第2話 復讐決闘、受付中です
シュッ、シュッ。
事務所の片隅で、俺は革の籠手を身に着けながら、軽いステップを踏んでいた。
「所長。本気で行くつもりですか」
帳簿から顔を上げた狐獣人のピノが、ジト目でこちらを見ている。
日雇いの事務員として雇った彼女だが、思いのほか肝が据わっている。
「当然だ。せっかく届いたご褒美をすっぽかすなんて、失礼にも程がある」
「殺されたら今日の日給、誰に請求すればいいんですか。私は所長の命より、自分の財布が心配です」
「安心しろ。死ぬ気はないし、死ぬつもりもない」
俺は防刃の外套を羽織り、短剣を腰に帯びた。
これから向かうのは王都の中央広場。昨日クビを言い渡した元Bランク冒険者、ガルドからの果たし状の指定場所だ。
「……そもそも、相手は復讐に燃える覚醒者ですよ? 勝てる算段はあるんですか」
ピノの言葉に、俺は思わず鼻で笑った。
「覚醒者? 誰が?」
「あの剣士さんです。理不尽に追放された者は、秘められた力に目覚めて復讐を果たす。世間の常識じゃないですか」
「だから、素人は困る。復讐劇の基本をわかっていない」
俺はピノに向き直り、人差し指を立てた。
「いいか。《逆境祝福》ってのは、あくまで『理不尽な仕打ち』を受けた者にしか満額発動しない。俺が昨日やったのは、横領や仲間割れといった明確な規約違反の証拠を突きつけた上での、真っ当で正当な解雇だ」
本人がどれだけ理不尽だと喚こうが、世界の法則は誤魔化せない。
正当な追放である以上、奴に特別な力など宿ってはいない。
「俺が負けるとしたら、俺の調査が甘く、本当に理不尽な追放が成立してしまった時だけだ。もしそうなったら、潔く負けを認めて死んでやるよ」
俺は笑みを深くし、事務所の扉を開けた。
「留守番、頼んだぞ」
◆
正午。中央広場。
石畳の敷き詰められた広場は、黒山の人だかりになっていた。
「見ろよ、追放された冒険者だぜ」
「相手は誰だ? ギルドの人間か?」
「復讐劇の始まりだな。どっちが勝つか賭けようぜ!」
野次馬たちは、これから始まる見世物という名の娯楽に熱狂していた。
これが、この世界の歪んだ現状だ。皆、分かりやすい被害者と悪役のショーを求めている。
広場の片隅に、その狂騒を冷ややかな目で見つめる蜂蜜色の髪の少女がいた。
非番の騎士、ローレッタだ。
「腕は立つ。だが、あのやり方は外道だ」
彼女は端正な顔をしかめ、悪趣味な場を提供するダンの姿を、油断なく監視するように見つめていた。
そんな視線があることなど露知らず、広場の中央で、大剣を肩に担いだガルドが俺を待ち構えていた。
目は血走り、全身から濃密な殺意と憎悪が立ち昇っている。
素晴らしい。昨日よりもさらに熟成された、極上のヘイトだ。
「逃げずに来やがったな、ダン……!」
ガルドがギリッと歯を鳴らす。
「待たせたな。復讐決闘、絶賛受付中だ。好きなだけかかってこい」
「舐めやがって! 理不尽に追放された俺は、秘められた力に目覚めたんだ! その身で味わいやがれぇぇっ!」
ガルドが咆哮と共に地を蹴った。
Bランク冒険者の突進。石畳が砕け、凄まじい風圧と共に身の丈ほどある大剣が振り下ろされる。
――ドゴォォォォンッ!
粉塵が舞い上がり、野次馬から歓声が上がる。
「はっ! 口ほどにもねえ!」
ガルドが勝利を確信して笑う。
だが。
「……おいおい。これが覚醒した力か?」
「なっ!?」
土煙が晴れた先。
俺は、大剣が振り下ろされた位置からわずか半歩だけ横にずれ、無傷で立っていた。
「見せかけの威力が上がっただけで、振りが大きすぎる。仲間がカバーしてくれるパーティー戦ならともかく、一対一じゃ隙だらけだぞ」
「ふ、ふざけるなぁっ!」
ガルドが横凪ぎに剣を振るう。
俺は姿勢を低くしてそれを潜り抜け、奴の鎧の隙間――肘の関節に、短剣の柄尻を叩き込んだ。
「グアッ!?」
腕の痺れにガルドの動きが止まる。
俺はその隙を見逃さず、膝裏を蹴り抜き、体勢を崩したところへ鳩尾に鋭い前蹴りを放った。
「カハッ……!」
胃液を吐き出しながら、ガルドが石畳に崩れ落ちる。
「ば、馬鹿な……俺は、覚醒したはずじゃ……っ! 俺はBランクのエースなんだぞ! なんで、ただの代行人に……っ!」
ガルドは現実を受け入れられないのか、血に塗れた拳で石畳を何度も叩きつけた。
地面を這いずりながら、信じられないという顔で俺を見上げる。
周囲の野次馬たちも、予想外の結末に静まり返っていた。
「二度目の通知をしてやる」
俺は倒れたガルドを見下ろし、冷たく告げた。
「お前に《逆境祝福》は発動していない。なぜなら、お前の追放は『理不尽』ではなく、自業自得の『正当』なものだからだ」
「そ、んな……」
「だが、腐っても中堅の剣士だな。大振りだが筋は悪くない。味方を盾にする癖さえ直せば、単独の賞金稼ぎとしてなら、明日の飯代くらいは稼げるんじゃないか?」
俺は短剣を鞘に収め、背を向けた。
背後から、ガルドの嗚咽のような、悔しさに満ちた唸り声が聞こえる。
殺意というよりは、自身の不甲斐なさに対する悔恨。純粋なヘイトとしては少々酸味が強いが、悪くない味わいだ。
◆
「所長、大変です!」
事務所に戻るなり、ピノが書類の山から顔を出した。
「どうした。ガルドの元のパーティーに何かあったか?」
「いえ、『暁の牙』のリーダーからは、お礼の品と一緒に『パーティーが健全化して依頼の成功率が上がった』と報告が来てます」
あの後、ガルドはギルドに単独冒険者として登録し直したらしい。最低ランクからの出直しだが、地道に薬草採取から始めているそうだ。
だが、問題はそこではないらしい。
「問題はこっちです! 所長が決闘で返り討ちにした噂が広まって、『うちの不良ギルド員も追放してほしい』っていう依頼が殺到してるんです!」
ピノが指差した机の上には、依頼書が山のように積まれていた。
どれもこれも、復讐を恐れて問題児を飼い殺しにしている組織からの悲鳴だ。
「日雇いの事務じゃ、とても捌ききれません! どうするんですかこれ!」
「どうするも何も、全部受けるに決まってるだろ」
俺は依頼書の山を見て、思わず笑みをこぼした。
これ全部が、俺に向けられる極上のヘイトの種だと思えば、安いものだ。
「ピノ。今日からお前を〈クビキリ堂〉の正式な事務員として雇う。給料は今の二倍、危険手当も込みだ」
「にっ、二倍!?」
ピノの狐耳がピンと立ち、尻尾がちぎれんばかりに揺れる。
「はいっ! 喜んでお受けしますダン所長! ヘイトは全部所長のものですが、お金はきっちり回収しますからね!」
現金な奴だ。だが、その分かりやすさがいい。
俺は窓の外、王都の空を見上げた。
今日から本格的に、俺の嫌われ者としての稼業が始まる。
【本日のヘイト評――不発のざまぁ風味。悔しさの酸味が強い。★4.3】
◆
王都から離れた聖山の中腹にそびえる、教会本部の『星見の塔』。
最上階の観測室で、観測官セレネは水晶球に映る異常な数値に息を呑んだ。
「……また上がっている」
水晶球には、中央広場で発生した熱狂と、ひとりの男へ向けられた純度の高い憎悪の奔流が可視化されていた。
表示された『憎悪集積率』は、7パーセント。
――この星の理。
単一の個人へ向けられた憎悪の総量が閾値を超えた時、星はその者を「人類の敵」と認定し、魔王へと変生させる。
歴代の魔王は皆、誰よりも嫌われすぎた者たちだった。
「この男が背負い集める憎悪は、いずれ星の閾値を超える……」
彼が世界から憎まれるほど、静かに、そして確実に、破滅へのカウントダウンが進んでいく。
セレネの呟きは、誰に届くこともなく塔の静寂へと溶けていった。
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