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第49話 観測対象は嫌われ者を喜ばせる

王都の路地裏にある〈クビキリ堂〉の扉が、静かに開かれた。

カラン、と来客を告げるベルが鳴る。


「いらっしゃいませー。本日はどのようなご依頼で……って、あれ?」


受付に立っていたピノが、目を丸くした。

入ってきたのは、深い夜空の色をしたローブを纏う、神秘的な雰囲気の女性だった。王都の喧騒にはまるでそぐわない、静謐な空気をまとっている。


「……追放通知代行人のダン氏は、ご在宅でしょうか」


教会の星見部門、観測官セレネ。

彼女の問いかけに、事務所の奥でそれぞれの作業をしていたフィオナ、ロッタ、ノーチェの三人が、一斉に警戒の視線を向けた。


「あー、所長なら、さっき商業ギルドへ野暮用に出かけましたよ。もうすぐ帰ると思いますが」


「そうですか……」


セレネは小さく息を吐き、事務所を見渡した。

そして、三人の少女たち――ダンの周囲に渦巻く異常な気配にいち早く気づき、彼を監視し続けている彼女たちに向けて、静かに口を開いた。


「単刀直入に申し上げます。彼に向けられた憎悪は、現在、危険域に達しています」


その言葉に、三人の空気がピンと張り詰めた。


「危険域、とはどういうことだ。あいつは確かに王都中で嫌われているが、物理的な襲撃なら私がすべて防いでいる」

ロッタが鋭い声で問う。


「物理的な問題ではありません。……あなた方も、最近の彼の異常な兆候に気づいているはずです。魔力波長の変色、魔物の服従、そして、生物学的な限界を突破した数値の異常に」


セレネの指摘に、フィオナの紫紺の瞳が揺れ、ノーチェが手元の計算機を強く握りしめた。


「単一の個人へ向けられた憎悪の総量が、星の許容する閾値を超えた時。星は、その者を『人類の敵』へと作り変える。……過去の歴史において、それは『魔王変生』と呼ばれてきました」


「なっ……!?」


ロッタが絶句し、フィオナの手から魔力灯の光がふっと消え、ノーチェの灰色の瞳が見開かれた。

魔王。おとぎ話や歴史書にのみ登場する、人類の厄災。

ダンが、誰の代わりでもなく一人で社会の泥を被り、憎悪の避雷針として生き続けた結果、星そのものから化け物として認定されようとしている。


(……この人は、自分の命すら削って、ヘイトを集めていたというの……?)


三人の少女たちの胸に、これまでにないほどの強烈な痛みと、彼をそこまで追い詰めた世界への怒りが込み上げてきた。


バンッ!


その時、事務所の扉が勢いよく開かれた。


「おう、ピノ! 今日も王都の空気は最高に濁ってるな! すれ違う奴らが皆、俺を親の仇みたいに睨んできたぞ!」


噂の当人であるダンが、上機嫌で帰ってきた。

彼は自分が星の理を脅かすほどの災厄になりかけていることなど微塵も知らず、極上のヘイトを浴びた興奮でホクホク顔だ。


「……あなたが、ダン氏ですね」


セレネが静かに彼を振り返る。

ダンはローブ姿のセレネを見て、少し意外そうに眉を上げた。


「おや、教会からの客か? 悪いが、俺は神様って柄じゃない。懺悔も寄付もする気はないぞ」


「私は教会の観測官、セレネと申します。あなたに、警告を与えに参りました」


セレネは言葉を慎重に選びながら、ダンに向かって告げた。彼を刺激して、これ以上の憎悪を煽るわけにはいかない。


「あなたが社会から集めている負の感情は、すでに一個人の器を超えようとしています。このままでは、あなたはあなた自身を失い、取り返しのつかない破滅を迎えることになる。……今すぐ、他者から憎まれるような行いを謹んでください」


それは、星見の観測官としての、最大限の譲歩と慈悲を含んだ警告だった。

普通の人間であれば、教会の使者から「破滅する」と告げられれば、青ざめて膝を折るだろう。


だが。

ダンは数秒間、ポカンとした顔でセレネを見つめた後――パァッと、これ以上ないほど輝くような笑みを浮かべた。


「つまり、俺の集めたヘイトが個人の枠を超えて、神様すらビビるレベルの国宝級になったってことか!? 教会公認の嫌われ者認定か! すげえな、ついにそこまで上り詰めたか俺!」


「…………は?」


セレネが、星見の塔での冷静さを完全に失い、間の抜けた声を漏らした。


「破滅? 上等だ! 俺がヘイトに押し潰されるのが先か、世界が俺を嫌い尽くすのが先か、我慢比べといこうじゃないか! わざわざ教会から表彰しに来てくれてありがとな!」


ダンは胸を張り、大歓喜の様子で高笑いしている。

セレネは、目の前の男のあまりの狂いっぷりに、眩暈すら覚えていた。


(……駄目だ。この男に、普通の警告は一切通じない)


恐怖も、破滅の予言も、彼にとってはご褒美にしか変換されない。

セレネが頭を抱えそうになった時、ダンの背後にいた三人の少女たちが、一斉に動いた。


「ダン。あなたがこれ以上、無価値な大衆からの憎悪を受け取る必要はありません。外部からの魔力的な敵意は、私がすべて遮断し、私だけの監視領域にあなたを閉じ込めます」

フィオナが紫紺の瞳を燃やし、静かに、だが絶対的な独占欲を込めて宣言した。


「あ、ああ、そうだ! お前を裁くのも、お前を見張るのもこの私だ! 他の有象無象が、お前に憎悪を向けるなど百年早い。私が外からの殺気をすべて斬り捨ててやる!」

ロッタが剣を抜き放ち、ダンを庇うように立ち塞がる。


「ダン氏の観測値が閾値を超えるのは、私のデータ管理上、容認できません。王都のすべての保険料率を操作し、あなたへの外部的敵意の流入を完全にゼロにしてみせます」

ノーチェが手帳を胸に抱き、灰色の瞳に冷たい決意を宿す。


三人とも、ダンが魔王化して破滅するのを防ぐため、世界中からの憎悪を自分たちの手で遠ざけようと決意したのだ。

それは、彼女たちの不器用だが、深すぎる愛情と献身の発露だった。


しかし、ダンはその三人の必死の言葉を聞いて、ピタリと笑いを止め、深く感心したように何度も頷いた。


「なるほど……。お前たち、俺に集まる世界中のヘイトが羨ましくて、それを全部シャットアウトして自分たちだけで俺への敵意を独占しようってのか?」


「「「…………」」」


「ヘイト独占戦争か。素晴らしい! お前たちの俺に対するその強烈なアンチっぷり、まさに最高品質だ!」


ダンは、自分を破滅から救おうとする三人の命がけの愛を、見事なまでに『敵意の独占(監視ヘイトの極致)』と誤読し、至福の表情で胸を張った。


セレネは、絶望へ向かって笑う男と、愛を敵意と誤読されながらも彼を守ろうとする少女たちの、あまりにも歪で美しい関係性を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


【本日のヘイト評――教会由来の厳かな敵意。神聖な苦味。★4.8】


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