいえ、いいえ、アリシア様。たくさん、とてもたくさんいただきました」
とそう言った。
すると宴会に出ていて酔っぱらったおじさんがそばを通りかかって
「そーそー、腹が割れるくらい肉も食ったし、おみやげにも肉もらったし、ウイスキーだってありゃまだあと十回以上宴会ができるくらいあるもんね。
アリシアちゃんはおじさんには優しいんだな。なんつって! なはははは!」
とか言っていたら、そのおじさんの奥さんに頭をひっぱたかれていた。
今度の里帰りのときのお土産は、お酒はちょっとにして、お菓子を増やそう、とアリシアは心に決める。
「高価なお砂糖を、家族で何キロも頂きましたから、私が責任をもって、この子に何かお菓子を作ります」
ユンゲさんがそう言ってくれたから、アリシアはやっと安心して、皆に別れを告げてから、両親と一緒に家路についたのだった。




