ハーフオーガのアリシア86 ― 里がえりⅡ ―
ファルブロール伯爵領の、お屋敷に着いて、ご領主様と奥様に食事に招いていただいた、その翌日。
朝早くから起きて、お屋敷の大食堂で食事をいただいた後で、お嬢様と、奥様と、ご領主様に、実家に帰ってきますとご挨拶をして、寄子仲間の皆にも同じようにことわりを入れた。
学園へ戻るのに一週間前にここを発つので、一月の二十三日までにこのお屋敷に戻ってきてください、とトラーチェさんからは言われる。
十二月の末に学園を出て、そこから端月の五日をまるまる移動に使ってこのお屋敷に着いて、そこから一日休んで、今日が一月の二日だから、あと二十一日あるわけだ。
といっても、実家からご領主様のこのお屋敷まで四日ほどかかった記憶があるから、行き返りで八日使うわけで、そう考えると、案外と実家で過ごせる期間は長くない。
ご挨拶も済んだから、腰の後ろに大きなナイフを二つに、左腰に片手剣、右腰にいつもの手斧をつけて、防寒用に温度調節の術石のついた、いつもの胸甲を着こんでから、お嬢様から貰ったマントを身に着けて、最後に派手じゃない方の帽子をかぶった。
さあ出かけようとしたところで、一時間ほど出発を待ってと奥様に言われる。
何かと思って大食堂の椅子に座って待っていたら、奥様と、奥様に抱っこされたお嬢様がやってきて、やたらとでっかい箱を四つと、大きなポットを二つくださった。
何かと思って聞くと
「おべんとうとおちゃとみずよ。」とのことだ。
乾燥豆と野草と、適当になんか狩って、その肉でしのごうと思っていたから、これは嬉しい。
「あっ、ありがとうございます」
と、お礼を言うと
「ごはんとふくとすむところはわたすやくそくよ」
とのことで、申し訳なくなるくらいだ。
アリシアは宝物をしまうようにして、でっかい弁当四つと、大きなポット二つを腕輪にしまい込む。
腕輪の中を見る(目の前にない部屋のようなものが視界とは別に見えているという感覚は不思議なものだ)と、兜とか手足に付ける鎧とか、塔盾とか大弓に矢筒に大剣、それにエルゴルさんにもらった、もっと大きい大剣とか、長柄の斧槍とか、そういう普段は身に着けない武器が置かれてある。
その横に普段着ている服や下着の山があって、そのとなりに今かぶってないほうの大きな羽根飾りがついた派手な帽子が置いてあった。
同じところに、宿屋のおねえさんにもらったムダ毛剃りの小さな刃物とか、体を洗う時の薬液の箱とか、拭き布とか、診療部のウビカちゃんと観劇に行ったときにジュースを買って、そのときに買い取った素焼きのコップとか、読みかけの本とか、武器の手入れ用の油やぼろ布とか、野営用の鍋とか、獲物を解体するときのロープとか、桶とか、その他の特別なナイフとか、書類とか、そういう細々したものも置いてある。
さらにその隣が、奥様に作っていただいた盛装の大事な服の類だ。
そこに魔獣討伐演習が終わってからもらった、勲章とか徽章も紙箱に入れて置いている。
その横には『学用品』ということで、授業を受けるために持っていくものをいれる、お嬢様につくっていただいた鞄が置かれていて、中にはお嬢様から貰った紙で作ったノートが十冊と、インク瓶と、お嬢様に買っていただいたガラスペンや、予備の普通のペンが入っている。
それから少し離れた場所がお金とか財産を置いてある場所で、スクッグさんにもらったのとか、月々の給料でもらった金貨や銀貨や銅貨の小さな山とか、魔獣討伐演習が終わって貰った小切手の束とか、ここのお屋敷に来る途中で、お嬢様に勧められて買った鉄のインゴットが百何十本に、あとガラスの食器とか花瓶とか砂糖壺とかそういうのが何十個か入った木箱もある。
また少し別の場所には、この間買いまくった本とか色とりどりのインクの瓶などの文房具とか布地とか糸とか縫い針とかボタンとかリボンとかお菓子とかのお土産の類がある。
その少し脇に場所を確保して、父親用の高級なワインとか、お母さん用のレースとか、家族で食べるチョコレートの高いお菓子とかを別に分けてある。
その隣の場所は、お嬢様がくださったほうのお土産で、ウイスキーの大きな樽が二つに砂糖の棒が何十本、あと百匹か二百匹かの干魚の山がある。
それにここへの旅行の前に預かったお嬢様からあずかった保存食や、自前の保存食とかもある。
あとは魔獣討伐演習の前に、魔獣に投げつける用に、お嬢様にもらった石の山か。
こうして並べてみると、奉公に出てからこれまでにあったことを思い返して、自分もずいぶん物持ちになったなあとアリシアは感心する。
腕輪の中のものの配置を調整して、弁当とポットを分かりやすい場所に置きなおしたところで
「冬だから腐りにくいけど、それでもお弁当のほうは明日の昼までには食べてね」
と奥様が言ってくださる。
この愛されてる感じが最高だよね、と嬉しくなって、アリシアは奥様とお嬢様に、もう一度お礼とご挨拶をしてから、お屋敷を出発したのだった。
◆
さて、実家から、このお屋敷までは、前はたしか四日くらいかかったはずだと、アリシアは記憶を探る。
奉公に行くのに、森族のスクッグさん、土鬼族のヴルカーンさんと一緒に旅をしたときにそれくらいかかった。
急いで帰れば、そのぶん実家でいられる時間が長くなるわけで、自然と急ぎ足になる。
少し雪が降っている道をひとり。
ひんやりとした風を顔に感じながら、こういうのはしばらくなかったなと思う。
お嬢様といっしょのお屋敷の中は、いつでも快適な暖かさだし、どこかに出かけるときでも、だいたい寄子の皆で一緒におしゃべりしながらだから、一人になったりはあんまりしないし、そのせいか寒いとかそんなふうに感じることもあんまりなかった。
アリシアは、なんだか自分が弱くなったように思えて、気に入らない。
それで、自分を痛めつけたいような気分になって、近道もできることだし、わざと街道を外れて実家の方向に向かって森に入った。
手斧を振り回して、あるいは巨体にまかせて押し通り、藪を漕ぎ、枝をはらいながら進んでいくと、やがて獣道を見つけて、そこをつたって歩いていく。
そのうちに、少し開けた場所に出ると、そこには周囲の樹々の皮が剥がれていて、あっちこっちに大きな爪の跡があったり、樹皮と樹の芯の隙間に毛の塊が挟まっているのが見えたのだった。
なんだか大きな何かが暴れたような跡があって、あっちこっちの木の枝が折れてもいる。
地面には糞もあって、それはあんまり匂いはしないけれど、近くから鉄が錆びたような血の匂いと肉の腐ったような匂いがした。
少し見回してみると、こんもりと土が盛り上がっているところが見える。
荒らされた木立から、太めの枝をひとつ折り取ってその土山を崩してみると、たぶん鹿か何かの死骸が見える。
これは熊が食べかけの獲物を隠すときに作るやつで、つまり、もう年を越しているのに冬眠してない熊がいるということだ。
冬眠に失敗した熊は、飢えたままあっちこっちうろついて人間を食べたりするので、危ないから殺しておかないといけない。
それでアリシアは、わざとガサガサと音をたてながら、これ見よがしに土山を崩したり、藪を突っついて音をたてたりした。
熊は獲物を隠した土山には特にこだわるから、この土山を作った、それも冬眠を失敗して腹を空かせている熊が近くにいればたぶんこっちにやってくる。
やがて、枝や枯葉や苔を踏む音が聞こえはじめ、シューシューという呼吸音が聞こえてきたので斧と片手剣を持って待つ。
かなり大きな赤熊が藪の中から出てきた。
けっこう大きくて二メェトル半ほどもあるだろうか。
熊はアリシアを見るなり突進してきたから、アリシアは跳び退きざまに、手を伸ばして熊の頭に手斧を叩きつけた。
熊はちょっと歩行がヨレたけれども、向きなおってくる。
完全に熊がこちらに向きなおる前に、アリシアが跳びかかり、頭頂部にもう一回手斧を叩きつけた。
すると熊の頭の皮がめくれて骨が割れて脳味噌が見える。
熊が完全にふらついたところで、アリシアは熊の目のところから片手剣を突き入れて、そうして熊は一瞬痙攣してから動かなくなった。
熊を狩れたのは嬉しいけど、これは荷物だなあという気もして少し困る。
お嬢様の荷物袋の異能なら腐らないから、いくらでも魔獣でも熊でも野牛でも狩って、お嬢様に預けて忘れてしまえるけれど、アリシアの腕輪は時間は止まらないから、はやいとこ解体しないと腐るのが困る。
◆
まあでも仕方がないから、とりあえず荷物袋の異能に、熊の死骸も詰め込んで、アリシアは再び歩きはじめる。
やがて、ちょっとした沢のそばに出たので、もう夜だし腹ごしらえをすることにする。
それで、荷物袋の異能から取り出した熊の死骸を、近くのなるべく大きな木にロープで吊るした。
熊の腹側を割いて、内蔵の中でも特に傷みやすい膵臓とか腎臓とか胃腸を取り出して、沢の水でよく洗う。
脳味噌は食べると病気になるらしいので、ほじり出して地面に埋めた。
そうして火を熾して、膵臓から順に塩と香辛料をすりこんで焼いていく。
それからポットも火にかけて、お茶も温める。
お弁当の箱をわくわくしながらひとつ開けると、大きなパイと、タルト、チーズの塊と林檎が三つ、あと飴をかけた胡桃が入っていた。
これも火のそばで温めながら、熊の膵臓と一緒に、熱いお茶といただく。
パイはお肉のミンチと玉葱のみじん切りに、あと何かの茸と香草が入っていてすごくおいしい。
火の始末をして、仮眠でもとろうと大きな木の根元にもたれかかったけれど、遠くからガサガサと音がして、たぶん狼か何かがいる音がした。
五匹か六匹か、それくらいか。
熊から抜いて捨てた血の匂いとか、熊のモツを焼いた匂いがしているから、そりゃ来るよねとは思うけれど、そうなると眠れない。
ずうっと息を殺していると、狼たちは大胆になって、だんだん距離を詰めてくる。
夜目の効く目でアリシアが見ると、ついには、すぐそばまで来ているのが見えた。
そこでアリシアは突然跳ね起きて、狼に向かって突進して、片手で狼の首筋を掴んで振り回して、そのへんの木の幹におもいきり叩きつける。
狼たちは慌てて逃げようとするけれど、アリシアは握っていた狼を放り出して、もう一匹の狼の首筋をまた捕まえる。
倒れこむようにしながらさらに一匹の後ろ脚を掴んで、転げまわりながら立ち上がると、手に持った狼をそれぞれ、また木の幹に叩きつけて殺した。
耳をすませていると、残った三匹くらいの狼が、どんどん遠ざかっていく音が聞こえる。
やがて音も匂いもしなくなったので、アリシアは、狼の腹をそれぞれ裂いて、肛門のところを丸く切って内臓を抜いて、沢の水で洗った。
どんどん荷物が増えるし、また血の匂いを別の狼かなんかに嗅ぎつけられて、変についてこられて、うっかり村まで連れていったらいけないので、もうアリシアはここでは寝ないことにする。
熊の死骸ひとつに狼の死骸を三匹分。それに野営の道具やらを腕輪の中に入れなおして、周囲を片付けしてから、そうしてアリシアは、また歩きはじめた。
◆
手早く食事をしたり、短く休憩をしたりする以外は、ずうっと歩いて、そうしてさらに丸三日が過ぎて、ようやくアリシアは故郷の村の近くまで帰り着いた。
けれども、四日くらいも風呂も入ってないし、水も浴びてないドロドロの汚れ放題だったので、アリシアは人に会わないように、やっぱり道を外れて、木立や森の中を移動する。
そうしてそのまま山に入って少し登り、朝焼けの中を、ようやっと自分の家に帰りついたのだった。
◆
久々に、前の春ぶりくらいに見た実家は、あんまり変わってないように見えた。
そりゃまだ家を出て半年とちょっとくらいだから当たり前だよねとも思う。
感慨深く眺めていると、アリシアが歩いてくる音が聞こえたのか、父親が玄関から出てくる。
父親は、風呂にも入らず、熊や狼を狩って転げまわったりしてドロドロの格好でいるアリシアを、上から下まで眺めまわしてから、ちょっと嬉しそうな、あるいはちょっとがっかりしたような表情で
「あんまり変わりないようで良かったよ」と言った。
いや、そんなことはないんだと、すっごく色々あって、私もだいぶ変わったんだと抗議しようとしたところで、父親の後ろからお母さんが出てくる。
お母さんは目に涙を溜めて、ものも言わずに抱き着いてくるけれど、アリシアが臭かったのか、そこで顔をしかめて
「お風呂に入りなさい」と言った。
それがおかしくて、アリシアはちょっと笑ってしまう。
お母さんの前では、私はやっぱり子供で、変わってないところもちゃんとあると思うと、アリシアは安心して、はあい、と良いお返事をする。
狩った熊と狼三匹の死骸を腕輪から取り出して、父親に処理を任せてから、アリシアは風呂の用意に取り掛かったのだった。




