第6話 押しかけ助手はヘイトの味が甘い
ズズズズズッ、と重厚なマホガニー製の机が、〈クビキリ堂〉の床を乱暴に擦りながら運び込まれてきた。
「……おい、元・天才魔術師殿。これは何の冗談だ」
早朝の事務所で、俺は呆れ半分、期待半分で声をかけた。
机を魔法で浮かせながら運び込んできたのは、銀灰の髪を揺らす少女――フィオナだ。彼女は俺のデスクの斜め向かいという、最も視界に入る位置に自分の机をドスンと下ろした。
「冗談ではありません。復讐準備室の設営です」
フィオナは無表情のまま、机の上に真新しい分厚いノートとインク瓶を並べ始めた。
「昨日宣言したはずです。私を解体したあなたの思考回路を完全に理解するまで、一番近くで観察すると。そのための拠点が必要です」
「所長……」
事務机の奥から、ピノが狐の耳をぺたんと寝かせて冷や汗を流している。
「あの人、宮廷魔術師団をクビになった本物のヤバい人ですよね……? なんでうちの事務所に居座ってるんですか」
「決まってるだろ。俺に対する二十四時間体制の怨みだ。観察という名目で敵意を煮詰めているんだよ。素晴らしい執念じゃないか」
俺が胸を張って答えると、ピノは「この人たち、どっちも会話が通じない」とばかりに深い溜め息をついた。
「まあいい。外注の護衛だと思えばタダだしな。行くぞ、今日は下町で小案件の通知だ」
◆
カンッ、カンッ、と熱気と鉄の匂いが充満する鍛冶工房。
俺は依頼主である老齢の親方の隣に立ち、その弟子である青年――ガントを見据えていた。
その後ろでは、フィオナが分厚いノートを開き、カリカリと羽ペンを走らせている。
「な、なんだよアンタら! ギルドの人間か!?」
ガントがハンマーを置き、苛立ったように俺を睨みつけた。
「俺は追放通知代行人。屋号は〈クビキリ堂〉。親方に代わって、君に解雇を通知しに来た」
「解雇だと!? 俺をクビにしたら覚醒するぞ! 俺の『新しい時代の鍛冶技術』を理解できない老害どもが、理不尽に俺を追放したってな!」
出たな。自分の無能さを棚に上げ、時代のせいにする典型的な勘違い野郎だ。親方が復讐を恐れてこいつを切れなかったのも頷ける。
「では、事実を列挙しよう」
俺は書類を開き、汗だくの工房の中で冷ややかに読み上げた。
「先月十日、十五日、そして二十二日。君は工房の倉庫から高価なミスリル鉱石を無断で持ち出し、闇市で換金している。合計で銀貨八十枚の損害だ。加えて、遅刻は週に四日。親方の指導に対しては『時代遅れ』と暴言を吐き、基礎の火入れ作業を後輩にすべて押し付けている」
「そ、それは……俺の革新的な技術の研究費として――」
「君は天才の職人ではない。基礎から逃げるために『革新』という言葉を盾にしているだけの、ただの泥棒だ」
「なっ……!?」
図星を突かれたガントの顔が、怒りで真っ赤に染まった。
カリカリカリカリッ! と、背後でフィオナのペンが異常な速度で走る音が聞こえる。どうやら俺の暴言の語彙を一つ残らず記録しているらしい。
「――以上の理由により、貴殿を追放する」
「ふざけんなァァァッ!!」
ガントが逆上し、傍らにあった重いハンマーを振りかぶって俺に殴りかかってきた。
俺は半歩下がって回避行動を取ろうとした――が。
「動かないでください」
底冷えするような声が、熱気のこもった工房を凍らせた。
ピキキキキッ! という甲高い音と共に、空中の水分が瞬時に凍結する。ガントが振り下ろそうとしたハンマーは、巨大な氷の塊に包み込まれ、空中で完全に固定されていた。
「ひぃっ!?」
「私の観察対象に手出しをすることは許可しません。サンプルが破損しては、復讐の効率が落ちます」
フィオナが紫紺の瞳でガントをねめつけると、青年は腰を抜かし、そのまま工房の外へと逃げ出していった。
「……おい、俺の返り討ちの楽しみを奪うな」
「私は私の研究対象を守っただけです」
フィオナはノートを閉じ、スンッと澄ました顔でそっぽを向いた。
やれやれ、これでは活路を提示する暇もなかったな。まあ、あれだけ高価な金属を横流しする手際と度胸があるなら、職人ではなく悪徳商人としてでも再起するだろう。
◆
「所長、それ完全に惚れられてますよ」
事務所に戻るなり、お茶を淹れながらピノがジト目で言った。
「馬鹿か。素人がヘイトを語るな」
俺は椅子に座り、フィオナが淹れた(なぜか毒見と称して彼女が一口飲んだ)紅茶を啜った。
「あいつのあれは、監視と執着を極めた新種の殺意だ。あの冷たい視線のおかげで、俺は常にゾクゾクと生きている実感を味わえる。最高の助手じゃないか」
「はぁ……。そうですか。じゃあ、その極上のヘイトを呼び込んだのは私みたいなものなので、事務員の危険手当を三倍にしてください」
「却下だ。金は命より重い」
俺が即答すると、ピノの狐耳がピクッと反応した。
「……あっそ。じゃあもう、給料日になるまで所長とは口ききません」
ピノはそっぽを向き、帳簿の整理に戻ってしまった。
俺は軽く鼻で笑った。勝手にしろ、と。
――それから、半日が経過した。
「……なあ、ピノ。少し帳簿の件で……」
「…………」
「おい。聞こえてるだろ」
「…………(カリカリカリ)」
午後。俺の顔色から、急速に血の気が失せていた。
返事がない。何度話しかけても、存在を無視される。
胃の底が、急激に冷たく重くなっていく感覚。
前世の、誰からも名前を呼ばれなかった暗い台所の記憶がフラッシュバックし、手足の先から体温が奪われていく。
息が……いや、飯の味が、口の中から完全に消え失せた。
「……ぐっ。今日は、気圧が悪いな。胃薬案件だ」
俺は冷や汗を流しながら、机に突っ伏した。
「所長、どうしたんですか! 顔色真っ青ですよ!?」
たまらずピノが声をかけてきた瞬間。
――スッ、と。
俺の胃痛と冷えが、嘘のように消え去った。
「……なんだ。ただの空腹だったらしい。治った」
「はぁ!? 人騒がせな……」
俺が平然と起き上がると、斜め向かいの席で、フィオナがジッとこちらを観察していた。
ノートには『特定の人物から音声のフィードバックが途絶えた際、著しい生命活動の低下が見られる。弱点の可能性あり』と書かれている。
鋭い奴だ。だが、この無関心の恐怖だけは、絶対に悟られるわけにはいかない。
「コホン。まあいい。ところで所長、さっき王都騎士団から呼び出し状が届いてましたよ」
ピノが差し出した封筒には、王冠と剣が交差する騎士団の厳格な紋章が押されていた。
どうやら、次の獲物が待っているらしい。
【本日のヘイト評――助手由来の粘着質な敵意。なぜか蜂蜜の余韻。★4.7】
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