第12話 勘当代行と、憎まれている分だけ
バンッ!
勢いよく事務所の扉が開き、朝の冷たい風と共に蜂蜜色の髪が飛び込んできた。
「ダン! 監視業務を開始する!」
隣の部屋に引っ越してきたばかりの騎士令嬢、ロッタだ。彼女は腰に剣を佩いたまま、俺のデスクの前に仁王立ちした。
すると、斜め向かいの席から、氷のように冷たい声が飛ぶ。
「騒々しいですね。私の観察対象に無駄なノイズを与えないでください。エラー因子」
羽ペンを握ったフィオナが、紫紺の瞳でロッタを射抜く。
ロッタも負けじと碧眼を吊り上げた。
「なんだと? 私は正当な理由でこいつを見張っているんだ。お前こそ、なぜここで机を並べている」
「私は彼を完全に理解するための記録を取っているだけです」
朝からバチバチと火花を散らす二人。
俺に向けられた監視の目と、二人から放たれるお互いへの強烈な対抗心。ああ、たまらない。事務所の空気が極上のヘイトで満ちている。
「朝から元気だな、お前ら」
俺がにやにやと笑いながら茶を啜っていると、ピノが呆れた顔で一枚の依頼書を突き出してきた。
「所長、笑ってないで仕事してください。王都近郊の農村から、身内案件です」
◆
王都から馬車で一時間ほどの農村。
依頼主である老夫婦に案内された家の奥では、大柄な青年が昼間から藁のベッドに寝転がり、出版ギルドが発行した安っぽい『ざまぁ英雄譚』を読んでいた。
「ふん。今は冷遇されてるが、俺には隠された力があるんだ。もし俺を理不尽に家から追い出してみろ、覚醒してお前ら全員泣いて謝らせてやるからな」
次男のニコ。二十歳を過ぎて働きもせず、流行りの英雄譚に感化されて自分を特別な存在だと思い込んでいる。
理不尽に追放されれば覚醒する。その社会の常識が、家族という最小単位の組織にまで『飼い殺し』の構図を生み出していた。
「――なるほど。随分と都合のいい夢を見ているな」
俺が声をかけると、ニコは気怠げに視線を向けてきた。
「あぁん? 誰だアンタら」
「追放通知代行人だ。ご家族に代わり、君の勘当を通知しに来た」
ニコの顔が引き攣り、両親へ非難の目を向ける。老夫婦は怯えたように身をすくめた。
俺は懐から調査書類を取り出したが、ニコを詰める前に、その後ろで震えている老夫婦へ向き直った。
「勘当は、紙で済む話ではありません。最初の一言は、あなた方が言うべきです」
「そ、そんな……! それを代わりに言ってもらうために、高いお金を払ってあなたを呼んだのに……!」
父親が震えながら抗議する。
「憎まれたくないから俺を呼んだ。なら、その臆病さも通知対象です」
俺は冷たく言い放った。
「あなた方は、ニコの暴力や労働放棄を長年放置し、その負担を弟や近所に押し付けてきた。すべては、自分達で育てたこの息子に『憎まれたくなかったから』だ。違いますか?」
図星を突かれ、老夫婦は絶句する。
ロッタが俺の背後でハッとしたように息を呑み、フィオナのペンが紙を擦る音が少しだけ速くなった。
「さあ、言いなさい。親としての責任を、ここで果たすんだ」
俺の威圧に耐えかね、父親は涙を流しながら、絞り出すように言った。
「……ニコ、お前を、家から出す」
「なっ……! 親のくせに、俺を捨てるのかよォッ!」
ニコが顔を真っ赤にして逆上し、父親めがけて殴りかかろうとする。
その瞬間、俺が一歩前に出て、ニコの胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。
「俺を見ろ。お前を切り捨てる事実は、俺がすべて証明してやる」
ニコの煮えたぎるような憎悪の矛先が、両親から完全に俺へと向いた。
これだ。この熱いヘイト。
「先月から現在に至るまで、君は家の畑仕事を完全に放棄している。今月五日には夕食の味が気に入らないと母親に暴言を吐き、十日には仕事を急かした弟を突き飛ばして打撲を負わせているな。これらはすべて、君が家族に与えた明確な『加害』だ」
「だ、だから! 俺はいつか覚醒する特別な――」
「お前は冷遇された主人公ではない。飯を作る母親の上に座る読者だ」
「なっ……!」
ニコの顔から血の気が引いた。自分が悲劇の主人公ではなく、ただ家族に寄生して物語を消費しているだけの傍観者であると突きつけられたのだ。
「――以上の理由により、貴殿を勘当する」
静かに宣告を下す。
完璧な正当追放だ。祝福など発動するはずもない。
「ふざけるな! 絶対に後悔させてやるからなァ!」
ニコは俺を力一杯睨みつけ、荷物を掴んで家を飛び出していった。
俺は遠ざかる背中へ向けて、活路を投げてやる。
「王都で荷運びでもやれば、その体格も金に換わるだろう。せいぜい汗を流して現実を知ることだな」
ニコの姿が見えなくなり、老夫婦はその場にへたり込んで安堵の涙を流した。
「ああ……これでようやく、終わった……」
「終わった顔をするな。あいつをあそこまで腐らせた時間は、今日から返済しろ」
俺が冷たく刺すと、老夫婦はビクッと肩を震わせた。
「今日から弟に謝れ。近所に頭を下げろ。あいつの分の飯を作っていた手で、今度は残された家族を見ろ」
絶句する老夫婦を残し、俺は踵を返した。
去り際、俺はニコが消えた道を眺めながら、ふっと口を突いて出た言葉をこぼした。
「無関心な家族よりマシだ。憎まれてる分だけ、お前は見られてる」
憎悪でも殺意でもいい。誰の視界にも入らない透明な空間に比べれば、暴力的なまでの憎しみの方がずっと温かい。
俺がそう呟いた瞬間。背後にいたロッタとフィオナの気配が、ピタリと固まった。
【本日のヘイト評――家族由来の青い反発。親の冷や汗で薄まったが、根は深い。★4.0】
◆
帰りの馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
いつもならダンを巡って牽制し合うロッタとフィオナが、今は同じ衝撃を共有して言葉を失っている。
(憎まれている分だけ、見られている……?)
ロッタは膝の上で拳を握りしめた。
あいつのやり方は外道だ。だが、あの言葉の奥にあったのは、悪意ではなく、もっと根本的で痛々しい『欠落』だったのではないか。憎まれることを、あいつは温かいと思っているのか。
フィオナもまた、ノートにペンを落としたまま、ダンの横顔をじっと見つめていた。
彼女のペンが、震える線で文字を綴る。
『好意を敵意に変換する理由の一端を観測』
愛されたいと願うことすら知らない、底なしの孤独。
二人の少女の胸に、彼への不器用な感情が、また一つ深く根を下ろした。
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