第11話 正義の騎士令嬢は監視という名で隣に住む
ギンッ! という甲高い金属音が、王都騎士団の第三訓練場に響き渡った。
俺の目の前で、鋭い白刃が空を切る。
王都騎士団の隊長令嬢であり、若くして部隊を率いるローレッタ――通称ロッタの剣は、息を呑むほどに速く、そして美しかった。
「ハァァッ!」
裂帛の気合と共に放たれる刺突。
無駄な力みが一切なく、教本をそのままなぞったかのような完璧な軌道。
だが、俺はその切っ先が首筋に届くコンマ一秒前、最小限の動きで半歩だけ斜めに身体をずらした。
「なっ……!?」
空を切った剣勢にロッタの体勢がわずかに流れる。
俺はそこへ踏み込み、抜いた短剣の『峰』を、彼女の無防備な首筋にピタリと当てた。
「……そこまでだ」
静寂が落ちた訓練場に、俺の淡々とした声が響いた。
周囲で固唾を呑んで見守っていた若手騎士たちが、信じられないものを見るように目を見開いている。
「ば、馬鹿な……私の剣が、一度も掠りもしないなんて……」
ロッタは剣を握る手を震わせ、愕然と俺を見つめていた。
圧倒的な敗北。彼女の誇る騎士の剣術が、ただの追放代行人の歩法と体術の前に完全に封じ込められたのだ。
「理由は簡単だ。君の剣は綺麗すぎる」
俺は短剣を鞘に収め、ロッタから距離を取った。
「基本に忠実で、速く、正確。騎士団の教練としては満点だろうな。だが、型通りにしか動かないから、次の一手が手に取るように読める。実戦で生き残る泥臭さが全く足りていない」
「くっ……!」
ロッタが屈辱に顔を歪め、強く唇を噛み締める。
その瞳には、敗北の悔しさと、理解できない圧倒的な実力への畏怖が入り混じっていた。
「さらに言えば、君のその精神性だ。古参のバルガスを止められなかったのも、俺のやり方を否定しながら代案を出せなかったのも、根っこは同じだ」
俺は真っ直ぐに彼女の碧眼を見据え、決定的な一言を放った。
「君は正義を信じているんじゃない。正義に判断を預けている」
「――ッ」
ロッタの肩が大きく跳ねた。
ルールや規律といった『正義』という名の枠組み。それに頼り切っているからこそ、枠から外れた外道の手口にも、老害の暴挙にも対応できない。
痛いところを突かれたロッタは、手から剣を取り落とした。
カラン、と虚しい音が響く。
「……私の、負けだ」
彼女は深く俯き、震える声で敗北を認めた。
屈辱、反発、そして自己嫌悪。様々な感情が渦巻く極上の敵意が、彼女から立ち昇るのを感じる。
俺は満足げに息を吐き、背を向けた。
「分かったら、もう俺の仕事に首を突っ込むなよ。お嬢様」
「待て」
立ち去ろうとした俺の背中に、凛とした声がかけられた。
振り返ると、ロッタが顔を上げ、燃えるような碧眼でこちらを睨みつけていた。
「腕は私の完敗だ。お前の言う通り、私は正義に甘えていたのかもしれない。……だが、それでもお前のやり方は認めない。事実で人を切り裂く手口は、絶対に間違っている」
「しぶといな。じゃあ、どうするつもりだ?」
「あなたを監視する」
ロッタは真っ直ぐに俺を指差し、高らかに宣言した。
「お前がこれ以上、不当に人を傷つけないか。外道に堕ちきらないか。私がこの目で、一番近くで見張らせてもらう!」
それは、誇り高き騎士からの宣戦布告だった。
俺は思わず、口元を押さえて笑いを堪えた。
なんだそれは。つまり、俺のすぐ傍で、常に純度の高い反発と敵意を向け続けてくれるということか。
「好きにしろ。ただし、業務の邪魔はするなよ」
最高のヘイトの供給源を手に入れた喜びに浸りながら、俺は訓練場を後にした。
◆
翌朝。
ドタバタ、ガタガタッ! と、〈クビキリ堂〉のすぐ隣の部屋から、けたたましい騒音が響いてきた。
「なんだ、朝から。隣の空き部屋に誰か引っ越してきたのか?」
俺が淹れたての茶を啜りながら呟くと、事務所の扉が勢いよく開いた。
「おはよう、ダン。今日からよろしく頼む」
そこに立っていたのは、私服姿で木箱を抱えたロッタだった。
「……は? お前、なんでここにいるんだ」
「隣の部屋を借りた。今日から私がここの住人だ」
ロッタは木箱をドスンと床に置き、腕を組んで胸を張った。
どうやら、昨日の『監視する』という宣言は、物理的な距離の話も含んでいたらしい。
「か、勘違いするな。これは監視業務の一環だ」
ロッタは少しだけ頬を赤く染め、そっぽを向きながら早口で言った。
「お前のような危険人物を野放しにはできない。だから、私が二十四時間体制で見張ることにしただけだ。決して、他意はない!」
「二十四時間体制の監視……」
俺は絶句した後、腹の底から湧き上がる歓喜に打ち震えた。
凄い。凄すぎる。わざわざ俺の隣に引っ越してまで、四六時中ヘイトをぶつけてやろうというその執念。
これこそが、最上級に熟成された敵意というやつか!
「素晴らしい。歓迎するぞ、ロッタ。せいぜい俺の粗探しに精を出すことだな」
「ふん、言われるまでもない!」
俺が満面の笑みで迎えると、ロッタは戸惑ったように一歩後ずさった。
その時。
バキィッ!
斜め向かいの席から、恐ろしい音が響いた。
見れば、押しかけ助手のフィオナが、無表情のまま羽ペンを真っ二つにへし折っていた。
「……フィオナ? どうした、ペンの調子が悪いのか?」
「いいえ。少し、目障りな変数が増えただけです」
フィオナの紫紺の瞳が、絶対零度の冷たさでロッタを射抜いている。
彼女は新しい羽ペンを取り出すと、ノートにガリガリとインクを削りつけるように文字を書き殴り始めた。
『監視対象を監視する者。極めて不快。完全なる私の管理下において、排除すべきエラー』
「な、なんだお前は。なぜ私をそんな目で見る」
「あなたに答える義務はありません、野蛮な騎士殿。私の視界に入らないでください」
「なんだと!? この無礼な魔術師め!」
事務所の中で、二人の少女の間にバチバチと激しい火花が散っている。
ピノが「あーあ、めんどくさいことになった……」と頭を抱えているが、俺にとっては最高の光景だった。
(いいぞ……俺を巡って、互いの敵意が共鳴し合っている。たまらないな)
俺は、彼女たちが俺の監視権(ヘイトの矛先)を奪い合っているのだと確信し、極上の朝の空気を深く吸い込んだ。
【本日のヘイト評――正義の香り。鋭いが、なぜか温かい。★4.8】
◆
その日の夜。
〈クビキリ堂〉の隣の部屋で、ロッタは引っ越しの荷解きもそこそこに、ベッドの上に倒れ込んでいた。
「……私は、何を血迷っているんだ」
両手で顔を覆い、彼女は一人ごちた。
監視業務の一環。確かにその大義名分はある。あんな外道な男、騎士として放っておけるはずがない。
だが、彼に剣を弾き落とされた瞬間。
自分の弱さを、一番隠したかった臆病さを、冷酷に見透かされた瞬間。
なぜか、胸の奥がひどく高鳴ってしまったのだ。
「君は正義に判断を預けている、か……」
誰も言ってくれなかった言葉。
隊長令嬢という肩書ばかりを見られ、自分の本質を見てくれる者などいなかった。
あの男だけが、私という人間を根底から見抜き、そして叩き潰してくれた。
「違う。これは敵意だ。私はあいつを監視し、いつか必ず屈服させてやるんだから……!」
ロッタは布団に顔を押し付け、必死に自分に言い聞かせる。
だが、首筋に触れた短剣の冷たい感触と、ダンに見下ろされた時の熱い記憶が、何度振り払っても消えることはなかった。
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