第9話 騎士団の膿を切る依頼
バサッ、と。
王冠と剣が交差する厳格な紋章が押された封筒を、俺は事務所の机に放り投げた。
「王都騎士団の団長自ら、こんな裏路地の胡散臭い事務所に足を運んでくるとはな」
俺が正面の来客用ソファに視線を向けると、筋骨隆々とした初老の男が、苦虫を噛み潰したような顔で座っていた。
「……背に腹は代えられんのだ。我が騎士団の威信に関わる問題でな」
騎士団長は重々しい声で語り始めた。
依頼の対象者は、騎士団に長く所属する古参騎士、バルガス。
かつては前線で活躍した猛者らしいが、今は若手の育成という名目で後進の指導にあたっている。しかし、その実態は惨憺たるものだった。
「バルガスの『指導』は度を超えている。木剣での打ち込みと称して若手を一方的に叩きのめし、怪我人が続出しているのだ。さらに、部隊の手柄はすべて自分の功績として上層部に報告している節がある」
「なるほど。若手の成果を吸い上げて自分の手柄にする、典型的な寄生型の上司ですね。前世……いや、どこかの腐ったお役所仕事でよく見る光景だ」
「問題はそれだけではない。バルガスはどうやら、自身の身体の衰えや古い負傷を隠している。だが、かつての英雄を明確な証拠もなくクビにすれば、彼のプライドがどう暴発するか……」
「理不尽な追放だと逆恨みし、《逆境祝福》で覚醒されては困る、と」
俺が続けると、騎士団長は深く頷いた。
飼い殺し社会の極みだ。過去の栄光を持つ老害ほど、復讐を恐れて誰も鈴を付けられない。
「引き受けましょう。過去の勲章に胡座をかく老人のプライドをへし折る。極上のヘイトが期待できそうだ」
俺が邪悪な笑みを浮かべると、斜め向かいの席からカリカリと羽ペンの音が響いた。
フィオナが『依頼受諾。対象の社会的解体を立案中』とノートに書き込んでいる。
「では、早速調査に向かいましょうか。証拠固めです」
◆
王都騎士団、第三訓練場。
土煙が舞う広場には、重々しい打撃音と、若き騎士たちの苦痛に満ちた呻き声が響いていた。
「どうした! その程度でへたり込むとは、最近の若手は根性が足りんな!」
白髪交じりの巨漢――バルガスが、倒れ込む新人を木剣で容赦なく打ち据えていた。
若手の腕は不自然に腫れ上がり、明らかに訓練の域を超えた暴行だ。
「やめろと言っているだろう、バルガス!」
凛とした声が響き、ひとりの女騎士がバルガスと若手の間に割って入った。
蜂蜜色の髪を後ろで束ね、透き通るような碧眼を怒りに燃やしている。背筋が真っ直ぐに伸びた、正義感の塊のような少女だ。
「ほう。隊長令嬢のローレッタか。温室育ちのお嬢様には、実戦を想定したしごきが理解できんようだな」
「これは訓練ではない、ただの暴力だ! 彼らは怪我をしている!」
「ふん。口答えだけは一人前だな。まあいい、今日の指導はここまでにしておいてやる」
バルガスは木剣を放り投げ、唾を吐き捨てて去っていった。
ローレッタ――通称ロッタと呼ばれていた少女は、倒れた若手に駆け寄り、治癒魔法の使い手を呼ぶよう周囲に指示を出している。
俺は訓練場の隅から、その一部始終を眺めていた。
「怪我をしている若手たちから証言を取れば早いんだがな」
「……無駄だ。彼らは報復を恐れて、誰も本当のことを言わない」
俺の独り言に答えるように、若手の手当てを終えたロッタがこちらへ歩み寄ってきた。
彼女は俺の顔を見るなり、その端正な顔を険しく歪めた。
「お前は……先月、中央広場で冒険者の決闘騒ぎを起こしていた男だな」
「ご名答。追放通知代行人のダンだ。君はあの時の観客か」
「腕が立つのは認める。だが、相手を言葉で嬲り、絶望に追い込むあのやり方は外道だ。私はお前のような人間を認めない」
彼女の碧眼から、真っ直ぐで嘘偽りのない嫌悪感が放たれる。
素晴らしい。裏表のない、真っ向からの正義の敵意だ。俺はゾクゾクする背筋を抑えながら、口角を上げた。
「俺を善人にするなよ。その綺麗なヘイト、大歓迎だ」
――ピキッ。
俺のすぐ後ろで、空気が微かに凍てつく音がした。
振り返ると、フィオナが無表情のまま、手に持った羽ペンをへし折る寸前の力で握りしめていた。
彼女の紫紺の瞳が、ロッタを射抜くように見つめている。
「……新しい敵意候補。素性が良すぎる。危険な変数です」
フィオナがノートにカリカリと猛烈な勢いで何かを書き込み始めた。
ロッタの俺に対する嫌悪感を察知し、自分以外の人間が俺に強い感情を向けることを警戒しているらしい。
(ふふっ、フィオナのやつ、新しいアンチの出現に対抗心を燃やしているな。いいぞ、俺へのヘイトを巡る争い。極上の空間だ)
俺は幸せな勘違いをしながら、訓練場の裏手にある備品管理室へと向かった。
◆
「若手の証言が取れないなら、どうやってバルガスを追い詰める気だ?」
備品管理室の薄暗い部屋で、ロッタが俺を睨みつけながら尋ねてきた。
なぜか彼女も、俺の調査に同行すると言って付いてきているのだ。
「証言などという曖昧なものは、決定的な証拠にはならない。俺が信じるのは事実と数字だけだ」
俺は管理室の棚から、消費された備品の記録簿を引っ張り出した。
それから、ギルドに提出された第三部隊の魔物討伐記録の控えを並べる。
「ほら、見てみろ。バルガスの部隊は、討伐記録上ではバルガス本人がほとんどの魔物を倒したことになっている。だが、備品記録の『強力な鎮痛薬』と『魔力回復薬』の消費量が、若手ではなくバルガス個人に異常に偏っている」
「……これは?」
「バルガスは、すでに老いと過去の傷で、まともに戦える状態じゃないんだ。だから痛み止めを大量に服用して誤魔化し、若手が弱らせた魔物にトドメだけを刺して自分の手柄にしている」
ロッタが息を呑んだ。
さらに、若手たちに対する暴力的な訓練も、自分が彼らより上位にいると錯覚させるための、ただの威嚇行為に過ぎない。
「証拠は固まった。これですべて完全に論破できる」
俺が資料を鞄にしまうと、ロッタが強く唇を噛み締めた。
「……悪事を暴くのは正しい。だが、お前は対象を不必要に傷つける。バルガスは許せないが、お前のその悪趣味な手口も到底看過できない」
「なら、どうする?」
「私が立ち会う」
ロッタは一歩前に出て、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「お前が明日、バルガスにどう通知するのか。不当な傷を広げないか、この私が監視させてもらう」
正義感からの監視宣言。
つまり、明日も俺にその純粋な敵意を向け続けてくれるということだ。
「いいだろう。好きなだけ監視してくれ」
横では、フィオナが『監視対象を監視する者。要警戒』とノートに深く刻み込むように書いていた。
そして翌日の朝。
俺は鞄に完璧な証拠を詰め込み、二人の少女の重たい視線を背中に浴びながら、王都騎士団の会議室へと足を踏み入れた。
老害騎士の古びた鎧を引き剥がす、最高の一日の始まりだ。
【本日のヘイト評――熟成前夜。古い鎧の錆びた香り。横で正義の匂いもする。★保留】
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