6-9
“うた”
彷徨っていた視線が止まる
“わかるか”
瞼が閉じる
そして
大きく息を吐き出すと
目尻から
涙が流れた
ぐったりと
力が抜けたままの彼女を
運んでもらう前にと
布団を捲れば
不自然な位置にある枕に気づく
半分はお腹の上
残りは右手の下
まるで抱えるように
それが俺のものだと
気づいた時
襲ってきた感情の名前を
俺は、知らない…
病室。
いくつもの管が繋がれて
酸素マスクまで付いている
その姿をじっと見つめる
「間に合ってよかった」
医師のその言葉に
凍りついて
(間に合った…?)
息をするのも忘れた
頭も
頬も
ちゃんと温かい
布団をめくって
隠れていた手に
そっと触れる
その温もりを確かめて
握りしめた
数ヶ月前のあの日に
感じた恐怖が
また、襲ってきて
身体中に震えが走る
握った手に力が入った時
微かに握り返される感触
ゆっくりと開いた瞳が
時間をかけて
焦点を合わせていく
そして、俺を捕らえた
その視線は
離れることなく
見つめたままで
目元がゆっくり
柔らかな曲線を描いていく
ハッと息を呑んだ次の瞬間、
その瞳からは涙が溢れ出ていて
俺はその涙を拭いながら
自分の涙を止めることもできずに
“ごめん、ごめん”
と繰り返す事しかできなかった
不意に
手の動きが止められる
目を移せば
小さな手が俺の手を掴んでいて
“どうした”
不安になって覗き込んだ先
熱で
涙で
潤んだ瞳が
崩れる
少しずつ
自分に向かって上がってくる
両手
何本もの管も
マスクも
視界から消える
一瞬のためらいもない
伏せったままの
彼女の
その温もりを感じた時
「…ただいま」
応えるように
その腕に
ギュッと力がこもった
「お、起きてるやん」
側についていられたのは
移動明けの休日、たった1日
容赦なく
通常の日程に連れ戻される
やっと水分が摂れた
ほんの少し口にした
まだ1日のほとんどを
眠ったまま過ごした彼女を
置いていく
罪悪感と恐怖心
大丈夫
病院からの連絡はない
試合後のルーティンもそこそこに
足早に病院に戻ると
ほんの少しベッドの背を起こして
迎えてくれた
一瞬。
立ち止まって観察する
顔色
表情
瞳
そしてなんでもないように
進める足
「起きてるやん」
覗き込んで
頬に手を伸ばす
微かに頷いて
見せる笑顔
鼻に繋がる管を掴んで
顰める顔
「邪魔やな」
笑いながら
ベッドに腰掛ければ
目線が同じになる。
「ただいま」
“うん”
「顔色、良くなったな」
“うん”
「…ちょっと、ハグさせて」
そっと肩に手を置いて
強請るように覗き込めば
恥ずかしそうに頷いてくれる
そのまま自分に引き寄せて
また少し
小さくなったその身体を
閉じ込める
ふぅっと大きな息
「よかった…」
聞き逃しそうなほどの小さな声
壊れ物を抱えるみたいな
優しい腕の中で
感じた彼の苦悩
“ごめんね”
確かにそう思うのに
あったかな陽だまりみたいな
この場所の
居心地の良さを
手放したくなくて
ずるい私は
気づかないふりをして
その胸に頬を寄せた
夜中。
ふと目が覚めて
何気なく隣に手を伸ばす
暗闇の中
探すように動かしても
空を切り続ける事に
思わず起き上がった。
あれからしばらくして、
自宅に戻ってからも
詩の体調は中々安定せず
寝込んでいる事が多くなった
今日も。
ぼんやりとした顔で
ベッドの上
窓から外を眺めていたのに
「うた…?」
心配になって部屋を出ると
リビングから小さな明かりが見えた。
ソファを背に
床で膝を抱えながら
眠っている
“何してんねん”
出かけた言葉を飲み込んで
足早に近づく
「…うた」
軽く肩を揺らせば
ゆっくりと瞼が開いていく
「どうしたん、こんなとこで」
一度交じった視線が
また膝の中に潜っていく
「気分悪いんか?」
頭に
肩に
背中に
手を伸ばしても
埋まったままの顔が
横に振られるだけで。
不意に
ベッドの端
背を向けて
丸まって眠る姿を思い出す
それは、
いつからだったんだろう
なにを
見落としてたのか
背中に冷たいものが
流れた気がした
“うた”
「ここがいいん?」
頭にポンっとおかれる大きな手
優しいトーンの低い声
困らせたいわけじゃない、と
ベッドに戻るために
立ちあがろうとする
「…っと」
ふらつく身体を支えてくれる
強い腕
覗き込む瞳は
不安気に揺れていて
心配させた
不安にさせてしまった
…起こして、しまった
“ごめんなさい”
下げた頭に返ってきたのは
寂しそうな
哀しそうな
そんな笑顔だった
“ごめんね、ちゃんと寝てね”
彼は明日も試合だ
これ以上
足を引っ張りたくはない
少しでも休んで欲しい、
と
背を向けて
横になる
眠れない
そうわかっていても。
後ろから
伸びてきた腕が
グッと引き寄せてくる
「じゃあ協力して」
頭の上、響く声
包まれる温もり
ほんの少し抜ける力
聞こえてきた寝息
いつのまにか
誘われたのは
わたしの方だった…
身体を反転させて
腕の中
抱え込む
青白い顔
眉間によった皺
こんなに近くにいるのに
温もりを感じてるのに
この子を
見失ってしまいそうで
眠る彼女から
目が離せずにいた




