第33話 飼い殺しの国
ガンッ!
公開審問の二日目。グラデルの木槌の音が、昨日よりも幾分か重く、そして迷いを帯びて法廷に響いた。
「……前日の証人喚問については、一旦保留とする。本日は、被告人ダンに追放代行を依頼した、クライアントたちの匿名証言を聞く」
昨日、検察側が用意した『被害者』たちが俺に感謝を連発するという前代未聞の自爆を引き起こしたため、審問の方向性が大きく切り替えられたのだ。
証言台の周囲には魔法陣が展開され、声の主が誰か特定されないよう、すりガラスの向こうからくぐもった声が法廷に響く。
『私は、ある商会の主です。ウチには、若手に責任を押し付け、裏で賄賂を受け取っている番頭がいました。ですが、彼が覚醒して復讐に来るのが怖くて、そして何より「長年貢献してくれた者を切るのは優しさに欠ける」という世間の同調圧力に負けて……彼を切れなかったんです』
すりガラスの向こうの男は、悔しそうに声を震わせた。
『結果どうなったか。真面目に働いていた若手から順番に、心を壊して辞めていきました。会社は腐り、倒産の一歩手前までいきました。あの男が追放を代行してくれなければ、私の商会は優しさという名の毒で死んでいたはずです!』
傍聴席がざわめく。
続いて、別の証人が口を開いた。
『農村の長老です。村に、働かず家族に寄生して暴力を振るう若者がおりました。村の絆だ、家族の愛だと言って誰も彼を追い出せず、何年も飼い殺しにしました。……その結果、真面目な農民たちの心が折れ、村の活力が死んでいったのです』
『騎士団の小隊長です。手柄を横取りし、暴力で若手をしごく古参騎士を、功労者だからという理由で放置し続けました。部隊の士気は地に落ち、優秀な若者が何人も剣を置きました……!』
次々と語られるのは、この三十年間、大ざまぁ時代が生み出した『飼い殺し社会』のリアルな地獄だった。
誰も追放を告げられない。優しい言葉で問題を先送りし、臭いものに蓋をする。
その結果、一番最初に割を食って潰れていったのは、いつも現場で黙々と働く、真面目で弱い人間たちだったのだ。
俺は被告席で腕を組み、冷ややかにその証言を聞き流していた。
前世の日本でも散々見てきた光景だ。無能や悪人を「可哀想だから」と切れず、その負担を優秀な人間に押し付けて、組織全体が緩やかに沈んでいく泥舟。
この異世界も、結局は同じ病に侵されていたにすぎない。
「……静粛に」
グラデルが木槌を鳴らすが、その手は微かに震えていた。
彼の顔色は土気色に変わり、信じていた足元が崩れ落ちたような表情をしている。
慈愛審問庁の主任審問官として、『優しさ憲章』を掲げ、誰も傷つけない言葉の社会を守ってきたはずだった。
だが、その『優しさ』が守っていたのは、問題を放置する無責任な空気と、寄生虫たちの居場所だけだったのではないか。証言を聞けば聞くほど、その残酷な事実が法廷の空気を重くしていく。
「あいつの言う通りじゃないか……。俺たちの社会は、どこかおかしかったんだ」
「馬鹿な! あいつは言葉の暴力で人を追放した悪魔だぞ! 騙されるな!」
傍聴席の群衆は、真っ二つに割れていた。
俺を、澱んだ社会の膿を切ってくれる『必要悪』と見るか。それとも、社会の和を乱す『危険人物』と見るか。
賛否両論の熱気が入り混じり、法廷の温度が急激に上昇していく。
「いいぞ。極上のスパイスが効いてきた。ただ嫌われるより、論争を巻き起こすヘイトの方が深みが出るからな」
俺が舌なめずりをして笑うと、背後の弁護人席から、三つの静かな気配が俺の背中に寄り添うように近づいてきた。
「……対象がこれまでに切除してきた社会のエラー。その膨大な総量と、彼が一人で引き受けてきた憎悪の密度。計算外の数値です」
フィオナが紫紺の瞳を揺らし、羽ペンを握る手に力を込める。
「誰もが目を背けてきた泥を、お前だけが一人で被ってきたのか……。ならば私は、お前が泥に沈まないよう、その背中を支えるまでだ」
ロッタが騎士の誓いのように、小さく、だが力強く呟く。
「保険会社は、この地獄を利益に変えていた……。ダン氏、あなたの背負ってきた数字の美しさを、私が必ず証明してみせます」
ノーチェが手帳を胸に抱き、静かに覚悟の炎を燃やす。
(なんだ? 三方向からの圧がさらに強くなったぞ。俺が群衆からヘイトを集めているのが、そんなに悔しいのか)
俺はアンチたちの熱烈な対抗心を都合よく誤読しながら、明日の法廷でさらにどんな劇薬が投下されるのか、楽しみに待つことにした。
【本日のヘイト評――世論の分裂。苦味と甘味が喧嘩している。★4.7】
◆
その夜、慈愛審問庁の執務室。
グラデルは一人、暗い部屋の中で頭を抱えていた。
机の上には、明日ダンを追及するために用意した『優しさ憲章』の条文と、分厚い答弁書が置かれている。
だが、彼の頭の中では、今日法廷で聞いたクライアントたちの悲痛な声がリフレインしていた。
『あの男が追放を代行してくれなければ、私の商会は優しさという名の毒で死んでいたはずです』
「……私たちは、一体誰を救っていたのだ」
誰も傷つけない言葉。配慮のある社会。
それは弱者を守るための盾だったはずだ。しかし現実は、強かな寄生虫たちを温存し、真面目に生きる弱者から未来を搾取するための隠れ蓑になっていた。
その矛盾に、ただ一人、自ら悪役となって立ち向かっていたのが、あの下世話に笑う男だったというのか。
グラデルは深く長く息を吐き出すと、用意していた答弁書を、パタンと静かに閉じた。
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