終焉からの始まり
朝。教室に足を踏み入れた彩和月拓哉は内心驚きを隠せなかった。
いつものように自分の教室へと登校してくる生徒。自分達の机の前で雑談を楽しそうに繰り広げるクラスメート達。
そこには彼がいつも送っている日常が当たり前のように存在していた。
それはとても一週間前ここで自分の命を掛けた魔術師同士の戦いが繰り広げられていた場所だとは想像出来ないくらいに全てが元通りに戻っていたのだった。
あの後《関西》の《代表候補者》を倒してからすでに一週間が過ぎ去っていた。
全てが終わった後拓哉自身が目を覚ましたのは一週間後の朝……。
つまり今日彼は自分のベッドの上で目を覚ましたばかりだった。
あの時自分は確か進藤の《言霊縛り》の毒を直に受けて倒れてしまった。
何とか《言霊縛り》の即死を回避する事に成功したと言えど《言霊縛り》に備わっている猛 毒を避ける事は出来なかった。
あの瞬間自分の死を何処かで少なからずとも自覚していた……。
……何故俺は生きているんだ……
そう思いながらもあの時、あの瞬間《関西》の《代表候補者》へと自ら対峙した事や、自分から彼女と《契約》を交わした事、それすらがまるで遠い夢だったのではないかと錯覚してしまう。
だけど夢なんかではなかった。
あの時ボロボロだった身体の傷は今は傷痕すら残さず元通りになってはいるが、自分に流れる魔力が以前より違う事は明らかだった。
夢なんかじゃない。
《関西》の《代表候補者》を倒した事も。
あんなに嫌い、拒み続けていた《代表候補者》を自分から望んだ。
あの瞬間全てが現実だった。
だったら自分の身体も彼女が……アリスが治したと言う事なのだろうか……?
いずれにしても彼女から話を聞く必要がある。そう思い拓哉は起きてすぐに部屋中彼女を探した。
だが彼女の姿は部屋の何処にも無かった。
ひょっとしたら学校に来ているのかもしれない。そう思って来ては見たがまだ彼女の姿を見つけられてはいなかった。
もしかしたら学校に来ているのかさえ怪しいのだが、それ以前に彼は彼女に会いたかった。
それはあの時瞳に涙を溜めながら自分の方へと駆け寄って来る彼女の顔が今も頭に焼き付いて消えずにいたからだった────。
「おっ! 拓哉久しぶりじゃん。もう体の調子は大丈夫なのか?」
その言葉と共に後ろからポンと肩を叩かれ、拓哉は後ろを振り向く。
そこには肩に鞄を担いだ庵の姿があった。
拓哉は思考をすぐに切り替え、
「ああ。思ったより風邪が長引いていたからな」
そう苦笑いを浮かべ誤魔化しながら自分の席へと向かった。そして庵もそれに続いた。
「しかし早く治って良かったな。春になったばっかだと言うのにまだインフルが流行ってるらしいぞ。しかもこの前テレビで言っていたけどよ、タチが悪いことにさらに長引くらしいしな」
「それってただ単にインフルをこじらせて肺炎になるとかそんなパターンじゃないのか?」
そんな会話をしながら二人は自分の席へと着いた。
そして拓哉の前の席にいた庵は自分の鞄の中を何やらゴソゴソと漁り出した後、後ろの方を振り向くとニ、三冊のノートをずいっと拓哉の前に差し出した。
「何だよコレ?」
怪訝そうな顔をして訊ねる拓哉に庵は少しばかりぶっきらぼうに答える。
「お前ここ最近休んでいただろう……。ノート取ってやったんだ。有難く受け取れ。他の科目とかの分は必要な時に貸してやっから。もちろん俺が使わない時にな」
「庵……お前……」
まさかクラスメートで友人(男)から女子みたいな親切をされるとは拓哉自身思ってもおらずコイツマジで良い奴……などと一瞬ジーンとしてしまう。
だが拓哉はハッと気づいた。
確かに庵は良い奴だ。
それは間違えない。が、しかし奴はこんな気が利いて、女子がやるような事をやるような男だったのだろうか?
しかもあの面倒くさがりの庵がだ。
「随分と親切にしてくれるんだな。確か前に俺が休んでいた時お前ここまでしてくれなかったよな?……単刀直入に聞く。何が目的だ」
何かを警戒しながらも訊ねるように聞く拓哉の言葉に庵は唇の端を緩め、ニヤリとした顔を浮かべた。
「さすが拓哉だな。俺の善意の押し売り作戦にも引っ掛からないとは……」
「何が作戦だよ。バレバレだし、それ」
呆れ混じりの突っ込みをする拓哉を無視し、庵はキッパリと拓哉へと告げた。
「これやるからアリスちゃんの写メを撮ってきてくれ!!出来れば超絶激レアの寝顔とかも欲しい!!」
「無理に決まってんだろ。それにお前この前まで亜利砂、亜利砂言ってただろう。それが何で急にアリスに変わってんだよ」
拓哉の台詞に庵はふっと小さく鼻で笑い、腰に手を当て瞳を閉じ、そして瞳を開くと共に、
「拓哉お前は馬鹿だな……。良いか、拓哉よ。男は皆可愛い女の子が大好きなんだよ!!!誰か一人だけとは決められん!!」
びしぃぃと指を拓哉の方へと指した。
それは高らかなドヤ顔宣言と言ってもいい程のものだった。
庵の宣言はクラス中に聞こえていたが、彼の性格はクラスメート全員が彼の性格を黙認さはており、庵の言動はいつもの事だと思われていた為誰も見向きもしてはいなかった。
しかしそんな中で。
「またぁ庵君はそんな馬鹿な事を言っているの?」
それは聞き慣れた声で。拓哉自身が良く知る声だった。
拓哉は声の方向へと顔を向けた。
そこにはいつの間にか庵と自分の席に近付いて来た一人の女子生徒……結城亜利砂の姿があった。
「おはよ。亜利砂ちゃん。大丈夫俺君の事も愛しているから!!」
まるでそれが挨拶かと思うほど庵はビッと親指を立てて良い笑顔で亜利砂へと言う。
そんな庵に亜利砂はニッコリとした聖母のような微笑みで返した。
「わたしは君の事愛してないし、眼中にないから」
「ぐはぁ」とまるで効果音でも聞こえてきそうな音と僅かな悲鳴に似た声を上げ、何かしらのダメージを受けながらも机の上に項垂れるように倒れ伏す庵。
それを横目で見て亜里砂は拓哉へといつもと変わらない柔らかな表情をしながら言った。
「拓哉君、昼休み話があるから屋上に来てくれるかしら?」
何処か寂しそうな色を宿した瞳で亜利砂はそう言った。
何故彼女がここにいるのか、あの後どうなったのか聞きたいことは山ほどあった。
だけど魔術師として戦っていた彼女の面影などは一切感じさせず、今までのようにただのクラスメートとして亜利砂は拓哉へと話し掛けてきた。
だが同時に彼女の瞳は何処か吹っ切れたような瞳をしており、拓哉は聞きたい事、言いたい事を全て飲み込んで彼女へと拓哉は「分かった」と短く答えた。
昼休み。
屋上で春の柔らかい微風に長い黒髪を靡かせながら気持ちよさそうに亜利砂は瞳を細めた。
もう四月と言う事もあり、若干の肌寒さはあるが今日は天気が良く日が照っている為普段よりポカポカと暖かく感じられた。
僅かに乱れる髪を亜利砂はそっと手で押さえ、後ろにいる拓哉へと振り返りながら笑って話し掛けた。
「風が気持ち良いね。やっぱり今日ここにお弁当持ってくれば良かったね」
そう笑い掛ける彼女に拓哉は不思議そうに、それでいて僅かに戸惑いの色を浮かべていた。それを見、亜利砂は拓哉へと小さく苦笑をした。
「そんなに警戒しなくっても大丈夫だよ。わたしはもうあなたとは戦わないから」
「あのさ……お前に聞きたい事があるんだけど、あの後一体どうなったんだ!?俺はあの時《言霊縛り》の毒に侵されていて助からなかった筈だ。それなのに何で俺は生きているんだ?それに進藤はどうなった!?アリスは……」
矢継ぎ早で困惑気味に訊ねる拓哉に亜利砂は
小さなため息と共に「少し落ち着きなさいよ」と言った後、再び静かな口調で答えた。
「あの後主様……進藤様は《総務部隊》に連れて行かれたわ。元々今回の一件は一般人だったあなたを上の命令で排除する事だった。
本来ならば契約条例違反と見なされ、《代表者》共々処分の対象となる。だけど上は進藤様を切り捨てた。進藤様の独断での暴走と処理をして……。だけど同時にあなたはあの戦いの中で神宮時アリスと《代表候補者》の《契約》を交わした。《代表候補者》同士の戦闘となるとまた話は違ってくる。だから《総務部隊》は今進藤様の魔術師としての対応を慎重に検討している最中なのよ……」
亜利砂は言葉を切り、そして近くのフェンスへと足を向けた。
「そしてあの時の戦いの中であなたは毒に侵され、助からなかった命は神宮時アリスが助けたわ。わたしには今彼女が何処にいるか分からない……。だってあの時以来わたし彼女に会っていないんだもの」
フェンスの前で立ち止まり、外の景色へと目を向ける亜利砂へと拓哉は言った。
「違うだろ」
「え?」
否定の言葉を口にする拓哉に亜利砂は振り向き、怪訝そうな顔をした。
だが次の瞬間彼女は顔色を変えた。
「あの毒を浄化したのはお前だろ?」
「…………ッ!?」
「あの毒性は特殊でしかも猛毒だった。あんなもの普通の魔術師ならいざ知らず、並の魔術師ですらも浄化する事は不可能だ。それこそ浄化魔術を持つ《朝霧の巫女》か《九州》の浄化魔術を操る《代表者》では無い限り……」
拓哉の言葉に亜里砂は眉根を下げ、そして悲しそうな顔をして静かに頭を横に振った。
「こんな事大した事ではないわ……。今まであなたを騙し続けていた事に比べたら……」
亜利砂は自分の罪を悔やむように、後悔の色をした瞳を拓哉へと向け口を再び動かした。
「本当はね……今日拓哉君をここに呼んだのは助けてくれたお礼と今までの事を謝りたかったからなの。だから呼んだんだ……。あの時……殺されそうだったわたしを助けてくれて有難う」
そして彼女は辛そうにそれでいて悲しそうな顔をして言葉を続けた。
「そして今まで騙していてごめんなさい……。謝っても赦される事じゃないって分かってる。わたしの自己満足だって事も知ってる。だけど、それでもあなたに謝りたかった。あなたはあんなになってでもわたしを見殺しになんってしなかった。進藤様に騙されていたとは言え、長くあなたを騙し続けていた事に変わらないから……だからごめんなさい」
亜利砂は拓哉にそう告げると深く頭を下げた。
今まで自分は彼を騙し続けてきた。
それと同時に彼と知り合う前からこの学校に潜り込み彼の事を調べあげ、彼と友人になって彼の信用を得ながらずっと彼を騙し続けてきたのだ。
進藤から彼を殺せと言われた時も自分の中で躊躇はなかった。
彼の事はただの一般人まがいなもの。
もしくは《生命の源》の所有者としてしか見ていなかった。
彼の犠牲によって自分の《国》が救われる。
自分が信じた人の進むべき道がひらける。
それを信じて疑わなかった。
《関西》が今より少しでも良い状況に向かって行ければいいと思っていた。
先へと繋がる未来があればそれだけで良かった。
自分の願いはそれだけだった。
だけど自分は今まで進藤に騙され、利用され続けていた。だけど何も知らなかったとは言えど彼を傷つけた事には変わりはしない。
彼から酷く責められ罵られ、殴られても文句はなかった。
だがそんな亜利砂へと拓哉は、
「顔を上げろよ」
いつもと変わらない口調で言った。
拓哉にそう言われ亜利砂は悲しげに不安そうな顔をしながらおそるおそる顔を上げた。
「でもさ、あの時お前は俺達を助けてくれただろう。俺がアリスと《契約》を交わすあの瞬間、お前は進藤の注意を俺達から逸らしてくれた。お前のお陰でアイツと《契約》出来たし、奴を倒す事が出来たんだ。本当ならあの時お前は俺の背中から炎の矢で討つ事だって出来たんだ。そうすれば進藤だってお前の失態を取り消していたかもしれない……。だけどお前はそれをしなかった」
「だけど!わたしはきみを今まで騙していたんだよ!!自分の願いと理想の為だけにあなたを本気で殺そうとした。それでもきみはこんなわたしを責めないの!憎いと思わないの!?」
「確かにお前のやっている事に対してムカつきもしたし、腹も立った。ずっとお前の事を友達だと信じていたからな」
「────ッ!?」
静かに言う拓哉の口調に亜利砂は一瞬苦しそうな顔を浮かべた。
それでも拓哉は言葉を続けた。
「確かにお前は俺を騙してきた。その事実は変わらない。だけどさ、その中に……今まで友達として一緒に過ごしてきた中で、魔術師の結城亜砂じゃなくって一人の友人としての結城亜利砂がいたんじゃないのかって思ったんだ。全てが嘘なんかじゃない。嘘の中にお前の本心があったんじゃないかって」
「………………」
「そう言えばさ、あの時お前に言いたい事があるって言ったよな……」
そう言われ亜利砂は思わず顔が強張り、自分の中で緊張するのを感じた。
だが拓哉はふっと柔らかい表情を浮かべ、亜利砂に手を差し伸べた。
「亜利砂……もう一度俺と友達になってくれるか?」
「は?あなた何を言っているの?今さらそんなの出来る訳ないじゃない!?だってわたしはあなたを騙し続けていたのよ……そんな人間に自分が何を言っているのか分かってるの!?」
拓哉の言葉に亜利沙は困惑と否定の言葉を口にしながら半ば強く叫ぶように言い放った。
だけど拓哉はそれでも表情を崩さなかった。
「分かってるよ。俺は魔術師の結城亜利砂とじゃなくって、ただの結城亜利砂ともう一度友達になりたいんだ」
そう言うと拓哉は苦笑混じりに小さくくしゃりと笑った。
「だってお前良い奴じゃん。俺と庵が課題忘れると文句言いながらもノート貸してくれるし、勉強だってたまに見てくれるしさ」
「そっ……そんなのはただあなたに恩着せがましくしていただけよ!……それにわたしまた裏切るかもしれないわよ!あなたの事だってわたしが自分の身可愛さにあなたの情報を他国に売るかもしれないわよ。あなたはもう《代表候補者》なんだから」
「お前はそんな事しないよ」
彼女の言葉に彼は断言するかのように静かに言う。
「《代表候補者》付きの魔術師から外されたわたしはあなたに復讐するかもしれないわよ
。あなたのせいでわたしは《上核》魔術師を下ろされるかもしれないんだし」
「しないよ」
「拓哉君は本当に馬鹿だね……それでも信じるんだ……こんなわたしを……」
「馬鹿なのは余計だ」
亜利砂の言葉に拓哉は小さく呆れながら言った。
だけどその言葉にまた亜利砂は今にも
泣き出しそうに、それでいて苦しそうに小さくふっと笑った。
「きみって……本当に甘いよね……。それも嫌ってほど甘すぎるよ……」
目尻に涙を溜めながら、彼女の髪が柔らかい風にふわりと乗るように靡いた。
それはあまりにも綺麗な光景で、思わず目が奪われてしまう程だった。
亜利砂は差し出された手に自分の手を伸ばしながら、少しばかり躊躇して彼の手に取った。
そして悲しそうに、それでいて何処か少しだけ嬉しそうに笑いながら唇を動かした。
「───有難う。拓哉君」
彼女が握った彼の手は暖かく感じた。
暫くしてから手を放した亜利砂は何かを思い出したかのように拓哉へと訪ねるような素振りで話し掛けた。
「そう言えば拓哉君、神宮時アリスを探してるって言ったよね?」
「ああ。もしかして心当たりとかあるのか?」
そう訊ねる拓哉に亜利砂は小さなため息を吐きながら言った。
「あのね敵だったわたしがあの子の行きそうな場所なんって分かるわけないでしょ」
「うっ……。確かに……」
思わず口ごもる拓哉に亜利砂はふとある考えが一瞬浮かび上がり、そして小さくクスリと笑った。
それはこれぐらいの事は許されるだろう……。
そう思い彼女は唇の端を吊り上げ、後ろで腕を組みながら悪戯混じりに拓哉へと微笑んだ。
「でも一つだけ教えてあげる。きみはあの子に感謝しないといけないよ。あの時毒を浄化したのは確かにわたしだけど、あなた自身を助けたのは紛れも無く彼女だからね」
その言葉に拓哉は自分の中で亜利砂の言っている意味がまるで理解が出来ずにいたが、だけどそれでも彼女はいつもと同じ変わらない表情で言った。
それはあの頃、友人だった頃と同じ顔をして。




