表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのまま。  作者: こまこま
2章
5/43

2-1

試合後のロッカールームは、いつも通りだった。


汗と、雑音と、まだ続いている興奮。


その中で


誰かが言った。


「詩ちゃんが刺された」


一瞬、音が消えた。


……は?


聞き返したはずなのに、返事は覚えてない。


刺された?


詩?


なんで?


誰が?


意味が、分からない。


ロッカールームの空気が、急に薄くなったみたいで、

息がうまく吸えない。

視界の端で、誰かの口が動いてる。

何か言ってる。


でも音が遠い。


水の中にいるみたいに、くぐもって聞こえる。


「病院」「今すぐ」「手術」


単語だけが、バラバラに頭に引っかかる。


――嘘やろ。


喉の奥で声にならない何かが引っかかる。


足を出したつもりだった。


けど、前に進んだ感覚がない。


床がやけに近い。


立ってるのか、座ってるのかも分からない。


誰かに肩を掴まれる。


強く揺さぶられて、やっと視界が戻る。


「おい、昂汰、しっかりしろ」


その言葉だけが、やけにはっきり聞こえた。


ポケットの中でスマホが鳴っている気がした。


気のせいかもしれない。


どっちでもいい。


どうでもいい。


気づいたら、車に押し込まれていた。


ドアが閉まる音が、やけに大きい。


エンジンがかかる。


誰かが何か言ってる。


横で携帯を操作しているのが見える。


「今向かってる」「いや、まだ——」



不意に音が消える


なぜだか誰も、しばらく喋らなかった。




どれくらい走ったのか、

信号で止まったのか、

高速に乗ったのかも覚えてない。


胸の奥がずっとざわついてる。


息が浅い。


うまく吸えない。


吐き気が込み上げてくる。

「止めてくれ」

そう言いかけた時、急ブレーキがかかった


身体が前に投げ出されそうになって、

シートベルトに引っ張られる。

「マスコミが来てる、大丈夫か?」

「行くぞ」

ドアが開く。


外の光が、やけに眩しい。


足が、動かない。


「走れ!」


誰かの声。


腕を引かれる。


その瞬間——


光が弾けた。


フラッシュ。


視界が真っ白になる。


何も見えない。


「早瀬選手!!」


「奥様の容体は——」


「今回の事件について一言——」


「犯人との関係はありますか——!」


一気に押し寄せる声。


近い。


近すぎる。


なんでここにおるんや。


状況がつながらない。


腕を引かれる。


前に出される。


でも進めない。


またフラッシュ。


やめろ。


反射的に目を閉じる。


それでも光が残る。


「結婚が原因ではという声も——」


その一言だけが、やけに鮮明に耳に残る。


——結婚が原因


違う。


違うやろ。


でも声が出ない。


喉が固まってる。


息が、できない。


誰かにぶつかる。


肩が当たる。


バランスを崩す。


「下がれ!」


怒鳴り声。


誰かが前に立つ。


壁みたいに。


視界が遮られる。


それでも横から腕が伸びてくる。


マイク。


カメラ。


手。


怖い。


「どいてください!」


強い力で引かれる。


半ば引きずられるようにして、

中へ押し込まれる。


自動ドアが閉まる。


音が、一気に遠ざかる。


さっきまでの喧騒が嘘みたいに消えて、

耳鳴りだけが残る。


足の力が抜ける。


その場で崩れそうになるのを、

誰かに支えられる。


「大丈夫か」


低い声。


すぐ近く。


その手の温度だけが、

やけに現実的だった。




視界に入るのは、白い廊下。


照明。


壁。


消毒液の匂いが強すぎて、

吐き気が込み上げる。


何をしに来たんや。


その疑問だけが、

遅れて浮かんできた。




「ご家族の方ですか」


声をかけられて、顔を上げる。


家族?


違う。詩じゃない。


違うはずなのに。


「……はい」


気づいたら、頷いていた。


「現在、緊急手術を終えたところで——」


医者か?多分医者だ。が何か言っている。


「出血が多く」「心臓にも負担が」「まだ予断を——」


言葉が頭に入ってこない。


音としては聞こえてるのに、

意味にならない。


「……大丈夫ですよね」


自分の声が、やけに遠く頼りなく聞こえた。



「……最善は尽くしています」


分かりやすい言葉なのに、

何一つ理解できない。


「……会えますか」


それだけ、どうにか絞り出す。


「短時間であれば」


案内される。


足が重い。

会えば安心できるはずだから


なのに。

一歩進むたびに、

逃げたくなる。


見たくない。


でも——


前からも後ろからも引っ張られているようだった


カーテンの前で、足が止まる。


手が、震えてる。


触れれば開く距離なのに、

その一歩が、どうしても踏み出せない。


「……どうぞ」


看護師の声。



白いベッド。


その上に——


詩がいた。


一瞬、音が消える



知ってるはずの顔。


でも。


知らない。


赤く腫れた頬。


ガーゼで隠れた瞼。


固定された腕。


機械に繋がれた身体。


呼吸に合わせて、規則的に上下する胸。


音。


機械の音。


一定のリズム。


近づけない。


足が、動かない。


こんなん、ちゃうやろ。


頭のどこかで、

現実を拒否してる。


全然、違う。


そんなわけない。


「……詩」


名前を呼ぶ。


返事はない。


当たり前やのに。


分かってるのに。


それでも——


「……詩」


もう一度。


声が、震える。


近づく。


やっと、一歩。


ベッドの横まで来て、

手を伸ばしかけて——


止まる。


触っていいのか、分からない。


壊れそうで。


怖い。


でも、

どうしてもその温もりを確かめたくて


「うた…」


何度目かわからない

その名を呼んで

伸ばした指先

握りしめたその手が温かい事に

少しだけ息を吐いた


その時——


ピクリ、と。


わずかに、指が動いた。


「……っ」


息が止まる。


見間違いかもしれない。


それでも、もう一度呼ぶ。


「うた…?」


今度は、少しだけ強く。


ゆっくりと。


時間をかけて。


重たい瞼が、わずかに動く。


ほんの少しだけ、開く。


焦点が合っていない瞳。


それでも——


探すように、彷徨う。


「……おるで」


気づいたら、そう呟いてた。


「ここや、うた、わかるか」


声が、掠れる。


その瞬間——


その瞳が、止まる。


俺を捉える。


一瞬。


ほんの、一瞬だけ。


安心したみたいに、

ふっと力が抜ける。


そのまま、また瞼が落ちる。


それだけだった。


たった、それだけなのに。


膝から力が抜ける。


その場に崩れ落ちそうになるのを、

必死にこらえる。


「……なんでや」


声が漏れる。


「なんで、こんな……」


誰に向けた言葉か分からない。


犯人か。

自分か。


それとも——


喉の奥が焼ける。


息がうまくできない。


視界が滲む。


「……ごめん」


言葉が、こぼれる。


「ごめん。」


守れなかった。


その一言だけが、

頭の中で、何度も何度も繰り返される。


何もできなかった。


何も、知らなかった。


そばにもいなかった。


——守れなかった。


その事実だけが、

重く、のしかかる。


息が、苦しい。


でも。


それでも。


目の前の詩は。


生きようと必死に戦っていて。


俺はただ立ち尽くしていた



「だれ…?」

くぐもった声がずっと聞こえて

よく知ってるような気がして


わたし…呼ばれてる…?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ