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第7話 横領番頭と、嫉妬する観察者

「どうか、どうかお助けください……! このままでは、我が商会はあの男に食い潰されてしまいます!」


ゴンッ、と。

事務所の机に額を擦りつけるようにして、老齢の商会主が泣きついてきた。


王都でも名が知られた老舗商会のトップからの依頼。

対象者は長年勤めている番頭のザック。帳簿を改竄して横領し、若手へ責任を押し付け、見習いを恫喝しているという。

商会主は、ザックが「理不尽にクビにしてみろ。覚醒してこの店を潰す」と脅してくるため、手が出せないのだと涙ながらに語った。


カリカリカリカリカリカリッ!


「……おい。羽ペンの音がうるさいぞ、フィオナ」

「静粛に。これは、あなたが対象者をどう切開するのかの重要な観察記録です」


俺の斜め向かいの席では、すっかり押しかけ助手が板についた元・天才魔術師が、無表情のままノートにインクを走らせていた。

俺は溜め息をつき、商会主に向き直った。


「ご安心を。俺の仕事は、その理不尽を『正当な事実』で塗り潰すことですから」


俺は立ち上がり、外套を羽織った。極上のヘイトの仕込みの時間だ。



老舗商会の裏手にある薄暗い資料室。

俺は山積みにされた羊皮紙の束から、金の流れの矛盾をひとつずつ洗い出していた。横ではフィオナが、俺の調査手順を逐一記録している。


「あの、ダンさん……」


不意に、背後からおずおずとした声がかけられた。

振り返ると、商会で働く若い女性事務員が、分厚い革張りの手帳と数枚の書類を胸に抱えて立っていた。


「これ、ザック番頭が隠していた裏帳簿です。それと……私が商会主様に報告した時の控えも、残してあります。一度ではありません。三年前から、何度も。。私、ずっと怖くて言い出せなかったんですけど、あなたが来てくれて……商会を救ってくれると聞いて、勇気を出しました!」


彼女は頬を紅潮させ、両手で資料を差し出してきた。

その瞳には、俺に対する熱を帯びた尊敬と信頼の光が宿っている。


――ピキッ。


突然、資料室の窓ガラスに霜が張った。


「……ん?」


急激に室内の温度が下がっていく。

横を見ると、フィオナが一切の感情を排した絶対零度の瞳で、女性事務員を見つめていた。彼女の周囲だけ、明らかに魔力温度が氷点下まで落ち込んでいる。


(なるほど。周囲の敵意が冷えてきた。いい熟成だ)


俺は心の中でほくそ笑んだ。

女性から感謝されている俺を見て、フィオナの俺に対する憎悪がさらに冷たく研ぎ澄まされたのだ。監視対象としてのヘイトが順調に育っている証拠だった。


「助かる。これで外堀は完全に埋まった」


俺は凍りつきそうな事務員から資料を受け取り、踵を返した。

さあ、お待ちかねの通知の時間だ。



「あぁん? なんだテメェらは。部外者が勝手に商会に入ってきてんじゃねえぞ」


豪奢な応接室のソファにふんぞり返り、昼間から高いワインを煽っていた男――ザックが、俺たちを見て不快げに顔を歪めた。

同席を求めた商会主は、俺の背後でビクビクと震えている。


「初めまして。追放通知代行人のダンです。早速ですが、事実を列挙しましょう」


俺は一切の愛想笑いを見せず、手元の書類を開いた。


「今年の三月から現在に至るまで、あなたは第七倉庫の在庫を偽装し、総額で金貨五十枚を横流ししていますね。さらに五月十日には、その補填ミスを見習いのトーマス君に押し付けて減給処分にし、取引先からは個人的な賄賂を受け取っている。裏帳簿も隠し倉庫も特定済みです」


決定的な証拠の数々に、ザックの顔から血の気が引いた。

だが、すぐに顔を真っ赤にして立ち上がる。


「ふ、ふざけるな! 俺がどれだけこの商会に尽くしてきたと思ってやがる! 俺をこんな理不尽な理由でクビにしてみろ! 俺は覚醒して、テメェら全員を地獄に送ってやるからな!」


喚き散らす小悪党に、俺は冷酷な事実を突きつけた。


「ザック氏。あなたは商人ではない。信用を食い潰す寄生虫です」


「なっ……!?」


「――以上の理由により、貴殿を追放する」


静かに宣告を下す。

激昂したザックが護身用のナイフを抜き放ち、俺の首元へ躍りかかってきた。

だが、遅い。


「ぐはっ!」


俺は踏み込んできたザックの手首を軽く弾き、そのまま関節を極めて大理石の床に押さえつけた。


「痛い、痛い痛いっ! 腕が折れる!」

「安心しろ。ただの正当な解雇だ。お前に覚醒の祝福なんて降りてこない」


駆けつけた衛兵によって、ザックは無様に引きずられていった。

応接室に静寂が戻ると、商会主が安堵の涙を浮かべて俺の手を握ろうとしてきた。


「ああ、なんとお礼を言えばいいか……! これで商会は救われました!」


「さて、次はあなたの番です。商会主殿」


俺が冷たく手を払いのけると、商会主は間の抜けた顔で固まった。


「え……?」


「あなたは三年前から、ザックの横領疑惑を把握していましたね。この女性事務員からの度重なる報告記録が残っています」


俺が受領記録の控えをテーブルに投げ出すと、商会主の顔がザック以上に蒼白になった。


「しかし、あなたはザックの逆恨みと覚醒を恐れた。そして、彼の不正による損失の穴埋めを、若手や見習いへの理不尽な減給という形で押し付けてきた。違いますか?」


「わ、私は被害者です! あいつが怖くて、商会を守るためには仕方がなかったのだ……!」


「あなたは被害者ではない。被害を若手へ流した堤防の穴です」


俺の言葉に、商会主がガクガクと震え出した。


「お、俺も追放されるのか……? 自分が立ち上げたこの商会から……」


「追放はしません。逃げられては困る。あなたには、この店で責任を取ってもらいます」


俺は懐から、もう一枚の書類――是正通知書を取り出した。


「見習いトーマス君への減給返還、若手全員への謝罪、経営帳簿の完全公開、そして外部監査役の設置。これらを本日付で実行していただきます。商会を救いたいなら、まずはあなたが責任の取り方を示すべきだ」


商会主は床に崩れ落ち、青ざめた顔で沈黙するしかなかった。



「あー、横領犯のヘイトより、依頼主の青ざめた沈黙の方が後味が重いな」


〈クビキリ堂〉に戻るなり、俺はソファにどかっと腰を下ろした。

ザックの小物くさい逆ギレよりも、最後に商会主に事実を突きつけた時の、あの絶望と恨みが入り混じった顔の方が、よほど極上のヘイトとして腹に溜まった。


ふと視線を感じて顔を上げると、フィオナが自分の机から、冷ややかな瞳で俺を見つめていた。

彼女のペンが、ノートの上を滑っていく。


『対象者だけでなく依頼主まで解体する。あなたの論理は、組織全体を切開するのですね』

『この男は、依頼主にすら媚びない』


無言で綴られるその鋭い視線に、俺は心地よい悪寒を感じた。


(なるほど。対象者だけを切り捨てる安っぽい仕事じゃなく、依頼主まで巻き込んで断罪したことで、俺へのヘイトがさらに深く熟成したってわけか)


組織の矛盾をすべて俺という一個人で引き受け、全方位から恨まれる。

やはり、この追放代行という仕事はやめられない。


【本日のヘイト評――横領犯の逆ギレ。依頼主の冷や汗を添えて。脂は多いが、後味に責任の渋み。★4.2】


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