第4話 史上もっとも丁寧な人格否定
ギィィィッ、と重厚な黒檀の扉が開き、王城の深部にある査問室へ足を踏み入れた。
大理石が敷き詰められた冷たい部屋には、既に宮廷魔術師団の幹部たちが半円状に並んで座っていた。
彼らの視線の先、部屋の中央にポツンと置かれた椅子には、銀灰の髪をした少女――フィオナが、人形のように無表情で腰掛けている。
「……来てくれたか、〈クビキリ堂〉」
幹部の一人が、ハンカチで額の冷や汗を拭いながら俺を迎え入れた。
室内には、胃がキリキリと痛むような重圧と緊張感が充満している。無理もない。万が一、目の前の天才少女を刺激して《逆境祝福》が暴発でもすれば、この部屋ごと王城の一部が消し飛ぶかもしれないのだ。
「ええ。極上の仕込みの仕上げに参りました」
俺は幹部たちを一瞥し、フィオナの正面へと歩み寄った。
彼女の紫紺の瞳が、僅かに持ち上がって俺を捉える。昨日、訓練場で向けられたのと同じ、純度百パーセントの『無関心』だ。
だが、それもここまでだ。俺は鞄から分厚い調査書類を取り出し、静かに口を開いた。
「フィオナ殿。本日は宮廷魔術師団からの依頼により、貴殿の解雇通知を代行しに参りました」
「解雇、ですか」
フィオナは表情をピクリとも動かさず、淡々と紡いだ。
「組織の非効率な魔力運用を指摘しただけで、追放ですか。非論理的ですね。私という最大出力を手放す損失を計算できないのでしょうか」
「損失を計算できないのは貴殿の方ですよ」
俺は手元の書類をめくり、冷徹な事実の列挙を開始した。
「四月三日。第三魔力炉の安全規定を無視した過剰接続により、魔力炉を破損。復旧までに半日の時間を要しました」
「あれはリミッターの設定が保守的すぎたためです。私の最適化案を適用すれば――」
「四月十五日。西区画での魔物討伐任務において、事前の打ち合わせを無視して共同術式を単独で改変。結果、魔力パスを強制的に繋がれた先輩魔術師四名が魔力枯渇で卒倒しました」
「彼らの魔力総量が、私の演算速度という変数についてこられなかっただけのエラーです」
「そして極めつけは、それら一連の事故に関する報告書が、入団以来ただの一枚も提出されていないことです」
俺は書類をパタンと閉じ、フィオナを見下ろした。
「貴殿の主張は魔術理論としては正しいのかもしれない。ですが、ここは組織です。周囲を変数やエラーコードとしか認識できず、歩調を合わせる気すらない人間は、天才であろうとただの『不良品』です」
ピシッ、と。
室内の空気が凍りついた。幹部たちが「そんな言い方をしたら暴発する!」と顔面を蒼白にしている。
だが、フィオナは怒るでもなく、ただ小さく息を吐いた。
「……凡人の嫉妬ですか。理解はされずとも、結果を出せば認められると思っていましたが、無駄な努力だったようですね」
出た。自分を『理解されない孤独な天才』という悲劇の枠に当てはめる、特有の逃げ口上だ。
俺は、彼女が最も見られたくない急所へ、容赦なく言葉の刃を突き立てた。
「勘違いするな。君は天才だから孤独なのではない。孤独を天才の証拠にしたいだけだ」
「――っ」
その瞬間、フィオナの周囲にある壁の魔力灯が一斉に明滅した。
彼女の無表情な仮面は崩れなかった。だが、膝の上で組まれた両手の指先が微かに震え、真っ白になるほど強く唇を噛み締めているのが見えた。
「他人を見下し、遠ざけることでしか、自分の特別さを保てない。周囲の出力不足を嘆きながら、本当は『自分についてこられない凡人』がいる環境に安堵している。君は、自分の才能という殻の中に引きこもっているだけの、臆病な子供だ」
魔術理論ではなく、精神の根幹。
彼女がひた隠しにしてきた全人格の致命的な欠落を、俺は白日の下に引きずり出した。
室内の魔力灯が明滅を終え、再び静かな光を取り戻す。
フィオナは俯いたまま、反論すら口にしなかった。ただ、細い肩が小刻みに震えている。
「――以上の理由により、貴殿を追放する」
俺の宣告が、冷ややかに響き渡った。
これで終わりだ。あとは、天才のプライドを折られた彼女が、俺に対してどれほどの純粋なヘイトを向けてくるか。
「まあ、組織の歯車としては到底使い物になりませんが、圧倒的な演算能力だけは本物のようです。組織術式ではなく、単独での研究、禁呪の解体、未知の魔導具解析などの分野なら、君は化けるかもしれませんね」
俺は皮肉のつもりで、意図せざる活路を投げ捨てた。
宮廷魔術師という最高のエリートコースから、日陰の単独研究者へ落ちぶれろという強烈な嫌味だ。
「せいぜい、一人で引きこもって生きる道を探すことですね。では」
俺は踵を返し、扉へ向かって歩き出した。
背中から、激しい罵倒や殺意が飛んでくることを期待して。
だが。
背後からは、何の言葉も投げかけられなかった。
怒りも、泣き叫ぶ声も、罵声もない。ただ、射抜くような強い視線だけが、俺の背中にずっと突き刺さっていた。
◆
夜。王都の裏路地にある〈クビキリ堂〉の事務所。
「おかしい……」
俺は机に両足を投げ出しながら、深く息を吐き出した。
昼間、あそこまで丁寧に人格をへし折ってやったというのに、フィオナからは何の感情のフィードバックもなかった。
無言。ただ、ひたすらの無言。
「味がしない。せっかくの上物のヘイトだと思ったのに、肩透かしもいいところだ」
独り言を呟きながら、俺は冷めた茶を喉に流し込む。
だが、その直後だった。
――ビリッ!!
事務所の窓ガラスが、突如として激しく鳴動した。
外の空気が、まるで巨大な質量を持ったように重く、濃密な魔力で満たされていくのが肌で分かる。
「……無言? 味がしない?」
俺は窓の外の暗闇を見つめ、三日月のように口角を吊り上げた。
「いや、違うな。これは……奥でとんでもないものが煮えている」
最高だ。どうやら天才少女は、俺の想像を遥かに超える、濃厚で極上のヘイトを熟成させてからお礼参りに来てくれたらしい。
【本日のヘイト評――無言。……無言? 味がしない。いや、奥で何か煮えている。★測定不能】
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