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第8話 理不尽追放はお断りです、儲からないので

ジャラァァァンッ!


重たい革袋が、事務所の机の上に乱暴に叩きつけられた。

中身がこすれ合う硬質な音。間違いなく、大量の金貨だ。


「どうだ。代行費用としては、これで不足はあるまい」


ふんぞり返るようにして顎をしゃくったのは、上等な絹の服を着込み、キツい香水の匂いを漂わせた初老の男――王都に屋敷を構える子爵だった。


「はははっ! 不足なんてとんでもない! ようこそおいでくださいました、子爵様!」


ピノが狐の耳をピンと立て、尻尾を千切れんばかりに振って革袋に抱きついている。

だが、俺は腕を組んだまま、冷めた目で子爵を見返した。


「金払いがいいのは結構ですが、まずは対象の調査からです。あなたが追放したいという平民の事務官、リーヴ。彼が何か商会や領地に損害を与えた証拠はあるのですか」


「証拠だと? そんなものはない。彼は優秀に働いているよ」


子爵は悪びれもせず、鼻で笑った。


「だが、平民の分際で私の領地経営に口を出してくるのが目障りでな。それに、ちょうど私の甥が王都へ出てくる。彼をそのポストに座らせるため、リーヴには消えてもらいたいのだ。お前の口八丁で、適当に理由をつけて追い出せ」


つまり、完全な縁故採用のための枠空け。

百パーセント純粋な、理不尽追放だ。


「所長、どうします……? これ、うちの半年分の売上に匹敵しますよ……」


ピノが革袋を抱きしめたまま、上目遣いで俺を見る。

斜め向かいの席では、フィオナが静かに羽ペンを構え、俺がどう判断するかをじっと観察していた。


「ピノ。その金貨は突っ返せ」


「ええっ!?」


俺の言葉に、ピノが悲鳴を上げた。子爵も信じられないといった顔で眉をひそめる。


「な、なんだと? 金額が足りないというのか!」


「違います。俺は追放代行人ですが、理不尽追放はお断りしているんです」


俺は立ち上がり、香水臭い子爵を見下ろした。


「この世界の法則をご存知でしょう。理不尽な仕打ちを受けた者は、《逆境祝福》によって急成長し、いつか復讐にやってくる。理不尽追放は、祝福が満額発動する最高のエサだ。ざまぁが成立したら、俺の負けなんですよ」


「屁理屈を言うな! たかが平民一人が覚醒したところで、この子爵家が揺らぐものか!」


「ええ、ですからご自身で直接クビを宣告なさればよろしい。俺は、そんな割に合わない案件を引き受ける気はないと言っているんです」


俺の拒絶が完全に本気だと悟り、子爵の顔が怒りで朱に染まった。


「この、下賤な代行業者が……! 貴族である私の依頼を断ったこと、必ず後悔させてやるからな!」


「お気をつけて」


子爵が革袋をひったくり、捨て台詞を吐いて事務所を出て行く。

残されたのは、香水の残り香と、濃厚な逆恨みのヘイトだけだ。


「あーあ、逃げちゃいましたよ……半年分の売上が……」


ピノが机に突っ伏して泣き真似をしている。

俺は「いいじゃないか」と笑って伸びをした。


「あんな絵に描いたような貴族の逆恨み、なかなか味わえるもんじゃない。香水臭いが、芯のある悪くないヘイトだったぞ」


カリカリカリカリッ。


その時、静寂を取り戻した事務所に、フィオナの羽ペンが猛烈な勢いで羊皮紙を擦る音が響いた。


「どうした、助手殿。また俺への殺意でも書き連ねているのか」


「観察記録です」


フィオナはノートから顔を上げず、淡々とした声で言った。


「目の前の利益よりも、自身の定めた論理的ルールを優先した。不合理な権力者の要求を切り捨てたことは、組織運用における最適解です。……あなたのその合理性、高く評価します」


ん? 評価?

なんだか随分と買い被られている気がするが。


「勘違いするな。俺は正義感で断ったわけじゃない。あんな理不尽追放を代行して、後で覚醒した主人公に屋敷ごと吹き飛ばされるリスクを背負うなんて、儲からないだけだ」


俺が事実を告げると、フィオナはピタリとペンを止め、紫紺の瞳で俺を真っ直ぐに見つめてきた。


「……なるほど。そういうことにしておきます」


そして、わずかに唇の端を緩め、再びノートに何かを書き込み始めた。

なんだ、その分かったような態度は。


(ふふっ。俺の主張を真っ向から無視し、自分だけの解釈で俺を記録し続ける。強烈な監視型のヘイトだな。たまらないぜ)


俺はフィオナから向けられる冷ややかな(と俺は思っている)視線にゾクゾクしながら、冷めた茶を美味しく飲み干した。


ちなみに、その後――あの有能な事務官リーヴは、子爵から追放を言い渡される前に、自ら屋敷を辞職して王都の別の商会へ引き抜かれたらしい。

結果的に子爵家は有能な実務担当を失い、領地経営が傾き始めているという噂を耳にした。


「やっぱり、関わらなくて大正解だったな」


俺は窓の外を眺めながら、自分の判断の正しさに満足げに頷いたのだった。


【本日のヘイト評――貴族の逆恨み。香水臭いが芯は小さい。★3.9】



王都を見下ろす『星見の塔』。

静寂に包まれた最上階の観測室で、観測官セレネは水晶球に浮かび上がる星図を見つめていた。


「……また、観測値が上昇しましたね」


彼女の視線の先で、王都の裏路地に位置する一点――〈クビキリ堂〉を中心にして、黒い靄のような反応が渦を巻いている。

これまでは冒険者やならず者といった荒くれ者たちの憎悪が主だったが、今日、そこに新しく『特権階級からの憎悪』が微かに混じり込んだ。


「理不尽を拒絶し、結果として権力者からの敵意を集める。彼の周りには、着実に不満と憎悪が蓄積し始めている」


それはまだ、星の理を揺るがすほどの巨大な渦ではない。

だが、セレネの目には、その黒い靄が確実に、彼を『人類の敵』へと押し上げるための栄養分になっていることが見て取れた。


「……憎悪集積率、8パーセント」


彼女の冷ややかな声だけが、誰もいない観測室に空しく響き渡った。


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