第50話 観測史上最大の憎悪集積体
「所長、本日の郵便物です。感謝状が三通、脅迫状が十通、それに……例の大型案件の事前資料らしきものが一通です」
朝の〈クビキリ堂〉。ピノがドサリと机の上に手紙の山を置いた。
国家公認追放代行人となってから、俺の周囲はさらに騒がしくなった。
「感謝状は暖炉に放り込んでおけ。脅迫状は後でじっくり読むから、ファイリングしておいてくれ。怨念の籠もった筆跡からは、極上のヘイトの香りがするからな」
「はいはい。公認されてもブレませんね、所長は」
ピノが呆れたように肩をすくめる。
公開審問を終え、『祝福市場』と『人工ざまぁ計画』という国家規模の利権構造が白日の下に晒された。
その結果、王都における俺の評価は完全に真っ二つに割れている。
飼い殺し社会で理不尽に虐げられていた被害者たちからは「膿を出し切る救世主」と崇められ、甘い汁を吸っていた利権層や既得権益者からは「社会の秩序を壊す悪魔」と恐れられ、激しく嫌われているのだ。
「いい傾向だ。全方位からバランスよくヘイトが集まっている。これなら公認の肩書きも悪くない。むしろ、権威の皮を被ることで反発の味が深まった気すらするぞ」
俺が脅迫状の封を切りながらほくそ笑んでいると、いつもの三人が俺の机を囲み込むように集まってきた。
「ダン。その手紙に毒物や呪詛が仕掛けられていないか、私が事前に解析します。不用意に触れないでください。あなたに触れる悪意は、すべて私が検閲します」
フィオナが紫紺の瞳を光らせ、魔力灯の明かりの下で手紙を一枚ずつスキャンしていく。その手つきには、俺に対する異常な執着が滲み出ている。
「あ、ああ! そうだ、私が先陣を切って安全を確認する! お前は大人しく私の後ろに下がっていればいい! 正義の騎士として、これもお前を監視する業務の一環だからな!」
ロッタが顔を赤くしながらも剣の柄に手をかけ、物理的な盾となるように俺の前に立ち塞がる。
「ダン氏の行動経路における危険予測値は、現在私がすべて計算し直しています。危険率三パーセント以上の案件は、私の方で自動的に弾きますのでご安心を。あなたの数字は、私が管理します」
ノーチェが手帳を広げ、無表情のまま冷徹な数字の壁を構築していく。
……また始まった。
彼女たちの異常なまでの過保護。俺に一切の敵意を触れさせず、自分たちだけで俺へのヘイトを独占しようとする『ヘイト独占戦争』は、日を追うごとに激しさを増している。
自分の命を懸けてまで俺への憎悪を管理しようとするその姿勢、アンチとしてはもはや職人芸の域だ。
「お前らのその粘着質な監視ヘイトには感謝するがな。俺はこれから、この新規の大型依頼の下見に行かなきゃならないんだ。あまり過保護にされると、仕事の邪魔だぞ」
俺が呆れながら立ち上がると、三人の少女は顔を見合わせ、さらにガードを固めるように俺の周囲を固めた。
◆
少し離れた王都の路地裏。
教会の観測官セレネは、〈クビキリ堂〉の屋根を覆う見えない雲を、星見の魔導具を通して見上げていた。
「……憎悪集積率、88パーセント」
手元の水晶板に表示されたその数値は、すでに人間の限界を遥かに突破していた。
セレネは、これまでの観測記録を頭の中で整理する。
彼が戦闘中に放った、黒いオーラ。
慈愛審問庁での、魔力測定器の異常な故障。
路地裏の魔物たちが、彼に対して服従するかのように懐く反応。
極めつけは、公認免許授与式での、神聖なる聖具の停止と破壊。
そして何より、彼自身の精神的な歪み。
無関心という孤独に対してのみ異常な恐怖を示し、強い感情であれば憎悪すらも喜びとして吸収してしまう、あの壊れた器。
「すべてが、過去の文献に記された『魔王変生』の兆候と完全に一致している……」
セレネは震える声で呟き、手元の観測記録の最後に、恐るべき一文を書き加えた。
『――対象は、観測史上最大の憎悪集積体へと成長しつつある』
あの三人の少女たちは、自分たちの感情が彼に正しく届いていないことを理解した上で、それぞれのやり方で必死に彼を守ろうとしている。外部からの憎悪を遮断し、彼がこれ以上魔王へ近づかないように。
だが、彼の渇望は底なしだ。社会が彼を公認し、彼がその中心で泥を被り続ける限り、憎悪は彼を求めて際限なく集まり続ける。
「このままでは、彼は近いうちに完全に人の枠を外れる。その時、王都は……」
セレネは、これから彼が進むであろう絶望の道を幻視し、深く目を閉じた。
◆
「さて、と。身支度を済ませるか」
俺は事務所の奥の洗面台に立ち、鏡の前に立った。
国家公認追放代行人としての、初めての大型依頼。
今回の標的は、どうやら王都のさらに深い暗部に根を張る、大物らしい。
これまでの小物たちとは比較にならない、濃密で重厚な憎悪が俺を待っているはずだ。
「前世の狭いオフィスじゃ、到底味わえなかった極上のスケールだな」
誰も俺を叱れず、誰も解雇できず、全員が愛想笑いでやり過ごしながら泥舟が沈んでいくのを待っていた、あの退屈で息の詰まる世界。
それに比べれば、この異世界は素晴らしい。
俺が正論の刃で痛いところを抉れば、皆が俺を親の仇のように憎み、本気の殺意と敵意をぶつけてきてくれる。俺が生きていることを、これでもかと実感させてくれるのだ。
鏡の中の俺は、いつも通り、悪役に相応しい不敵な笑みを浮かべていた。
俺は首元を整え、あの忌々しい銀色の公認バッジを外套の襟に叩きつける。
その背後からは、フィオナ、ロッタ、ノーチェの三人が、まるで俺を逃がさないと言わんばかりの熱い視線を送ってきている。
教会の女が言っていた「破滅」だのなんだのといった警告は、俺には関係のない話だ。
俺が求めるのは、俺を透明な存在にさせないための、強烈な感情だけ。
「行こうか。……最高のヘイトの予感がする」
俺は三人の優秀なアンチを引き連れて、大きく扉を開け放ち、喧騒渦巻く王都の空の下へと足を踏み出した。
【本日のヘイト評――王都の余韻。黒いコクが喉に残る。……黒い? まあいい。★5.0】
王都の飼い殺しは、一度終わった。
だが、ダンという憎悪の器は、まだ止まっていない。
これは終わりではなく、彼が本当に魔王になるかどうかを巡る、次の観測の始まりだった。




