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第28話 黒帳簿の名前

ドサッ。

〈クビキリ堂〉の作業机に、ノーチェが持ち込んだ分厚いファイルと、巨大な一枚の羊皮紙が広げられた。


「……うわぁ」


羊皮紙にびっしりと書き込まれた文字と、そこから引かれた無数の矢印を見たピノが、顔を引きつらせて悲鳴を上げた。


「なんですか、この複雑な相関図! うちの複雑怪奇なオプション料金表よりひどいじゃないですか! 目がチカチカします!」


「ざまぁ保険会社の裏帳簿と、関連組織への資金の流れを可視化したものです」


ノーチェが灰色の瞳を細め、淡々と説明を始める。


「保険会社は、意図的に理不尽な追放を演出することで《逆境祝福》の暴発を促し、復讐の恐怖を煽って保険需要を高めていました。そのために、様々な組織に資金を流し、協力体制を敷いていたのです」


「協力体制ね。具体的には?」


俺が机に身を乗り出して尋ねると、ノーチェの隣からロッタが羊皮紙を指差した。


「ここを見ろ、ダン。騎士団内の特定の派閥や、一部の貴族の名前がある。さらに……慈愛審問庁の上層部の名前まで」


ロッタの碧眼に、強い怒りの色が浮かんでいた。

彼女が信じる正義の騎士団や、言葉を取り締まる『優しさ憲章』を掲げる審問庁すらも、裏では保険会社の金で動いていたのだ。


「なるほどな。出版ギルドの名前もある。理不尽追放からの覚醒譚を英雄譚として出版し、さらにざまぁブームを煽るための宣伝役というわけだ」


「それだけではありません」


向かいの席から、フィオナが羽ペンで帳簿の余白を指し示した。


「この帳簿の末尾、一見ただの数字の羅列に見えますが、魔術的な暗号化が施されています。……解析しました」


フィオナが紫紺の瞳を冷たく光らせ、すらすらと暗号を読み解いていく。


「王立訓練院の一部教師陣への、実験資金の提供記録。……生徒を理不尽に追い込み、人工的に《逆境祝福》を発動させるための生態実験です。先日、あなたが依頼を受けた訓練院も、この計画に組み込まれています」


「おいおい。保険会社、出版ギルド、訓練院、貴族に審問庁だと?」


俺は息を吐き出した。

この世界を覆う『飼い殺し社会』は、ただ人々が報復を恐れているだけではなかったのだ。

意図的に復讐者を作り出し、恐怖と英雄譚を商品として消費する巨大なエコシステム――『祝福市場』が、社会の裏側で完成していたのである。


「私が保険会社の上層部から命じられたのは、あなたに関する虚偽の被害申告を集めることでした」


ノーチェが眼鏡を押し上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。


「あなたの行う『正当な追放』は、対象者の復讐心を絶ち、組織を正常化してしまう。それは、彼らの作り上げた『祝福市場』にとって、最大の障害なのです」


「だから、でっち上げた被害報告を使って、公開審問で俺を社会の敵として吊るし上げる気か」


俺は思わず口角を吊り上げた。

なんて素晴らしい。一個人の逆恨みなど比べ物にならない、既得権益を脅かされた巨大な組織群からの、純度百パーセントの集団ヘイトだ。


「上等だ。まとめて俺を憎ませてやる」


俺が歓喜に震えていると、ふと奇妙な圧迫感に気がついた。

大きな羊皮紙の相関図を一つの机で囲んで覗き込んでいるため、三人の少女たちが俺のすぐ傍まで身を乗り出しているのだ。


右からは、騎士団の腐敗に怒るロッタの熱を帯びた気配。

左からは、かつての職場を敵に回したノーチェの静かな決意。

正面からは、暗号を睨みつけるフィオナの冷ややかな魔力。


(近いな……)


それぞれの体温や、微かな香水の匂いすら感じる距離。

普段ならあり得ないほど三人が俺に密着し、それぞれが強い感情を放っている。


(なるほど。この巨大な陰謀を前にして、俺へのヘイトの主導権を奪われまいと、三人が牽制し合いながら圧をかけてきているのか。ここは敵意の密集地帯だな)


俺は彼女たちの重すぎる執着(好意と庇護欲)を、見事に三つ巴のヘイト競争だと誤読し、至福の溜め息を漏らした。


「所長、顔がにやけてますよ。国を裏で牛耳る連中を敵に回したんですよ!? ちょっとは危機感を持ってください!」


少し離れた安全圏から、ピノが呆れたようにツッコミを入れてくる。


「素人がヘイトを語るな、ピノ。この極上の樽熟成ヘイトを前にして、笑わずにいられるか」


俺は相関図の中心――俺を社会的に抹殺しようとする巨大な意志に向かって、挑戦的な視線を叩きつけた。

来たるべき公開審問。そこで俺は、世界中から最高の憎悪を浴びてやる。


【本日のヘイト評――帳簿の奥の集団ヘイト。樽熟成。これは値が張る。★4.8】


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