第45話 告白を宣戦布告と聞き間違える男
国家公認追放代行人となってから数日。
王都の路地裏にある〈クビキリ堂〉は、嵐が過ぎ去ったあとのような、ひどく平和な昼下がりを迎えていた。
「よしよし、公認ブランド効果で依頼の質が上がってますね。未払いのリスクも減って、実に健全な経営状態です」
ピノが真新しい帳簿を撫で回しながら、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。
確かに、公認されてからというもの、頭の悪い理不尽な追放依頼は減り、本当に組織の腐敗に悩むまともなクライアントからの依頼が整理されて届くようになった。
「健全すぎて退屈だ。俺が求めているのは、もっと理不尽で、ギスギスして、泥沼のような人間関係の果てに生まれる極上のヘイトなんだよ」
俺が窓辺で大きく伸びをしながらボヤくと、背後からスッと冷たい視線が突き刺さった。
「対象のバイタルは正常。ストレス値は基準値を下回っています。……平和な環境は、あなたにとって毒のようですね」
フィオナだ。
彼女はいつもの定位置――俺の背後の席に座り、分厚い観察ノートを開いたまま、紫紺の瞳でじっと俺の横顔を監視し続けていた。
「相変わらず、熱心なアンチ活動だな。公認された俺の隙を探して、いつか社会的に破滅させてやろうって腹か?」
「ええ。私はあなたを一番近くで観測する者ですから。あなたのすべてを記録し、誰よりも理解する権利は私にあります」
フィオナは淡々とそう言い放ちながら、淹れたての紅茶を俺の机に置いた。
最近、彼女の『監視』は妙に甲斐甲斐しい。俺の好みの温度で茶を淹れ、俺が小腹を空かせるタイミングで茶菓子を差し出してくる。俺を完璧に飼い慣らして骨抜きにするという、新手の精神的破壊工作に違いない。
「……ダン。少しよろしいですか」
俺が紅茶に口をつけようとした時、フィオナがふと、ノートをパタンと閉じた。
彼女は椅子から立ち上がり、俺の正面へと回り込んでくる。
いつもの無表情だが、その紫紺の瞳の奥には、今までに見たことのないような真剣な熱が宿っていた。
窓から差し込む午後の光が、彼女の銀灰の髪をきらきらと輝かせている。
「なんだ? 改まって」
「これまでの観察記録を総合して、一つの結論に達しました。私のあなたに対する感情、この胸の奥底にある未解明の熱についてです」
フィオナは両手を胸の前でギュッと握り合わせ、小さく深呼吸をした。
(……来るか)
俺は紅茶のカップを置き、姿勢を正した。
ついに彼女が、俺に対する決定的な敵意を言語化する瞬間が来たのだ。公認代行人となった俺を、あくまで一人の標的として打ち倒すという、宣戦布告の儀式。
「私は、あなたを――」
フィオナの透き通るような声が、静かな事務所に響く。
その言葉の続きが紡がれる直前、俺は口角を吊り上げ、歓喜に満ちた声で彼女の言葉を遮った。
「宣戦布告か。いい度胸だ!」
「…………え?」
フィオナが、間の抜けた声を出して完全にフリーズした。
「公認されて世間から安全な存在だと思われている俺に、真っ向からアンチ宣言を叩きつけてくるとはな。お前のその執念深く粘着質な監視ヘイト、俺は高く評価しているぞ。いつでもかかってこい、完膚なきまでに返り討ちにしてやる」
俺が堂々と受けて立つ構えを見せると、フィオナは数秒間、ポカンと口を開けたまま瞬きを繰り返した。
やがて彼女の瞳に、呆れ、諦め、そして深い納得の色が順番に浮かび上がっていく。
「…………はい。そういうことにしておきます」
フィオナはふっと目を伏せ、春の陽だまりのような、どこか柔らかく愛おしそうな微笑みを浮かべた。
なんだ、拍子抜けだな。もっと殺気立った顔で睨んでくるかと思ったのに。
「……なんだ。せっかくの決意表明が尻すぼみじゃないか」
俺は少し不満げに肩をすくめ、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
「まあ、いいさ。愛情ってのはよく知らんが、憎悪は分かりやすい。誰にも見られず、誰からも感情を向けられない透明な地獄に比べれば、誰かに強烈に憎まれている方が、よっぽど俺の胃袋を満たしてくれる。……俺には、それで十分だ」
俺が前世の記憶――あの薄暗い台所の冷たさを思い出しながら軽く言い放つと、事務所の空気が一変した。
ドンッ!!
隣の部屋の壁から、物凄い勢いで何かが叩きつけられる音がした。
間違いなく、壁に耳を当てて盗み聞きしていたロッタの拳だろう。「不器用すぎるバカ男め!」という彼女の歯痒そうな怒りの声が透けて聞こえてきそうだ。
ポキリ。
さらに、部屋の隅の資料棚の陰から、硬質なペンが真っ二つにへし折れる音がした。
いつの間にかそこに潜伏して俺の言葉を記録していたノーチェが、感情のやり場を失ってペンを折ったに違いない。
「おっ、左右からの同時威圧ヘイトか。今日は随分とアンチたちが活気づいているな」
俺は壁と資料棚から放たれる強烈な圧を感じ取り、上機嫌で笑った。
俺の言葉の奥にある欠落を、彼女たちは完全に理解している。理解した上で、この不器用な監視と敵対を続けてくれているのだ。
やはり、俺の周りに集まる憎悪は最高品質だ。
【本日のヘイト評――宣戦布告未満、告白以上。分類不能。甘い。危険。★測定不能】
◆
フィオナは、自分の席に戻り、静かに観察ノートを開いた。
ペンを握る指先が、先ほどのダンの言葉を思い出して微かに震えている。
『愛情ってのはよく知らんが、憎悪は分かりやすい』
彼は、自嘲するようにそう笑った。
あの時、彼が『私はあなたを――』という言葉を宣戦布告だと遮ったのは、照れ隠しでも何でもない。彼は本当に、向けられた好意を、好意として受け取る機能が欠損しているのだ。
(この人は、愛し方も、愛され方も、誰にも教わらなかっただけ)
透明な地獄。
彼が幼い頃に味わった無関心という名の孤独が、どれほど深く彼の精神を抉り、感情の回路を歪めてしまったのか。
フィオナはノートの余白に、一滴の涙が落ちるのを無表情のまま見つめた。
(……なら、私が教えればいい)
彼が愛情を受け取れないというのなら。彼が安心できる『敵意』や『監視』というパッケージに包んで、私が一番近くで、この重たすぎる想いを与え続ける。
いつか彼が、その中身の本当の甘さに気づく、その日まで。
フィオナは強くペンを握り直し、観察記録という名の恋文の続きを、静かに書き始めた。
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