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そのまま。  作者: こまこま
6章
39/44

6-5


朝。


「ほな、行ってくるな」


玄関。


大きな荷物を肩に掛けた昂汰が振り返る。


小さく頷く詩。


「何かあったら電話な」


いつもの言葉。

何回も聞いてる言葉。


詩が少しだけ眉を寄せるのを見て

昂汰が笑う。


「その顔やめぇ」


頭を雑に撫でられる。


「大丈夫やって」


どっちに向けた言葉かは分からない。


それでも少しだけ肩の力が抜ける。




“いってらっしゃい”

手を振って見送って。


ドアが閉まると、広がる静けさ。


ほんの数秒。


詩は玄関に立ったままで。


(……行った)


シーズン中、

今までも何度も見送った。

当たり前の、日常。


なのに。


なぜか今日は少しだけ違う。


動けないのか

動かないのか。


自分でもわからないまま、

小さく息を吐き出した。






まだ朝。


やることはある。


薬。

洗濯。

昼ご飯。

代行の人も来る。


ちゃんと予定はある。


なのに。


ソファに座ったまま、

しばらく動けなくて。



冷蔵庫を開けてみれば


作り置きの容器が並んでいる。


きちんとラベルも貼られている。


昼用。

夜用。


分かりやすい。


手にとって、食べればいい。

ただ、それだけ。


昂汰も。

代行の人も。


ちゃんと考えてくれている。

わかってる。


ありがとう…って

ちゃんと、ほんとに、

そう思ってる。


(けど…)


手を伸ばして蓋を開ける。


湯気。


美味しそうな匂い。


でも。


食欲が動かない。


せっかく作ってくれたから

“食べなきゃ”


そう思うのに。



(…だから、困る)





ぼんやりと視線が窓に向く

いつのまにか雨が降りはじめていた。


引き寄せられるように窓辺に向かうと

窓を開けた



雨の音

匂い

静けさ



傘をさして

この空気を

感じるのが

“好きだったな”



窓の外。


アスファルトを打つ音。

ベランダの手すりを伝う雫。


ただそれを見ている。


窓を閉める。


でも。


数歩歩いて、また戻る。


カーテンを少し開ける。


雨は強くない。


(……ちょっとだけ)


そう思った瞬間。


頭の中に浮かぶ。


『何かあったら電話な』

『一人で無理すんな』


少しだけ眉を寄せる。


(……ちょっとくらい)


誰に向けたものか分からない、

小さな反発。


玄関へ向かう。


ドアを開けると同時に感じる

懐かしい感覚


嬉しくなって

自然と上がる視線



濡れたアスファルトの色

水たまりに落ちていく雨粒

傘に落ちる雨の音も

車のあげる水飛沫も


何もかもが楽しくて




(あ……)


終わりがけの紫陽花が

雨粒でキラキラ輝いて見えて。


スカートが濡れるのも構わずに

思わずしゃがみ込んだ。




カシャッ、カシャッ

響くシャッター音

綺麗に撮れたその写真を

一緒に見て欲しいのは

やっぱり1人だけで。






「は…?」

送られてきた写真に思わず声が出た。


出かけたんか?

雨の日に?

1人で?



荒ぶる気持ちを

落ち着かせるように

大きく息を吐いて


もう一度写真に目をやる


花も。

写真も。

良さなんて正直さっぱりわからない、

だけど。


シャッターを切っている彼女の姿は

やけにはっきりと

目に浮かんだ



それは当たり前のように

隣にあった光景で。



満足そうに微笑む

その姿を

見るのが

とても…

好きだったと


熱くなる目頭を

瞬きで誤魔化した






ほんの10分。

それでも、

足は少し震えていた。


息も、思ったより浅い。


ソファに身体を預ける。


楽しかった。


でも、

ちゃんと疲れている。


それがやっぱり悔しい。



既読がついたLINEも返信がなくて


(怒ってるかな…)


不安になった頃



“待ち受けにするわ”


届いたのは、

たった一言。


怒られると思っていた胸の奥が、

ふっと緩んだ。




窓の外では、

まだ雨が降っている。


もう一度だけ写真を開く。


紫陽花じゃなくて。

その向こうにいる人を思いながら。





「お土産買ってきたで」


右手を掲げて

“ただいま”もそこそこに


いつものように包まれる腕の中


馴染んだ香りを

胸いっぱいに吸い込んだ。






(楽しかったな…)


その賞味期限はとても短くて、

代わりに残るのは

倦怠感


動けない、その事に気持ちが

ささくれだっていく


減らない作り置き

準備できないメニュー


溜まっていくモヤモヤを

抱えきれなくなってきていた。


なのに。




「うたー…」

ソファの上。

抱え込まれた腕の中

頭の上から響く声に視線をあげれば


あの日の写真


「楽しかったん?」


“…うん”


昂汰さんの気持ちが読めなくて、

その分少しだけ返事が遅れた



そんな心を見透かすかのように

ジッと見つめた後

表情を緩めた彼は

「そんなら、よかった」

そう言って笑った


“次は、俺も連れてってな”






小さな寝息が聞こえてきたのを確認して

腕の中の詩を覗き込む。


隠しきれない隈

少しやつれた頬


顔に掛かる髪を避けながら

頬に手を沿わせれば


眉間に皺を寄せながら

顔を背けようとして。


無意識のそんな姿に自然と口角が上がる


宥めるように

柔らかな髪を撫ぜながら、


思い出すのは。


冷蔵庫の奥へしまわれていた作り置き。

少しだけ散らかった部屋。


隠しているつもりのふらつき。

「大丈夫」と笑う顔。



だけど。

出迎えてくれた時に見せた

あの笑顔は。

嘘じゃないって、わかるから。


「…おやすみ」

額にそっと唇を落とす。




今は。

この温もりを感じていたい。


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