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第5話 復讐者は、なぜか頬を染めていた

深夜。王都の裏路地にひっそりと佇む〈クビキリ堂〉の事務所。

俺は暗闇の中で、椅子に深く腰掛けたまま静かに息を潜めていた。


昼間、王城深部の査問室でフィオナの人格を徹底的に解体してから、半日が経過している。

あそこまで丁寧にプライドをへし折ってやったのだ。天才の過剰な自尊心が裏返り、極上の殺意となって襲いかかってくるはずだった。


それなのに、あの場では何の反応も得られなかった。

味がしない無言のフィードバック。


「……いや、やはり俺の舌は間違っていなかった」


チリチリと、肌を刺すような高密度の魔力が外から漏れ出してくる。

建物を包み込むような、圧倒的で冷酷な殺気。


――パァァンッ!!


次の瞬間、事務所の頑丈なオーク材の扉が、凄まじい衝撃波と共に木端微塵に吹き飛んだ。


「こんばんは。夜分遅くに失礼します」


粉塵が舞う中、月光を背に受けて立っていたのは、銀灰の髪を揺らす少女――フィオナだった。

紫紺の瞳が、暗闇の中でらんらんと怪しく光を放っている。


「お待ちしていましたよ、元・天才魔術師殿」


「元、ではありません。私の価値を理解できない組織のバグが取り除かれただけです」


フィオナは無表情のまま、白魚のような指先をこちらへ向けた。


「多重展開・術式指定――『氷槍雨』」


詠唱破棄。一瞬にして空中の水分が凍結し、数十本の鋭い氷の槍が俺の全身を串刺しにすべく放たれた。


「ッ!」


俺は椅子を蹴り飛ばし、床を転がるようにして初撃を回避する。

しかし、氷の槍はまるで意思を持っているかのように軌道を変え、追尾してきた。


「並の冒険者なら即死だろうな。だが――」


俺は迫り来る氷壁の隙間を見極め、姿勢を低くして地を這うようにステップを踏む。

ヘイトを浴びるのを生業にする以上、復讐者に殺されては元も子もない。俺の強さは、チートや魔法ではなく、ひたすら死線を潜り抜けて磨き上げた『対魔術歩法』と回避技術だ。


彼女の魔術は美しく、そしてあまりにも論理的すぎる。

天才ゆえに最適解を選びすぎるせいで、俺のような泥臭い生存のプロから見れば、攻撃の軌道が手に取るように読めた。


「理屈通りの攻撃なら、当たらない!」


俺は氷の雨を掻き分け、フィオナの懐へと一気に踏み込む。

その瞬間だった。


――揺らり、と。


俺の視界の端で、黒いオーラのようなものが揺らめいた。

死角から迫っていた氷の破片が、俺の身体に触れる直前、その黒い靄に呑み込まれるようにして不可解に霧散した。


なんだ、今の現象は?

いや、術式の綻びか何かの見間違いだろう。そんなことより今は目の前の女だ。


「そこまでだ」


俺はフィオナの腕を掴んで背中へ捻り上げ、もう片方の手で短剣の峰を彼女の細い首筋に押し当てた。

勝負ありだ。


「くっ……」


フィオナの口から、初めて苦悶の漏れる声が響いた。

だが、俺はすぐに違和感に気づいた。


「手加減したな? 本気で俺を殺す気なら、もっと広範囲の無差別魔法を使えばよかったはずだ」


「…………」


「俺を殺しに来たわけじゃない。昼間、俺に抉られた傷口が本当かどうか、確かめに来ただけだろう」


短剣を当てたまま、俺は彼女の耳元で冷酷な事実を告げる。


「お前は、自分を『特別な存在』として扱ってほしかっただけだ。自分の才能も、孤独も、全部ひっくるめて『見て』くれる人間を待っていた。……つくづく、面倒くさい子供だな」


昼間と同じ、逃げ場のない人格否定。

天才の殻を剥ぎ取り、ただの寂しがり屋の子供だと突きつけた。

さあ、怒れ。ありったけの憎悪を俺に向けろ。


俺が拘束を解いてやると、フィオナはゆっくりと振り向いた。

彼女の顔を見て、俺は息を呑んだ。


「……私をここまで見た人は、あなたが初めてです」


紫紺の瞳が、熱を帯びて潤んでいる。

そして、常に鉄面皮だった彼女の白い頬が、微かに、だがはっきりと赤く染まっていたのだ。


「……は?」


頬を染める?

復讐に来た女が、なぜ顔を赤らめているんだ?

いや、待て。これは極度の怒りによる血の昇りか? 屈辱のあまり、体温が異常上昇しているのか。


「なるほど、新種の殺意か!」


俺は思わず歓喜の声を上げた。

無言の圧力の果てに到達した、顔が赤くなるほどの強烈な敵意。素晴らしい、これこそが俺の求めていたものだ。


「ダン。私は決めました」


フィオナは乱れたローブの襟元を直し、静かに、だが強い意志を持った声で宣言した。


「私をここまで解体したあなたの思考回路を、私が完全に理解するまで終わらせません。これは復讐です」


「ほう? 面白くなってきたな」


「明日から、ここに私の机を置きます。あなたを一番近くで観察し、弱点を見つけ出し、完全に私の管理下に置くためです。拒否権はありません」


堂々たる押しかけ宣言。

つまり、二十四時間体制で俺へ憎悪を向け続けるということだ。

俺はこみ上げてくる笑いを抑えきれなかった。


「いいだろう。好きなだけ俺を憎んで、観察していけ」


最高だ。これほど上質なヘイトを毎日浴びられるのなら、少々事務所が手狭になろうが安いものだ。


【本日のヘイト評――甘い。なぜ殺意に糖度がある。新種の熟成ヘイトか。★測定不能】



王城の魔術師団寮。自分の個室に戻ったフィオナは、荷物をまとめながら、真新しい羊皮紙のノートを開いていた。


心臓が、自分でも驚くほど早く脈打っている。

顔の熱が引かない。鏡を見なくても、自分が今、どんなだらしない表情をしているか想像がついてしまう。


「……違います。これは、恋などではありません」


誰に言い訳するように、彼女は無人の部屋で呟いた。

誰も自分のことなど理解できないと諦めていた。周囲を変数と見下すことでしか、自分を保てなかった。

なのに、あの男は。あの底知れない追放代行人は、あっさりと自分の最も柔らかい部分を暴き、言葉で撫で回したのだ。


ペンを走らせる手が震える。


『観察記録、一ページ目。

彼の言葉は残酷で、的確だ。私をここまで見た人間は他にいない。

だから、彼を理解する権利を、私以外に与えたくない』


これは殺意の記録だ。恋文ではない。

そう自分に言い聞かせながら書き連ねるフィオナの横で、部屋の魔力灯が、まるで彼女の心音のように温かく、甘く明滅を繰り返していた。


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