第15話 「あなたは業界の敵」「いい響きだ」
ドサァッ!
朝の〈クビキリ堂〉の机に、分厚いファイルの山が雪崩れるように置かれた。
「過去の案件記録、ならびに当社の支払い実績をすべて精査しました」
黒髪のボブカットに銀縁眼鏡。地味なスーツに身を包んだざまぁ保険会社の査定員、ノーチェが、感情の全く読めない灰色の瞳で俺を見下ろしていた。
先日、飲食店の暴力料理人を追放した際に現れた彼女だが、どうやら本気で俺の身辺調査を進めていたらしい。
「ご苦労なことだな。で、保険会社の優秀な査定員殿が、わざわざ俺の仕事の粗探しをして何か面白いデータでも見つかったか?」
俺が皮肉げに笑うと、ノーチェは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、淡々と数値を読み上げ始めた。
「ダン氏。あなたが請け負った追放案件における、対象者の復讐成功率はゼロパーセント。それに伴う当社の保険支払い実績も、当然ながらゼロです。さらに、あなたの介入後に不要な人材を切り捨てた組織の再生率は、平均して四十パーセントも上昇しています」
「……ほう」
「数字は嘘をつきません。極めて美しく、完璧な右肩上がりのグラフです」
ノーチェの言葉に、俺は少しだけ感心した。
俺がやっているのは、理不尽な追放を防ぎ、正当な事実で対象をへし折ることだ。結果として《逆境祝福》は発動せず、復讐は未然に防がれ、腐っていた組織は正常化する。
彼女の提示したデータは、俺の仕事がこの社会において『正しく機能している』ことを完璧に証明していた。
だが、それは同時に、彼女の所属する保険会社にとっては致命的な事実だった。
「復讐事件が起きなければ、ざまぁ保険の需要はなくなります。あなたの存在そのものが、我が社の料率体系とビジネスモデルを根底から破壊している」
ノーチェは机に両手をつき、顔を近づけて静かに宣告した。
「あなたは業界の敵です」
「いい響きだ」
俺は深く背もたれに寄りかかり、心底嬉しそうに笑みをこぼした。
これほど痛快な敵対宣言があるだろうか。
復讐の恐怖を煽り、不安を金に換える保険業界。その巨大なシステム全体から、俺というちっぽけな代行業者が明確な『敵』として認定されたのだ。
「最高の褒め言葉だ。で、俺を社会的に潰しに来たのか?」
「……いいえ。私の任務は、あなたの裏のカラクリを暴くことです」
ノーチェの視線が、ふと手元の美しいグラフの数値に落ちる。
無表情な彼女の仮面は崩れていなかった。だが、手帳を握る指先が白くなるほど微かに震え、その声が一拍だけ遅れたのを、俺は見逃さなかった。
「本来、恨みを買うだけの業者が、これほど完璧に組織を再生させるのは非論理的です。数字の矛盾を解明するため、本日より継続調査という名目で、ここへの定期訪問を実施します。拒否権はありません」
つまり、保険業界からの刺客として、毎日俺の粗を探しにやってくるというわけだ。
冷たくて計算された、理知的なヘイトの定期供給。
「歓迎しよう。好きなだけ数字をこねくり回して、俺への敵意を熟成させてくれ」
俺が上機嫌で答えた、その時だった。
――ピキキキッ。
斜め向かいの席から、インク瓶の表面が凍りつく不穏な音が響いた。
振り返ると、押しかけ助手のフィオナが、絶対零度の紫紺の瞳でノーチェを射抜いている。
「お断りします。彼の行動原理を最も近くで観察し、解体し、記録する権利は私にあります。後から来た保険屋が、私の観測データにノイズを混ぜないでください」
「おいおい、待て。こいつを見張るのは騎士である私の役目だ」
さらに隣の部屋から壁を突き抜けるような勢いで、ロッタが事務所に踏み込んできた。彼女は腰の剣の柄に手をかけ、ノーチェを鋭い碧眼で睨みつける。
「数字しか見ない保険会社に、この外道の悪行が測れるものか。私が二十四時間体制で監視しているのだ、お前は引っ込んでいろ」
「……理解不能です。私は業務上の継続調査を行うだけです。あなた方こそ、ダン氏の行動変数に対する非合理的な執着が見られます。ひどく非効率だ」
ノーチェが淡々と反論すると、フィオナの周囲で魔力灯が明滅し、ロッタがギリッと歯を鳴らした。
冷たく事務的なノーチェ。
独占欲を隠そうともしないフィオナ。
正義を盾に常駐するロッタ。
(なんだこの空間は……)
俺を社会的に抹殺しようとする保険屋と、俺のすべてを記録しようとする天才と、俺の外道ぶりを暴こうとする騎士。
三方向から俺に突き刺さる、三者三様の熱烈なヘイト。三種盛りの極上フルコースだ。
(アンチ同士が、誰が一番俺を憎むかで牽制し合っている。たまらないな……俺への執着がエスカレートしている証拠だ)
俺が三つの冷ややかな視線を浴びて至福の喜びに浸っていると、事務所の奥からピノが呆れたような声を出した。
「あー、所長。その幸せそうな顔のところ申し訳ないんですけど。商業ギルド経由で、新しい依頼が来てますよ」
「ん? ギルドから?」
「はい。依頼主は……『王立訓練院』。国のエリートを育てる機関からです」
ピノが差し出した依頼書には、確かに王家と剣をあしらった豪奢な紋章が印字されていた。
王立訓練院。次世代の騎士や魔術師を育成する最高学府からの依頼。
「ほう。随分と格式高いところからお呼びがかかったな」
俺は三人の少女たちから向けられる熱視線を背中に浴びながら、新たな依頼書を手に取り、ニヤリと口角を上げた。
【本日のヘイト評――保険業界の冷製敵意。舌触りがいい。左右からの熱視線も悪くない。★4.6】
========================================




