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第36話 俺を善人にするな

ダンッ!

俺は被告席の机を強く叩き、立ち上がった。


「待て! さっきから黙って聞いていれば、好き勝手な解釈をしやがって!」


公開審問の法廷は、俺にとって全く予期せぬ、そして最悪の空気感に包まれていた。

事の発端は、俺の背後に陣取る『弁護団』の余計な立証作業だ。


「ダン氏の介入した案件において、依頼主への報復率がゼロであることは既に証明しました。これは、彼が意図的に辛辣な言葉を選び、追放者の憎悪の矛先を『依頼主』から『自分自身』へと逸らしているからです。彼は、社会の防波堤として機能しています」


ノーチェが手元の資料を基に、冷徹な数字のロジックで俺の行動を美化する。


「私の日々の観察記録とも一致します。彼は自身の安全や名誉を計算の変数から除外し、常に最も効率的に敵意を集めるよう動いています。これは極めて高度な偽装工作です」


フィオナが紫紺の瞳を細め、これまでに書き溜めた分厚いノートを掲げて証言を補強する。


「……あいつのやり方は腹が立つ。だが、事実としてあいつは泥を被り、腐った組織の膿を出し、誰も傷つかないように一人で矢面に立っている。それは、あいつなりの不器用な正義の形なのだ!」


ロッタが熱を帯びた碧眼で群衆を見渡し、力強く断言する。


彼女たち三人の完璧な連携により、俺が作り上げてきた『ヘイト避雷針』の構造が、白日の下に晒されようとしていた。

つまり、「この男は本物の悪党ではなく、社会の憎悪を一身に引き受けている自己犠牲の英雄なのではないか?」という恐るべき仮説が、法廷全体に共有され始めてしまったのだ。


冗談じゃない。

そんな善意のレッテルを貼られたら、俺への極上のヘイトが台無しになる。


「いい加減にしろ! 俺は防波堤でも英雄でもない!」


俺は法廷の中心に向かって、声を大にして叫んだ。


「俺はただ、他人の憎む顔を見るのが好きなだけの、どうしようもない人間のクズだ! お前らが俺に向けるその殺意や軽蔑を味わうのが、俺の生きがいなんだよ! 俺は純粋な性癖でやってる外道だ! 絶対に俺を善人にするな!」


必死の自己有罪主張。

俺は声を張り上げ、腕を振り回し、自分がどれほど救いようのない悪党であるかを群衆にアピールした。前世の日本の居酒屋でクダを巻くオヤジより、よほどタチの悪い最低な男の姿を演じきったはずだ。


だが。

俺が主張すればするほど、法廷の空気は奇妙な静けさを帯びていく。

群衆の目は、俺を軽蔑するどころか、まるで『本当の自分を隠すために必死に悪ぶる不器用な男』を見るような、ひどく湿っぽい色に変わっていた。


「……所長」


傍らの席から、ピノが俺の外套の裾をちょいちょいと引っ張った。


「所長、これ以上は逆効果です。黙ってた方が裁判に勝てますって」


ピノが小声で的確なアドバイスを送ってくる。彼女は帳簿の計算をしながら、世論の風向きが俺にとって『有利(無罪方向)』に傾いていることを察知したのだ。

だが、俺が欲しいのは無罪判決ではない。


「……勝ちたくない」


俺はピノの手を振りほどき、ギリッと奥歯を噛み締めて言い返した。


「裁判になんか勝ちたくない。俺は、お前たちから嫌われたいんだ」


その言葉は、自分でも驚くほど低く、切実な響きを持っていた。


ピクリ、と。

俺の背後で、三人の少女たちの息を呑む気配がした。


フィオナの手元で、魔力灯の光がふっと弱々しく揺らいだ。

ロッタが痛ましげに目を伏せ、剣の柄を握る指先を白くなるほど強く握りしめる。

ノーチェは一切の表情を消したまま、ただ無言で自分の下唇を強く噛み締めていた。


俺には分からない。

だが、彼女たちには直感的に伝わってしまったのだ。

俺の「嫌われたい」という言葉の奥底にある、どうしようもない欠落の形が。

誰からも関心を向けられず、透明な存在として扱われることへの強烈な恐怖。悪意でもいい、憎悪でもいい。強い感情を向けられていなければ、自分が世界に存在していることすら確かめられないという、絶望的なまでの空腹感。


彼女たちは俺の背中を見つめながら、その目に見えない巨大な傷痕の存在を感じ取り、言葉を失っていた。

だが、そんなアンチたちの複雑な心境など知る由もない俺の前に、さらなる地獄が立ちはだかった。


「……見ろよ。あんなに震えてるぞ」

「本当は怖いのに、俺たちを守るために一人で悪役を演じて……」

「なんて不器用で、悲しい男なんだ……!」


傍聴席の群衆から、ボロボロと涙を流す者まで現れ始めた。

俺の切実な訴えは、彼らの目には『自分を犠牲にしてまで社会の憎悪を引き受けようとする聖人』の痛々しい姿にしか映っていなかったのだ。


「違う……違う! 俺を同情するな! 俺を可哀想な奴を見る目で見るなああああ!」


俺の絶叫は、群衆の温かい拍手と、すすり泣きの声にかき消されていく。

善意。同情。理解。

俺が世界で一番忌み嫌い、そして俺の精神を確実に削り取っていく猛毒が、法廷中を満たしている。


俺は血の気の引いた顔でその場にへたり込み、ただ青ざめることしかできなかった。


【本日のヘイト評――善意認定。毒だ。俺を殺す気か。★0.5】


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