6-8
夜中。
ふと目が覚める
暑くて息苦しくて
顔にも背中にも
びっしりかいた汗で
髪も服もへばりつく
“慣れ”はない
でも
“知っている”
苦しさから逃れたくて
浅い息を繰り返す
心細くて
伸ばした手は
空を切ったまま
落ちた。
「今週ずっとビジターやねん」
出発の前日。
ちょっと顔を顰めながら彼が言う
“ごめんなー”
申し訳なさそうにする彼に
首を横に振る
チームに帯同していた頃
ビジターの試合も地方の試合も
楽しみにしていたのを
知ってる
この日しか来られないファンがいる
それが変わらない彼の想いで。
“ごめんね”
“わたしがいるから”
そんな言葉
傷つけるだけだって
わかってるけど
卑屈になっていく思考を
止められない
落ちていく感情は
当たり前だと
嘲笑うかのように
体調も引き連れて行く
抗うのをやめた時
この人は
わたしは
どうなるんだろう…
「…た、うた、おーい」
目の前で振られる
大きな手のひらに
思考の渦から引き戻される
「どこ行ってん」
軽くおでこを弾きながら
少し困ったように
彼は笑った
夜。
ベッドの上。
彼はわたしを自分の正面に置いた。
きちんと話したい時
伝えたい事がある時
今がその時なんだと
少し背筋を伸ばす
そんなわたしを見て
口元を緩ませる
大きな手が両手を包んだ
“うた”
眠れてないのも
食べられないのも
動けなくなってるのも
「ちゃんとわかってる」
気まずくて俯きかけた時
顎に手をかけられて
強制的に視線が交わる
「約束して」
側に居ないからって
“1人にならないで”
俺の事
「忘れないで」
“意味、わかるか?”
念を押すように
繰り返す彼に
視線が彷徨う
「頼む、詩」
何も言わなくていい
鳴らしてくれさえすれば
合図さえ
出してくれれば
それでいいから
怖がってるのは
不安で仕方ないのは
間違えたくない
そう思ってるのは。
何度も何度も頷いて見せて
やっと
肩の力が抜ける。
強張った表情が
解けた。
朝。
“昂汰さん、ご飯食べよう”
呼びにきた詩に頷いて
後について行く
テーブルの上には
おにぎり
卵焼き
味噌汁
そして、
ちょっとドヤ顔の詩。
「…作ったん?」
恐る恐る聞く俺に
自信満々に頷いて見せる。
あの日以来
初めての、手料理。
“味噌汁はインスタントだよ”
袋を持ってきてそう笑う
彼女に
言葉もなく立ち尽くした
昨夜の俺に
出した
彼女なりの答え
“座ろう”
背中を押されてテーブルにつけば
一人前しか用意されていないのに気づく。
無理したんだな…
そう思うけど。
その気持ちに応えたくて
おにぎりに
かぶりついた
“詩の味”
どうしても
抑えきれない感情が
込み上げてくる
俯いたまま
箸を進められない
トントンと膝が叩かれる
跪いて
俺の足に手を置きながら
見上げる顔
手にはスマホ
「帰ってきたらまた作るよ」
“ちゃんと元気でいるから”
視線が絡まったまま動かない
ニコッと笑った詩が
ポンポン、と軽く手を叩いて
立ち上がる
引き止めるように
腕を伸ばして
閉じ込めたのに
“ありがとう”
出てきたのは
その一言だけだった
嬉しそうに
でも少し
気持ちが引かれるように
彼が出発した後
崩れ落ちるように
ソファに沈み込む
あんなにも
動揺するとは思わなかった
彼の
昨夜の顔も思い出す
苦しめてるのは
わたしだと
無理させてるのも
心配かけてるのも
支え、させてるのも
わたし、だと
そう思わずにはいられなかった
朝方
再び意識が浮上する
夜中の息苦しさは
少しだけ和らいでいるのがわかる
それでも重い身体には
力が入らなくて
「約束して」
「頼む、詩」
頭の中、何度もこだまする声
“助けて”
そう思うのに
ベッドサイドのスマホにまで
手が届かない
“昂汰さん”
伸ばした指の先
当たったのは
彼の使っている枕
なんとか引き寄せて
顔を埋める
側に居て欲しい
抱きしめて
背中を撫ぜてくれたら
きっと
乗り越えられるのに
彼に包まれながら
また落ちていく
次に目が覚めたとき
胸に重い重石が置かれているようで
指の一本も動かせない
頼む、詩
声は聞こえるのに
動けなくて
涙が一筋溢れた
“ごめんね”
「ただいま…」
はやる気持ちを抑えるように
この予感が当たらないように
恐る恐る玄関を開ける
静まり返った部屋
人の気配が感じられない
むしろ
バクバクと
自分の心臓の音が
響いている気がする
この2日
連絡が全くつかなくなった
何度かけても
メールをしても
反応がない
嫌な想像ばかりが膨らんだ
「うた…?」
真っ暗な部屋
電気を点ける手が震える
真っ青な
血の気が引いたような
その顔に
全身に冷や汗が吹き出す
「うた…うた?」
額に
首筋に
頬に
手を当てて
その温もりに小さく息を吐く
熱はある。
呼吸は…
ある。
寝てるのか。
それとも
意識がないのか。
落ち着け、落ち着けと
自分を叱りつけながら
詩の様子を観察する
「うた…?」
乱れた前髪を
そっと直してやる
乾いた唇に
指を伸ばす
その度に呼吸を確認する
視線をやれば
ベッドサイドに置かれたままのスマホ
医師に連絡を取ろうと
スマホを手にしたとき
小さく身じろぎしたのがわかる
“うた”
驚かせないように
小さな声で
呼びかければ
瞼の下
動きが見えて
ゆっくりと開いた




