第40話 グラデルの優しさが折れる日
これまでの証言と証拠の提出により、公開審問の空気は完全に俺の予想を裏切る形へ変質していた。
群衆からは同情の目が向けられ、俺を社会的に抹殺しようとした保険会社や出版ギルドの連中は、逆に自分たちの悪事を暴かれて防戦一方になっている。
そんな中、裁判長席に座る主任審問官のグラデルが、重い口を開いた。
「被告人ダン。……これまで提出された証拠により、あなたが社会の膿を出し、被害を減らしてきた側面があることは理解した。だが、それでもなお、私はあなたを追及せねばならない」
グラデルは、手元にある『優しさ憲章』の分厚い教本を強く握りしめた。
「あなたの言葉は、あまりにも配慮に欠け、容赦なく人の心を切り裂く。相手がどんな悪人であろうと、立ち直れないほどの精神的苦痛を与える権利が、あなたにあるというのか? 言葉の暴力は、決して正当化されるべきではない!」
それは、彼が慈愛審問庁の役人として長年信じ、守り抜いてきた『優しさ』という名の盾だった。
誰も傷つけない言葉。誰もが安心して暮らせる社会。それを乱す俺は、やはり裁かれるべきだという必死の抗弁。
「なるほど、素晴らしい追及だ」
俺は被告席で深く頷き、心底嬉しそうに笑った。
「あんたの言う通りだ、主任審問官殿。俺の言葉には一片の優しさも配慮もない。ただ相手の急所を的確に言語化し、一番痛いところを抉って、死ぬほど恨まれるためだけに口を開いている。……で? それがどうした?」
「なっ……開き直る気か!」
「開き直るも何も、事実だ。だがな、グラデル。あんたが守ってきたその『誰も傷つけない優しい言葉』とやらは、一体誰を救ってきたんだ?」
俺の問いかけに、グラデルの言葉が詰まる。
「無能を傷つけまいと曖昧な理由でクビを濁せば、そいつは『理不尽に捨てられた』と勘違いして逆恨みの化け物になる。組織の空気を悪くする寄生虫に『君にも良いところがある』なんて優しい言葉をかければ、そいつは一生そこに居座って真面目な奴の血をすする」
俺は法廷全体を見渡し、声を張り上げた。
「誰も傷つけないってのはな、誰もその人間の本質を見ようとしないってことだ! 臭いものに蓋をして、見えないところで誰かが泣いているのを無視する社会を、あんたは『優しさ』という言葉で守護してきたんだよ!」
「……ッ!」
グラデルの顔から、さぁっと血の気が引いていく。
彼の脳裏に、数日前のクライアントたちの悲痛な証言が蘇っているのだろう。追放できずに壊れていった現場。優しさという名の飼い殺しによって、真面目な人間から潰れていった事実。
「……私は、傷つけないために、誰も見ない社会を……守っていたと、いうのか」
グラデルは崩れ落ちるように椅子に座り込み、両手で顔を覆った。
(いいぞ。これこそ極上の官製ヘイトだ)
俺はグラデルの苦悩に満ちた姿を見て、至福の溜め息を漏らした。
自分の信じてきた絶対的な正義を根底から否定され、その元凶である俺に激しい葛藤と恨みを抱く。ただの逆恨みより遥かに上質な、苦味の強いヘイト。
「あんたの優しさはもう限界だ。さあ、俺をもっと憎んで、俺を有罪にしてみせろ!」
俺が煽ると、背後の弁護人席から三人の少女たちの重苦しい気配がのしかかってきた。
「……また、自分だけを悪者にして。その軽口の裏で、社会の歪みを全部一人で背負おうとするんですね」
フィオナが魔力灯を悲しげに点滅させる。
「あいつのあの笑い方は、自分の傷を隠す時の癖だ。これ以上、あいつ一人に泥を被らせてたまるか」
ロッタが剣の柄を強く握りしめ、唇を噛む。
「彼の数字は、常に自己犠牲の上に成り立っている……。私は、もう彼に嘘の数字を背負わせたくない」
ノーチェが手帳の端を折り曲げ、灰色の瞳を揺らす。
(なんだ? 三方向から飛んでくるこの湿っぽい圧は。……俺がこれほど見事な官僚ヘイトを稼いでいるのに、まだアンチとしての戦意を失ったままなのか?)
俺は彼女たちの心配を都合よく誤読し、全く理解できないという顔で首を傾げた。
「……静粛に」
やがて、グラデルが顔を上げ、掠れた声で法廷に告げた。
「本日の審問は、ここまでとする。……被告人ダンの処遇については、判決を下す前にもう一晩、私一人で考えさせてほしい」
木槌が力なく鳴らされ、閉廷が宣言される。
だが、法廷を出ようとする俺たちの背後で、審問庁内の強硬派と保険会社の残党たちが、何やら不穏なヒソヒソ話を交わしているのが見えた。
「……もはや、まともな裁判ではあの男を有罪にはできん」
「ああ。ならば明日の最終日、我々の手で確実に奴の存在を『黙殺』する策に出るしかない……」
明日はいよいよ、公開審問の最終日。
俺は彼らが企む新たなヘイトの気配に胸を躍らせながら、意気揚々と法廷を後にした。
【本日のヘイト評――揺れる官僚の苦味。熟成途中。★4.1】
◆
誰もいなくなった大法廷で、グラデルは手元の『優しさ憲章』をじっと見つめていた。
誰も傷つけない社会。それは理想であり、美しい理念だったはずだ。
だが、あの下世話に笑う男の言葉が、その理念の裏側にある残酷な真実を暴き出してしまった。
問題から目を背け、誰も責任を取らない社会。そのツケは必ず、真面目で弱い人間へと回っていく。
「……私は、間違っていたのだろうか」
グラデルはポツリと呟き、憲章の教本をそっと机の端へ避けた。
そして、明日の判決に向けて、白紙の答弁書に一からペンを走らせ始めた。
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