file22:お別れを言うために
指導により、自転車の腕前は確実に上達していた。しかし、後もう少しというところで必ず転ぶ千博。貫太郎には、彼女がわざとそうしているように思えた。そんなある日の帰り道、千博の父親と鉢合わせた。転んで出来た怪我を見て、いじめられていると誤解されたことから、練習を続けることができなくなってしまった。
思いがけず第三者の手によって練習が打ち切られてから日にちが経って、二学期も終業式を迎えた。
鈴原は依然として教室へ現れなかった。説得が通じたのだろうか。それとも脅しだけだったのだろうか。彼女の父親が怪我のことを報告した様子はなく、恐れていた先生からの呼び出しも、また両親からのカミナリもこちらへはふりかかっていなかった。
今日は冬休みの前日であると同時に、クリスマスでもあった。はたして鈴原は自転車を買って貰えたのだろうか。僕はそれが気になっていた。
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
帰りの挨拶が終わり、通信簿をランドセルにしまおうか、このまま捨ててしまおうか悩んでいた僕に、学級委員の鮎川が声をかけてきた。なにやら内緒の話らしい。場所を変えたいようだったので、ひと気のない階段の踊り場へと移った。
「千博から手紙を預かったの」
僕達はあの日を最後に一度も会っていなかった。電話もしていなかった。全く連絡の取れていなかった鈴原からの言葉に、僕の心臓は高鳴り、胃は収縮した。
「何て書いてあるの?」
興味深げに鮎川が聞いてきた。どうやら何も聞かされていないらしい。
咳払いを一回。それから僕は慎重にセロテープを外した。
ノートを破って折り畳んだだけの簡素なつくり。鈴原らしい手紙の文章は謝罪からはじまっていた。
この間のこと、ごめんなさい。
お父さんもわかってくれて、少し早めのクリスマスプレゼントとして自転車を買ってもらいました。
それからひとりで練習をして、ようやく乗れるようにもなりました。
だから今日、私は旅立つつもりです。
最後にもう一度、ちゃんとしたお別れがしたいので会いたいです。
午後四時に駅の南口で待ってます。
西の空がオレンジ色に染まり始めた駅前のロータリー。大きな荷物を負ぶって新品の自転車へまたがる鈴原に僕は声をかけた。
「男物なんだな」
ピンク色のいかにも女の子らしい種類か、一般的な自転車だと思っていた。けれど鈴原に魅力を感じさせたのは見た目よりも速さだったらしい。選ばれたのは八つもギアがある黒色のスポーツタイプだった。
「どうして」それが鈴原の第一声だった。「なんで石井がリュックを背負ってるの」
もとから告白の返事などは期待していなかった。しかし、お別れですと言われて、はいそうですかと納得できるはずがない。家出となれば、なおさらだった。
「お別れを言うために手紙を書いたんだよ」
「知ってるよ」
「じゃあ、どうしてそんな格好をしてるの」
「そりゃ一緒に行くからだよ」
一見噛み合っているようで、そうでない会話はしばらく続いた。こっちが頑固ならば、向こうもそうなのだ。
だけど、今回は状況が後押ししたのだろう。無駄な体力を消耗したくないと思ったのか。何も言わずに鈴原は出発した。
後に続いた僕は前を行く鈴原に尋ねた。
「何処へ行くつもりなんだよ」
無視を決め込んだつもりらしく、答えは返ってこなかった。それでも向かう方角からなんとなくわかった。町の南には自転車の練習で利用した土手の空き地がある。川沿いの道を下流に進み、海へ出ようとしているのではないだろうか。
一時停車の機会は思っていたよりも早く訪れた。入り口に自転車を止めて、鈴原は町外れの小さな神社の境内へと入っていった。
自転車が置いてあるため、僕は行動を供にしなかった。いったい何をしていたのだろう。しばらくして出てきた鈴原の目は少し赤く腫れているようにも見えた。
「約束、忘れちゃってたんだね」
再び出発させるとき、独り言ともとれるような様子で鈴原は言った。
憤りというより、寂しさのほうが強かったのかもしれない。それは後にわかる僕の罪に比べれば、あまりにささやかすぎる批難だった。
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