file24:夜明け前
千博と貫太郎は黙々と自転車を走らせ、海辺にやってきた。寒さから逃れるように入ったファーストフード店。逃亡中の犯罪者のように、警察へ連絡されないかと不安になりながら、貫太郎は疲れから眠くなってしまった。
意識の中では一瞬の出来事だったが、それでも数時間は経っていたらしい。外はまだ薄暗いが、日の出ももうじきのようだった。店員の女性に起こされたとき、向かいの席にいたはずの鈴原は消えていた。
言伝もなければ書置きもなかった。慌てて店から飛び出した僕だったが、すぐに動揺は収まった。平静を取り戻した理由は駐輪場にあった。深夜から置いていた僕の自転車。その横に鈴原の物も並んで止めてあったのだ。
まだ鈴原は出発していなかった。おそらくこの辺りを散策しているのかもしれない。少し安心して海の方を眺めると、案の定、彼女の姿はそこにあった。
砂浜に座り、独り寄せては返す波を眺めているようだった。遠い間だし、後姿だったからどんな表情をしていたのかわからない。けれど、なぜかいつも強気な印象を与える彼女の背中が、このときはやけに小さく儚げに感じた。
僕は鈴原のもとへ行こうかためらった。どうやって声をかけたら良いか、思い付かなかったのだ。それに彼女が何を考えているのか、それを知るのが少しだけ怖かった。
ただ、こうしてガードレールに手をかけて見ているのにも限界があると思った。僕は少しだけ勇気を出そうと決め、そして極力楽観主義になろうと心に留めて浜辺へ向かった。
何も言わず隣に座ると、朝陽が水平線の向こう側から現れるのを待った。横顔は確かめなかった。
しばらくして、鈴原のほうから僕に話しかけてきた。
「冬の海って、何だか寂しいね。夏の元気をみんな使ってしまったみたい」
鈴原は怒るでもなく、また泣くでもなく、ただ遠い目で水面を見つめていた。
「これから、どうするんだよ」
「帰るよ。無理だってわかったから」
家出をした子供が大人の作った社会の中で生きていくには限界がある。こちらが眠っていた数時間の間に、鈴原は心の中でそんなひとつの現実を受け止めたようだ。でも、知ることと認めることとは違う。彼女の突っ張ったような言葉の語尾に、三ヶ月誕生日が遅いはずの僕は少しだけ年上になったような気がした。
ここで冒険の旅が終わる。そう思うと、やっぱりと納得する一方で、どこか残念な気持ちにもさせられた。所詮、長くは続かないだろうと理解していたし、それほど期待していたわけでもない。ただ、もう手を伸ばせば、もしかしたら新しい何かが手に入ったかもしれない、ふたりだけの生活があったのかもしれないと、ほんの少しだけ思えたのだ。
僕の顔をチラリと一瞥して、鈴原は尋ねた。
「石井さ、まだ……私のこと好き?」
ドキン。心臓が激しく打ちつけた。
好きでなければ、こんな無謀な計画に付き合ったりはしない。とっさに喉元まで出かかった饒舌な台詞は無理やり胃の中へと押し戻された。自分には上手く言えないと悟ったのだ。だから、僕は黙ってうなずいた。
すると、鈴原は微かに頬を染めながら、それでいてどこか悲しげな表情で首を横に振った。
「すぐ嫌いになるよ」
「俺は……嫌いになんかならないよ」
「なるよ。絶対になる」
「ひとの気持ちを勝手に決めるなよ」
少しムキになって返したが、それでも鈴原の様子は変わらないようだった
つまんだ砂を僕の足へ投げて、鈴原は非難するように言った。
「石井はまだ子供なんだよ」
話を続けるのも億劫なのか、鈴原はそれから目を閉じて黙り込んだ。
僕は鈴原の予言に不安を覚えた。確かにあの日の出来事を振り返るたび、そして鈴原のことを考えるたびに心がジクリと痛んだ。細長い針で刺されたような感覚が胸の奥にまで届いた。まるで鈴原千博が汚れたのだと、そう心の中で刻印が押されているようだった。
鈴原千博は汚れた。決してそうではない。鈴原は何も変わっていない。頭ではわかっていた。しかし、わずかな道徳が教科書通りの反論を繰り返しても、この焼き付いた捉え方はどうしても僕の中から消えることがなかった。むしろ深く想えばそれだけ、葛藤が強くなっている気がした。だから僕は意識的に考えないようにしていた。そんな卑しさを看破されてしまったのかもしれない。
何度か鼻を啜ったと思っていたが、気付くと鈴原は泣いていた。ひざの間に顔をうずめ、涙を隠していた。
「帰ろうか」僕は言った。
こうして僕らの時間は日常へと戻った。もう夏は終わったのだ。
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