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そのまま。  作者: こまこま
2章
8/44

2-4


音が、近くなる。


ピッ、ピッ。


どこからか聞こえているその音は一定のリズムを叩いていた。


光が近づいたり遠ざかったり


いくつもの声が聞こえている。


その度に押し寄せてくる恐怖の波が


身体を動かなくする



いつからだろう


懐かしいような

愛おしいような

泣きたくなるような


そんな声がわたしを呼んでる気がして。


同時に包まれる温もりはいつも強張りを解いてくれるようで。


近づいたり遠のいたりしながら

だんだんと光が強くなっていっていた。


まぶたの奥が、重い。


開けたいのに中々開かなくて




「……詩」


また声。


今度は、さっきよりはっきりしている。


ゆっくり、まぶたを開ける。


白い天井。


光。


でも、それより先に入ってくるものがある。


影。


人の影。


その輪郭だけが、ぼやけているのに分かる。


胸の奥が、少しだけ反応する。


怖くない。


ただ……知ってる


“ここにいた気がする”


その感覚だけ。


口が動かない。


声も出ない。


でも、どこかで何かが揺れる。


そのとき、影が少し近づく。


「……おるで」


その声で、何かが一瞬だけ繋がる。


理由は分からない。


でも、確かに。


その瞬間だけ、呼吸が落ち着く。


まぶたがまた重くなる。


落ちる直前。


ほんの一瞬だけ。


その人を見た気がした。








朝の光が、少しだけ変わった。


病室の白が、前より柔らかい。


ピッ、ピッ。


詩の目が、開いている。


完全じゃない。

片目しか開いてない。


でも、ちゃんと“見ている”。


昂汰は椅子に座る。


いつも通り、その手を握る。


でも今日は違う。


「……おはよう」


詩は少し遅れて、瞬きをする。


それだけで十分だった。


「今日な」

「外、めっちゃええ天気やで」


詩の指が、彼の指を少し握る。


それが“返事”になる。


昂汰は笑う。


「詩、俺のことわかる?」


また少し力がこもる。


「やんな」


ニコニコと嬉しそうに笑う彼をしばらくじっと見つめていた、彼女のその瞳から、一筋の涙が溢れた。



看護師が一度カーテンを閉めて出ていく。

病室の音が少しだけ静かになる。


ピッ、ピッ。


その規則的な音だけが残る。


昂汰は、詩の手を握ったまましばらく黙っていた。


「……なぁ」


小さく声を落とす。


詩のまぶたはまだ完全には安定していない。

でも、さっきよりは呼吸が整っている。


「先生がな」


一拍置く。


「もう少し落ち着いたら、一般病棟に移れるって言うてた」


その言葉は、少しだけ迷っている。


安心させたいのか、

まだ不安なのか、自分でも分からないまま続く。


「前の部屋な」


軽く笑う。


「いつもおったとこ」


詩の指が、ほんの少しだけ動く。

それを見て、昂汰の声が少し柔らかくなる。


詩の視線が、ゆっくりと揺れる。


記憶の奥にある“部屋の感覚”が、少しだけ浮かび上がる。


そこは、二人にとっての“いつもの場所”だった。


結婚してから、自然にそうなった部屋。


一緒にいるために選ばれてきた部屋。


昂汰は握った手に少し力を込める。


「戻ろか」


「そっちの方がええやろ」




移動は静かだった。

台車の車輪が床を鳴らす。

規則的な音。

それに混ざって、看護師の短い指示が飛ぶ。


「ゆっくり行きますね」


詩の身体は、シーツごと慎重に移されていく。


昂汰はその横を離れない。

手だけは、ずっと握ったまま。


ピッ、ピッ。


モニターの音が、移動の振動に合わせて少し揺れる。


それがやけに不安で、昂汰は無意識に視線を落とした。


「大丈夫です、安定してますよ」


看護師の声。

その言葉に、少しだけ呼吸が戻る。


廊下は長い。

白い光が、ゆっくり後ろへ流れていく。


いくつかの病室の前を通り過ぎるたびに、

詩の指がほんのわずかに反応する。


強い反応じゃない。


ただ、“気配を感じている”程度の動き。


昂汰はそれを見逃さないように、ずっと見ている。


「着きますね」


看護師の声。

扉が開く。


そこは、少し広い部屋だった。


窓がある。

光が柔らかい。

空気がさっきまでと違う。


昂汰は一瞬だけ止まる。

(ここや)

言葉に出さないまま思う。

何度も来た場所。

詩が入院するたびに、ここに移ってきた部屋。


二人でいるための部屋。


ベッドが静かに置かれる。

詩がそこに戻されると、機械の音がまた一定に鳴り始める。


ピッ、ピッ。


でもさっきより少しだけ、音が遠い。


看護師が調整を終えて、部屋を出ていく。


扉が閉まると、静けさが落ちた。

昂汰は椅子に座らず、まず詩の顔を見る。


「戻ってきたで」


小さく言う。

詩のまぶたは、まだ完全には開かない。


でも、さっきより“落ち着いた呼吸”をしている。


しばらくして。


詩の指が、シーツの上でほんの少し動く。

探すみたいな動き。

昂汰はすぐに手を握る。


「ここや」

「おるよ」


詩のまぶたが、ゆっくり揺れる。

開きかけて、止まる。


でも今度は、怖がっていない。


昂汰は息を吐く。

ようやく椅子に座る。

それでも手は離さない。


窓の外では、昼の光が少し揺れていた。

車の音が遠くにある。

でもここだけは、少し違う静けさだった。


ピッ、ピッ。


同じ音なのに、さっきよりも“生活に近い音”に聞こえる。


昂汰はぽつりと呟く。


「……やっと戻れたな」


詩の指が、ほんの少しだけ強く握り返す。


その瞬間だけ。

怖さが、ほんの少しだけ薄れる。

でも完全には消えない。



パタン。


病室のドアが閉まる。

少しだけ空気が抜ける。


廊下に出ると、壁にもたれている男がいた。


昂汰は一瞬だけ止まって、それから小さく息を吐く。


「コーチ…」

「声かけてくれたらよかったのに」


「うん」


短い返事。

それだけで十分だった。


少しの沈黙。


自販機の音だけが鳴っている。

昂汰は視線を落としたまま、ぽつりと言う。


「戻りますかね…」


思わずこぼれた言葉


間。


男はすぐには答えない。

缶コーヒーを取り出して、軽く振る。


「そうだな…」


言い切らない声。


昂汰は顔を上げない。

男は小さく息を吐く。


「待つしかできんよな」


昂汰は何も返さない。

でも、それでいい気がしていた。


ほら。


放物線を描いて飛んできた缶を受け止めた時、

ふと視線が上がって、窓の外に青空が見えた。








ピッ、ピッ…


変わらない音を聴きながら穏やかな寝顔を見つめる。


跡残るかな…

少し薄くなった傷跡をなぞれば


ゆっくりと瞼が開いていく


「おはよ」


覚醒しきっていないのか、ぼんやりと宙を彷徨っていた視線が、だんだん落ち着いて柔らかな曲線を描いた


唇だけが動く。

声はまだ出ない。


でも昂汰は笑う。


「ん、おはよ」


頭を撫でる。

詩は少しだけ顔をしかめる。


それすら、戻ってきた証拠だった。


こんなやりとりができることを奇跡のようだと感謝したくなる。


夜が来て

朝が来る


でも、その中に“二人のリズム”が戻ってくる。


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